граффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるモノが登場(2017年08月09日 & 22)
ユジノサハリンスク市の北西側にダリネエー(Дальнее)という場所が在ります。運行系統#81の路線バスで街の北西側に進むと"終点"に相当するような地域です。因みに、そのダリネエーから#81のバスに乗れば、街の中を南下し、大型商業施設の<シティーモール>の辺りに出られます。
ダリネエー(Дальнее)は、日露戦争末期の1905年に樺太上陸作戦を敢行した日本軍と駐留していたロシア軍との間で戦闘が生じた舞台だったという歴史も在ります。樺太時代には、その戦闘で戦死した指揮官の名に因み、辺りは西久保と呼ばれるようになっていました。ソ連化以降はダリネエー(Дальнее)に復しています。
ダリネエー(Дальнее)はユジノサハリンスクの「近郊住宅街」という趣で、比較的新しい集合住宅が並んでいるような場所です。夕方、レーニン通辺りで#81の路線バスを視掛けると、ダリネエーの側、北西へ進む方のバスばかりが「帰宅する人達」と見受けられる乗客で酷く混み合っているように視えます。時間帯や「踏切を通過する事情」も在るので、レーニン通の州立図書館や美術館が在るような辺りからの路線バスでの所要時間は一定でもないのですが、20分程度の場所がダリネエーです。2002年頃に1700人台だった地区の人口が、10年程経た2013年には2000人台になっているらしく、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気です。
↓そのダリネエーにこういうモノが登場したのは7月末のことでした。
ダリネエー (1).jpg
↑集合住宅の建物側面の壁に、流麗な書体の文字が大胆に書き込まれました。「文字を書く」というよりも「文字から起こしたデザインを描く」と表現すべきでしょうか。
<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)と流麗な書体で描かれています。何やら色々な"掛詞"的な含意が感じられるが「ダリネエ―を愛せよ」というようなこと、「自身の過去や未来を愛せよ」というようなことでしょうか?
この種のモノはграффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるのですが、これは「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達が、何やら大袈裟にも見える高所作業車をダリネエーの<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>の静かな住宅街に持ち込んで作業を進めたので、「一寸した話題」になりました。
その後、「建物管理の見地で、こういう具合に壁に画を描くことが許されるのか、否か?」という話しも出たようですが、「眼に愉しいので好いじゃないか!」という声も高まりました。
「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達の側では、写真とデザイン画を合成した"制作構想"のようなモノも発表して推進を目指したようですが、そのうちに「こういう構想を支持したい」とする州議会議員や市議会議員も現れるようになったようです。やがて夕刻に住民を集めて、プロジェクターでデザイン画を壁に映写してみるようなこともする「構想説明会」のようなものまで催されました。
こうした<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)に端を発する動きは、地元テレビ局のニュース情報番組で随時紹介されていましたが、最近になって更に動きました。
↓"第2弾"が登場しました。
ダリネエー (2).jpg
↑<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という辺りの住所は、由来は判りませんが"モスクワ"の形容詞を使っています。それに因んで、モスクワの有名な<聖ワシーリー寺院>と、"実物"もその間近に視える<クレムリン>の塔を象ったデザインが描き込まれたのです。
<聖ワシーリー寺院>と<クレムリン>の形を、「線だけで単純化して、それでも実物の形が思い浮かぶ」ような感じで描いたモノで、テレビで視てから気になってしまい、実物を眺めに行ったのでした。
ダリネエーのграффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)の"第2弾"が登場したことを伝えるテレビ番組のコンテンツの中で、コメントしている方が在りました。その方は「ソ連時代にも共同住宅の建物壁にモザイクが施され、"あの画の建物"というように言っていた例は在った。そういうようなモノの、最近の流儀がこういうようにアーティストがデザインして画を描くというようなことのように思う」としていました。
↓新たに画が入った建物を、少し引いた感じで視ると画のようになります。
ダリネエー (3).jpg
↑壁の真中辺りの下側に、何かの機器のようなモノを収めたような部分が在るのですが、その辺りに<クレムリン>の塔の入口辺りに見え隠れしている、警備任務に就いている兵士を思わせる画が入っている"遊び"に笑ってしまいました。
最近、ユジノサハリンスクでは「街のデザイン」というような問題意識が高まっているようにも見受けられます。そうした中、「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達が一石を投じ、本当に一つの小さな地区でその動きが拡がり始めました。今後もこの場所や、場合によって他の場所でこの種のモノが登場するかもしれません。
ダリネエー(Дальнее)は、日露戦争末期の1905年に樺太上陸作戦を敢行した日本軍と駐留していたロシア軍との間で戦闘が生じた舞台だったという歴史も在ります。樺太時代には、その戦闘で戦死した指揮官の名に因み、辺りは西久保と呼ばれるようになっていました。ソ連化以降はダリネエー(Дальнее)に復しています。
ダリネエー(Дальнее)はユジノサハリンスクの「近郊住宅街」という趣で、比較的新しい集合住宅が並んでいるような場所です。夕方、レーニン通辺りで#81の路線バスを視掛けると、ダリネエーの側、北西へ進む方のバスばかりが「帰宅する人達」と見受けられる乗客で酷く混み合っているように視えます。時間帯や「踏切を通過する事情」も在るので、レーニン通の州立図書館や美術館が在るような辺りからの路線バスでの所要時間は一定でもないのですが、20分程度の場所がダリネエーです。2002年頃に1700人台だった地区の人口が、10年程経た2013年には2000人台になっているらしく、「人口が漸増する新興住宅地」という雰囲気です。
↓そのダリネエーにこういうモノが登場したのは7月末のことでした。
ダリネエー (1).jpg
↑集合住宅の建物側面の壁に、流麗な書体の文字が大胆に書き込まれました。「文字を書く」というよりも「文字から起こしたデザインを描く」と表現すべきでしょうか。
<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)と流麗な書体で描かれています。何やら色々な"掛詞"的な含意が感じられるが「ダリネエ―を愛せよ」というようなこと、「自身の過去や未来を愛せよ」というようなことでしょうか?
この種のモノはграффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)と呼ばれるのですが、これは「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達が、何やら大袈裟にも見える高所作業車をダリネエーの<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>の静かな住宅街に持ち込んで作業を進めたので、「一寸した話題」になりました。
その後、「建物管理の見地で、こういう具合に壁に画を描くことが許されるのか、否か?」という話しも出たようですが、「眼に愉しいので好いじゃないか!」という声も高まりました。
「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達の側では、写真とデザイン画を合成した"制作構想"のようなモノも発表して推進を目指したようですが、そのうちに「こういう構想を支持したい」とする州議会議員や市議会議員も現れるようになったようです。やがて夕刻に住民を集めて、プロジェクターでデザイン画を壁に映写してみるようなこともする「構想説明会」のようなものまで催されました。
こうした<Возлюби Дальнего Своего>(ヴォズリュビー ダーリニェヴォ スヴァエヴォ―)に端を発する動きは、地元テレビ局のニュース情報番組で随時紹介されていましたが、最近になって更に動きました。
↓"第2弾"が登場しました。
ダリネエー (2).jpg
↑<ピェールヴァヤ・モスコーフスカヤ通>という辺りの住所は、由来は判りませんが"モスクワ"の形容詞を使っています。それに因んで、モスクワの有名な<聖ワシーリー寺院>と、"実物"もその間近に視える<クレムリン>の塔を象ったデザインが描き込まれたのです。
<聖ワシーリー寺院>と<クレムリン>の形を、「線だけで単純化して、それでも実物の形が思い浮かぶ」ような感じで描いたモノで、テレビで視てから気になってしまい、実物を眺めに行ったのでした。
ダリネエーのграффити(グラフィティ)またはстрит арт(ストリート アルト)の"第2弾"が登場したことを伝えるテレビ番組のコンテンツの中で、コメントしている方が在りました。その方は「ソ連時代にも共同住宅の建物壁にモザイクが施され、"あの画の建物"というように言っていた例は在った。そういうようなモノの、最近の流儀がこういうようにアーティストがデザインして画を描くというようなことのように思う」としていました。
↓新たに画が入った建物を、少し引いた感じで視ると画のようになります。
ダリネエー (3).jpg
↑壁の真中辺りの下側に、何かの機器のようなモノを収めたような部分が在るのですが、その辺りに<クレムリン>の塔の入口辺りに見え隠れしている、警備任務に就いている兵士を思わせる画が入っている"遊び"に笑ってしまいました。
最近、ユジノサハリンスクでは「街のデザイン」というような問題意識が高まっているようにも見受けられます。そうした中、「住宅街等の壁をアートで飾ろう」ということを主唱するデザイナー達が一石を投じ、本当に一つの小さな地区でその動きが拡がり始めました。今後もこの場所や、場合によって他の場所でこの種のモノが登場するかもしれません。