2008年01月
2008年01月31日
旅人の足跡
水仙の並ぶ様子が美しい周防大島。
寒さの峠も越えたのか昼間は温かい。
1月30日の周防大島では、
旅の巨人と称された【宮本常一】の命日に、
例年のように水仙忌が執り行われた。
水仙 水仙
民俗学者としてその名が知られ、
近年になりその名は特に聞かれるようになった。
私は恥ずかしながら、その名を大学時代に知り、
当時陶酔していた松尾芭蕉の世界を、
その行脚の跡に見た。
松尾芭蕉は座学を離れ、旅の世界に身をおき、
宮本常一もまた、自分の歩いた世界を書き残してきた。
アーティストと学者。
舞台は違えど通じるものはある。
神宮寺 水仙忌
「ふるさとの人に限って知らない。」
と言われることは多くあった。
実際に私も知らなかったし、
今でも不勉強であることは否定できない。
たくさんの方の生きる訓示にさえなっている現代。
歩いて、見て、聞くという姿勢が、
多くの人を魅了して、その生き様に教訓を覚える人もいる。
ともかく難しいことは考えずとも、
1つ分かっていて欲しいのは、
私たちのふるさとには、
私たちが知らない所で日本の為に尽力していた人がいること。
ふるさと ふるさと
日本のあちこちを歩き回り、
私たちが当たり前と捨て置くことさえよく見ている。
それは「今」を後世に残し伝えるということにおいて、
本当に誠実な人であったのだと思う。
島の山々が荒廃し、町が寂れていく中で、
それに伴って文化も次第に消えてゆく。
信仰も必要性を失い、薄れていく記憶がある。
私たちの姿を宮本常一は何と見ているだろう。
私もまた一人の詩人として、
周防大島を歩き続けてみようと思う。
人物写真特集
たかし工房
寒さの峠も越えたのか昼間は温かい。
1月30日の周防大島では、
旅の巨人と称された【宮本常一】の命日に、
例年のように水仙忌が執り行われた。
水仙 水仙
民俗学者としてその名が知られ、
近年になりその名は特に聞かれるようになった。
私は恥ずかしながら、その名を大学時代に知り、
当時陶酔していた松尾芭蕉の世界を、
その行脚の跡に見た。
松尾芭蕉は座学を離れ、旅の世界に身をおき、
宮本常一もまた、自分の歩いた世界を書き残してきた。
アーティストと学者。
舞台は違えど通じるものはある。
神宮寺 水仙忌
「ふるさとの人に限って知らない。」
と言われることは多くあった。
実際に私も知らなかったし、
今でも不勉強であることは否定できない。
たくさんの方の生きる訓示にさえなっている現代。
歩いて、見て、聞くという姿勢が、
多くの人を魅了して、その生き様に教訓を覚える人もいる。
ともかく難しいことは考えずとも、
1つ分かっていて欲しいのは、
私たちのふるさとには、
私たちが知らない所で日本の為に尽力していた人がいること。
ふるさと ふるさと
日本のあちこちを歩き回り、
私たちが当たり前と捨て置くことさえよく見ている。
それは「今」を後世に残し伝えるということにおいて、
本当に誠実な人であったのだと思う。
島の山々が荒廃し、町が寂れていく中で、
それに伴って文化も次第に消えてゆく。
信仰も必要性を失い、薄れていく記憶がある。
私たちの姿を宮本常一は何と見ているだろう。
私もまた一人の詩人として、
周防大島を歩き続けてみようと思う。
人物写真特集
たかし工房
Copyright 2008 Takashi Nishiyama all right reserved
2008年01月30日
小松・屋代を散歩
少し前の話なるのだが、
お正月休みに帰っていた友人たちと、
小松・屋代地域を散歩してみた。
つるや コーヒー
大島大橋を渡ると右折。
下っていく海岸線を行けば、
右手に【つるや旅館】が見えてきて、
そこで昼食をとる。
瀬戸内海の風景を存分に楽しみながらの昼食。
日替わりランチは、量もおかずの種類も多く、
まるで飽きることなく楽しめるのがいい。
日替わりなので何度言っても楽しめる。
上品な味付けに友人も満悦。
食後のコーヒーを飲みながら、
静かな風景と、昼のまどろみを楽しむ。
いちご いちご
この時期になると、いちごシーズンが始まり、
【周防大島元気村】では、イチゴ狩りを楽しむことが出来る。
村長自ら案内してもらえたら、
色々と楽しい説明も聞かせてもらえる。
ミツバチが受粉に飛び回っていたり、
色々な品種のイチゴを楽しむことが出来たり。
いつ来ても面白いところではあるが、
やはり、観光だけでなく、
農園を楽しむのも素晴しい1日のエッセンス。
屋代ダム 小松夕景
一通り楽しんだら、山へ向かってみる。
水がほとんど無い【屋代ダム】は少し寂しいけれど、
白鳥たちは相変らず元気。
吹けない笛を持たしてみる。
まるで鳥と音楽会をしているみたいだ。
遊び終わったら【オレンジロード】を通ってみる。
大きな橋がかかっている場所は、夕焼けのスポット。
小松集落が濃いオレンジ色に染まる。
周防大島で遊ぶ。
小松・屋代周辺をブラブラしているだけでも、
半日なんてあっと言う間に過ぎてしまった。
人物写真特集
たかし工房
お正月休みに帰っていた友人たちと、
小松・屋代地域を散歩してみた。
つるや コーヒー
大島大橋を渡ると右折。
下っていく海岸線を行けば、
右手に【つるや旅館】が見えてきて、
そこで昼食をとる。
瀬戸内海の風景を存分に楽しみながらの昼食。
日替わりランチは、量もおかずの種類も多く、
まるで飽きることなく楽しめるのがいい。
日替わりなので何度言っても楽しめる。
上品な味付けに友人も満悦。
食後のコーヒーを飲みながら、
静かな風景と、昼のまどろみを楽しむ。
いちご いちご
この時期になると、いちごシーズンが始まり、
【周防大島元気村】では、イチゴ狩りを楽しむことが出来る。
村長自ら案内してもらえたら、
色々と楽しい説明も聞かせてもらえる。
ミツバチが受粉に飛び回っていたり、
色々な品種のイチゴを楽しむことが出来たり。
いつ来ても面白いところではあるが、
やはり、観光だけでなく、
農園を楽しむのも素晴しい1日のエッセンス。
屋代ダム 小松夕景
一通り楽しんだら、山へ向かってみる。
水がほとんど無い【屋代ダム】は少し寂しいけれど、
白鳥たちは相変らず元気。
吹けない笛を持たしてみる。
まるで鳥と音楽会をしているみたいだ。
遊び終わったら【オレンジロード】を通ってみる。
大きな橋がかかっている場所は、夕焼けのスポット。
小松集落が濃いオレンジ色に染まる。
周防大島で遊ぶ。
小松・屋代周辺をブラブラしているだけでも、
半日なんてあっと言う間に過ぎてしまった。
人物写真特集
たかし工房
Copyright 2008 Takashi Nishiyama all right reserved
2008年01月29日
ふるさとの道具
小さな頃は、我が家の庭や畑にあるものは、
なんでも自分に必要なものだと思っていた。
何に使うか見当もつかない道具達。
かなづち 鎌
昔はどの家庭にも当たり前のように備えられた、
金槌や鎌。
「大工」と言う仕事がごく当たり前に受け止められて、
釘を打つ姿、カンナを引く姿、溢れる材木。
そういった風景はいつしか失われたように感じる。
近頃では、パネルのようなものが組み合わさったかと思うと、
あっという間に家が建っていることもある。
骨組みの柱の中で、休憩をとるような大工風景は、
随分と少ないものになってしまった。
シャベル のこぎり
私も大人になったら、
父のように釘を打ち、家のあちこちをメンテナンスし、
家に備えられた道具は放っておいても、
自然と生活に組み込まれると思っていたのに。
結局、見たことある道具は沢山あれど、
使える道具と言えば極小。
時々祖父がふらっと倉庫に入り、
必要な道具を持って畑に行く。
私には必要の無い道具だが、祖父の手にはよく馴染む。
せんてバサミ みかんハサミ
ハサミ1つとってもそうだが、仕事道具と言うものもある。
さすがにこれは使うことが多いのが、
ミカンようのハサミ。
2種類のハサミは「センテバサミ」と収穫用のハサミ。
太い刃がついているものは、
力も強いので、枝を切り落としたりする。
何気に華道をする時にも使う私。
どんな道具も「望まれた」ゆえに生まれてきた。
それが時代から忘れられつつあると言うことは、
つまり、そういうことなのだろう。
寂しくもあるが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最近個人的に流行っているNHKドラマ『ちりとてちん』。
伝統文化・ふるさと、そしてそこにまつわる人。
私たちが生きている現在は、積み重ねの延長で、
まさに「若狭塗り箸」のようなものなのだと思います。
人物写真特集
たかし工房
なんでも自分に必要なものだと思っていた。
何に使うか見当もつかない道具達。
かなづち 鎌
昔はどの家庭にも当たり前のように備えられた、
金槌や鎌。
「大工」と言う仕事がごく当たり前に受け止められて、
釘を打つ姿、カンナを引く姿、溢れる材木。
そういった風景はいつしか失われたように感じる。
近頃では、パネルのようなものが組み合わさったかと思うと、
あっという間に家が建っていることもある。
骨組みの柱の中で、休憩をとるような大工風景は、
随分と少ないものになってしまった。
シャベル のこぎり
私も大人になったら、
父のように釘を打ち、家のあちこちをメンテナンスし、
家に備えられた道具は放っておいても、
自然と生活に組み込まれると思っていたのに。
結局、見たことある道具は沢山あれど、
使える道具と言えば極小。
時々祖父がふらっと倉庫に入り、
必要な道具を持って畑に行く。
私には必要の無い道具だが、祖父の手にはよく馴染む。
せんてバサミ みかんハサミ
ハサミ1つとってもそうだが、仕事道具と言うものもある。
さすがにこれは使うことが多いのが、
ミカンようのハサミ。
2種類のハサミは「センテバサミ」と収穫用のハサミ。
太い刃がついているものは、
力も強いので、枝を切り落としたりする。
何気に華道をする時にも使う私。
どんな道具も「望まれた」ゆえに生まれてきた。
それが時代から忘れられつつあると言うことは、
つまり、そういうことなのだろう。
寂しくもあるが。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
最近個人的に流行っているNHKドラマ『ちりとてちん』。
伝統文化・ふるさと、そしてそこにまつわる人。
私たちが生きている現在は、積み重ねの延長で、
まさに「若狭塗り箸」のようなものなのだと思います。
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たかし工房
Copyright 2008 Takashi Nishiyama all right reserved
2008年01月28日
母校の記憶
小学校を卒業して久しい。
鏡の中には随分と年齢を重ねて、
しかし、あの頃と何も変わらない自分がいる。
桜の木の下でブランコをこぎ、
チャイムの音を聞きながら教室に走った日々。
油田小学校 油田小学校
母校【油田(ゆだ)小学校】での日々は、
記憶として薄れつつも、
そのあまりにも楽しかった日々があったことは、
体の中に刻み込まれているように感じる。
「学習発表会」は当時から続く、
母校の文化祭のようなもので、
昔、自分はどんな劇を練習していたか、
思い返しながら鑑賞させていただいた。
子供達の一挙一動に地域の人は感動し、
ユーモア溢れる演技には、
微笑ましさのあまり、笑い声まで漏れる。
保育園児
私にとっては後輩。
その後輩達の演技を最前列で見ているのは、
地元保育園児の子供達。
寒い日だったにも関わらず、
みな目を細めてみていた。
地域のお年寄りにとっては、
目に入れても痛くないほどの宝物。
体育館は広すぎて少し寂しい想いもあるけれど、
子供の減ったステージを支える観覧席には、
中学生や高校生と、若い世代も見受けられた。
学習発表会 合唱
短い時間の学習発表会。
最後はステージ、全学年による合唱。
私たちの学生時代にも随分人数は少なかったが、
今は更に激減している。
それでも、元気な子供のやることは、
大人が心配するまでもなく力強い。
【星野哲郎】さん作詞による校歌がある。
懐かしいその歌詞を読みながら、
自分が小学生時代に戻ったような錯覚を得た。
すぐれた歌は時々、過去と今をつないでくれる。
過ぎていった日々。そして、これからやってくる未来。
大きく羽ばたいて欲しいと願う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
羽ばたくと言えば朝の15分ドラマ「ちりとてちん」の、
挿入歌で流れていた『翼をください』は名曲だったので、
ネットで調べて早速購入予定。
カノンさんと言うアーティストによる、
『Primary Flowers』と言うCDにあります。
みんなにも聞いて欲しい曲調は優しい歌声で満ちています。
人物写真特集
たかし工房
鏡の中には随分と年齢を重ねて、
しかし、あの頃と何も変わらない自分がいる。
桜の木の下でブランコをこぎ、
チャイムの音を聞きながら教室に走った日々。
油田小学校 油田小学校
母校【油田(ゆだ)小学校】での日々は、
記憶として薄れつつも、
そのあまりにも楽しかった日々があったことは、
体の中に刻み込まれているように感じる。
「学習発表会」は当時から続く、
母校の文化祭のようなもので、
昔、自分はどんな劇を練習していたか、
思い返しながら鑑賞させていただいた。
子供達の一挙一動に地域の人は感動し、
ユーモア溢れる演技には、
微笑ましさのあまり、笑い声まで漏れる。
保育園児
私にとっては後輩。
その後輩達の演技を最前列で見ているのは、
地元保育園児の子供達。
寒い日だったにも関わらず、
みな目を細めてみていた。
地域のお年寄りにとっては、
目に入れても痛くないほどの宝物。
体育館は広すぎて少し寂しい想いもあるけれど、
子供の減ったステージを支える観覧席には、
中学生や高校生と、若い世代も見受けられた。
学習発表会 合唱
短い時間の学習発表会。
最後はステージ、全学年による合唱。
私たちの学生時代にも随分人数は少なかったが、
今は更に激減している。
それでも、元気な子供のやることは、
大人が心配するまでもなく力強い。
【星野哲郎】さん作詞による校歌がある。
懐かしいその歌詞を読みながら、
自分が小学生時代に戻ったような錯覚を得た。
すぐれた歌は時々、過去と今をつないでくれる。
過ぎていった日々。そして、これからやってくる未来。
大きく羽ばたいて欲しいと願う。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
羽ばたくと言えば朝の15分ドラマ「ちりとてちん」の、
挿入歌で流れていた『翼をください』は名曲だったので、
ネットで調べて早速購入予定。
カノンさんと言うアーティストによる、
『Primary Flowers』と言うCDにあります。
みんなにも聞いて欲しい曲調は優しい歌声で満ちています。
人物写真特集
たかし工房
2008年01月27日
アロハの島の音楽祭
冬の寒い時期の話とは思えないが、
今日は周防大島でハワイムード満点の、
【第1回アロハ音楽祭】が開催された。
ハワイ移民の島の音楽祭。
大島文化センターへ行く私の首にはマフラー。
大島文化センター 文化センター
会場には少し遅れて行った私。
そこで出会ったのは、
驚くほどの会場の熱気。
いや、熱気も何もまず会場に入れない。
満員御礼のホール入り口には立ち見の方々が。
出ようとしても出られない人。
そんな中に入れるはずもない私は、
ホール入り口から人ごみの頭越しに撮影。
どうやら、地元のちびっ子フラだった模様。
フラダンス ハワイミュージック
小さな子供達によるフラダンスは会場を温めた。
ギュウギュウの会場は人の熱気が高いのか、
座っていても汗をかいてしまう。
まさにアロハの祭典にふさわしい温度。
流れるアロハ音楽も、
その柔らかい雰囲気で会場を和ましてくれる。
寒さで顔の筋肉も引きつるような最近だっただけに、
この緩さで、会場に詰め寄せた人も、
久しぶりに体の緊張が解けたのではないだろうか。
大正琴 三味線
広島からいらっしゃったプロのフラダンスには、
会場全体が感嘆の息をもらす。
素晴しい芸術だと感じたのもあったが、
何よりもその笑顔に見惚れる。
人と人のふれあいの間には、
やはり笑顔がふさわしい。
それをアロハスピリットに教わる。
地元の高齢層も素晴しい演奏を披露。
大正琴に三味線にと、
アロハ音楽と日本音楽の融合も、
文化の祭典に素晴しい華を添えてくれた。
寒い日の熱い心。
もうじき、春が来ます。
人物写真特集
たかし工房
今日は周防大島でハワイムード満点の、
【第1回アロハ音楽祭】が開催された。
ハワイ移民の島の音楽祭。
大島文化センターへ行く私の首にはマフラー。
大島文化センター 文化センター
会場には少し遅れて行った私。
そこで出会ったのは、
驚くほどの会場の熱気。
いや、熱気も何もまず会場に入れない。
満員御礼のホール入り口には立ち見の方々が。
出ようとしても出られない人。
そんな中に入れるはずもない私は、
ホール入り口から人ごみの頭越しに撮影。
どうやら、地元のちびっ子フラだった模様。
フラダンス ハワイミュージック
小さな子供達によるフラダンスは会場を温めた。
ギュウギュウの会場は人の熱気が高いのか、
座っていても汗をかいてしまう。
まさにアロハの祭典にふさわしい温度。
流れるアロハ音楽も、
その柔らかい雰囲気で会場を和ましてくれる。
寒さで顔の筋肉も引きつるような最近だっただけに、
この緩さで、会場に詰め寄せた人も、
久しぶりに体の緊張が解けたのではないだろうか。
大正琴 三味線
広島からいらっしゃったプロのフラダンスには、
会場全体が感嘆の息をもらす。
素晴しい芸術だと感じたのもあったが、
何よりもその笑顔に見惚れる。
人と人のふれあいの間には、
やはり笑顔がふさわしい。
それをアロハスピリットに教わる。
地元の高齢層も素晴しい演奏を披露。
大正琴に三味線にと、
アロハ音楽と日本音楽の融合も、
文化の祭典に素晴しい華を添えてくれた。
寒い日の熱い心。
もうじき、春が来ます。
人物写真特集
たかし工房
2008年01月26日
カーブミラー
月や星が美しいことを、
当たり前のように受け止めて育った数十年。
今でも、それは当たり前のように享受しながら、
実はこの風景は本当に大切なもので、
遠方の友人などあれば、
どこでもない、星空の見える場所へ案内することが多い。
月夜 星空
私たちの生活の中には、
あまりに当たり前すぎて気づかない、
そういう風景が多くある。
太陽や月、海のようなものもそう。
道路標識や、カーブミラーもそう。
美しい風景の中に漫然と並ぶカーブミラー。
しかし、それが無いと不便。
私はデジカメを持った当初から、
よくカーブミラーや電柱の写真を撮っていた。
カーブミラー 注意
道路工事が続いて、使われなくなったカーブが増え、
いつしか道端に意味もなくたたずむカーブミラーが。
何を映し出すでもなく、
時々カラスやトンビが泊まり、
潮風の中、静かに錆びてゆく。
電柱にしても、私たちの生活には無くてはならない。
しかし、そのありがたさは見た目からは想像できない。
停電でもあれば、すぐに不満が出て、
私たちはいつの間にか「電気のある生活」を、
当たり前として受け止めすぎているのだと思う。
カーブミラー 不思議カーブミラー
使われないカーブミラー。
中でもへんてこな物も残り、
住民からの苦情さえ無ければ、
これらが補修されることも、撤去されることもないのだろう。
役割を問われなくなった存在は、
いかにして社会に残り続ければよいのか。
私もまた、自分自身の存在を問うのである。
私がこの世界で「為し続けること」ってなんだろう。
人はその問いから逃げることも出来ず、
自分に出来ることを探し続けるのだろう。
そういうありがたい機会を与えられた生き物なのだ。
人物写真特集
たかし工房
当たり前のように受け止めて育った数十年。
今でも、それは当たり前のように享受しながら、
実はこの風景は本当に大切なもので、
遠方の友人などあれば、
どこでもない、星空の見える場所へ案内することが多い。
月夜 星空
私たちの生活の中には、
あまりに当たり前すぎて気づかない、
そういう風景が多くある。
太陽や月、海のようなものもそう。
道路標識や、カーブミラーもそう。
美しい風景の中に漫然と並ぶカーブミラー。
しかし、それが無いと不便。
私はデジカメを持った当初から、
よくカーブミラーや電柱の写真を撮っていた。
カーブミラー 注意
道路工事が続いて、使われなくなったカーブが増え、
いつしか道端に意味もなくたたずむカーブミラーが。
何を映し出すでもなく、
時々カラスやトンビが泊まり、
潮風の中、静かに錆びてゆく。
電柱にしても、私たちの生活には無くてはならない。
しかし、そのありがたさは見た目からは想像できない。
停電でもあれば、すぐに不満が出て、
私たちはいつの間にか「電気のある生活」を、
当たり前として受け止めすぎているのだと思う。
カーブミラー 不思議カーブミラー
使われないカーブミラー。
中でもへんてこな物も残り、
住民からの苦情さえ無ければ、
これらが補修されることも、撤去されることもないのだろう。
役割を問われなくなった存在は、
いかにして社会に残り続ければよいのか。
私もまた、自分自身の存在を問うのである。
私がこの世界で「為し続けること」ってなんだろう。
人はその問いから逃げることも出来ず、
自分に出来ることを探し続けるのだろう。
そういうありがたい機会を与えられた生き物なのだ。
人物写真特集
たかし工房
2008年01月25日
空に浮かぶ
今朝はかなり澄んだ空が見えて、
遠くまで見渡せる天気となった午前中。
瀬戸内海沿岸を車で走れば、
遠い空の上にプカプカと浮かぶ妙な白い物体。
どうも飛行船が飛んでいるらしい。
飛行船 青空
遠くて、その形も定かではないが、
これは【株式会社 日本飛行船 NAC】が飛ばしている、
「ツェッペリンNT号」。
以前東京に行った夕方に見たものと同じだろう。
それがどうしてここを飛んでいるかと言えば、
今日は広島から鹿児島までのフライトだった模様。
しばらく見とれていたが、
あっという間に青空の隙間に見えなくなった。
鳥 飛行機雲
昔から、鳥に憧れる人は多いし、
飛行機雲の持つ、なんとも言えない余韻に浸る人も多い。
私も飛行機雲には強い執着があるというか、
どうしても、空の軌跡を見ると、
心にキュンと来るものがある。
静かな空を横切る騒音。
鳥には随分迷惑な存在に違いない。
飛行機に乗る機会もない私は、
いつか空から陸を見る機会があるのかな?
と、想像してもまるで追いつかない想像に浸る。
瀬戸内海 フェリー
天候の変化しやすい時期なのだろう。
午後には嘘のような曇天。
分厚い雲が山間部にまたがり、
美しいラインを誇る【嵩山(だけさん)】には、
雪さえ降っているように見えた。
空ばかりでなく、海にも人の軌跡は残り、
波しぶきを立てながら走る漁船。
そして、沖をすれ違うフェリーを眺める。
人はどこもかしこも、自分の領域にしてしまった。
空も、海も、太古には幻想世界だったろうに。
人物写真特集
たかし工房
遠くまで見渡せる天気となった午前中。
瀬戸内海沿岸を車で走れば、
遠い空の上にプカプカと浮かぶ妙な白い物体。
どうも飛行船が飛んでいるらしい。
飛行船 青空
遠くて、その形も定かではないが、
これは【株式会社 日本飛行船 NAC】が飛ばしている、
「ツェッペリンNT号」。
以前東京に行った夕方に見たものと同じだろう。
それがどうしてここを飛んでいるかと言えば、
今日は広島から鹿児島までのフライトだった模様。
しばらく見とれていたが、
あっという間に青空の隙間に見えなくなった。
鳥 飛行機雲
昔から、鳥に憧れる人は多いし、
飛行機雲の持つ、なんとも言えない余韻に浸る人も多い。
私も飛行機雲には強い執着があるというか、
どうしても、空の軌跡を見ると、
心にキュンと来るものがある。
静かな空を横切る騒音。
鳥には随分迷惑な存在に違いない。
飛行機に乗る機会もない私は、
いつか空から陸を見る機会があるのかな?
と、想像してもまるで追いつかない想像に浸る。
瀬戸内海 フェリー
天候の変化しやすい時期なのだろう。
午後には嘘のような曇天。
分厚い雲が山間部にまたがり、
美しいラインを誇る【嵩山(だけさん)】には、
雪さえ降っているように見えた。
空ばかりでなく、海にも人の軌跡は残り、
波しぶきを立てながら走る漁船。
そして、沖をすれ違うフェリーを眺める。
人はどこもかしこも、自分の領域にしてしまった。
空も、海も、太古には幻想世界だったろうに。
人物写真特集
たかし工房
2008年01月24日
海から
今朝は久々に青空が見えて、
曇りと晴れを繰り返す1日となった。
青空を横切るのは雪を含んだ大きな雲たち。
所により軽く雪が降った。
松 帆船
昔に比べると随分少なくなったが、
今でも海岸線に多くみられる松。
過去に松くい虫にやられた時期もあったが、
最近はまた新しい松が育ってきている。
そんなドライブ中、
【竜崎温泉】の沖に見つけた帆船の影。
なんだろう。
海はどこへ続いているのだろう。
いろんな国、いろんな人、いろんな時間。
海は見ているだけでなんとも言えない気分に浸れる。
海草 ほんだわら
しばらく風が強かった日本一帯。
瀬戸内海も例外ではなく、
強風と早い波に連れてこられたのか、
海岸線の至る所で打ちあがった海草を見かける。
これは「ホンダワラ」の一種だろう。
海草の強い匂いは好き嫌いがあるようだが、
私は海草の打ちあがった砂浜の匂いが好き。
海草独特の強い匂い。
昔から知っている、ふるさとの匂いがする。
流木 足跡
流れ着いているのは何も海藻ばかりではない。
おびただしい量のゴミ。
そのほとんどはプラスチック製品のようで、
次いで空き缶。
人はどうしてこれほどのゴミを海に捨てるのか。
犬の散歩にも使われているのだろう、
砂浜に残った足跡は新しい。
海は私たち人だけのものではない。
そう思うと何に謝ればいいのか分からないのに、
ただ一途にごめんなさいと、思っている自分がいた。
人物写真特集
たかし工房
曇りと晴れを繰り返す1日となった。
青空を横切るのは雪を含んだ大きな雲たち。
所により軽く雪が降った。
松 帆船
昔に比べると随分少なくなったが、
今でも海岸線に多くみられる松。
過去に松くい虫にやられた時期もあったが、
最近はまた新しい松が育ってきている。
そんなドライブ中、
【竜崎温泉】の沖に見つけた帆船の影。
なんだろう。
海はどこへ続いているのだろう。
いろんな国、いろんな人、いろんな時間。
海は見ているだけでなんとも言えない気分に浸れる。
海草 ほんだわら
しばらく風が強かった日本一帯。
瀬戸内海も例外ではなく、
強風と早い波に連れてこられたのか、
海岸線の至る所で打ちあがった海草を見かける。
これは「ホンダワラ」の一種だろう。
海草の強い匂いは好き嫌いがあるようだが、
私は海草の打ちあがった砂浜の匂いが好き。
海草独特の強い匂い。
昔から知っている、ふるさとの匂いがする。
流木 足跡
流れ着いているのは何も海藻ばかりではない。
おびただしい量のゴミ。
そのほとんどはプラスチック製品のようで、
次いで空き缶。
人はどうしてこれほどのゴミを海に捨てるのか。
犬の散歩にも使われているのだろう、
砂浜に残った足跡は新しい。
海は私たち人だけのものではない。
そう思うと何に謝ればいいのか分からないのに、
ただ一途にごめんなさいと、思っている自分がいた。
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2008年01月23日
色々な形の命
動物も命について考えることがあるだろうか?
幼い頃の私は、人間とそれ以外の動物では、
命に対する想いは違うものだと思っていた。
それは長い年月を経て、
あらゆる生命に違いなどないと思うようになった。
猫 にゃぁ
1年以上前のこと。
我が家には愛犬がいて名前はウメ。
朝はとても元気だったウメは、
その日の夕方に息をひきとった。
心臓の悪かったウメは、
本当に予想の及ばない形でこの世を去ったが、
その時に、私たち家族は素晴しい思い出をもらった。
ウメを一番可愛がったのは祖母だった。
猫バトル 猫バトル激化
ウメは急激に元気を失ったかと思うと、
あっという間にグニャリと体が柔らかくなった。
以前にも猫や犬を失っている家族には、
それがどういう現象かすぐに飲み込め、
私はただ、祖母が仕事をしている畑に急いだ。
その時、たぶんウメはもう肉体的に亡骸だった。
随分時間がたったろうか。
祖母を連れて私が帰宅した時に、
ウメはまだ生きていて、
祖母に抱かれて間もなく力尽きた。
猫はお昼ね
どんな想いで死を耐えたろうか。
直感的に悟ったであろう、自らの死を、
どんな想いで息をつないだろうか。
祖母を探したに違いない。
見えなくなったその瞳に祖母を見たに違いない。
あの短い時間の中に、ウメは自らの死を、
祖母に伝えて、それから逝った。
犬だって猫だって死ぬ時には、
「ありがとう」って、きっと伝えている。
その気持ちが分かるから、私たち家族は嬉しくて、
また寂しくてあの日を思い出すのだ。
大好きなウメが命のことを教えてくれた日を。
人物写真特集
たかし工房
幼い頃の私は、人間とそれ以外の動物では、
命に対する想いは違うものだと思っていた。
それは長い年月を経て、
あらゆる生命に違いなどないと思うようになった。
猫 にゃぁ
1年以上前のこと。
我が家には愛犬がいて名前はウメ。
朝はとても元気だったウメは、
その日の夕方に息をひきとった。
心臓の悪かったウメは、
本当に予想の及ばない形でこの世を去ったが、
その時に、私たち家族は素晴しい思い出をもらった。
ウメを一番可愛がったのは祖母だった。
猫バトル 猫バトル激化
ウメは急激に元気を失ったかと思うと、
あっという間にグニャリと体が柔らかくなった。
以前にも猫や犬を失っている家族には、
それがどういう現象かすぐに飲み込め、
私はただ、祖母が仕事をしている畑に急いだ。
その時、たぶんウメはもう肉体的に亡骸だった。
随分時間がたったろうか。
祖母を連れて私が帰宅した時に、
ウメはまだ生きていて、
祖母に抱かれて間もなく力尽きた。
猫はお昼ね
どんな想いで死を耐えたろうか。
直感的に悟ったであろう、自らの死を、
どんな想いで息をつないだろうか。
祖母を探したに違いない。
見えなくなったその瞳に祖母を見たに違いない。
あの短い時間の中に、ウメは自らの死を、
祖母に伝えて、それから逝った。
犬だって猫だって死ぬ時には、
「ありがとう」って、きっと伝えている。
その気持ちが分かるから、私たち家族は嬉しくて、
また寂しくてあの日を思い出すのだ。
大好きなウメが命のことを教えてくれた日を。
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2008年01月22日
柳井の歩き方(後編)
さて、昨日に引き続き柳井の散歩になるのだが、
あまり目立たない様子で山中に【茶臼山古墳】はある。
茶臼山古墳 瀬戸内文化遺跡
空に随分近い感じがするこの場所は、
古墳遺跡の再現された公園のような形になっていて、
それこそ学習要素が散りばめられている。
瀬戸内海の文化発達の構造を知るのも価値。
ただ、あくびをしながら、
ゆったりと開けた景色の中を歩くのも価値。
遺跡だからと、肩肘はらずに、
のんびり過ごすには随分よい場所だと思った。
柳井 空へ
深呼吸の大切さを今更ながら思い知る。
大きく胸を張って息を吸い込む。
しかも、極上の田舎の空気だ。
柳井は周防大島とも近くてよく遊びに来るけれど、
いつも「買い物をする場所」程度にしか思っていなかった。
それがこうやって歩いてみると、
思い出を作ることの出来る場所は沢山ある。
空の下 空を抱える
なんて広い空だったろう。
大島でもなかなか拓けた丘陵地は無いから、
空をいっぱいに感じることが出きる場所は少ない。
【文殊山】の山頂なんかは見晴らしもよく、
空が広かったように覚える。
ゴツゴツの石の並んだ広い公園。
休日子供とくれば1日なんてあっという間だろう。
近くに団地があって、
そこの子供達が走り回る。
この子たちは、ここをふるさとに育つのだ。
夕暮れ 人物写真
夕方になると柳井港の裏手に。
ほぼ真横になった太陽の光は、
なんだか感傷的にさせてくれる。
船のつながれた港風景の情景は、
この先も誰かの思い出になってゆくだろうか?
ふるさとの近所で見た、
「誰かのふるさと」は、
そこに思い出の残影を見ることで、
なんだか私にも大切な場所に思えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この日の人物写真の練習の様子は、
別ブログ【サイバーショットな日々】にて掲載していきます。
全35話の予定ですので一緒に勉強していきましょう。
http://blog.livedoor.jp/tkssonyclub
人物写真特集
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あまり目立たない様子で山中に【茶臼山古墳】はある。
茶臼山古墳 瀬戸内文化遺跡
空に随分近い感じがするこの場所は、
古墳遺跡の再現された公園のような形になっていて、
それこそ学習要素が散りばめられている。
瀬戸内海の文化発達の構造を知るのも価値。
ただ、あくびをしながら、
ゆったりと開けた景色の中を歩くのも価値。
遺跡だからと、肩肘はらずに、
のんびり過ごすには随分よい場所だと思った。
柳井 空へ
深呼吸の大切さを今更ながら思い知る。
大きく胸を張って息を吸い込む。
しかも、極上の田舎の空気だ。
柳井は周防大島とも近くてよく遊びに来るけれど、
いつも「買い物をする場所」程度にしか思っていなかった。
それがこうやって歩いてみると、
思い出を作ることの出来る場所は沢山ある。
空の下 空を抱える
なんて広い空だったろう。
大島でもなかなか拓けた丘陵地は無いから、
空をいっぱいに感じることが出きる場所は少ない。
【文殊山】の山頂なんかは見晴らしもよく、
空が広かったように覚える。
ゴツゴツの石の並んだ広い公園。
休日子供とくれば1日なんてあっという間だろう。
近くに団地があって、
そこの子供達が走り回る。
この子たちは、ここをふるさとに育つのだ。
夕暮れ 人物写真
夕方になると柳井港の裏手に。
ほぼ真横になった太陽の光は、
なんだか感傷的にさせてくれる。
船のつながれた港風景の情景は、
この先も誰かの思い出になってゆくだろうか?
ふるさとの近所で見た、
「誰かのふるさと」は、
そこに思い出の残影を見ることで、
なんだか私にも大切な場所に思えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
この日の人物写真の練習の様子は、
別ブログ【サイバーショットな日々】にて掲載していきます。
全35話の予定ですので一緒に勉強していきましょう。
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