[フレーム]
livedoor ブログ(Blog)- アフィリエイト・法人利用もOK、無料/有料ブログサービス [ 趣味・創作(総合) - 趣味・創作一般 ] livedoor カンタン! ブログをはじめよう

2025年11月

2025年11月29日

周防大島神社めぐり017 和佐正八幡宮

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり017。
星野哲郎さんの生まれ故郷、和佐の正八幡宮。「iiiroジェラート」から徒歩で行ける距離にある。

和佐正八幡宮 和佐正八幡宮

いい感じの石段があり思わず撮影したくなる。階段脇にはかなり前に廃校になった開導小学校。

祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神宮皇后。八幡宮と言えばだいたいこの3人が祀られている。以前から八幡宮とは何だろうと疑問に思うことがある。和佐の神社をお参りするとその念が強くなる。

和佐正八幡宮 和佐正八幡宮

今は鬱蒼としているが、昔は常夜灯も美しい神社だったのではないか。境内には蛭子様らしき祠と、おそらく雷社があり、村上水軍に因むのではないかということ。

和佐正八幡宮 和佐正八幡宮

『山口県神社誌』によると神紋は「左三つ巴」とあるが、神社を見ると「隅切り角三つ引き」の紋があしらわれている。正面の瓦に燦燦と輝くようにあるし、本殿の屋根にも。
「隅切り角に三つ引き」の紋は調べると、愛媛県大三島の大山祇神社の神紋「隅切折敷縮三文字―(すみきりおしきちぢみさんもんじ)」とよく似ている。
(注記)伊予の河野氏が家紋に使っていたり、村上水軍も使っていたりと、由緒正しい瀬戸内海に浮かぶ日本総鎮守と呼ばれる

和佐正八幡宮 和佐正八幡宮

拝礼する方角には大三島があり偶然と言えばそれまでだが、何か不思議な縁を感じずにはいられない。
和佐の八幡宮の向かいには、1300年代と伝わる宝篋印塔がある。歴史を見守ってきた高台の神社は今日も静かに和佐を見守っている。

2025年11月28日

周防大島神社めぐり016 小泊神社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社めぐり016。
小泊の小泊神社。地域の人は天満宮とも呼ぶようだ。

SUPやカヤック体験の出来る瀬戸内パドリングのすぐ近く。天満宮と書いた鳥居があり、浄土真宗の正覚寺と並びである。

小泊神社 小泊神社

菅原道真を祭神とする天満宮。周防大島は天満宮が多い印象。

菅原道真公が大宰府へ行かれる時に、小泊沖に投錨しここで休息をとったとのことで、周防大島各地にある天満宮は、だいたい同じような由来だろうと思う。

小泊神社 小泊神社

現代から見ると、どうして周防大島に菅原道真公が?となるが、古くは陸路より海上交通が盛んで、瀬戸内海でも大きな周防大島は海上から立ち寄るには良いポイントだったに違いない。海上交通の要衝だったことが想像できる。

境内には小さなお社が2つ。ひとつは恵比寿様の神紋のように見える。拝殿にも大黒様と恵比寿様の額が飾られていて、漁師町としても大いに賑わっていることが想像される。

小泊神社 小泊神社

境内からも海がよく見える。古くは海が玄関で、幸や富は海から来たのだろう。菅原道真公以外にも、大島各地には武蔵坊弁慶やシーボルトなども立ち寄ったと伝わる。

小泊神社 小泊神社

彫刻の細かい細工のものが多く、見ていると楽しい。隣の正覚寺の彫刻は見事なので併せてお参りして欲しい。中殿に彫られた亀に乗った老人。倭宿禰命だろうか、それとも中国の神話に出る霊亀、はたまた浦島太郎?など、想像が膨らむ。

小泊神社


2025年11月27日

周防大島神社めぐり015 神浦の弁天様

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社めぐり015。
神浦(こうのうら)の弁天様。

漁港の傍らに目立つ奇岩があるのに、案外知らない人が多い。コンクリートの道で岩までつながっているが、思えばもともとは離れ小島だったのだろう。

神浦 弁天様 神浦 弁天様

岩には祠が2つあり、弁財天を祀っているということだが、2つあるのはどういったことなのだろうか。

芸能の神様と言われる、七福神の弁財天。市杵島姫命(いちきしまひめ)であると言われ、市杵島姫命と言えば、宮島は厳島神社の祭神。

天女の降りてきそうな岩には弁天様が祀られている印象がある(思い込み)。宮島の見える位置にあるので、宮島を遥拝する祠かもしれない。

神浦 弁天様 神浦 弁天様

この奇岩の上には更に奇岩というか、丸い石が乗っていて、なぜ落ちないのか不思議に思う。この石は、浮島(うかしま)の天狗が投げた石だとか、天狗の鼻くそだとか伝わっている。
何か浮島と縁があったのだろうか。

2025年11月26日

周防大島神社めぐり014 新宮神社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社めぐり014。
神浦(こうのうら)の新宮神社。

大野工業の生コン施設のすぐ隣にある。神の浦と書いて「こうのうら」とは神々しい。少し西へ行くと神山(こうのやま)があり、その間を「神森(こうのもり)」とも呼ぶらしい。

神浦 新宮神社 神浦 新宮神社

祭神は猿田彦命(さるたひこのみこと)、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、神宮皇后(じんぐうこうごう)。大島では珍しい気がする猿田彦命。昔から知っている名前で、漫画『火の鳥』に頻繁に出てくる登場人物のモチーフでもある。

天孫降臨の神話に出てくる。瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が来た時に案内役となる地元の神で、しばしば売国奴のようにも言われることがあるが、先見の持ち主で開国の神とも言える。
道祖神信仰とも結びついている。ここに祀られているのも、もともと道祖神が祀られていたのだろうか?など想像する。

神浦 新宮神社 神浦 新宮神社

私が故郷のことを幅広く知っておきたいと思う気持ちの根本には、いつも猿田彦命がいて、島に来る人が分からないことがあった時に、少しでも行き先を示せるようになりたいと願っている。

国之常立神は別格の神で、国土創生、礎の神と思っている。
神宮皇后は八幡宮でよく祀られていたり、住吉神社などと縁が深い。

神浦 新宮神社 神浦 新宮神社

屋根などに使われている神紋は「三盛亀甲に花菱」。このあたりでは、住吉神社で見かける神紋で、神宮皇后も祀られているので、住吉神社と関係があるのかなと考える。

神社はもともと北を向いていたということだが、北には厳島神社があり、厳島神社の神紋にのつもりで「三盛亀甲に花菱」紋を使っているとも考えられる。この新宮神社のすぐ海側には弁天様もあり、そこから宮島も見えるので、案外そうかもしれない。

神浦 新宮神社 神浦 新宮神社

宮島の一番古い神社の大元神社の祭神も国之常立神であることも、あながち無縁ではない気がしてきた。

さて、拝殿に個性があり、寄付の札が天井に打ち付けられ並んでいる。今の神浦地域はけっして大きな地域ではないと思うが、この神社への歴代の想いを感じる。

神浦 新宮神社

境内には小さなお社が3つあり、荒神社、無銘の神社、3つ目は「金毘羅命・風神命」と書かれていて、これも珍しいなと思った。風神は杵築神社由来だろうか。または、隣の和佐集落の雷社と呼応するものだろうか、など想像を膨らませてくれる。

2025年11月25日

周防大島神社めぐり013 内入 金毘羅宮

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり013。
内入(うちのにゅう)の金毘羅宮。

内入という地名は難読で、うちのにゅう。外入でとのにゅう、という地域もある。内入に行くと気になる「村上武吉公終焉の地」という石碑。

村上武吉終焉の地 村上武吉終焉の地

村上武吉と聞けばテレビゲームなどで知る人も多いんじゃないかと思うが、戦国時代の武将で、村上水軍の棟梁として有名。『村上海賊の娘』などの書籍でも脚光を浴びた村上水軍。

内入の元正寺には村上武吉の位牌があり、また宝篋印塔と言う供養塔がある。その境内に金毘羅宮があり、周防大島88ヶ所霊場の74番札所もある。

内入 金毘羅宮 内入 金毘羅宮

金毘羅宮がもともとあったものかは分からないが、村上水軍と絡めて境内に祀ったのだろうか?金毘羅宮と言えば海上交通の安全祈願などで祀られたりするので、無関係では無い気もする。

内入 金毘羅宮 村上武吉の墓

このお社は、伊保田の益田建設の大工さんが作成されたと言うことで、昔から知るおじちゃんなので、なんだか嬉しくなる。

内入 元正寺 内入 元正寺

元正寺は住職が常駐するお寺では無いようで、偶然あった地域の管理をされている方などに会えたら、位牌を拝む機会を得られるが、日常的にお参り出来るわけでは無さそうだ。

お大師様堂にもお参り。いつものことながら綺麗にされている。幕の紋は曹洞宗の紋だろうか?

2025年11月24日

周防大島神社めぐり012 和田 妙見宮社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり012。
和田の妙見宮社。「小野家五輪塔」と一緒に祀られている。

オレンジロードへの登り口を行くと小さな看板があり、階段を下りると綺麗にお祀りされた妙見宮社と五輪塔、他にも大歳大明神がある。

小野家 妙見宮 小野家 妙見宮

妙見というのは北極星を指し「北振妙見」とも言われ、妙見菩薩を本尊とする妙見信仰は大内義隆さんも強く信仰していたとか。仏教での妙見菩薩は、のちに明治の廃仏毀釈で古事記最初の神である天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)として祀られているようだ。

祭神は天御中主神とも妙見菩薩とも言える。

小野家 妙見宮 小野家 妙見宮

小野家は1400年代から和田地域に住んでいるということ。山口県で妙見信仰があったとなると、大内家とのつながりを想像するところで、調べていると「この五輪塔は「大内義隆公余類之御方様の碑」で、大内氏一族の供養塔ということになっている。」という内容を『広報すおう大島』より見つけた。

周防大島には妙見様を祀る場所が幾つかあり、大内氏の支配力の影響も感じながら、小野家代々の場所で手を合わす。
藪の中で昼でも暗い所だが、もちろん昔は海まで見えただろうし、地域の人が灯台のように見ることが出来たんじゃないかと想像する。

2025年11月23日

周防大島神社めぐり011 淡島神社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり011。
和田の淡島神社。

和田 淡島神社 和田 淡島神社

周防大島88ヶ所霊場めぐりの67番札所がある、和田の正岩寺の隣にある神社。
神仏習合のお寺なのかもしれないが、淡島神社は大きなお祭をしていた記憶がある。

神紋の五三の桐 (ごさんのきり)が迎えてくれる。

和田 淡島神社 和田 淡島神社

入ってみると真ん中に淡島神社とあり、左右を「縁組稲荷」と「健康稲荷」が護っている。淡島神社と言えば少彦名命(すくなひこなのみこと)が祭神ではないかと思うが、この淡島神社はどうだろうか?

女性の病気や悩みにご利益があると言われる淡島神社。少彦名命は、薬や病気に対する知恵を持っていた、今でいえば医者的役割の神様。女性は出産や子育て、男性には無い悩みも多かったことだろうから、こうした民間信仰のように淡島神社が生まれてきたのかもしれない。

和田 淡島神社

この神社も、ファッションの絵が飾られていたり、女性的なものが多く、それは女人往生とも結びつくものなのかもしれない。神社とお寺が同じ境内にあり、色々と想像をかきたてる。

人形供養などもやっていたようで、人形が多くある。

2025年11月22日

周防大島神社めぐり010 筏八幡宮

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり010。
和田の筏(いかだ)八幡宮。

筏八幡宮 筏八幡宮

周防大島東端の8村の祖神にして、周防の国の東境の守護神として崇敬されて来た神社。有名な村上水軍も大事にしたのだとか。演歌作詞家の星野哲郎さんと縁があり、星野哲郎さんの名前を玉垣に見つけることが出来る。

由緒として、石清水に宇佐八幡宮の分霊が勧請された際、船で運ばれていた分霊が和田沖に差し掛かった時、神光が船を導いたということで、この地に新たに筏八幡宮をを造営したらしい。

筏八幡宮 筏八幡宮

神紋の「左三つ巴」が目に入って来る。

祭神は、応神天皇、仲哀天皇、神宮皇后。配祀神として、天照大神、住吉三神(表筒男命、中筒男命、底筒男命)、厳島の三女神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)。
これは色々合祀された結果なのだと思うが、さて。

筏八幡宮 筏八幡宮

もともとは、宮島様があり、また住吉三神をお祀りしていたようで、それが現在の祭神に繋がるのかもしれない。海上安全にはだいぶご利益がありそうな顔ぶれとなっている。
また口伝覚書が伝わっているそうで、1,500年代には天照皇大神、素戔嗚命、大多麻流別命(おおたまるわけのみこと)の三座の祭神を祀ったそうなのだが、ここで、大多麻流別命=周防大島の神格が出て来るが、現在の祭神には残っていないのは、何か理由があるのだろうか。

逗子ヶ浜は土器が出たりと、古代祭祀のあったところなのだそうだから、もともと古い信仰があったところに八幡宮が建ったということではないかと思う。また「三」にまつわる神様たちの多いことは、何か意味がある気がしてならない。

筏八幡宮 筏八幡宮

境内社もあり、『山口県神社誌』によると、三柱神社(埴山姫命、他2座)とありこれも三神。金刀比羅社(大物主神、他2座)とありこちらも三神!?不思議だが、これはもう、そういう結界のようにさえ見えてくる。
ちなみに、『山口県神社誌』には金刀比羅神社と書かれている場所には、現在稲荷さんらしき狐と赤い連なった鳥居があるので、こちらには稲荷神社があるのだと思うが、お社だけ見ると見分けもつかず謎が残る。金刀比羅神社の大物主神、他2座というのは、稲荷さんだったのだろうか。

筏八幡宮

八幡宮の三神を祀った本殿を囲むように、東に金毘羅三神、南に住吉三神、西に三柱三神、北に厳島三神。まぁこじつけのような感じも出て来たが、すごい「三」の神社だったのだと知る。

ちなみに、拝殿の彫刻を見て気づくのが、正面に南を向く鳳凰。西に龍。東に虎が彫ってある。彫刻は見事だが、四方を護る聖獣を模しているとしたら、龍と虎の方位が違うことになるのでは?と思ったが、別に四聖獣とは関係が無いのかもしれない。が、もしかしたら、龍と虎を入れ替えていることと厳島には深い関係があるのでは...とうまく説明は出来ないが、意味を感じた。

2025年11月21日

周防大島神社めぐり009 馬ヶ原荒神社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり009。

馬ヶ原の荒神社。
古くから祀られている神様のようで、島では一番多く祀られているのが荒神様。祭神は荒神様、ということになるのだろうか。

馬ヶ原荒神社 馬ヶ原荒神社

馬ヶ原という地名なので、昔は馬の放牧でもしていたのかとか、色々想像するのだが、いつの頃からか「浦ヶ浜」の方がしっくりくる風景だなとか思う。

故・中野一さんの残した地図を頼りに荒神様を探すが見つからず。どうやら、数年前からお社を海岸沿いに移したということで、なるほど海岸線を歩けばすぐに見つかる。
漁師町なので恵比寿神社を想像したが、耕作面積の少ない馬ヶ浜で、長い間地域の人の願いを聞いてきたのではないかと思う。

馬ヶ原荒神社 馬ヶ原

山側にあった時には、やはり海からも拝めたであろう荒神様。瀬戸内海に多い信仰と聞くが実態を調べたことはない。ただ、とても古い信仰ではないかと思っている。

磯の香りのする馬ヶ原の海岸。向こうに見えるのは四国。古い時代には、対岸は魅力的でもあり、恐れでもあったろうと思う。漕げばすぐにでも行けそうな四国の近さに昔の人は何を思ったろうか。

2025年11月20日

周防大島神社めぐり008 石丸王神社

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり008。

油宇の鯛の峰登山道の途中にある石丸王神社。通称「まるぼんさま」。
昔から何かあれば「まるぼんさまに聞いてみい」と言うくらい油宇地域の子供も知っていた。今は鬱蒼としていて、山の神社には参り手も少ない様子。とは言え参道は綺麗にされていて、境内も掃除された跡が分かる。小さなお社のそばには割られた石か、綺麗に祀られている。

石丸王神社 石丸王神社

祭神は手白香皇女(たしらかのひめみこ)なのだとか。
昔この地域に難破してたどり着いた姫様ということだが、調べてみると第26代継体天皇の皇后のようだ。史実にこの話が残っているかはともかく、油宇の石丸と呼ばれるあたりには湯が湧いていたらしく、そこで湯治をした姫が、とうとう甲斐なく亡くなったのでお祀りした、と言った縁起が残されている。
(注記)あくまでも言い伝えです

石丸王神社 石丸王神社

その姫様が重い皮膚病だったということで、こちらの神社には皮膚病の守り神様として慕ってくる参拝客が多くいたと伝わっている。

石丸王神社 石丸王神社

油宇集落の子供たちはよく「今日はまるぼん様の祭り」と賑やかにしていて、奉納相撲の話などしていた記憶がある。
鯛の峰は四国、広島がよく見える山で、温泉の逸話が残るように火山だったのだろうと思う。油宇という地名も、湯に因んでいるのかもしれない。本土の岩国市由宇町にもやはり温泉があったことだし。とはいえ、これはただの空想。

掲示板
今になって
LINEスタンプ
作ってみた。
FaceBook

デジタル詩人
インスタグラムはこちら
FaceBook


コメント
Archives
記事検索


traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /