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2025年12月10日

周防大島神社めぐり027 下田 一の宮様

(こちらは2025年6月より始めたFacebookの記事を転載したものです)

周防大島神社小祠めぐり027。
下田(したた)の「一の宮様」。

下田と書けば「しもだ」と読みそうだが「したた」と読む地名。島津鮮魚のすぐ裏のあたりに「一の宮会館」があって、地域の公民館のようなものかと思うが、奥にお社が祀られている。

下田 一の宮様 下田 一の宮様

『防長寺社由来』『山口県神社誌』『防長風土注進案』には出てこない。たまたま別のことを調べていた時に、合併前の東和町時代の有識者が寄稿して作っている冊子があり、その中に「一の宮様」のことが出て来た。

一の宮と言えば「地域で最も社格が高く、由緒の深いとされる」、国司や国造がお参りしていたとも聞く。周防大島で一之宮と言えば東瀬戸の大多麻根神社だと思っていたが、一の宮様とあったので、地域の方に教えてもらって参拝が叶った。

下田 一の宮様 下田 一の宮様

祭神は今のところ分からないが、大多満流分命(おおたまるわけのみこと)を祀っているのだろうか?大多満根神社の遥拝所のような役割だろうか?予測ばかりで実が分からないまま。

由来がはっきりしないのだが、残した方達は「一の宮と言うからには」との想いで繋いできたようだ。周防大島に国造(くにのみやつこ)が居たのは確かなようだが、それがどこだったかなどはっきりしないが、一の宮と呼ばれるのなら、国造がお参りしたこともあっただろうか?

飾れれている幕は「左三つ巴」の神紋で、これは近所にある下田八幡宮によって管理されていたのではないかと推察する。それにしても、いつから伝わるのか。もともとどこへあったのか?いずれ知る人に出会うこともあるだろうか?

たかし工房

【たかしのみるせかい】はデジタル詩人西山喬が執筆する
山口県は瀬戸内海に浮かぶ周防大島の物語です
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