アナスタス・イワノヴィチ・ミコヤンの記念プレート(2017年11月08日)

「午前8時頃」と言えば「既に明るい朝」という具合で、「おはようございます!」と元気に一日を始めようとするようなイメージであると思います。

↓ユジノサハリンスクの現在の時季、小雨が交じって雲が多目で厚いこととも相俟って、「午前8時頃」の"見た目"が「お疲れ様でした」と一日を終えようとする頃のような雰囲気になっています。こういう状態から、ゆるゆると明るくなって、ゆっくりと日中らしい雰囲気になって行くのですが。結局、「稚内辺りの午前6時頃の明るさ」が「ユジノサハリンスクの午前8時頃の明るさ」な訳です。
ミコヤン (1).JPG
↑画の場所はコムニスチ―チェスキー通から、稚内市サハリン事務所の入居する建物へ通じるようになっている辺りです。筆者にとっては「平日であれば99%通る」というような場所です。

建物前の駐車場になっている場所が雨水で濡れていて、建物の壁が映っています。

この建物の壁に、よく視ると"プレート"が貼られています。

↓こういうプレートです。
ミコヤン (2).JPG
↑これは極最近に登場したプレートです。11月2日に設置記念式をやっていました。

このプレートはソ連時代の政治家、アナスタス・イワノヴィチ・ミコヤン(1895-1978)を記念したものです。

プレートには「ソ連邦政府副首相にして1945年の解放以降のユジノサハリンスクにおける民政を整備したアナスタス・イワノヴィチ・ミコヤンが、1954年10月22日にこの建物を訪れている」という文字が在ります。

ミコヤンはアルメニア出身でロシア革命に参画し、革命後は政治家として活躍していた人物で、1960年代にはソ連の国家元首に当たる「最高会議幹部会議長」を務めていました。1961年と1964年に来日した経過が在り、1991年にゴルバチョフ大統領が来日するまで「訪日した最高レベルのソ連首脳」として、日本では知られていました。

プレートが設置された建物は、現在では銀行等の民間会社が入居しているようですが、嘗ては水産業関係の団体が利用していた建物で、1954年10月にサハリンを訪れたミコヤンは、この建物で会合を持ったそうです。

明るくなるのが遅くなって来たことを実感しながら、「つい最近、新しいプレート...」と思い出した訳ですが、「手近な場所に、存外な"大物"が足跡を残していた!」と、最近は少し感心しています。

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