アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程(2017年09月22日-25)
「週末を利用して、余り訪ねる機会が無い場所へ」というのは、他所の土地へ赴任すれば誰しもが考えることであると思います。筆者は「アレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねてみたい」と長く考えていました。ユジノサハリンスクから550km程度―東京・大阪間よりやや近いですが、要する時間は遙かに長い感じです...―北西の小さな街で、日帰りはキツい場所ですが。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、帝政期、またソ連時代にサハリンの中心的な街であった経過が在ります。1890年にサハリンを訪れたことが知られる作家のチェーホフも、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーに上陸しています。そして1905年の日露戦争の終盤、加えて1920年から1925年のシベリア出兵の時期に日本軍が占領した経過も在る場所です。こういう歴史を伝える、なかなか好い資料館を擁している街です。更に、かのラペルーズが1787年に命名したというジョンキェル(Жонкьер)岬が近くに在って、古い灯台が崖の上に建ち、地域のシンボルのようになっている<三兄弟>(Три Брата)(トリ・ブラター)と呼ばれる岩が海面に突き出ている独特な景観も知られます。何か「サハリンという島」のイメージが詰ったような、そういう感じがしていました。
国や地域を問わず、「古くは地域の中心的な街で大きな存在感を示していたが、時代が移ろう中、行政の中心が別な場所になった、または主要な交通経路から外れて行ったというような事情で、古い資料等が残る小さな街としてひっそりと在るような場所」というモノが在るような気がします。或いはアレクサンドロフスク・サハリンスキーは、サハリンに在ってそういうような場所かもしれません。古くは州都でしたが、現在は主要な交通路も外れており、街の人口も1万人に届かない規模であるようです。
ユジノサハリンスクから、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねるには、車をチャーターするような方法以外の公共交通機関利用での方法としては「ユジノサハリンスクとティモフスコエとの間の夜行列車を利用して往復。ティモフスコエとアレクサンドロフスク・サハリンスキーとの間をバスで往復」ということになります。
ユジノサハリンスクからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへ向かう場合、ティモフスコエでのバスの接続を考えると、遅く発車する方の夜行列車を利用する他に選択肢が無い感じです。アレクサンドロフスク・サハリンスキーからユジノサハリンスクへ向かう場合には、ティモフスコエからの2本の夜行列車の何れかを選んでバスでの接続が可能です。ティモフスコエから遅い方の列車でユジノサハリンスクへ向かうのであれば、ティモフスコエで数時間散策するようなことも出来なくはありません。(※(注記) 2017年9月現在)
ユジノサハリンスクでは、駅の窓口でユジノサハリンスク・ティモフスコエの列車の往復の切符を、そしてバスの券売所でティモフスコエからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへの片道乗車券を求めることが出来ます。
バスも列車も「1日2往復」です。買う時に特段に面倒ということではないのですが、列車に関しては「注意事項」が在ります。
列車の券を買う場合、ティモフスコエのような距離(ユジノサハリンスクから491km程度とのことです。)では、券を購入する際に「パスポートの提示」が求められます。加えて、パスポートの番号と氏名が券面に記載されます。これは「外国人だから」というのではなく、「乗客全員」です。そして券を求める時、窓口の係員に「券面の氏名やパスポート番号を検めて下さい」と言われます。乗車予定の列車で間違いないのかということに加え、この氏名やパスポート番号は確り確認しなければなりません。誤記が在ると、乗車を断られる場合が在るようです。実際、筆者の場合は名前のアルファベットの一文字が違ったので、申し出て訂正して頂きました。
↓こういうような券を手元に揃えた訳です。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (6).jpg
↑列車の券は、「モスクワ時間」の発車時刻が上の方、「サハリン時間」のモノが下の方に在り、号車番号と席番が入り、上述の氏名やパスポート番号も入ります。バスも「指定席」ということになっていて、席番が入った券が付いています。
因みに料金ですが、列車は片道が3918ルーブル40コペイカで、往復で求めたので7837ルーブル―端数のコペイカが"80"になって、切り上げになりました。―でした。バスは片道が227ルーブルでした。最近は1ルーブルが「2円弱」という感じなので、交通費は1万6千円強という感じです。(※(注記) 為替レートは毎日変わっていますから、ここに参考までに記した価格は、筆者が券を購入した2017年9月の状況です。)
ユジノサハリンスクの駅では、ティモフスコエ、更にノグリキへ向かう夜行列車については、発車する30分位前から乗客をホームに入れています。
その時間帯にホームに出てみると、列車は待機中です。各号車の担当乗務員や警察官や駅の保安係が何やら大勢居て、乗客も存外に多く、見送りの人も大勢居ます。チョロチョロとして列車の写真等を撮っている雰囲気でもありません。とりあえず乗車する車輛を探し、そこの入口で乗務員に券とパスポートを見せます。薄暗い中ではありますが、乗務員は手持ちの名簿と、券面記載の氏名にパスポートの氏名を確認し、問題が無ければ「○しろまる番の席へどうぞ」と入口から乗車を促してくれます。
夜行列車には幾つの種類の席が在るようですが、「クペー」と呼ばれる寝台車がポピュラーです。
↓車内はこういう感じです。上下2段の寝台が向き合って、4人まで入ることが出来る部屋のようになったモノが並んでいます。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (2).jpg
↑1輛にその「4人部屋」が9つ並んでいます。36人まで乗車出来ることになります。
↓割当たった場所は、こういう感じになっています。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (4).jpg
↑適当に寝具を出して、横になって休むことが出来る仕組みです。今般は往復共に下段で、隣の人は居ましたが、上段の人は居ませんでした。幅も長さも、1人でごろりと寝るには十分だと思います。
↓車内で快適に眠り、朝にはティモフスコエ到着です。乗継のバスを探しながら、何となく列車の姿を写真に収めました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (5).jpg
↑ティモフスコエの駅は街の中心からやや離れた場所です。駅名はどういう訳か<ティモフスク>となっています。
乗継のバスは駅舎の脇で待機し、続々と乗客が乗り込んでいます。求めて在った券をバスの乗務員(運転士)に示すと、書いて在る番号の席への着席を促されます。
↓ティモフスコエからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへは、山の中に拓いた坂が多い道路を進み、1時間20分程度です。距離にして60km弱ということでした。運行系統番号は503番で、バスの正面に番号が掲出されています。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (1).jpg
↑23人や24人が乗るようなタイプのバスです。アレクサンドロフスク・サハリンスキーでは、路線バスはこの型の車輛を運用している様子でした。他の型のバスは視掛けませんでした。
↓アレクサンドロフスク・サハリンスキーのバスターミナルに到着しましたが、到着直後に復路の「アレクサンドロフスク・サハリンスキーからティモフスコエ」のバスの券を求めました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (3).jpg
↑ターミナルの窓口は、日曜日には休業しているようです。他の曜日については、朝のティモフスコエからのバスが着くような時間帯には営業しています。因みに夕方の営業終了ですが、土曜日は早めに閉めているようでした。
こういうような行程でアレクサンドロフスク・サハリンスキーに辿り着き、電話予約で1泊お願いした宿に旅装を解き、秋の好天という中でアレクサンドロフスク・サハリンスキーの様子を愉しみました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーは、帝政期、またソ連時代にサハリンの中心的な街であった経過が在ります。1890年にサハリンを訪れたことが知られる作家のチェーホフも、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーに上陸しています。そして1905年の日露戦争の終盤、加えて1920年から1925年のシベリア出兵の時期に日本軍が占領した経過も在る場所です。こういう歴史を伝える、なかなか好い資料館を擁している街です。更に、かのラペルーズが1787年に命名したというジョンキェル(Жонкьер)岬が近くに在って、古い灯台が崖の上に建ち、地域のシンボルのようになっている<三兄弟>(Три Брата)(トリ・ブラター)と呼ばれる岩が海面に突き出ている独特な景観も知られます。何か「サハリンという島」のイメージが詰ったような、そういう感じがしていました。
国や地域を問わず、「古くは地域の中心的な街で大きな存在感を示していたが、時代が移ろう中、行政の中心が別な場所になった、または主要な交通経路から外れて行ったというような事情で、古い資料等が残る小さな街としてひっそりと在るような場所」というモノが在るような気がします。或いはアレクサンドロフスク・サハリンスキーは、サハリンに在ってそういうような場所かもしれません。古くは州都でしたが、現在は主要な交通路も外れており、街の人口も1万人に届かない規模であるようです。
ユジノサハリンスクから、このアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねるには、車をチャーターするような方法以外の公共交通機関利用での方法としては「ユジノサハリンスクとティモフスコエとの間の夜行列車を利用して往復。ティモフスコエとアレクサンドロフスク・サハリンスキーとの間をバスで往復」ということになります。
ユジノサハリンスクからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへ向かう場合、ティモフスコエでのバスの接続を考えると、遅く発車する方の夜行列車を利用する他に選択肢が無い感じです。アレクサンドロフスク・サハリンスキーからユジノサハリンスクへ向かう場合には、ティモフスコエからの2本の夜行列車の何れかを選んでバスでの接続が可能です。ティモフスコエから遅い方の列車でユジノサハリンスクへ向かうのであれば、ティモフスコエで数時間散策するようなことも出来なくはありません。(※(注記) 2017年9月現在)
ユジノサハリンスクでは、駅の窓口でユジノサハリンスク・ティモフスコエの列車の往復の切符を、そしてバスの券売所でティモフスコエからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへの片道乗車券を求めることが出来ます。
バスも列車も「1日2往復」です。買う時に特段に面倒ということではないのですが、列車に関しては「注意事項」が在ります。
列車の券を買う場合、ティモフスコエのような距離(ユジノサハリンスクから491km程度とのことです。)では、券を購入する際に「パスポートの提示」が求められます。加えて、パスポートの番号と氏名が券面に記載されます。これは「外国人だから」というのではなく、「乗客全員」です。そして券を求める時、窓口の係員に「券面の氏名やパスポート番号を検めて下さい」と言われます。乗車予定の列車で間違いないのかということに加え、この氏名やパスポート番号は確り確認しなければなりません。誤記が在ると、乗車を断られる場合が在るようです。実際、筆者の場合は名前のアルファベットの一文字が違ったので、申し出て訂正して頂きました。
↓こういうような券を手元に揃えた訳です。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (6).jpg
↑列車の券は、「モスクワ時間」の発車時刻が上の方、「サハリン時間」のモノが下の方に在り、号車番号と席番が入り、上述の氏名やパスポート番号も入ります。バスも「指定席」ということになっていて、席番が入った券が付いています。
因みに料金ですが、列車は片道が3918ルーブル40コペイカで、往復で求めたので7837ルーブル―端数のコペイカが"80"になって、切り上げになりました。―でした。バスは片道が227ルーブルでした。最近は1ルーブルが「2円弱」という感じなので、交通費は1万6千円強という感じです。(※(注記) 為替レートは毎日変わっていますから、ここに参考までに記した価格は、筆者が券を購入した2017年9月の状況です。)
ユジノサハリンスクの駅では、ティモフスコエ、更にノグリキへ向かう夜行列車については、発車する30分位前から乗客をホームに入れています。
その時間帯にホームに出てみると、列車は待機中です。各号車の担当乗務員や警察官や駅の保安係が何やら大勢居て、乗客も存外に多く、見送りの人も大勢居ます。チョロチョロとして列車の写真等を撮っている雰囲気でもありません。とりあえず乗車する車輛を探し、そこの入口で乗務員に券とパスポートを見せます。薄暗い中ではありますが、乗務員は手持ちの名簿と、券面記載の氏名にパスポートの氏名を確認し、問題が無ければ「○しろまる番の席へどうぞ」と入口から乗車を促してくれます。
夜行列車には幾つの種類の席が在るようですが、「クペー」と呼ばれる寝台車がポピュラーです。
↓車内はこういう感じです。上下2段の寝台が向き合って、4人まで入ることが出来る部屋のようになったモノが並んでいます。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (2).jpg
↑1輛にその「4人部屋」が9つ並んでいます。36人まで乗車出来ることになります。
↓割当たった場所は、こういう感じになっています。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (4).jpg
↑適当に寝具を出して、横になって休むことが出来る仕組みです。今般は往復共に下段で、隣の人は居ましたが、上段の人は居ませんでした。幅も長さも、1人でごろりと寝るには十分だと思います。
↓車内で快適に眠り、朝にはティモフスコエ到着です。乗継のバスを探しながら、何となく列車の姿を写真に収めました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (5).jpg
↑ティモフスコエの駅は街の中心からやや離れた場所です。駅名はどういう訳か<ティモフスク>となっています。
乗継のバスは駅舎の脇で待機し、続々と乗客が乗り込んでいます。求めて在った券をバスの乗務員(運転士)に示すと、書いて在る番号の席への着席を促されます。
↓ティモフスコエからアレクサンドロフスク・サハリンスキーへは、山の中に拓いた坂が多い道路を進み、1時間20分程度です。距離にして60km弱ということでした。運行系統番号は503番で、バスの正面に番号が掲出されています。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (1).jpg
↑23人や24人が乗るようなタイプのバスです。アレクサンドロフスク・サハリンスキーでは、路線バスはこの型の車輛を運用している様子でした。他の型のバスは視掛けませんでした。
↓アレクサンドロフスク・サハリンスキーのバスターミナルに到着しましたが、到着直後に復路の「アレクサンドロフスク・サハリンスキーからティモフスコエ」のバスの券を求めました。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーへの道程 (3).jpg
↑ターミナルの窓口は、日曜日には休業しているようです。他の曜日については、朝のティモフスコエからのバスが着くような時間帯には営業しています。因みに夕方の営業終了ですが、土曜日は早めに閉めているようでした。
こういうような行程でアレクサンドロフスク・サハリンスキーに辿り着き、電話予約で1泊お願いした宿に旅装を解き、秋の好天という中でアレクサンドロフスク・サハリンスキーの様子を愉しみました。
この記事へのコメント
中林20系
過去に旅されたかたのHPやブログも閲覧してますが、最新情報ですし。
この街については、近年入手した'90年代のサハリン地図帳(=縮尺が『ツーリングマップル北海道』と同じなので、距離感は掴みやすいです)でも気になってたところ。歴史的経緯も気になってましたし、
外国から伺ってこのような旅をするには、ビザの問題以外に語学力も問われそうですが、いつか来るかもしれない日のために勉強させていただきます。
稚内市サハリン事務所
おはようございます。
記事をお楽しみ頂けたようで善かったです。
"夜行列車"というものも、日本国内では2012年頃に利用したのが最後だったように記憶しています。稚内・札幌間では、夜行列車は2006年が最後でした。2017年現在、日本国内では確か東京と山陰地方や四国とを結ぶ列車が「唯一の"夜行列車"」だったように記憶していますが、それの乗車経験は在りません。
サハリンでは今般利用したモノを含めて、ユジノサハリンスクとノグリキとの間に2往復の運行が視られます。"夜行列車"を久々に利用した型でしたが、意外に便利な移動手段です。実際、日本国内でも夜行の都市間バスは盛んに走っていますが。
ユジノサハリンスクに滞在している中、休日を利用してアレクサンドロフスク・サハリンスキーを訪ねてみようとしたので、交通手段等は自身で窓口に立寄る等しました。が、限られた日程での旅行等であれば、旅行会社に手配をお願いすることも難しくは無いと思われます。
アレクサンドロフスク・サハリンスキーの「街の中心」と呼ぶべき辺りは然程広くはなく、海岸部へ出るにしても"遠足"という程に歩かなければならない訳ではありません。場所によって、「流石に徒歩はキツい...」場合もありますが、何となく「訪ねた小さな街を歩き回る」というようなイメージです。
このアレクサンドロフスク・サハリンスキーに関しては、好い旅が出来たと思います。こちらのブログでも、これから見聞を順次御紹介しようと計画しています。宜しくお願いします。