ミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ総督胸像(2017年08月15日)

コルサコフ市の"コルサコフ"は人名で、姓です。

クラシック音楽が好きな方であれば、ロシアの作曲家で「リムスキー=コルサコフ」という姓に聞き覚えが在るかもしれません。バレエ音楽の『シェエラザード』等で知られるリムスキー=コルサコフの姓は、"リムスキー"という姓と"コルサコフ"という姓が組み合わさったものであるそうです。

というように"コルサコフ"は人の姓なのですが、ここで誰のことを示すのかと言えば「ミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフ(Корсаков, Михаил Семёнович)(1826 - 1871)」のことです。

↓コルサコフ市の"コルサコフ"は、このミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフに因むもので、街の広場に胸像が設置されています。
コルサコフ総督.jpg
↑胸像は1993年に「建都140年記念」ということで広場に設置されたものであるとのことです。

コルサコフでは「1853年にネヴェリスコイ提督らが、この地に"ムラヴィヨフスキー哨所"を開いた」ことを「街の起こり」と考えています。これは当時の東シベリア総督であったムラヴィヨフに因む命名でした。この"ムラヴィヨフスキー哨所"は、クリミア戦争等の事由で運営出来なくなり、1854年に一旦閉じてしまいます。そして1869年に復活しました。その際、改めて東シベリア総督であったミハイル・セミョノヴィチ・コルサコフに因んで"コルサコフスキー哨所"と命名したのでした。

この1869年の"コルサコフスキー哨所"が転じて"コルサコフ"という呼び方が辺りの地名として定着し、日露戦争後に日本領となるまでコルサコフとして知られていました。第2次大戦後にソ連化された際、このコルサコフという呼称を再度使うことになり、現在に至っています。

考えてみると、日本では「地名が姓になった」という例は多いように思いますが、「姓が地名になった」という例は然程思い当たらない気がします。他方、ロシアでは「誰かの姓が地名に」という例は多いようです。

「街の名に因む人物」ということで、コルサコフ総督の胸像が据えられた広場は、花壇も多く設えられ、一寸したスポーツに興じる人達、散策をしたり休んだりする人達が多く見受けられる場所になっています。

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