映画『レニングラードを救え』(СПАСТИ ЛЕНИНГРАД)(スパスチー レニングラード)(2019年02月03日)
居室のテレビで時々観ているチャンネルに、サンクトペテルブルグを本社としている局が在ります。その局では新旧のロシアのテレビドラマを放映していることが多いのですが、時々地域の催事に関連する特別番組を放送する旨の告知をしています。
そんな"告知"として、「レニングラード包囲戦終結の日を記念する催事に関連する番組」という紹介が在りました。"レニングラード"とはサンクトペテルブルグのソ連時代の呼称で、第2次大戦当時もレニングラードと呼ばれていました。
「レニングラード包囲戦」というのは、ロシアの記録では「1941年9月8日から19441月27日までの872日間」に繰り広げられた戦いを示します。大都市での戦闘が行われたことで、殊にソ連側の犠牲者が夥しいものになったとされる独ソ戦の中、「レニングラード包囲戦」は最も熾烈な戦いの一つです。
1941年にドイツ軍がソ連領内に侵入して独ソ戦が始まります。レニングラードを攻略、破壊してソ連を屈服させようという意図で進撃したドイツ軍は、バルト海沿岸を北上してソ連軍の防衛線を突破し、レニングラード周辺地域に至りました。ドイツ軍は、レニングラード都市圏での人やモノの出入りを完全に遮断し、「一冬もすれば干上がってしまう」という状態に陥れようとしました。所謂「兵糧攻め」ということです。そのために重砲による砲撃、空爆でのインフラや物資が集積されていた場所等の破壊を繰り返し、方々で激しい地上戦も展開しました。
そういう状況下、レニングラードは屈することなく抵抗を続け、飢餓や寒さでの犠牲も非常に多かった中、必死に食糧等を運び込み、ドイツ軍による包囲に穴を開け、終に撤退させることに成功しました。
その「レニングラード包囲戦」の終結記念催事の"告知"が気になっていた頃、「1月27日」をロシア全国での公開日ということにした映画の予告篇等が眼に留まるようになりました。
↓こちらが"予告篇"です。
[フレーム]
↑この予告篇を視るだけでも、戦時の出来事に着想を得た、大迫力の映像で史実に想いを巡らせる作品であることが推察出来るというものです。
この映画は、ユジノサハリンスクやホルムスクと言った「映画館の営業が見受けられる街」に留まらず、日曜日等を利用して各地の文化センターでも上映されたようです。関心が高い作品、或いは「あの戦いのことを伝える」ということで「観るべき作品」とされていると見受けられます。
映画の上映情報等が視られるウェブサイトで、入場券のネット販売をやっているウェブサイトへのリンクが在り、それを一寸視てみました。映画館のホールの見取り図が在って、座席の箇所の多くに「赤い丸印」が見受けられ「殆どの座席が埋まっている??」と驚きました。しかしそれは間違いで、「赤い丸印」は「丸印の席の券をお求め頂けます」という意味でした。十分に空席も在り、映画館の窓口で券を求めて鑑賞出来そうな状況と判りました。
大型商業施設の<シティーモール>館内に在るシネコンへ、日曜日の朝から足を運んでみました。
窓口でホールの見取り図が出て、空いている席を選んで券を求める仕組みです。既に券が売れている席は赤で、空いている席は水色で画面上に表示されるようになっていて、空席を示す水色の方が多く視える状況でした。「ここは?スクリーンの真中辺りで、周りに人が居ない"貸切"気分で観られそうな場所...」と席を選び、朝一番の上映で相対的に安価な260ルーブルの券を求めました。
↓映画の小さなチラシと、窓口で求めた入場券です。
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映画館での映画上映の雰囲気は、日本国内の映画館と然程大きく変わりません。コマーシャルや、これからの上映予定作品の予告篇等が映写され、そのうちに本篇が始まります。
本篇は、原題のサンクトペテルブルグのとあるアパートで、車椅子に乗った老婦人がテレビ取材を受けていて、昔の出来事を語る場面から始まります。そして想い出の古い腕時計を取り出します。
そんな場面の後に1941年9月の物語が始まります。
1941年9月、人やモノの往来を停めてしまおうとしているドイツ軍側に対し、ソ連軍やレニングラードの人達は船での輸送に望みを託しています。レニングラードを離れようとする兵士や民間人は、タグボートで曳航する輸送用の台船(バージ)に乗り込もうと集まります。若い兵士のコースチャは、交際していたナースチャを誘い、その台船(バージ)に乗り込むことにしました。
出発間際になり、コースチャと共に台船(バージ)に乗る筈だった陸軍の分隊は、近くで発生した戦闘に対応すべく、その場を離れることになります。コースチャはそれに従うつもりでしたが、輸送用台船(バージ)等を運用する海軍部隊の幹部である父に呼び出され、「お前は手段を選ばずに紛れ込んで脱出し、生き残るのだ...」と説得を受けます。そして海軍兵士の服装に着替えて紛れ込みました。
輸送用台船(バージ)が出航した頃、コースチャが居た分隊も参加した戦闘が始まります。陸軍の正規部隊の他、港や軍艦という持ち場を失った海軍の兵士達や、レニングラード地区の民間人までかき集めた状態で、必死にドイツ軍に抵抗します。
コースチャの分隊のリーダーであった古参兵は、必死に駆け回っていた自分の周辺の一群に、軍服ではない平服姿で年長の男性が居るのに気付いて訝しみます。「あんた...何者だ?」と問えば「生物学博士をやっています...」との答えです。この"生物学博士"が、ナースチャの父親で、秘密警察にマークされたような経過も在る知識人でした。成人の娘が在る訳で、50歳代に届こうかというような年齢ですが、銃を手に将兵達と共に行動する道を選んだのでした。
やがて俄かな荒天で、強い風浪に輸送用台船(バージ)は翻弄されてしまうのですが、その動きをドイツ軍側が察知します。そして2機の戦闘機が現れるのでした。
というように、レニングラード包囲戦が始まった頃の輸送用台船(バージ)の遭難という事件がリアルに、劇的に描かれるのがこの映画です。約1500人の人達が乗り込んだ輸送用台船(バージ)の運命や、レニングラード地区での激戦の映像は凄いものでした。殊にレニングラード地区での激戦は、銃弾が飛び交う中を両軍兵士が進むという状況に加え、「泥まみれの両軍兵士が終いに掴み合いをする」という凄まじい描写まで在りました。
多大な犠牲を払った先人達に捧げると同時に、大変であった状況を若い世代に伝えようというような強い意志も感じられる作品でした。
そんな"告知"として、「レニングラード包囲戦終結の日を記念する催事に関連する番組」という紹介が在りました。"レニングラード"とはサンクトペテルブルグのソ連時代の呼称で、第2次大戦当時もレニングラードと呼ばれていました。
「レニングラード包囲戦」というのは、ロシアの記録では「1941年9月8日から19441月27日までの872日間」に繰り広げられた戦いを示します。大都市での戦闘が行われたことで、殊にソ連側の犠牲者が夥しいものになったとされる独ソ戦の中、「レニングラード包囲戦」は最も熾烈な戦いの一つです。
1941年にドイツ軍がソ連領内に侵入して独ソ戦が始まります。レニングラードを攻略、破壊してソ連を屈服させようという意図で進撃したドイツ軍は、バルト海沿岸を北上してソ連軍の防衛線を突破し、レニングラード周辺地域に至りました。ドイツ軍は、レニングラード都市圏での人やモノの出入りを完全に遮断し、「一冬もすれば干上がってしまう」という状態に陥れようとしました。所謂「兵糧攻め」ということです。そのために重砲による砲撃、空爆でのインフラや物資が集積されていた場所等の破壊を繰り返し、方々で激しい地上戦も展開しました。
そういう状況下、レニングラードは屈することなく抵抗を続け、飢餓や寒さでの犠牲も非常に多かった中、必死に食糧等を運び込み、ドイツ軍による包囲に穴を開け、終に撤退させることに成功しました。
その「レニングラード包囲戦」の終結記念催事の"告知"が気になっていた頃、「1月27日」をロシア全国での公開日ということにした映画の予告篇等が眼に留まるようになりました。
↓こちらが"予告篇"です。
[フレーム]
↑この予告篇を視るだけでも、戦時の出来事に着想を得た、大迫力の映像で史実に想いを巡らせる作品であることが推察出来るというものです。
この映画は、ユジノサハリンスクやホルムスクと言った「映画館の営業が見受けられる街」に留まらず、日曜日等を利用して各地の文化センターでも上映されたようです。関心が高い作品、或いは「あの戦いのことを伝える」ということで「観るべき作品」とされていると見受けられます。
映画の上映情報等が視られるウェブサイトで、入場券のネット販売をやっているウェブサイトへのリンクが在り、それを一寸視てみました。映画館のホールの見取り図が在って、座席の箇所の多くに「赤い丸印」が見受けられ「殆どの座席が埋まっている??」と驚きました。しかしそれは間違いで、「赤い丸印」は「丸印の席の券をお求め頂けます」という意味でした。十分に空席も在り、映画館の窓口で券を求めて鑑賞出来そうな状況と判りました。
大型商業施設の<シティーモール>館内に在るシネコンへ、日曜日の朝から足を運んでみました。
窓口でホールの見取り図が出て、空いている席を選んで券を求める仕組みです。既に券が売れている席は赤で、空いている席は水色で画面上に表示されるようになっていて、空席を示す水色の方が多く視える状況でした。「ここは?スクリーンの真中辺りで、周りに人が居ない"貸切"気分で観られそうな場所...」と席を選び、朝一番の上映で相対的に安価な260ルーブルの券を求めました。
↓映画の小さなチラシと、窓口で求めた入場券です。
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映画館での映画上映の雰囲気は、日本国内の映画館と然程大きく変わりません。コマーシャルや、これからの上映予定作品の予告篇等が映写され、そのうちに本篇が始まります。
本篇は、原題のサンクトペテルブルグのとあるアパートで、車椅子に乗った老婦人がテレビ取材を受けていて、昔の出来事を語る場面から始まります。そして想い出の古い腕時計を取り出します。
そんな場面の後に1941年9月の物語が始まります。
1941年9月、人やモノの往来を停めてしまおうとしているドイツ軍側に対し、ソ連軍やレニングラードの人達は船での輸送に望みを託しています。レニングラードを離れようとする兵士や民間人は、タグボートで曳航する輸送用の台船(バージ)に乗り込もうと集まります。若い兵士のコースチャは、交際していたナースチャを誘い、その台船(バージ)に乗り込むことにしました。
出発間際になり、コースチャと共に台船(バージ)に乗る筈だった陸軍の分隊は、近くで発生した戦闘に対応すべく、その場を離れることになります。コースチャはそれに従うつもりでしたが、輸送用台船(バージ)等を運用する海軍部隊の幹部である父に呼び出され、「お前は手段を選ばずに紛れ込んで脱出し、生き残るのだ...」と説得を受けます。そして海軍兵士の服装に着替えて紛れ込みました。
輸送用台船(バージ)が出航した頃、コースチャが居た分隊も参加した戦闘が始まります。陸軍の正規部隊の他、港や軍艦という持ち場を失った海軍の兵士達や、レニングラード地区の民間人までかき集めた状態で、必死にドイツ軍に抵抗します。
コースチャの分隊のリーダーであった古参兵は、必死に駆け回っていた自分の周辺の一群に、軍服ではない平服姿で年長の男性が居るのに気付いて訝しみます。「あんた...何者だ?」と問えば「生物学博士をやっています...」との答えです。この"生物学博士"が、ナースチャの父親で、秘密警察にマークされたような経過も在る知識人でした。成人の娘が在る訳で、50歳代に届こうかというような年齢ですが、銃を手に将兵達と共に行動する道を選んだのでした。
やがて俄かな荒天で、強い風浪に輸送用台船(バージ)は翻弄されてしまうのですが、その動きをドイツ軍側が察知します。そして2機の戦闘機が現れるのでした。
というように、レニングラード包囲戦が始まった頃の輸送用台船(バージ)の遭難という事件がリアルに、劇的に描かれるのがこの映画です。約1500人の人達が乗り込んだ輸送用台船(バージ)の運命や、レニングラード地区での激戦の映像は凄いものでした。殊にレニングラード地区での激戦は、銃弾が飛び交う中を両軍兵士が進むという状況に加え、「泥まみれの両軍兵士が終いに掴み合いをする」という凄まじい描写まで在りました。
多大な犠牲を払った先人達に捧げると同時に、大変であった状況を若い世代に伝えようというような強い意志も感じられる作品でした。
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