ユジノサハリンスク『街の日』―オープニングのパレード(2017年09月09日)

『街の日』と呼ばれる催事が在ります。

サハリンに限らず、ロシア全般で言えると思われますが、こちらでは「誕生日のお祝い」というモノを大切にしている人が多数派を占めているように見受けられます。そういうことなので、"街"に関しても"誕生日"のように「年に1回のお祝い」というモノを設けるようにしたのが『街の日』なのです。

『街の日』は「建都〇〇年」と冠して催す行事です。ユジノサハリンスク市は、「ウラジミロフカ村が起こった」という1882年の故事を"建都"と位置付けています。従って今年は「建都135年」ということになります。

この『街の日』は、市行政府本庁舎やレーニン広場の辺りを主会場に、交通規制を掛けて都心部で催されます。朝10時からのオープニングパレードで開幕です。

この「戸外での催事」という日の早朝、ユジノサハリンスクは雨模様になってしまいました。が、催事の時間が近付くに連れて天候は好転し、青空が覗きました。

市行政府本庁舎前には"桟敷"が特設されました。段々になっている椅子席、その段々の前にも椅子の列が設けられ、多くの見物人が入ることが出来ました。筆者もその"桟敷"に入ることが出来ました。

様子を視ていると、早朝の雨で路面が未だ濡れていた中、少しでもパレードが行い易いようにと、作業員が出て水溜りを何とかしようとしていて、落葉を集める風が出る道具で水溜りを吹き飛ばすようなことをしていたり、必死にブラシで路面を掃除する様子が見受けられました。オープニングパレードの開始直前にはブラシを備えた、街で時々視る大きな清掃作業車まで現れていました。そういうことをしていた関係で、開始は少しだけ遅れていた様子でした。

↓市行政府本庁舎側から、レーニン広場側へ「見覚えが在る人達?」が進んで行くと思えば、サハリン州のコジェミャコ知事とユジノサハリンスク市のナドサーディン市長でした。
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↑知事と市長の2人で「開会宣言」を行ってオープニングパレードが始まります。宣言の様子を、地元放送局のクルーが囲んで撮影しています。

「開会宣言」の後、ロシア国家の演奏が流れる中でユジノサハリンスク市の旗が市行政府本庁舎前のポールに掲揚され、オープニングパレードが始まりました。

オープニングパレードの先頭は、このパレードのために招聘したらしい、モスクワのクレムリンで見受けられる衛兵隊と軍楽隊でした。

↓白いユニフォームの軍楽隊は、筆者が陣取った"桟敷"の眼前で、独特な所作を交えながらの力強い演奏を披露していました。
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↓衛兵隊は、所謂"儀仗兵"のような独特なユニフォームで、少し独特な所作で行進します。
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↑中央のステージ前で衛兵隊の行進のパフォーマンスが行われ、その様子は大きなモニターにも映し出されていました。

↓空砲を撃つ場面も確り在って、拍手喝采が沸き起こりました。
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この後は、「135年」ということで「街の歴史」を振り返る内容のパレードになりました。

最初に登場したのは、ネヴェリスコイ提督の麾下でサハリン南部各地を踏査したというルダノフスキーと部下の兵士達という扮装の一団でした。現在のユジノサハリンスク市に相当する地域がロシアで紹介された事始めとされているのは、1853年から1854年頃のルダノフスキーによる踏査の結果と考えられているのです。

やがて1882年にウラジミロフカ村が起こり、かの作家チェーホフが記録に留めた様子を交えたコメントが在って、当時の村人風な衣装の人達が登場です。

更に日露戦争で日本領となって豊原となりますが、それに関しては着物風な衣装の人達や、空手をやっている少年達が道着姿で登場しました。

↓そしてソ連化以降の時代になり、現在まで続く"ユジノサハリンスク"という街の名前になったことが紹介されています。
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こうした歴史を意識した内容の後は、「子どもが豊かに育まれる」、「スポーツ振興に熱心」というような近年の政策テーマ、水産業、建設、資源開発関係、航空や鉄道等の交通という地域の産業をテーマに、各々の関係者がパレードをしていました。

そして様々な活動を展開するグループが参加するパレードになって行きました。

↓少し不思議な様子が見受けられました。
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↑何となく揃いな衣装的に視える服装の、少し年代幅の在る少女達の一団に、服装や年代がバラバラの大人の一団が合わさったグループが現れました。少女達はダンスクラブで活動するメンバーで、ステージ前で踊る段取りだったようです。踊っていたのですが、大人の一団は少女達の家族のようで、周辺で動画や写真を撮っていました。

やがて、様々な機関や企業等が参加するパレードになりました。各々の機関や企業を紹介するコメントがアナウンスされ、パレードに参加するグループは各々に趣向を凝らしています。

↓サハリン国立大学は、どういう訳か酷く目立つ六輪駆動の大型車を先頭に、ローラーブレードの学生さん達が旗を持って現れました。何か酷く目立ちました。
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↑余談ながら、後になって大学関係の建物前にこのパレードの使った車輛が駐車中であった様子を偶々近くで視掛けたのですが、大きさに驚きます。

↓梱包資材関係を扱う会社のようですが、会社の車に"135"と飾りを付けてパレードに参加していました。
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↑視掛けた車輛関係の中ではこれが凄く綺麗に思えました。

パレードは2時間近くに亘って催されていました。

↓9月は「秋」という認識と見受けられるのですが、早朝の雨が一転し、「夏?」のような青空が拡がる感でした。
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