コルサコフ歴史郷土博物館(2017年07月30日 & 08.12)
色々な地域に、地域の歴史等を紹介する博物館、または郷土資料館のようなモノが設けられています。サハリンの各地でもそういう例は幾つも在ります。
これまで、サハリンに在る稚内市の友好都市の中、ネベリスクの博物館、ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に関してはこのブログでも紹介して来た経過が在ります。
(↓下記を御参照願います。)
>>ネベリスク歴史郷土博物館(2017年05月06日)
>>(カテゴリ) 訪ねる/サハリン州郷土博物館
もう一つの友好都市であるコルサコフにも歴史郷土博物館が在ります。
↓こういうような具合に、ひっそりと建っている小さな建物が博物館になっています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (1).jpg
コルサコフでは1983年に、「古いモノを持ち寄って、地域の人達や来訪者が観る場」として博物館が起こり、1993年に市の施設という位置付けを得て、やがて現在の独立した建物に入るようになります。
コルサコフ歴史郷土博物館は、地域に伝わる様々な資料を所蔵して展示する他、昔の街の様子や人々の暮らしぶりについて児童生徒が学ぶ場であったり、同時に美術系の作品展も催される等、地域の文化活動の拠点にもなっている場でした。
「古いモノを持ち寄って」という発祥経過も在るのですが、何かの工事を行う場面等で「何やら古いモノが出て来た!」という話しになって、博物館の関係者が視に行って、興味深いモノであれば資料に加えるということも行われているようです。
限られたスペースの中ですが、博物館では「地域の歴史を語ろう」と大変に熱心に展示を紹介して下さる館長さん以下のスタッフが頑張っていて、他所の博物館よりも小柄な展示内容ながらも好く纏まっています。
↓展示室に入って直ぐ辺りには、動物の剥製が在って、動物達が来館者を迎えてくれます。
コルサコフ歴史郷土博物館 (10).jpg
↑サハリンで「最大最強の野生動物」はヒグマです。ここの剥製は、未だ母親に伴われているような年恰好の小柄なモノです。大きなヒグマは「サハリンの象徴」のような扱いを受ける場合も見受けられます。
↓「学習のため」という意味合いなのでしょうが、地域の歴史に関して、大まかな"時代分け"をして、要領よく纏めたパネルが掲出されていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (9).jpg
この博物館で紹介する、地域の歴史に関する大まかな"時代分け"ですが、「アイヌの時代」、「歴史の記録に登場するようになって以降」、「流刑地だった頃」、「チェーホフの来訪の頃」、「大泊の時代」、「戦後のソ連時代」という具合で、ソ連時代の後が現代という訳です。
「列車でコルサコフを訪ねて」ということを試してみましたが、実は博物館に掲出されているパネルをゆっくりと読む時間を設けたかったので、コルサコフを訪ねたかったのです。色々と面白い記述が在りました。
「アイヌの時代」に関しては、現在のコルサコフの市域の一部が"クシュンコタン"という大きなアイヌの集落になっていて、彼らの独自の生活が永く営まれていたことが紹介されていました。
「歴史の記録に登場するようになって以降」に関しては、主に「欧州諸国の記録にあらわれるサハリン」という話題や、かのネヴェリスコイ提督の一隊がやって来て活動した経過が紹介されているのと同時に、「日本の間宮林蔵による樺太踏査」に関する紹介も在りました。
「流刑地だった頃」に関しては、ネヴェリスコイ提督の一隊が築いた"ムラヴィヨフスキー哨所"がクリミア戦争等の状況を受けて活動を休止した後、1869年に"コルサコフスキー哨所"として活動を再開して以降のことが紹介されています。1875年に日本とロシアとの間で<樺太・千島交換条約>(ロシアでは<サンクトペテルブルグ条約(1875年)>と呼ばれる。)が締結されると、ロシアはサハリンを流刑地とし、人を送り込んで開拓を手掛けます。そんな時期のことが紹介されています。
「チェーホフの来訪の頃」に関しては、チェーホフがコルサコフに滞在していた経過が紹介されています。チェーホフは80日間にも及ぶ長旅でモスクワからサハリン北部のアレクサンドロフスク・サハリンスキーに至ります。サハリン滞在の前半はアレクサンドロフスク・サハリンスキー等をベースに活動しますが、後半は船でコルサコフに至り、コルサコフをベースに活動していました。
それらを経て「大泊の時代」、「戦後のソ連時代」へと進みます。このパネルの掲出と併せて、展示室には色々なモノが展示されています。
↓チェーホフがサハリンを訪れたような19世紀末から20世紀初頭のロシアの紙幣です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (7).jpg
↑現在では「何枚かの小銭」になっている「3ルーブル」の立派な紙幣が使われていました。
↓大泊時代の写真や街の地図が掲示されています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (6).jpg
↑こういう図版の他、展示室には色々な場所から出て来た日本の食器等の生活用具もケースに並んでいました。
↓現在も「先人の辛苦を偲んで感謝すべき日」と位置付けられている「5月9日」の翌日、「1945年5月10日付」の新聞<プラウダ>です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (5).jpg
↑当時の最高指導者であったスターリンの写真が在ります。
こうした展示の他、「ソ連時代の様子」を伝える展示室が在ります。コルサコフでの産業の変遷等を伝えていて、存外に興味深い展示です。
↓大変に隆盛であった缶詰工場の製品見本が、展示ケースに収められています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (8).jpg
↑現在もコルサコフ地区で水産系の缶詰製造は行われていますが、この製品見本を手掛けていた会社とは然程関係は無いようです。
↓事績が評価された企業が選抜され、そこに贈られたという「レーニンの肖像画の入った赤旗」です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (2).jpg
↑これは「約1万人の関係者がコルサコフ地区に居た」と伝えられる<遠洋漁業公社>が持っていたモノだといいます。その<遠洋漁業公社>はソ連末期からロシア連邦に移行して程無く、実体が無くなってしまいました。
↓ソ連時代の紙幣も展示されていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (4).jpg
↑手前の「10ルーブル」という紙幣は、1961年頃まで使われたモノだといいます。現在の10ルーブルは「コイン1枚」です。
↓ソ連時代にポピュラーであったモノということになる、機械式のタイプライターも展示品になっていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (3).jpg
というようなことで、コルサコフ歴史郷土博物館は小柄な展示施設ですが、なかなかに興味深い場所です。
これまで、サハリンに在る稚内市の友好都市の中、ネベリスクの博物館、ユジノサハリンスクのサハリン州郷土博物館に関してはこのブログでも紹介して来た経過が在ります。
(↓下記を御参照願います。)
>>ネベリスク歴史郷土博物館(2017年05月06日)
>>(カテゴリ) 訪ねる/サハリン州郷土博物館
もう一つの友好都市であるコルサコフにも歴史郷土博物館が在ります。
↓こういうような具合に、ひっそりと建っている小さな建物が博物館になっています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (1).jpg
コルサコフでは1983年に、「古いモノを持ち寄って、地域の人達や来訪者が観る場」として博物館が起こり、1993年に市の施設という位置付けを得て、やがて現在の独立した建物に入るようになります。
コルサコフ歴史郷土博物館は、地域に伝わる様々な資料を所蔵して展示する他、昔の街の様子や人々の暮らしぶりについて児童生徒が学ぶ場であったり、同時に美術系の作品展も催される等、地域の文化活動の拠点にもなっている場でした。
「古いモノを持ち寄って」という発祥経過も在るのですが、何かの工事を行う場面等で「何やら古いモノが出て来た!」という話しになって、博物館の関係者が視に行って、興味深いモノであれば資料に加えるということも行われているようです。
限られたスペースの中ですが、博物館では「地域の歴史を語ろう」と大変に熱心に展示を紹介して下さる館長さん以下のスタッフが頑張っていて、他所の博物館よりも小柄な展示内容ながらも好く纏まっています。
↓展示室に入って直ぐ辺りには、動物の剥製が在って、動物達が来館者を迎えてくれます。
コルサコフ歴史郷土博物館 (10).jpg
↑サハリンで「最大最強の野生動物」はヒグマです。ここの剥製は、未だ母親に伴われているような年恰好の小柄なモノです。大きなヒグマは「サハリンの象徴」のような扱いを受ける場合も見受けられます。
↓「学習のため」という意味合いなのでしょうが、地域の歴史に関して、大まかな"時代分け"をして、要領よく纏めたパネルが掲出されていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (9).jpg
この博物館で紹介する、地域の歴史に関する大まかな"時代分け"ですが、「アイヌの時代」、「歴史の記録に登場するようになって以降」、「流刑地だった頃」、「チェーホフの来訪の頃」、「大泊の時代」、「戦後のソ連時代」という具合で、ソ連時代の後が現代という訳です。
「列車でコルサコフを訪ねて」ということを試してみましたが、実は博物館に掲出されているパネルをゆっくりと読む時間を設けたかったので、コルサコフを訪ねたかったのです。色々と面白い記述が在りました。
「アイヌの時代」に関しては、現在のコルサコフの市域の一部が"クシュンコタン"という大きなアイヌの集落になっていて、彼らの独自の生活が永く営まれていたことが紹介されていました。
「歴史の記録に登場するようになって以降」に関しては、主に「欧州諸国の記録にあらわれるサハリン」という話題や、かのネヴェリスコイ提督の一隊がやって来て活動した経過が紹介されているのと同時に、「日本の間宮林蔵による樺太踏査」に関する紹介も在りました。
「流刑地だった頃」に関しては、ネヴェリスコイ提督の一隊が築いた"ムラヴィヨフスキー哨所"がクリミア戦争等の状況を受けて活動を休止した後、1869年に"コルサコフスキー哨所"として活動を再開して以降のことが紹介されています。1875年に日本とロシアとの間で<樺太・千島交換条約>(ロシアでは<サンクトペテルブルグ条約(1875年)>と呼ばれる。)が締結されると、ロシアはサハリンを流刑地とし、人を送り込んで開拓を手掛けます。そんな時期のことが紹介されています。
「チェーホフの来訪の頃」に関しては、チェーホフがコルサコフに滞在していた経過が紹介されています。チェーホフは80日間にも及ぶ長旅でモスクワからサハリン北部のアレクサンドロフスク・サハリンスキーに至ります。サハリン滞在の前半はアレクサンドロフスク・サハリンスキー等をベースに活動しますが、後半は船でコルサコフに至り、コルサコフをベースに活動していました。
それらを経て「大泊の時代」、「戦後のソ連時代」へと進みます。このパネルの掲出と併せて、展示室には色々なモノが展示されています。
↓チェーホフがサハリンを訪れたような19世紀末から20世紀初頭のロシアの紙幣です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (7).jpg
↑現在では「何枚かの小銭」になっている「3ルーブル」の立派な紙幣が使われていました。
↓大泊時代の写真や街の地図が掲示されています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (6).jpg
↑こういう図版の他、展示室には色々な場所から出て来た日本の食器等の生活用具もケースに並んでいました。
↓現在も「先人の辛苦を偲んで感謝すべき日」と位置付けられている「5月9日」の翌日、「1945年5月10日付」の新聞<プラウダ>です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (5).jpg
↑当時の最高指導者であったスターリンの写真が在ります。
こうした展示の他、「ソ連時代の様子」を伝える展示室が在ります。コルサコフでの産業の変遷等を伝えていて、存外に興味深い展示です。
↓大変に隆盛であった缶詰工場の製品見本が、展示ケースに収められています。
コルサコフ歴史郷土博物館 (8).jpg
↑現在もコルサコフ地区で水産系の缶詰製造は行われていますが、この製品見本を手掛けていた会社とは然程関係は無いようです。
↓事績が評価された企業が選抜され、そこに贈られたという「レーニンの肖像画の入った赤旗」です。
コルサコフ歴史郷土博物館 (2).jpg
↑これは「約1万人の関係者がコルサコフ地区に居た」と伝えられる<遠洋漁業公社>が持っていたモノだといいます。その<遠洋漁業公社>はソ連末期からロシア連邦に移行して程無く、実体が無くなってしまいました。
↓ソ連時代の紙幣も展示されていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (4).jpg
↑手前の「10ルーブル」という紙幣は、1961年頃まで使われたモノだといいます。現在の10ルーブルは「コイン1枚」です。
↓ソ連時代にポピュラーであったモノということになる、機械式のタイプライターも展示品になっていました。
コルサコフ歴史郷土博物館 (3).jpg
というようなことで、コルサコフ歴史郷土博物館は小柄な展示施設ですが、なかなかに興味深い場所です。