[フレーム]

2010年08月

2010年08月25日

あの千駄堀の谷津を訪問、湿地の観察会は素晴らしいです

相変わらず暑いですが、いつの間にか季節は巡っているんですね。と、久しぶりに「東葛歳時記」ぽい書き出してです(笑)

DSC05170-1
DSC05178
秋はもうやって来ているようです・・・うっ、だったら早く涼しくなってよ(怒)。とまあ、天に文句を言っても仕方が無いので、もう少しの辛抱と心得て、本格的な秋の訪れを待つことにしましょう。それにしても暑い、本当に暑い。もうバテバテです。

で、これは土曜日の話。恒例化した遅アップです(苦笑)。この日は前日の金曜日にしこたま飲んじゃったものですから、午前中はあえなく撃沈。たすけさんに教えてもらった利根運河交流館には結局行けずじまい。うーん、残念です。スイカはパスですが、きゅうりの一夜漬はいただいてみたかったです(涙)

そんなわけで予定を変更して、昼過ぎから千駄堀の谷津を訪ねてみました。

DSC03872 DSC03795
千駄堀の谷津とは、今や「21世紀の森と広場」という公園なった松戸市屈指の広大な谷津のことです。実は「21世紀の森と広場」ができた頃、自然がコンセプトの公園ということで行ってみたら、あまりに人工的な普通の公園だったのでガックリ。それ以来十数年、訪れることもありませんでした。

ところが最近、「21世紀の森と広場」の一角に千駄堀の谷津の原風景がそのまま残されていることを知りました。しかも普段は立ち入り禁止ですが、休日は「湿地の観察会」が催され、自然解説員の方のガイド付きツアーが企画されているとのこと。「これは行って見なきゃ」ということで、今回訪ねてみました。

DSC03868 DSC03791
で、この「湿地の観察会」に参加するには、公園内の自然観察舎まで行って申し込む必要があります。私が行ったのは1日4回のうちの最終の回。定員が25人ということで大丈夫かなと思ったのですが、なんと申込者は私一人でした。

まあ、とにかく暑いですし、この自然観察舎は冷房完備。しかも、観察会の直前に立派なアオサギが舞い降りて、備え付けての望遠鏡でバードウオッチングが楽しめます。結構な人数の方々が自然観察舎にいらっしゃったのですが、結局、皆さんがパス。私一人で説明を受けるというラッキーモードになりました。

DSC03854 DSC03824
で、自然解説員の方ですが、何人かいらっしゃって皆さん、植物、鳥、昆虫とご専門が違うとのこと。今回ご案内いただいたのは、植物に詳しいオバサマでした。もう素晴らしい解説で、久しぶりに小学生の時の理科の課外授業を受けているかのようでした(笑)

DSC03803 DSC03796
DSC03802 DSC03806
もうマン・ツー・マンなので、いろんな話をお聞きすることができました。特に谷津の湿地に咲く可憐な花の名前をいろいろと教えていただきましたが、花の名を覚えるのは難しいですね。ほとんど忘れてしまいました(苦笑)

でも、左上の細長い葉に隠れた花は覚えています。これはセリですね。なんせ、葉っぱを1枚試食させてもらいましたから。うーん、結局アタマではなく、舌や胃袋のほうがモノ覚えが良いようで(爆)。それにしても、本当に爽やかな味でした。

DSC03808 DSC03813
DSC03839 DSC03848
湿地の観察会は、谷津に設けられた木道に沿って進みます。谷津の自然を満喫って感じです。それにしても、この自然解説員の方は植物が専門ということでしたが、昆虫や小動物にもお詳しい。

足元の水辺を見ると小魚がいて、最初はメダカと思ったのですが、なんでも「カダヤシ」という外来種の魚だそうです。ボウフラを好んで食べるそうです(まさに「蚊絶やし」ですね)。蚊の駆除のために輸入したところ、メダカに取って代わるほど、増殖してしまったとのことです。

そして、自然解説員の方から「これ、何だか分かりますか」と見せられたのが、右上の写真の白い物体です。実は、オンブバッタの抜け殻だそうで、言われてみれば確かにそんな形です。オンブバッタは子供の頃から見慣れているのですが、抜け殻を見るのは初めてでした。

あと、ジョロウグモとナガコガネグモの区別も、この日初め知りました。ちなみに左下の写真がジョロウグモ、右下の蝶を捕らえたクモがナガコガネグモのようです。その違い、分かりますか。まあ、クモの種類を知りたい人はほとんどいないでしょうから、この辺りで止めておきます(笑)

DSC03829 DSC03850
DSC03845 DSC03841
最近、木道の近くのヤナギ数本が強風で倒れたそうです。その際、根と共に地面がめくり上がったのが、左上の写真です。水が溜まっていましたが、鉄バクテリアが繁殖しているそうです。湿地の水面に浮かぶ油膜を見ることがよくありますが、あれは鉄バクテリアの活動によるものだそうです。知らなかった。てっきり排水か何かで汚れたのだと思っておりました。

右上の写真は、ガマですね。このガマは"危険な植物"だそうです。というのも、深い湿地(いわゆる底無し沼)に生えるそうで、面白い形の穂に子供が惹かれて採りに行くと大変なことになります。実際、このガマの生えているところは、大人でも腰までずっぽりとはまって、身動きが取れなくなるとのことです。

左下は、クワイ。「芽が出る」という縁起物で、正月に食べるやつですね。生命力が強くてどんどん繁殖するので、それを防ぐために定期的に"収穫"するそうです(笑)。右下の写真はノブドウです。ヤマブドウと違って、こちらは食べられません。

それにしても、先ほどのセリといい、谷津は食べられる植物の宝庫ですね。美味しい実のなる桑の木もありました。知識があれば食糧危機になっても、生き残れそうな気がします(笑)

DSC03863 DSC03862
水草には、意外なものもありました。左の写真の水草はヒシで、実は忍者グッズです(笑)。サムネールをクリックしてもらうとよく見えると思いますが、棘のある実が見えます。これを乾燥させると、忍者の武器ができます。そう、それがマキビシなんです。わぁ、知らなかったです。

そして、右の写真が絶滅危惧種のヤマアカガエル。気持ちよく甲羅干しをしていましたが、こんなふうに全身をさらしているのは珍しいそうです。このほかにも、いろんな植物や動物を教えてもらいましたが、頭のキャパがパンク(苦笑)。うーん、ノートを持って行けばよかったです。

それにしても、自然観察舎や湿地の観察会は素晴らしい。松戸市と「21世紀の森と広場」を少し見直しました(笑)。鳥にお詳しい自然解説員の方もいらっしゃいますので、これからも湿地の観察会に何度か参加してみたいです。そう言えば、休日は必ず参加する方もいらっしゃるとのことでした(驚)

さて今回、「21世紀の森と広場」まではママチャリの鉄下駄で行きました。どうやって行こうかと地図を眺めていたら、私がいつも出発ポイントにしている、流山の運転免許センター近くの富士見橋から、こんな素晴らしいルートがありました。



これは、いわば「富士川ルート」の別バージョンです。実は、富士川は二すじあって、私がいつも使っているルートは松戸の五香方面を源流とする富士川沿いの谷津を走ります。もう一すじの富士川はその西側を流れています。今では、川自体は途中で消滅していますが、本来は千駄堀の近くを源流としていたようです。今回走ったのはそちらで、やはり"元谷津の道"でした。

P8150028
元谷津の道と言っても、この前に行った春木川沿いの道のようにくねくねしていません。完全に区画整理された住宅街で、道路も極めて広いです。ただ、自動車がほとんど入ってこないらしく、快適に走れました。

しかも、ほぼ一本道なので、迷うことがありません。ママチャリでも、富士見橋から自然観察舎のある「21世紀の森と広場」西口まで30分もかかりませんでした。「21世紀の森と広場」まで来れば、松戸南部や手賀沼・大津川方面などいろいろと走るルートがあります。千駄堀の谷津見学は、ルート面でも良い発見がありました(喜)

2010年08月17日

五香から延びる"元"谷津ルートで再び東葛一の美女のもとへ(笑)

この前の土曜日に、東葛一の美女に会いに行きました。色っぽい話ではありません(笑)。その美女とはもちろん、奈良時代に東葛地域に在住した手児奈(てこな)さんです。折り畳み自転車のPacific-18で、市川市真間の手児奈霊堂を久しぶりに訪ねました。

DSC02634
実は、手児奈さんには申し訳ないのですが、今回、真間方面に行ったのは、手児奈さんに会うことが主たる目的ではありません。松戸市の五香十字路の近くに、こんな面白げな道を発見したからです。

[フレーム]
大きな地図で見る
場所は五香十字路の南側、八柱霊園の北側です。途中からそばを春木川と呼ばれる川が流れ、国分川となり真間川に合流します。この五香十字路の南側から、くねくねと延びる道は、明らかに谷津の道です。

谷津とは台地に谷が入り込む地形のことで、下総台地のある東葛地域や印旛地域ではお馴染みの風景。その谷津に沿ってくねくねと続く道が谷津の道です。風光明媚な処が多く、自動車の交通量も少ないため、私が好んでポタで走る道です。

五香近くのこの道は、周りが完全に開発されていますので、元谷津の道といったほうがよいでしょう。ですから、決して風光明媚ではありません。でも、自動車の交通量が少なく走りやすそうです。それに、そのまま川沿いに南下すれば、手児奈さんの地元、真間に抜けることができます。

で、走ってみました。



ルートは、いつもの通り私の地元、流山免許センター近くの富士見橋をスタートし、富士川沿いの道、やはり谷津の道を辿って南下、五香十字路を目指しました。そして、新たに発見した春木川-国分川沿いの元谷津の道に向かいました。つまり谷津-元谷津ルートです(笑)

P8140001 P8140002
予想通り、まあ普通の道でした。でも、やはり自動車の交通量は少なく、気持ち良く走れました。

P8140003
途中、このルートには道とは思えない箇所がありました。ここを抜けてよいのだろうかと迷いましたが、地元の皆さんは平気で通行。では、大丈夫だろうということで通り抜けましたが、本当に道なのか今でも疑問です(苦笑)

DSC02630
で、これが春木川です。どこからが国分川か、よく分からないのですが、この川を覗き込むと、懐かしい香りが・・・。そうなんです。久しぶりにドブの匂いを嗅ぎました。かなり強い匂いです。で、住処に帰って調べてみたら、全国有数の汚い川だそうです。かつて手賀沼もそうでしたが、水質改善が進むといいですね。

P8140011
で、しばらく走ると、お馴染みの国分川の遊歩道に出ます。そこを南下して、真間川北岸を道を走り、手児奈霊堂へ。

DSC02635 DSC02639
富士見橋から手児奈霊堂までは20km超でした。これまで、五香十字路から真間方面へと向かう際には、八柱霊園の南の道路を走って国分川に向かっていましたが、これからはこの北側の道を使うことになりそうです。

2010年08月12日

災いを防ぐものが災いに、昭和放水路に関する自由研究です(笑)

なんとか夏休みが取れました。と言っても、昨日と今日の二日だけですが。明日はまた仕事です(涙)。で、この二日間はちょこっと自転車で走ったりしましたが、基本は何もしない連休を過ごしました。

それにしても、何もしない、何の予定もない、というのが、こんなに素晴らしいとは! これまでオンはもちろん、オフも何かしていないと落ち着かなかったのですが(貧乏性です、苦笑)、疲れが溜まっているせいか、今回はノープロブレム。もう素晴らしいの一言です。昼間からビールを飲み、本を読んで過ごす。なんて贅沢なんでしょ(笑)

とは言え、夏休みの宿題はやっておかなければなりません(笑)。それは、この前からずっと書きそびれていた昭和放水路の遺構に関する「大人の自由研究」です。

DSC02595
DSC02591
この神社は、白井市今井にある今井稲荷神社です。ちょうど金山落の今井の桜の西端付近にあり、由緒を感じる立派な神社です。その今井稲荷神社の境内に、昭和放水路の遺構があります。

それは、ちょうど参道の途中に埋められた(最初「打ち込まれた」と記しましたが、ご指摘を受け修正しました)柱石です。上の写真で言うと左下に写っています。柱石に彫られた文字ですが、「内」は内務省、「BM」はベンチーマーク=測量での基準点の意味だそうです。

昭和放水路はこの前に書いた通り、戦前に企画された利根川放水路のことです。利根川から手賀沼を経て東京湾まで水路を掘削することで、手賀沼や印旛沼周辺の水害を防ごうというものでしたが、戦争が激しくなり結局中止に追い込まれたとのことです。

で、問題の柱石ですが、この放水路のルートを決めるために各地を測量した際に埋められたのだそうです。ルートは全部で7ルートが検討されたとのことで、東葛地域や印旛地域に数多くの柱石が残っている可能性があります。そして、この柱石は当時の地主にとって、ある意味、災いをもたらす刻印だったそうです・・・。

DSC02577-1
その辺りの話を、少し前ですが、白井市郷土資料館が7月25日に行ったギャラリートークで詳しくお聞きしました。企画展「災いを乗り越える−災害への備えと幻の昭和放水路−」の第1回目の説明会でした。たまたま『昭和放水路をたどる 利根川増補計画』の著書である倉田智子さんもいらっしゃって、とても興味深い話をお聞きすることができました。

館員の方の説明のよると、それまでの水害は凄まじいものだったそうです。利根川が増水して手賀沼などの水を落とせなくなると、手賀沼周辺の低地は大増水して、数カ月は水がひかず米が全く採れなくなったそうです。

そんなわけですから、本来なら放水路計画は地元の皆さんも歓迎のはず。ところが、当時は戦時中のため、放水路の土地は事実上の強制収用になります。水害という災いを防ぐ放水路ですが、ルートに選ばれる可能性のあった土地の地主にとっては、新たな災いだったことでしょう。

ですから、測量用の柱石が埋められた時、東葛地域や印旛地域では様々な物語があったようです。結局、この昭和放水路は幻に終わり、残された柱石だけが当時の計画を今に伝えます。

今井稲荷神社の柱石は、郷土資料館で教えてもらって見に行きました。ほかにも多数の柱石が発見されているそうですが、まだ未発見のものも多数あるとか。東葛地域や印旛地域の谷津で「内」と刻まれた柱石があったら、それは間違いなく幻の昭和放水路の遺構でしょう。

うーん、真面目な自由研究でした(爆)

2010年08月08日

なんとカブトムシまで、久しぶりに「三ツ堀里山自然園」を訪ねました

[画像:DSC03787]
立秋を過ぎても、暑いですね。まあ当然と言えば当然なんですが、オーバーワーク気味の今年の私には、この暑さはこたえます。にもかかわらず、今日は11時から走り始めました。朝走るはずがグズグズしているうちに、こうなったのですが、とにかく暑い。お昼に走るのは、やはり自殺行為かもしれません(苦笑)

ところで、今日向かったのは野田の三ツ堀里山自然園。場所はここです。本当に久しぶりです。ここも、市川の大町自然観察園や我孫子の谷津ミュージアムと同様、谷津の自然と里山の風情がそのまま残されています。と言うことで、今回は「大人の自由研究」ならぬ、「大人の自然観察会」です(笑)。使ったのはロードレーサーです。

DSC03695 DSC03786
DSC03708 DSC03712
DSC03777 DSC03765
DSC03705 DSC03697
久しぶりに訪れてみて、ビックリです。記憶の中にある自然園のイメージより、はるかに素晴らしい。猛暑を忘れるような美しい谷津の景観が広がっていました(実際はメチャメチャ暑いですが、苦笑)。訪れたのは真昼ですから、散策する人は地元の家族連れが数組のほかは誰もいません。谷津と里山を独り占めといった趣でした。

DSC03760
DSC03756
この自然園が意外に素晴らしい点は、いろいろな生き物をすぐ近くで眺められることです。こいつは以前もいたヤギさんで、今日もノンビリと道をふさいでくつろいでいました。

DSC03731-1
DSC03740
DSC03727
DSC03726
さらにトンボにオタマジャクシです。沼からはウシガエルの「ウー、ウー」という鳴き声が。そして、ウグイスの「ホーホケキョ」も聞こえてきました。うーん、いい感じです。

DSC03704
そして、今日の真打はこいつです。立派なカブトムシでした。ただ、真昼間に歩道の杭にしがみついてるいるなんて、ちょっと不自然です。ひょっとしたら、誰かがリリースしたのかもしれませんね。それはともかく、このカブトムシ君が、子供たち見つからないことを祈ります。

この三ツ堀里山自然園を再訪してみて、本当に良かったです。写真の被写体もいくらでもありますので、今度来る時は、カメラ機材を多数持ち込むことにしましょう(笑)

2010年08月01日

大人の自由研究(笑)で、千葉と東京の"領土争いの地"を訪問

ここのところ、「夏休みの自由研究」みたいなポタを続けています。別に夏休みというわけではなく、実際はその逆なのです。仕事と酷暑でへばった体をムチ打ち、自転車で走るためには目標が必要ということで、最近は、ネタ=研究テーマ(笑)を見つけては、そこへ向かって自転車を走らせるパターンが多いです。

まあ「大人の自由研究」とでもしておきましょう。今回は、その研究成果の発表です(爆)。まずは「境界未定地域」の話です。

[フレーム]
大きな地図で見る

昨日の土曜日、ここへ行ってきました。江戸川右岸のサイクリングロードを柴又の帝釈天方面から南下して、葛西臨海公園に向かう、お馴染みのルートからですと、ちょうどポニーランドを過ぎた当たりで、江戸川水門を渡ったところです。

このGoogleの地図をよく見ると、なんか変ですね。旧江戸川の真ん中に東京都と千葉県を分ける県境が引かれており、県境の東側は千葉県市川市のはず。それなのに、住所は「東京都江戸川区東篠崎町」となっています。実はここ、いわゆる境界未定地域なんです。

境界未定地域とは、都道府県間における境界が定まっていない地域のことで、Wikipediaによると全国に多数あるそうです。要は、国内における"領土紛争地帯"のことですね。で、ここは千葉県と東京都が"領有権"を主張している場所で、千葉県側から言うと、「市川市河原」となります。

DSC03675 DSC03688
この話、私は今まで全く知りませんでした。偶然ネットで見つけて、こりゃ研究テーマになると思い(笑)、出かけてみることにしたのです。で、江戸川の右岸を南下し、ポニーランドを過ぎた当たりで、江戸川水門の向こう側に問題の"紛争地"が見えてきました。いったんCRが尽きるところから、水門の上の道路を通って、その地に向かいました。

DSC03686
DSC03685
で、問題の場所です。どうってことはありません(当たり前か、笑)。北側に野球のグラウンド、南側には江戸川河川事務所の江戸川河口出張所の建物があります。ちなみに、この出張所の住所は「東篠崎町250番地」だそうですが、千葉県市原市の住所で言うと「河原番外地」だそうです。

mitei1
Googleの地図の県境は、千葉県の主張に沿ったものです。で、東京都の主張に沿った地図はないかと探したら、ありました。ちょっと古い地図ですが、確かに江戸川河口出張所の場所は東京都側ですね。

ところで、なんでこんなことになったかと言うと、1919年に江戸川放水路を造ったためにだそうです。地図で言うと、枝分かれした北側の川、行徳橋の架かる川で、今では江戸川の本流です。

千葉県と東京都の県境は、江戸川の真ん中に引かれています。ところが、江戸川放水路ができたために本来の江戸川(旧江戸川)が西に少しずれたそうです。で、「川が西にずれたのだから県境も西にずれた」と主張するのが千葉県、「元の位置を県境とすべきだ」と言うのが東京都です。

以来、どちらも主張を取り下げないので、境界未定地域として今に至っているそうです。国境と違うのだから、千葉でも東京でもどちらでよいのに、と思ってしまいますが、土地の問題だけになかなか妥協できないようです。それにしても、警察や消防の管轄はどうしているのでしょうね。

さて、もう一つの研究成果も書こうと思ったのですが、ここで力尽きました(苦笑)。あの昭和放水路の"遺構"の話ですが、やはりまたの機会にします。


traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /