2010年07月
2010年07月27日
40°Cの日、幻の放水路と自転車の意外な関係、そしてジャニス
毎日、酷暑の日が続いていますね。この土日も暑かった。特に土曜日は・・・。この日は午前中と夕方に用事があったので、酷暑の中、午後2時というという、とんでもない時刻に走り出しました。ところで、夕方の用事は、私にとって素晴らしいもの。その話は一番最後に書きます。
P7240009
当然、もうメチャメチャ暑い。使った自転車は折り畳み自転車のPacific-18ですが、この自転車に付けているトレロックのサイクルコンピュータに温度計の機能があります。普段は利用しない機能ですが、あまりの暑さに使ってみたら、こんなの出ました。
40.1°Cです(驚)。もちろん、日差しを浴びての温度ですから、いわゆる気象庁の言う気温ではありません。実際に日陰だと、37〜38°Cです。この温度計がどこまで信用できるかという根本問題はありますが、路面のアスファルトからの照り返しでの温度上昇分も考慮すると、まあ順当なところでしょう・・・。
うーん、順当ではありません。暑い! とにかくヤバイです。こりゃ、屋外での運動全面禁止の温度。私は温度耐性が強く、かなり暑くても平気ですが、この暑さには参ったです。しばらく走るだけで、いくら水分を採っても頭がボーとしてきて、熱中症が心配です。思わずコンビニで「ガリガリ君」を購入。熱中症対策には、これが一番効きますね(笑)
DSC02576
で、こんな暑い思いをして、どこへ行ったかというと、白井市郷土資料館です。この資料館では今、「災いを乗り越える−災害への備えと幻の昭和放水路−」という企画展をやっています。実は郷土資料館から、そのご案内のコメントをブログのエントリーに頂き、「幻の昭和放水路」に心惹かれ訪ねてみた次第です。
[画像:poster-1]
この企画展は、この前に行った流山市立博物館のオヤジギャグ展(笑)と同様、小規模な展示会でした。もちろんテーマは重く、白井など東葛地域を襲った水害や疫病などの災いと、それを乗り越えようとする人々の試みを紹介したものです。
そして、乗り越える試みの一つが、第二次世界大戦によって幻に終わった昭和放水路です。利根川が増水すると手賀沼の水が排水できなくなり、田んぼが水浸しになり、米が全く採れなくなる。昭和放水路は、そんな災いの歴史にピリオドを打とうと戦前に企画されたそうです。
昭和放水路のルートはこんな感じです。我孫子の湖北あたりで利根川を切り、布佐の西側で台地を掘削し、手賀沼東部(今の手賀川や下手賀沼)へとつなぐ。さらに、白井の平塚で再び台地を削って、神崎川から二重川を経由して、鎌ケ谷の台地を掘り抜き、船橋の金杉から東京湾へ・・・。
これで利根川や手賀沼、そして印旛沼の水を東京湾に流し、水害を根絶することを狙ったようです。それにしても、徳川の世には利根川を東京湾から追い出したのに、再び利根川の水を東京湾に招き入れるとは、歴史の皮肉を感じます。
これ以外にもルートは6案あったそうです。で、郷土資料館でルートを眺めていると、なんか親近感が湧きます。というのも、私が自転車でよく走っているルートと重なるからです。ということで「幻の昭和放水路」のルート地図を作ってみました。
うーん、かなりいい加減です。ネットに昭和放水路のルートを示す情報がなかったので作りましたが、もしあればそちらをご参照ください。でも、私が最近走っているルートと昭和放水路のルートはかなり重なります。そう言えば、この昭和放水路の"河口"は、この前に行った谷津干潟のすぐ西側ですね。(注:読んだ方から、このルートは誤りで、放水路の東京湾への出口は現谷津干潟そのものとのご指摘をいただきました。確認でき次第、修正いたします)
まあ考えてみれば、ルートが重なるのは、ある意味あたり前で、私は下総台地に切れ込む谷津を走りたくてルートを開拓しています。一方、昭和放水路も掘削が容易な谷津をつないで造ろうとしました。ちょうど、あの利根運河が谷津を使って造られたのと同じですね。
ところで、郷土資料館でこうした情報を入手して満足していたのですが、今回の企画展のポスターを見て愕然です。次の日の日曜日に「ギャラリートーク」があるではありませんか。職員の方に聞くと、なんでも企画展の担当者の説明が聞けるとか。
私は流山市立博物館の展示説明を聞いて、この種のイベントの楽しさに目覚めてしまいました。ということで、次の日曜日に再訪となりました(笑)。それはそれで面白いネタがあるのですが、その話はまたの機会にしたいと思います。
DSC02602
さて、この日の夕方の話です。この絵をゲットしてきました。自転車仲間のタルさんから譲っていただいたものです。タルさんは今、画家「棚倉 樽」として活躍されています。この絵は以前から知っていましたが、新宿のゴールデン街での個展を見て、もうどうしても欲しくなりました。
なんせ、私のとってジャニス・ジョップリンは青春の幻影。しかも、若き日の思い出がたんまり詰まったゴールデン街で、この絵を見せられたらたまりません(笑)。しかも、タルさんにとっては魂の入った作品。とても素晴らしい絵で、お願いして購入させていただきました。
ということで、今、ジャニスを見ながら、ニタニタ状態でこのエントリーを書いています(爆)
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当然、もうメチャメチャ暑い。使った自転車は折り畳み自転車のPacific-18ですが、この自転車に付けているトレロックのサイクルコンピュータに温度計の機能があります。普段は利用しない機能ですが、あまりの暑さに使ってみたら、こんなの出ました。
40.1°Cです(驚)。もちろん、日差しを浴びての温度ですから、いわゆる気象庁の言う気温ではありません。実際に日陰だと、37〜38°Cです。この温度計がどこまで信用できるかという根本問題はありますが、路面のアスファルトからの照り返しでの温度上昇分も考慮すると、まあ順当なところでしょう・・・。
うーん、順当ではありません。暑い! とにかくヤバイです。こりゃ、屋外での運動全面禁止の温度。私は温度耐性が強く、かなり暑くても平気ですが、この暑さには参ったです。しばらく走るだけで、いくら水分を採っても頭がボーとしてきて、熱中症が心配です。思わずコンビニで「ガリガリ君」を購入。熱中症対策には、これが一番効きますね(笑)
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で、こんな暑い思いをして、どこへ行ったかというと、白井市郷土資料館です。この資料館では今、「災いを乗り越える−災害への備えと幻の昭和放水路−」という企画展をやっています。実は郷土資料館から、そのご案内のコメントをブログのエントリーに頂き、「幻の昭和放水路」に心惹かれ訪ねてみた次第です。
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この企画展は、この前に行った流山市立博物館のオヤジギャグ展(笑)と同様、小規模な展示会でした。もちろんテーマは重く、白井など東葛地域を襲った水害や疫病などの災いと、それを乗り越えようとする人々の試みを紹介したものです。
そして、乗り越える試みの一つが、第二次世界大戦によって幻に終わった昭和放水路です。利根川が増水すると手賀沼の水が排水できなくなり、田んぼが水浸しになり、米が全く採れなくなる。昭和放水路は、そんな災いの歴史にピリオドを打とうと戦前に企画されたそうです。
昭和放水路のルートはこんな感じです。我孫子の湖北あたりで利根川を切り、布佐の西側で台地を掘削し、手賀沼東部(今の手賀川や下手賀沼)へとつなぐ。さらに、白井の平塚で再び台地を削って、神崎川から二重川を経由して、鎌ケ谷の台地を掘り抜き、船橋の金杉から東京湾へ・・・。
これで利根川や手賀沼、そして印旛沼の水を東京湾に流し、水害を根絶することを狙ったようです。それにしても、徳川の世には利根川を東京湾から追い出したのに、再び利根川の水を東京湾に招き入れるとは、歴史の皮肉を感じます。
これ以外にもルートは6案あったそうです。で、郷土資料館でルートを眺めていると、なんか親近感が湧きます。というのも、私が自転車でよく走っているルートと重なるからです。ということで「幻の昭和放水路」のルート地図を作ってみました。
うーん、かなりいい加減です。ネットに昭和放水路のルートを示す情報がなかったので作りましたが、もしあればそちらをご参照ください。でも、私が最近走っているルートと昭和放水路のルートはかなり重なります。そう言えば、この昭和放水路の"河口"は、この前に行った谷津干潟のすぐ西側ですね。(注:読んだ方から、このルートは誤りで、放水路の東京湾への出口は現谷津干潟そのものとのご指摘をいただきました。確認でき次第、修正いたします)
まあ考えてみれば、ルートが重なるのは、ある意味あたり前で、私は下総台地に切れ込む谷津を走りたくてルートを開拓しています。一方、昭和放水路も掘削が容易な谷津をつないで造ろうとしました。ちょうど、あの利根運河が谷津を使って造られたのと同じですね。
ところで、郷土資料館でこうした情報を入手して満足していたのですが、今回の企画展のポスターを見て愕然です。次の日の日曜日に「ギャラリートーク」があるではありませんか。職員の方に聞くと、なんでも企画展の担当者の説明が聞けるとか。
私は流山市立博物館の展示説明を聞いて、この種のイベントの楽しさに目覚めてしまいました。ということで、次の日曜日に再訪となりました(笑)。それはそれで面白いネタがあるのですが、その話はまたの機会にしたいと思います。
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さて、この日の夕方の話です。この絵をゲットしてきました。自転車仲間のタルさんから譲っていただいたものです。タルさんは今、画家「棚倉 樽」として活躍されています。この絵は以前から知っていましたが、新宿のゴールデン街での個展を見て、もうどうしても欲しくなりました。
なんせ、私のとってジャニス・ジョップリンは青春の幻影。しかも、若き日の思い出がたんまり詰まったゴールデン街で、この絵を見せられたらたまりません(笑)。しかも、タルさんにとっては魂の入った作品。とても素晴らしい絵で、お願いして購入させていただきました。
ということで、今、ジャニスを見ながら、ニタニタ状態でこのエントリーを書いています(爆)
2010年07月24日
再び海へ、「東葛人的南下ルートその2」を北上しました(笑)
この前の日曜日の話。いつもながらの遅アップです。それはともかく、こんなふうにロードレーサーで、船橋の三番瀬と谷津干潟まで走ってみました。
実はこれ、三番瀬や谷津干潟に行ったというよりも、「東葛人的南下ルート」に続く、第二の南下ルートを開拓するために走ったというのが正しいです。そして、三番瀬までの往路が「東葛人的南下ルート」で、谷津干潟からの復路が、このたび開拓した「東葛人的南下ルートその2」です。その2の方は、南下ルートと言っても、今回は北上したのですが(笑)
東葛人的南下ルートその2は、この前走った「船橋まで谷津を走って行くルート」の延長版です。通った道は多少違いますが、大筋は手賀沼から南下し、できるだけ田舎道を走って船橋の市街地方面まで行こうというものです。この前は到達目標が無かったので、東船橋の手前でUターンしたのですが、今回は目標を見つけました。それが谷津干潟です。
まあ、今回も素直に「船橋まで谷津を走って行くルート」を通って、谷津干潟まで行ってもよかったのですが、手賀沼の南方は最近何度も走っているので、面白味に少ない。それで久しぶりの「東葛人的南下ルート」と組み合わせてみた次第です。
DSC03549-1
DSC03546
DSC03553
さて、三番瀬です。来てみてビックリ。こんなに多くの人が遊びに来ているのですね。今までオフシーズンにしか来たことがないので、こんなに賑わっているとは知りませんでした。ちょうど引き潮の時に来たので、沖合いまで人だかりが続いていました。
それにしても、砂浜に降り立つと、海を渡ってきた南風がひんやりとして気持ちいいです。少し砂浜から離れるだけで、その南風は熱風に変わりますので、やはり海という巨大な打ち水の効果は凄いものがありますね(笑)
「東葛人的南下ルート」を走るのは久しぶりなので、迷わないか心配したのですが、杞憂でした。体で覚えていました(笑)。頭で考えなくても、腕が勝手にハンドルをきってくれます。いやホント、そんな感じでした。
d8c3d495-2 P7180005
ちょっと残念だったのは、途中のこの道です。以前は左の写真のように、「こんなところに道があったのか」と思うような地図にも載っていない隠し道だったのですが、今では周りがすっかり開発されて普通の道路になっていました。うーん、サプライズがなくなってしまいましたねぇ。でも、分かりやすくなってので、良しとしましょう。
P7180015
三番瀬からは素直に湾岸道路を走って、船橋ららぽーとを左手に見て、谷津干潟へ向かいました。距離的には大したことはないですが、やはり私は市街地の巨大道路は苦手です。ここは抜け道の工夫が必要ですね。
DSC03563 DSC03558
ARW DSC03622
DSC03643 DSC03663
DSC03603 DSC03635-1
ここが谷津干潟ですが、いわゆる野鳥の楽園ですね。北側から干潟を眺めましたが、南風は磯の香りがプンプンでした。E-ponさんやGibsonさんのブログを見て、この谷津干潟の存在を知りましたが、なかなか素晴らしいですね。これなら「東葛人的南下ルートその2」を使って定期的に訪れてみたいです。
今回も、鳥を撮るのが苦手な私は、なかなか素敵な野鳥たちの生態をカメラに収めることができませんでした。でも、ここなら写真の腕が上がりそうです。ちなみに、ここはバラ園もあり、バラが満開の季節には花と鳥の両方を撮ることを楽しめそうですね。
[画像:DSC03634]
そして、ここは・・・だそうです。阪神ファンの私には、どうでもよいのですが(笑)
P7180024 P7180025
P7180027 P7180036-1
さて、最後は「東葛人的南下ルートその2」を北上します(笑)。地図で目星を付けておいたのですが、このルートだと東船橋の市街地を迷わずに走ることができました。これは思いのほか走りやすい! いいですよ。今度は、手賀沼から「東葛人的南下ルートその2」を本当に南下して、谷津干潟を目指すことにしましょう。
実はこれ、三番瀬や谷津干潟に行ったというよりも、「東葛人的南下ルート」に続く、第二の南下ルートを開拓するために走ったというのが正しいです。そして、三番瀬までの往路が「東葛人的南下ルート」で、谷津干潟からの復路が、このたび開拓した「東葛人的南下ルートその2」です。その2の方は、南下ルートと言っても、今回は北上したのですが(笑)
東葛人的南下ルートその2は、この前走った「船橋まで谷津を走って行くルート」の延長版です。通った道は多少違いますが、大筋は手賀沼から南下し、できるだけ田舎道を走って船橋の市街地方面まで行こうというものです。この前は到達目標が無かったので、東船橋の手前でUターンしたのですが、今回は目標を見つけました。それが谷津干潟です。
まあ、今回も素直に「船橋まで谷津を走って行くルート」を通って、谷津干潟まで行ってもよかったのですが、手賀沼の南方は最近何度も走っているので、面白味に少ない。それで久しぶりの「東葛人的南下ルート」と組み合わせてみた次第です。
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さて、三番瀬です。来てみてビックリ。こんなに多くの人が遊びに来ているのですね。今までオフシーズンにしか来たことがないので、こんなに賑わっているとは知りませんでした。ちょうど引き潮の時に来たので、沖合いまで人だかりが続いていました。
それにしても、砂浜に降り立つと、海を渡ってきた南風がひんやりとして気持ちいいです。少し砂浜から離れるだけで、その南風は熱風に変わりますので、やはり海という巨大な打ち水の効果は凄いものがありますね(笑)
「東葛人的南下ルート」を走るのは久しぶりなので、迷わないか心配したのですが、杞憂でした。体で覚えていました(笑)。頭で考えなくても、腕が勝手にハンドルをきってくれます。いやホント、そんな感じでした。
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ちょっと残念だったのは、途中のこの道です。以前は左の写真のように、「こんなところに道があったのか」と思うような地図にも載っていない隠し道だったのですが、今では周りがすっかり開発されて普通の道路になっていました。うーん、サプライズがなくなってしまいましたねぇ。でも、分かりやすくなってので、良しとしましょう。
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三番瀬からは素直に湾岸道路を走って、船橋ららぽーとを左手に見て、谷津干潟へ向かいました。距離的には大したことはないですが、やはり私は市街地の巨大道路は苦手です。ここは抜け道の工夫が必要ですね。
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ここが谷津干潟ですが、いわゆる野鳥の楽園ですね。北側から干潟を眺めましたが、南風は磯の香りがプンプンでした。E-ponさんやGibsonさんのブログを見て、この谷津干潟の存在を知りましたが、なかなか素晴らしいですね。これなら「東葛人的南下ルートその2」を使って定期的に訪れてみたいです。
今回も、鳥を撮るのが苦手な私は、なかなか素敵な野鳥たちの生態をカメラに収めることができませんでした。でも、ここなら写真の腕が上がりそうです。ちなみに、ここはバラ園もあり、バラが満開の季節には花と鳥の両方を撮ることを楽しめそうですね。
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そして、ここは・・・だそうです。阪神ファンの私には、どうでもよいのですが(笑)
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さて、最後は「東葛人的南下ルートその2」を北上します(笑)。地図で目星を付けておいたのですが、このルートだと東船橋の市街地を迷わずに走ることができました。これは思いのほか走りやすい! いいですよ。今度は、手賀沼から「東葛人的南下ルートその2」を本当に南下して、谷津干潟を目指すことにしましょう。
2010年07月19日
梅雨明けの日は、縄文土器でドキッ(笑)
[画像:DSC03535]
東葛地域も梅雨が明けましたね。これからは思いっきり走るぞ、といきたいところですが、梅雨明けの土曜日はどうもグロッキー気味。午前中から走ろうと思ったのですが、結局走れず。うーん、体が重い。このままでは、せっかくの素晴らしい青空の日に、一日中住処でゴロゴロとなりかねません。
そこで、流山市立博物館の2時からのイベントに行くことで、自らを奮い立たせました(苦笑)。で、外へ出てみると、やはり良いですね。緑の田畑や森越しに見る、青い空と白い雲が素晴らしい。
たぶん季節は合っていないでしょうけど、吉田拓郎の『カンパリソーダとフライドポテト』の一節、「♪ 青い空見て はぐれた雲の 行方を追えば 涙も乾く ♪」を口ずさみながら、博物館への向かいました。今回乗ったのは、ママチャリの鉄下駄です。調子が悪い時には、手軽に乗れるママチャリが一番です。
DSC03531 DSC03530
さて、イベントはこれです。流山市立博物館では今、流山市内で発掘された縄文時代の土器の展示会が開かれています。題して「ドキッとしようよ−縄文土器の世界−」・・・縄文土器の世界というよりも、完全にオヤジギャグの世界ですね(笑)。
それはともかく、この7月17日は展示解説が聞けるとのこと。歴史オタクの私も、縄文時代は守備範囲外なのですが、せっかくの機会だし、住処でゴロゴロを避けるためにも行くべしです。重い体にムチ打って(笑)、出かけてみることにしました。で、結論を先に言うと、メチャメチャ面白かったです。
DSC03529
DSC03516
博物館の方の話によると、流山市内には220の遺跡があり、縄文時代の遺跡は145カ所だそうです。発掘された土器のうち、最も古いもので9000年前の縄文早期のものだそうです。
で、何が面白かったかというと、まず、シンプルな土器からゴテゴテ系を経て、再びシンプルに戻り、縄文晩期には多様化する土器の変遷に対する解釈です。煎じ詰めると、特別なことを考える必要はなく、今の人々の嗜好と変わらないということだそうです。
まず、生きるのがやっとの時は、縄目(縄文)などの滑り止めを施した実用第一の土器が使われ、少し豊かになってくると、装飾を「これでもか」と施したゴテゴテ土器になる。もっとソフィスケートとされてくると、ゴテゴテがウザクなり、シンプルに戻る。そして、さらに豊かになると、祭用など用途に応じて多様な土器が作られたのこと。
要は、現代の品々の流行の歴史と同じように解釈すればよいとのお話でした。古の人々のセンスも、現代人とそれほど違わないということですね。
DSC03521-2
これなんかは、縄文晩期、つまり土器が多様化した時代のものだそうです。実に良い感じです。縄文時代の土器と言われないと、もっと後の時代のものかと思ってしまいそうです。
あと、時代や地域によって異なる土器の文様ですが、これもあまり深く考えない方がよいようです。縄文時代も地域間で交易が活発で、交易の際に他の地域の土器を見て、「これ、オシャレ!」と思った縄文人が、自分のところでも同じ文様の土器を作る、そんなノリだったそうです。つまり、縄文人もミーハーだったわけですね(笑)
ちなみに千葉と茨城、つまり東関東は縄文時代から一貫して独自の文化圏だったそうです。流山はその東関東と西関東の境で、出土する土器は両方の文化圏の影響があるそうです。
DSC03514
最後にスペシャルサービスがありました。なんと、この縄文土器を抱えさせてもらいました。煮炊きをした瓶とのことで、私がまず最初に抱えてさせてもらいましたが、その時「これ、ひょっとしたら遺体を埋葬した瓶かもしれませんよ」とのお言葉。もう「ゲッ!」でした(苦笑)
それにしても、縄文土器や縄文文化は奥深いですね。これは見るだけでは、なかなか分かりません。行くか止めるか迷った時は絶対にゴーというのが、私の「人生の方針」ですが(笑)、今回もゴーで正解でした。いやぁ、楽しかったです。
東葛地域も梅雨が明けましたね。これからは思いっきり走るぞ、といきたいところですが、梅雨明けの土曜日はどうもグロッキー気味。午前中から走ろうと思ったのですが、結局走れず。うーん、体が重い。このままでは、せっかくの素晴らしい青空の日に、一日中住処でゴロゴロとなりかねません。
そこで、流山市立博物館の2時からのイベントに行くことで、自らを奮い立たせました(苦笑)。で、外へ出てみると、やはり良いですね。緑の田畑や森越しに見る、青い空と白い雲が素晴らしい。
たぶん季節は合っていないでしょうけど、吉田拓郎の『カンパリソーダとフライドポテト』の一節、「♪ 青い空見て はぐれた雲の 行方を追えば 涙も乾く ♪」を口ずさみながら、博物館への向かいました。今回乗ったのは、ママチャリの鉄下駄です。調子が悪い時には、手軽に乗れるママチャリが一番です。
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さて、イベントはこれです。流山市立博物館では今、流山市内で発掘された縄文時代の土器の展示会が開かれています。題して「ドキッとしようよ−縄文土器の世界−」・・・縄文土器の世界というよりも、完全にオヤジギャグの世界ですね(笑)。
それはともかく、この7月17日は展示解説が聞けるとのこと。歴史オタクの私も、縄文時代は守備範囲外なのですが、せっかくの機会だし、住処でゴロゴロを避けるためにも行くべしです。重い体にムチ打って(笑)、出かけてみることにしました。で、結論を先に言うと、メチャメチャ面白かったです。
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博物館の方の話によると、流山市内には220の遺跡があり、縄文時代の遺跡は145カ所だそうです。発掘された土器のうち、最も古いもので9000年前の縄文早期のものだそうです。
で、何が面白かったかというと、まず、シンプルな土器からゴテゴテ系を経て、再びシンプルに戻り、縄文晩期には多様化する土器の変遷に対する解釈です。煎じ詰めると、特別なことを考える必要はなく、今の人々の嗜好と変わらないということだそうです。
まず、生きるのがやっとの時は、縄目(縄文)などの滑り止めを施した実用第一の土器が使われ、少し豊かになってくると、装飾を「これでもか」と施したゴテゴテ土器になる。もっとソフィスケートとされてくると、ゴテゴテがウザクなり、シンプルに戻る。そして、さらに豊かになると、祭用など用途に応じて多様な土器が作られたのこと。
要は、現代の品々の流行の歴史と同じように解釈すればよいとのお話でした。古の人々のセンスも、現代人とそれほど違わないということですね。
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これなんかは、縄文晩期、つまり土器が多様化した時代のものだそうです。実に良い感じです。縄文時代の土器と言われないと、もっと後の時代のものかと思ってしまいそうです。
あと、時代や地域によって異なる土器の文様ですが、これもあまり深く考えない方がよいようです。縄文時代も地域間で交易が活発で、交易の際に他の地域の土器を見て、「これ、オシャレ!」と思った縄文人が、自分のところでも同じ文様の土器を作る、そんなノリだったそうです。つまり、縄文人もミーハーだったわけですね(笑)
ちなみに千葉と茨城、つまり東関東は縄文時代から一貫して独自の文化圏だったそうです。流山はその東関東と西関東の境で、出土する土器は両方の文化圏の影響があるそうです。
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最後にスペシャルサービスがありました。なんと、この縄文土器を抱えさせてもらいました。煮炊きをした瓶とのことで、私がまず最初に抱えてさせてもらいましたが、その時「これ、ひょっとしたら遺体を埋葬した瓶かもしれませんよ」とのお言葉。もう「ゲッ!」でした(苦笑)
それにしても、縄文土器や縄文文化は奥深いですね。これは見るだけでは、なかなか分かりません。行くか止めるか迷った時は絶対にゴーというのが、私の「人生の方針」ですが(笑)、今回もゴーで正解でした。いやぁ、楽しかったです。
2010年07月17日
下総の神様に感謝した日(笑)、超遅アップです
これは随分古いネタです。実は7月4日の日曜日の出来事です。このところの忙しさでアップできませんでしたが、この"事件"は私好みのネタ。思いっきり古いですが、今ここで書いておきます。お許しを!
DSC02553 DSC02552
この日は、前日に新たな野田横断ルートを発見すべく走り回っていたので、ちょっと疲れていました。ということで、終日住処でノンビリしようと思っていたのです。ただ、以前から気になっていた企画展「関根金次郎と渡辺東一〜将棋界を支えた二棋士の生涯」の日程を調べて愕然です。
この企画展は野田市郷土博物館、つまり旧・茂木佐平治邸(野田市市民会館)に併設された博物館で4月から開催されていましたが、なんと最終日は7月5日です。「げっ、明日じゃん」です。行くなら、今しかありません。
でも既に時は15時を過ぎていました。閉館は17時なのでギリギリのタイミング。スポーツ車を出していると、かえって時間がかかるので、ママチャリの鉄下駄をこぎ、博物館を目指しました。野田市郷土博物館や旧・茂木佐平治邸を訪れたことが何度かありますので、迷うことはない。この時間なら滑り込みで見学できそうです。
で、実際に滑り込みセーフ。展示品は関宿出身の二人の棋士にゆかりの品々。もちろん将棋の世界ですから、書簡や写真、色紙など地味なものがほとんどですが、特に関宿三大偉人の一人で、近代将棋の父である関根金次郎十三世名人のエピソードは興味深かったです。
DSC02551 DSC02550
それに、今年5月に旧・茂木佐平治邸で行われた名人戦第三局で使われた将棋盤や、羽生名人の封じ手の実物も展示されていました。実は、むしろ私は、こちらの方に食い付きました(笑)。
なんせ大学時代は、日本将棋連盟の道場に通ったこともあるほどです(もちろん素人向けの道場です、念のため)。あまりにヘボで勝てなかったので、将棋への関心は失っておりましたが、久しぶりに将棋の香りにふれて楽しかったです。
さて、問題はこの後です。博物館の外へ出ると、雨がポタリ。最初は「大したことないだろう」と高をくくっていたのですが、5分ほど走ったころには、もう土砂降り状態に。どこか雨宿りをしなければということで、思い出したのが香取神社です。
DSC02559
この神社は、下総国にウジャウジャある香取神社の中でも、社殿と杜がかなり立派です。あそこなら雨宿りができるだろうと向かいましたが、なんと門が閉まっており、社殿の軒下で雨宿りすることはできません。
それでも杜の木々が素晴らしく立派で、傘になってくれましたので、なんとか雨はしのげました。でも、アッと間に雨音が激しくなり、すぐに杜の傘からも雨漏りが・・・。カメラもあるし、本当に困ってしまいました。
DSC02561
で、ふと見ると、鉄筋コンクリートでできた神楽殿があり、舞台の上にあがれるではありませんか。進退窮まっていましたので、雨宿りにお借りすることにしました。鉄筋コンクリートは無粋ですが、完璧に雨を防いでくれます。助かった。本当に助かったです。
ただ、雨はいつ止むのかが不明。「これでカミナリでも鳴ったら泣くな」と怯えつつ、結局30分以上も雨宿りをしていました。でも待った甲斐があり、雨はほぼ止みました。普段は神様に祈ることも感謝することもない私ですが、今回は思いっきり感謝です。帰り際、それなりのお賽銭を置いていきました。
その後も雨は降ったり止んだりで、途中、野田のみずきのショッピングセンターなど何度も雨宿りをしながらの帰路となりました。そして・・・。
[画像:DSC02569]
ここは元祖雨宿りの神社です(笑)。流山の上新宿になる八坂神社ですが、ここから眺める雨模様の田園風景は素晴らしいのです。この辺りを通りかかった時、ちょうどラッキー(?)なことに、また雨が降ってきました。それで、雨宿りでパチリ。やはりいいですねぇ・・・と思いたいところでしたが、蚊の大集団に襲われて難儀しました(苦笑)
それにしても、無理して出かけて良かったです。雨に降られましたが、それはそれで楽しく、思いのほか充実したポタとなりました。
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この日は、前日に新たな野田横断ルートを発見すべく走り回っていたので、ちょっと疲れていました。ということで、終日住処でノンビリしようと思っていたのです。ただ、以前から気になっていた企画展「関根金次郎と渡辺東一〜将棋界を支えた二棋士の生涯」の日程を調べて愕然です。
この企画展は野田市郷土博物館、つまり旧・茂木佐平治邸(野田市市民会館)に併設された博物館で4月から開催されていましたが、なんと最終日は7月5日です。「げっ、明日じゃん」です。行くなら、今しかありません。
でも既に時は15時を過ぎていました。閉館は17時なのでギリギリのタイミング。スポーツ車を出していると、かえって時間がかかるので、ママチャリの鉄下駄をこぎ、博物館を目指しました。野田市郷土博物館や旧・茂木佐平治邸を訪れたことが何度かありますので、迷うことはない。この時間なら滑り込みで見学できそうです。
で、実際に滑り込みセーフ。展示品は関宿出身の二人の棋士にゆかりの品々。もちろん将棋の世界ですから、書簡や写真、色紙など地味なものがほとんどですが、特に関宿三大偉人の一人で、近代将棋の父である関根金次郎十三世名人のエピソードは興味深かったです。
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それに、今年5月に旧・茂木佐平治邸で行われた名人戦第三局で使われた将棋盤や、羽生名人の封じ手の実物も展示されていました。実は、むしろ私は、こちらの方に食い付きました(笑)。
なんせ大学時代は、日本将棋連盟の道場に通ったこともあるほどです(もちろん素人向けの道場です、念のため)。あまりにヘボで勝てなかったので、将棋への関心は失っておりましたが、久しぶりに将棋の香りにふれて楽しかったです。
さて、問題はこの後です。博物館の外へ出ると、雨がポタリ。最初は「大したことないだろう」と高をくくっていたのですが、5分ほど走ったころには、もう土砂降り状態に。どこか雨宿りをしなければということで、思い出したのが香取神社です。
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この神社は、下総国にウジャウジャある香取神社の中でも、社殿と杜がかなり立派です。あそこなら雨宿りができるだろうと向かいましたが、なんと門が閉まっており、社殿の軒下で雨宿りすることはできません。
それでも杜の木々が素晴らしく立派で、傘になってくれましたので、なんとか雨はしのげました。でも、アッと間に雨音が激しくなり、すぐに杜の傘からも雨漏りが・・・。カメラもあるし、本当に困ってしまいました。
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で、ふと見ると、鉄筋コンクリートでできた神楽殿があり、舞台の上にあがれるではありませんか。進退窮まっていましたので、雨宿りにお借りすることにしました。鉄筋コンクリートは無粋ですが、完璧に雨を防いでくれます。助かった。本当に助かったです。
ただ、雨はいつ止むのかが不明。「これでカミナリでも鳴ったら泣くな」と怯えつつ、結局30分以上も雨宿りをしていました。でも待った甲斐があり、雨はほぼ止みました。普段は神様に祈ることも感謝することもない私ですが、今回は思いっきり感謝です。帰り際、それなりのお賽銭を置いていきました。
その後も雨は降ったり止んだりで、途中、野田のみずきのショッピングセンターなど何度も雨宿りをしながらの帰路となりました。そして・・・。
[画像:DSC02569]
ここは元祖雨宿りの神社です(笑)。流山の上新宿になる八坂神社ですが、ここから眺める雨模様の田園風景は素晴らしいのです。この辺りを通りかかった時、ちょうどラッキー(?)なことに、また雨が降ってきました。それで、雨宿りでパチリ。やはりいいですねぇ・・・と思いたいところでしたが、蚊の大集団に襲われて難儀しました(苦笑)
それにしても、無理して出かけて良かったです。雨に降られましたが、それはそれで楽しく、思いのほか充実したポタとなりました。
2010年07月11日
この日曜日は心を癒しに蓮の花を見に行きました(笑)
今年は仕事が忙しいと分かっていましたが、この1週間は想定をはるかに上回る激務。もう有り得ないような忙しさでした(泣)。でもようやく、この日曜日の午前中に自転車に乗る時間がつくれたので、心を癒しに蓮の花を見に行きました(笑)
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訪れたのは理窓会記念林自然公園です。この自然公園は何度も訪れていますが、実は今まで蓮池を見たことがありませんでした。よくコメントを頂くEASTさんのブログを拝見し、「そうだ。ここへ行こう」と思い、MTBのAttitude Vで訪れた次第です。
[画像:DSC03495]
来てみてビックリです。本当に広大な蓮池ですね。これなら立派なレンコンが採れそうな・・・笑。しかも、あちらこちらに可憐な花が咲いていました。何度も書いていますが、蓮はその繁殖力と花の可憐さがアンバランスで素敵です。
それにしても、この自然公園、いつものことですが、人がほとんどいません。午前中の訪問とはいえ、そんな早い時間ではありません。わずかに赤ちゃんを抱えた家族連れが2〜3組いらっしゃたのみです。おかげで、静かな雰囲気の中、蓮の花を観賞できて、心も癒されました(爆)
DSC03442
さて、1枚の写真に偶然カナブンが写り込みました。残念なことにジャストピンではありません。ピンが合っていたら、きっと素晴らしい写真になっていたことでしょう。でも、まあ良い感じなのでアップしておきます。
DSC03493 DSC03456
蓮池の近くの池では、2羽のハクチョウがノンビリ。それにしても、ここのハクチョウは人に慣れていますね。人からもらったエサを池の鯉と争っている姿には、少し和みました(笑)
DSC03510-1 DSC03512
ところで理窓会記念林自然公園へと向かうべく、いつものように富士見橋から流山おおたかの森駅へと抜ける道を走っていると、見覚えの無い道があるではありませんか。この辺りなのですが、どうやら今建設中の巨大道路につながっているようです。
何の立て看板も無かったので走ってみました。近所の人も散歩されていたので、一部が開放されたのかもしれませんね。自動車はまだ通行禁止で、おおたかの森駅側の自動車が進入しそうなところには「通行禁止」の看板が立てかけてありました。
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訪れたのは理窓会記念林自然公園です。この自然公園は何度も訪れていますが、実は今まで蓮池を見たことがありませんでした。よくコメントを頂くEASTさんのブログを拝見し、「そうだ。ここへ行こう」と思い、MTBのAttitude Vで訪れた次第です。
[画像:DSC03495]
来てみてビックリです。本当に広大な蓮池ですね。これなら立派なレンコンが採れそうな・・・笑。しかも、あちらこちらに可憐な花が咲いていました。何度も書いていますが、蓮はその繁殖力と花の可憐さがアンバランスで素敵です。
それにしても、この自然公園、いつものことですが、人がほとんどいません。午前中の訪問とはいえ、そんな早い時間ではありません。わずかに赤ちゃんを抱えた家族連れが2〜3組いらっしゃたのみです。おかげで、静かな雰囲気の中、蓮の花を観賞できて、心も癒されました(爆)
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さて、1枚の写真に偶然カナブンが写り込みました。残念なことにジャストピンではありません。ピンが合っていたら、きっと素晴らしい写真になっていたことでしょう。でも、まあ良い感じなのでアップしておきます。
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蓮池の近くの池では、2羽のハクチョウがノンビリ。それにしても、ここのハクチョウは人に慣れていますね。人からもらったエサを池の鯉と争っている姿には、少し和みました(笑)
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ところで理窓会記念林自然公園へと向かうべく、いつものように富士見橋から流山おおたかの森駅へと抜ける道を走っていると、見覚えの無い道があるではありませんか。この辺りなのですが、どうやら今建設中の巨大道路につながっているようです。
何の立て看板も無かったので走ってみました。近所の人も散歩されていたので、一部が開放されたのかもしれませんね。自動車はまだ通行禁止で、おおたかの森駅側の自動車が進入しそうなところには「通行禁止」の看板が立てかけてありました。
2010年07月06日
新発見の野田縦断ルート、今回は丘の上を走りました
この土曜日は、再び野田方面。この前、関宿堀ルートのオプションルートを発見した時、関宿堀ルート以外の野田縦断ルートはないかと、ふと思いました。
江戸川サイクリングロードや利根川サイクリングロードは退屈だし、だからと言って関宿堀ルートばかりだと、やはり飽きる。そんなわけで、地図をにらみながら探したら、ルートが見えてきました。
そこで、ロードレーサーで走ってみたのが、こんなルートです。
千葉県道7号(我孫子関宿線)の北端から、野田市の丘陵地帯を走り抜けるルートです。関宿堀ルートのオプションルートから、このルートへとつなげば、関宿城からつくばエクスプレスの流山おおたかの森駅付近まで走ることができます。
DSC02537 DSC02538
DSC02541 DSC02543
DSC02545 DSC02546
基本的に、自動車の交通量の激しい道路は徹底的に避けています。関宿堀ルートが主に低地の斜面林の道を走るのに対して、このルートは下総台地の北端の丘陵を走ります。
DSC02532 DSC02536
丘の上はいずこも開発が進んでいますので、関宿堀ルートほどは風光明媚ではありません。ただ、写真のような小さな牧場や立派な富士塚が在って、それなりに面白かったです。
このルートのうち野田市街地より南は、私が日ごろ使っている定番の道です。南端の流山おおたかの森駅付近を基点に、関宿堀ルートで関宿城にまで行き、帰りはこのルートを使えば、一度もサイクリングロードを使わない関宿城までの往復ルートが完成します。今度、一度試してみたいです。
江戸川サイクリングロードや利根川サイクリングロードは退屈だし、だからと言って関宿堀ルートばかりだと、やはり飽きる。そんなわけで、地図をにらみながら探したら、ルートが見えてきました。
そこで、ロードレーサーで走ってみたのが、こんなルートです。
千葉県道7号(我孫子関宿線)の北端から、野田市の丘陵地帯を走り抜けるルートです。関宿堀ルートのオプションルートから、このルートへとつなげば、関宿城からつくばエクスプレスの流山おおたかの森駅付近まで走ることができます。
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基本的に、自動車の交通量の激しい道路は徹底的に避けています。関宿堀ルートが主に低地の斜面林の道を走るのに対して、このルートは下総台地の北端の丘陵を走ります。
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丘の上はいずこも開発が進んでいますので、関宿堀ルートほどは風光明媚ではありません。ただ、写真のような小さな牧場や立派な富士塚が在って、それなりに面白かったです。
このルートのうち野田市街地より南は、私が日ごろ使っている定番の道です。南端の流山おおたかの森駅付近を基点に、関宿堀ルートで関宿城にまで行き、帰りはこのルートを使えば、一度もサイクリングロードを使わない関宿城までの往復ルートが完成します。今度、一度試してみたいです。
2010年07月04日
超遅アップの佐倉ポタ、武家屋敷で強烈な個性が光りました(笑)
またまた超遅アップ。この前の日曜日に、はんぞうさんのお誘いで印旛方面に出かけた話です。最近あまりに忙しいので、ブログの更新もままなりません(涙)
P6270044
このポタは手賀沼をスタートに印旛沼へ向かう、いわゆるツインレイクポタです(笑)。ご参加の皆さんは、ヤマグチ。さん、えいじさん、spiritさん、xiaoxiongさん、Naffさん、まっちさんです。すでに皆さん、ブログに記事をアップされていますので、私のはダイジェスト版ということで(苦笑)
P6270051
DSC02480-2
まずは、この前の本佐倉城址ポタでも訪れたおかやま食堂です。ボリュームのある美味いトンカツを食べさせるお店です。
私が今回食べたのは「季節限定の梅おろしトンカツ」。トンカツを梅肉ペーストの入った大根おろしでいただくのですが、梅の酸味がトンカツとよく合って、なかなかのお味。プレーンなロースカツはもちろん美味いのですが、たまには変りだねもいいですね。これで1050円。もう大満足です。
ところで、今回のポタでは塩トンカツを食べるのが"宿題"だったそうですが、誰も食べませんでしたねぇ(笑)
P6270050
ところで、おかやま食堂に向かう途中、印旛沼沿いの公園で休憩を取ったとき、こんな方々に出会いました。望遠鏡がすべて同じ方向に向かっていましたので、鳥でも観察しているのだろうと思ったのですが、そんな雰囲気ではありません。
で、「何を見てらっしゃるのですか」と尋ねてみました。その方々には聞こえなかったようなのですが、子供を連れたお母さんが「レーザー交信らしいですよ」と教えてくれました。なんでも、向こうの丘から発信される赤いレーザー光線を眺めて、メッセージを読み取るそうです。それ以上のことは分かりませんが、いろんな趣味があるなぁと感心しました。
DSC02481
DSC02509
さて、今回のポタのメインイベントとなった佐倉の武家屋敷の訪問です。佐倉は幕末、堀田家の所領でしたので、武家屋敷は当然、堀田家の家臣の住処です。3軒並んでいて、それぞれ300石取り、150石取り、90石取りの屋敷です。
その武家屋敷について、ボランティアののガイドの方が解説していただけるとのこと。そして登場したのが、関西出身のこの方。とにかく、すごい個性。人の心をわしづかみにする女ピン芸人です(笑)
「見て、見て、これ、くちなしの花」
(いや、その、花じゃなくて、屋敷の解説を・・・)
「♪ いーまでは、指輪もまーわるほど ♪」
(『くちなしの花』、歌ってるし!)
すべてがこんな感じで、マイペースの話術が光っていました。もちろん、屋敷の解説も分かりやすく・・・あまりに強烈な個性に魅了されて、解説の中身をほとんど覚えていませんが(笑)。とにかく、入館料210円が安いと思える名調子でした。
DSC02524 DSC02494
DSC02511 DSC02491
DSC02519 DSC02488
DSC02521 DSC02505
300石取りと150石取りの屋敷は見事な茅葺でした。それにしても、やはり完全無欠の格差社会。300石取りと150石取りでは、壁からして違います。90石取りの屋敷では、使っている畳は縁なし。ガイドの方の話では、すべて家の格によって使えるものが決められていたとのことです(ここだけは覚えています、笑)
今回のポタはロードレーサーで100キロ超え。距離的にも、内容的にも充実のポタでした。はんぞうさん、楽しい企画ありがとうございました。
P6270044
このポタは手賀沼をスタートに印旛沼へ向かう、いわゆるツインレイクポタです(笑)。ご参加の皆さんは、ヤマグチ。さん、えいじさん、spiritさん、xiaoxiongさん、Naffさん、まっちさんです。すでに皆さん、ブログに記事をアップされていますので、私のはダイジェスト版ということで(苦笑)
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まずは、この前の本佐倉城址ポタでも訪れたおかやま食堂です。ボリュームのある美味いトンカツを食べさせるお店です。
私が今回食べたのは「季節限定の梅おろしトンカツ」。トンカツを梅肉ペーストの入った大根おろしでいただくのですが、梅の酸味がトンカツとよく合って、なかなかのお味。プレーンなロースカツはもちろん美味いのですが、たまには変りだねもいいですね。これで1050円。もう大満足です。
ところで、今回のポタでは塩トンカツを食べるのが"宿題"だったそうですが、誰も食べませんでしたねぇ(笑)
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ところで、おかやま食堂に向かう途中、印旛沼沿いの公園で休憩を取ったとき、こんな方々に出会いました。望遠鏡がすべて同じ方向に向かっていましたので、鳥でも観察しているのだろうと思ったのですが、そんな雰囲気ではありません。
で、「何を見てらっしゃるのですか」と尋ねてみました。その方々には聞こえなかったようなのですが、子供を連れたお母さんが「レーザー交信らしいですよ」と教えてくれました。なんでも、向こうの丘から発信される赤いレーザー光線を眺めて、メッセージを読み取るそうです。それ以上のことは分かりませんが、いろんな趣味があるなぁと感心しました。
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さて、今回のポタのメインイベントとなった佐倉の武家屋敷の訪問です。佐倉は幕末、堀田家の所領でしたので、武家屋敷は当然、堀田家の家臣の住処です。3軒並んでいて、それぞれ300石取り、150石取り、90石取りの屋敷です。
その武家屋敷について、ボランティアののガイドの方が解説していただけるとのこと。そして登場したのが、関西出身のこの方。とにかく、すごい個性。人の心をわしづかみにする女ピン芸人です(笑)
「見て、見て、これ、くちなしの花」
(いや、その、花じゃなくて、屋敷の解説を・・・)
「♪ いーまでは、指輪もまーわるほど ♪」
(『くちなしの花』、歌ってるし!)
すべてがこんな感じで、マイペースの話術が光っていました。もちろん、屋敷の解説も分かりやすく・・・あまりに強烈な個性に魅了されて、解説の中身をほとんど覚えていませんが(笑)。とにかく、入館料210円が安いと思える名調子でした。
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300石取りと150石取りの屋敷は見事な茅葺でした。それにしても、やはり完全無欠の格差社会。300石取りと150石取りでは、壁からして違います。90石取りの屋敷では、使っている畳は縁なし。ガイドの方の話では、すべて家の格によって使えるものが決められていたとのことです(ここだけは覚えています、笑)
今回のポタはロードレーサーで100キロ超え。距離的にも、内容的にも充実のポタでした。はんぞうさん、楽しい企画ありがとうございました。