もうすぐお餅つき大会
たぶん4年生ごろ。
迫力があって、感動したので、「冬休みの友」の絵日記に、その絵を描いた。臼は木製だった。
それっきり、身近で餅つきを見たこともないので、私は、餅つきのことは、何も知らない。
せいぜい、餅米を蒸して、つぶすことしか知らない。
私の母は、親に感謝の気持ちがないと言い切って、先祖も、日本の古い風習も全部嫌ったので、私は、着物を着せてもらったのも1回だけ、嫁入り道具にも、ほとんど着物はない。
私は、そもそも洋風かぶれの親に育った「日本を知らない世代の第一世代」
だから、日本に憧れる。
なんだけど、
コロナがあけて、餅つきを復活しようという意見が出たとき、知らない作業だから、しぶったよ。
もう、いいじゃない、どこの自治会も、やめているのに!
「だから、やるんやろ!子供たちに経験させてやらないと。ほかが辞めるからここでするべきや」と、押し切られた
でもね、私はもち米を洗ったことも、水につけたことも、まして、丸めたことも全然ない。
知らないことはできない!
万策尽きて(というか、策が全然ない)コロナ前まで、やっていた婦人会に泣きついた。
それで、ようやく、そろえるものの品目がわかり、そろそろ進んでいる。
ところが、「あんたたち若くて元気なんだから、餅つきをてつだってね」と言っておいたPTAから、最初2人しか手伝いがないから、自治会に助っ人を頼まないと!と、思っていたのに、
「6人参加します。いや、8人になりました。もっと来るかも」と、お手伝いがどんどん増えた。
なんで〜?
そのうち、自治会からも「手伝いますよ」と言ってくる。
息子の同級生が「お母さんのためなら、餅をつきますよ」と言ってくる。
「つきたてのお餅が食べられるのですか?なら、来ます家族中で」と、言ってくる。
今までの参加数は、漸減して、100人足らずだった。お餅は、いつも余っていて、手伝わない私のところに、10個も押し付けられて、「どこまで、私を太らせたいの!?」と、怒りながら受け取っていたのに。
こんな、反響は初めてだ。
そして、昨夜、もうみんな帰ってしまって。
廊下や、部屋やトイレの掃除もすませて、もうくたくた。65歳過ぎてから3時間立ちどおしはきつい。
「先に帰らしてね。」
「どうぞ、カギはかけておきます」
そういい交わして、もう、照明も落とし薄暗い玄関に向き直ると、そこに、見慣れない男性が立っていた。
髪も無精ひげも白いものがまじっているのだから、65歳以上に違いない。
「もちつきが、あるんですかっ?」と、聞いてくる。
「ありますよ。4日です」
「餅が、たべられるんですかっ?」
「食べられます。」
「来てもいいんですかっ?」
「いいですよ。誰でも」
すると、彼の相好が崩れて「よかった。餅、好きなんです。食べたい。
ぜんざいありますかっ?」
「ないです。あんもちと、きなこ」
「ああ、それで十分です。食べたいなあ」
「11時からですから。11時に来てください。早く来ても入れません。」
「わかりました!」
嬉しそうに踵を返して、出て行ったとおもったら、またすぐに戻ってきた
「おいしそうな匂いがしてるけど、ここで、なにかたべられるんですか?」
「子ども食堂です。大人は200円。」
「来てもいいですか?」
「いいですよ」
「いつやってるんですか?」
「次は、来週金曜日、5時からです」
身なりからして、この先の市営住宅の住人に違いない。
この道は、市住の人たちの帰り道だから。
私のコミュニティではないのだけど、資金は公金、神戸市のお金だから、誰が来てもいい。
玄関から一緒に外に出ながら
「あなたのような年恰好のお客さんはいないけど、勇気を出してきてください」と、言い添えた。
貧乏そうな身なりの無精ひげが入ってきたら、みんなが引くかもしれない。
でも、言葉遣いもきちんとして、礼儀もわきまえた人だから、大丈夫だろう。
第一、福祉とは、そもそもこういう人たちのためのものだし。
住んでいる町によって、人のまとう空気が違う。毛色が違う。
でも、なれれば大丈夫。
この人は、たった今手作りされたご飯を、ずいぶん長らく食べてはいないだろうと思うと。
胸が熱くなった。
どうか、みんなが、受け入れてくれますように
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