私が目撃した有名人
森英恵さんが、先日亡くなりました。
90歳ぐらいかな。
大阪万博EXPO’70 鉄鋼館のコンパニオンのユニフォームのデザイナーでした。
まだ、暇な頃だから、6月の雨の夜かな、私が、閑散として、お客さんの姿のない鉄鋼館の入り口の脇に立っていると、
入り口から入ってきて、私に気づくと、少し歩み寄って「あなた、お似合いよ!」と、声をかけてくださったのが、森英恵さんでした。
なぜか、森英恵さんだと、すぐにわかりました。
[画像:あああああ]
夏のユニフォームです。今は、これは、手放して、白井達郎という自宅に万博記念館を作っている人に上げました。
この同じ色目で、ミニスカートのがあり、
鶯色のつやつやしたヘルメット、セーターの冬服もありました。
私が、持っていても、意味がないので、譲りました。
スカーフのあしらいかた。
髪型。帽子のかぶり方、
いろいろ工夫して着ることができました、個性を出してくださいと言われました。
そのうえで「お似合いよ」と、ほめてもらえたのは、着こなしを褒められたわけで、
私は、舞い上がるぐらいうれしかった。
亡くなられて、初めて年齢を知りました。
万博の時、すでに、世界的なデザイナーでしたが、まだ、44歳だったのですね。
そういえば、鉄鋼館全体のプロデューサーは、30代でした。
若い日本は、あの世界のイベントを30代40代の若者に賭けたのです。
コンパニオンの控室は、女の戦場で、谷崎潤一郎の愛した松子さんの連れ子とかいう「ホステスリーダー」は、ヒステリックで
東京都議会議員の娘が「コンパニオンにもボーナスを!」と、団体交渉を企画したのを、聞きつけ、ばたん!と、ドアを開けて。踏み込んできて
「なにに、不満があるのよ!
貴女たちのユニフォームは30万で、私のは1万っよ!と、叫んで、ドアをバタン!と、叩きつけて去って行きました。
それで、30万の衣装を着せてもらっているのがわかりました。
1着30万か、みんなで30万か、考えました。全部で30万でしょうね。
結局、鉄鋼連盟は、すごく儲かっていたので、一時金3万円をもらいました。給料は5万でした。
私が、生涯できた一番高価な衣装だったかも。
もう、あの半年、毎日「きれい」と言われ「着こなしを褒められ」もう、女冥利に尽きたから、これから死ぬまで、もう、ほめられなくていいと、思いました。
おしゃれもしなくていいと思いました。
ぜいたくすぎる。
でもまあ・・・まさか、みじめな数十年が、待っているとは...思わなかったな。
普通に一生生きられるつもりだった。
大きな台風が来ているようです、宮古島くん、大丈夫かな!がんばって
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