人生の最終ステージへ(狂い咲きかも知れないけど)
昔で言ったら還暦過ぎて、もういつ死んでもおかしくない。
母は83まで生きたけど、祖母たちは53才と64歳で亡くなっている。
ほんとうなら、もう、無い命だよね。
そう思っていました。その思いに連れて足腰は弱って来るし、友達も、ちらほら鬼籍に・・・
私の人生も、もう、そろそろ店じまいだなって、思っていました。
生きなきゃ!と、最初に思ったのは、二人目の子ども(女の子)が、生まれたあと、この子が夜と昼が反対で、3カ月ばかりほとんど眠れず、昼間ももうろうとしていた時、近所の同じく二人の子供を抱えたお母さんが妊娠中の尿毒症がひどくなって、なくなった・・・私は、乳呑児をかかえて「この子が3歳までは生きなければ」と、切実に思いました。
ほんとうに苦しくて、むくみもひどく、歯もボロボロになって、死ぬかと思ったけど、死なずに生きた。
そのあと、命の危機を感じることは無かったし、主人が倒れて、生活苦まで背負うことになった時には、もうしんどいから、いつ死んでもいい、と思った。生きていてもなあんにも、いいことなんかないわって。
けど、娘が結婚して赤ちゃんができた。
この娘が子供を産みあげて、孫が3歳になるまではいてやらなければならない、と、また思った。
もうそろそろ、私は、いなくなってもいい。
いなくなってもいい年齢になったし、もう、義務は果たしたと思う。
親も弟も送った。
ま、言ってみれば夫を送れば完璧、用済みだと思う。
それが、これまでの女性の一生だった・・・・
ところが、最近の人の命って、むやみに長い。
長いバッカリに「自分の人生ってこれでいいのかな?なんだったんだろう?」って、もう一度考える余裕がある。
そこで、私は、はたっと気が付いた。
私、生来、気まま者。本来わがままの塊なのに!
だのに〜考えてみたら、何もかも、我慢してきた一生だった。
好きな人と一緒になれない運命にも、
弟のためにすべてを犠牲にすることにも、
お気に入りの服や、飾りを手に入れることも、
思えば、なにひとつ。
自動車一台、自分の好きなものを手に入れたことも、手に入れようとしたことも無かった・・・
家だって、私は山の中ではなく、海に夕陽が沈むのを見ながら人生を終えたかった・・・
自分のためにお金を使おうとさえしなかった。
家族のために爪に火を点し続けた・・・
ええ?ほんとうに、これでよかったのかなあ?
急に、いいや違う、私は、こんな人生で終わるのはいやだ〜という気になったのは、この前のイベントで、図らずも自分の企画通りにすべてを仕切る機会を得て、私って案外やるじゃん!?と、初めて気付いたから。
66才になって、私、本当の自分といきなり出会いがしらの正面衝突!
私、制服の色が紺色だったから、大人になっても紺色バッカリ着てた。
そしたら「あなたは、ほんとうは派手な色彩が似合う」と、教えられた。
ダイナミックな切り替えや、大胆な反対色の組み合わせ、ほんとうは、私にしか着こなせないド派手な服が似合うんだった。
でも、知らなかった。
私、ずっと自分を恥ずかしがり屋で、非社交的で、社会性が無いと思い込んでいた。実母が、私に「あんたは、ほんとうにダメな子だ」と、こまごまと批判して私の翼も夢もすべてをもぎ取って、育てたのだから、その暗示通りにとぼとぼ日陰をあるいた。
いや、私は日陰のつもりだったけど、日陰を歩く気分で、実際には太陽の下を歩いていたから、
太陽の下を歩くなら、それらしくあごをあげて、楽しげに歩かなければならなかったわ...思えば。
私、間違って太陽の下にいますけど、本当は日陰者ですぅ〜という様子をしてばかりだったけど。
1週間、本当の自分との衝突事故で頭がぐじゃぐじゃだったけど、ようやく、もしかしたら、私は、私が思っている人とは違うのではないか?と、思い始めました。
私、せめて好きな色の服を着よう。
あと、どれだけ残っているかわからないこれからの時間は、もう、我慢するのやめよう。
生活が破たんしない範囲で、やりたいことしよう。
まだまだいっぱいやりたいことは残っている。
なにもできないと思い込んで自分自身をねじ伏せていた。
あれって、無駄な労力だった。
もう、いつ死んでもいいと思っていたけど、いいにはいいのだけど、ちょっと命が惜しくなりました。
もちろん、おもしろくもなんともなかった私の人生は、普通の人から見たら、相当おもしろおかしい人生でした。でも、私は、あんなんじゃ満足しません。
私の人生は、もっと大きく翼を広げて、もっと高く飛ぶんです。
かなり、狂い咲きっぽいけど、もう、いいの、誰に何を言われても!
今の高齢時代、60代~70代が社会を支えなければ世の中が回りません。私にはあと15年残っています。
仲間の皆さん、もう一度、飛びましょう。
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