[フレーム]

2018年12月

しなければならないことを、積み残してしまったわ・・・
仕方がないねえ・・・

久しぶりに、でも、大晦日らしい「昭和のヒット曲」を、何時間も見ました。
タレントさんたちの、あまりの若作りに声もなかった。すごいなあ・・・最近の美容整形は・・・と、娘と、たらふく悪態をついたわ。

「日本の技術は、すごいらしいよ。
美容師さんが、シャンプーも、髪染めも、なにもかも、2年前とは全然違います。すごく、よくなってます。といってたから。

なにもかも、すっかり進歩してるんじゃないの?」という。

かもね・・・
5年前のパソコン、もう、買い替えたほうがいいかなあ・・・

確かに、技術の進歩は、絶え間ないと思う。
だいたい、最近、すっぱい果物なんかないものね。
全部、甘いわ。

どんなものでも、少なくとも、口当たりがいい。
孫の洋服を見ても思うわ。

素材が、違うから、断ちっぱなしのレースのスカートなんかがある。

「やっぱり、日本の技術はすごいのだと思う」
「そうだね・・・どんどん進化するものねえ」

なにも、立ち止まって待ってくれないものね。

だから、「世界がグローバリスト、ディープステイトが、敵だと、認識しても、日本は最後なのよね」

日本人は、違う方向を見ているみたい。

明日って、1月1日だよ。

明後日って1月2日だよ。

アメリカで1月2日というと、日本では1月3日です。

クリスマス12月25日から、一斉逮捕が始まり、1月2日から軍事法廷が始まるって・・・

私には、信じられない。

だからといって、そういうことが起こらないと思うわけではありません。

けど、明日や明後日に起こるとは、やっぱり信じられない。

ヒラリークリントンが裁判にかけられる・・・オバマも・・・

この人達が、守られていたのは、日本で嘘つきが宰相をやれているのと、同じ理由です。

周囲を幾重にもガードされている。
法律、司法、さらにマフィア、闇社会、私設の警察・軍隊こういうものに、何重にもカバーされ、しかも、マスコミを思い通りに操って、不利な情報は流させない。

この幾重にも張り巡らされているガードを剥がさないと、逮捕したり、裁判にかけることはできません。

正義とか悪とかは、理由にはなりません。
利用できるのは権力・武力・暴力・金の力です。

ゴーン氏が逮捕されたのは、こういうガードする力が、弱かったからでしょう。
どうも、中国、サウジとのからみがあったみたいですね。
ディープステイト時代の英雄なのだから、
時代の変化が、彼に災いした。

イエローベストに取り囲まれるマクロン・・・

あれもね・・・素人衆が、無秩序に集まっているわけ無いでしょう。
裏はあるでしょ。

つまり、旧社会の悪人どもを包み込んで守っていたガードは、少しずつ崩れて来ています。

この変化は、日本で言えば、明治維新に匹敵する。
あるいは、ローリング20にも、匹敵する。

私達は、ものすごい変化を目撃できる世代です。

でも、見ていても見えないかもしれない。

誰かさんが2020年になるまで、変化が見えないかもと書かれていましたが、一般人の認識なんてそんなものでしょう。

なんか、最近はコンビニの支払いも「お財布携帯」ばっかりになったよねーといううちに、変化は進むんでしょう。

庭園灯の電源が「太陽光」ばっかりになったね、とか言ううち、フリーエネルギーが日常になる。

しかし、東京オリンピックって、ほんとにできますかね?
みんな2020年が終わったら、ひどい不景気になるから、家を買うんだったら、あと3年待てといってるけど、そんなでオリンピックをやるんだー

オリンピックというものさえ、もう、やめればいいのに。

いくらでも、国際大会があるのだし。

あれだってね・・・捕鯨のこと。
あれも、関係者の利権を守るのが目的だって。

福島の原発だって、さっさと処理して、安全性を高めるべきなのに、ぐずぐず公費で処理して、その仕事を請け負って設けたい業者がいるから、あなるんだってさ。

そういうこと、多いと思うよ。
辺野古がsぷでしょ?
アメリカ軍が、どうしたいというのでなく、あれに群がる利権集団が、移転を進めたがっているらしい。

そんなこと!って思うかもしれないけど・・・

私ね、平成年頃、行政の人に、ブツブツ文句を言ったの。
「なんで、米給食ができないんですか?
アメリカが日本に小麦を売りたいためでしょう!
なんで、日本政府は、アメリカの言いなりになるんですか?」

すると、当時の北区長が、言ったわ。
「ちゃうで〜。ああいう職場は組合が強いねん。
給食のおばちゃんたちが、ご飯給食に反対やねん。
みんな主婦やから、はよう仕事を終えてかえりたいやんか。
米粒が食器にこびりつくと、あとかた付にてまどるやろ。
それで米飯給食はきらわれるねん。
アメリカが理由とちがうで」

この話とおなじdあと思うよ。

辺野古も、日本人の利権。
福島の、同じく。
TPPでさえ、政権に近い日本人の利権だと思う。

クリックよろしくお願いします

何が、やばいのかは、多分、経済だろうとしか思えないんですが。

テレビで騒いでいるネタが、どれもこれも、あまりにお粗末。
なんだかだ言って、私は、テレビは家にいるとかけっぱなしにしているんです。
連中が、B層を、どう飼いならしがっているかを、観察するために。

ネット上では大きな問題であることを、テレビが隠しています。
何を隠しているのか、
どれぐらい必死で隠しているのか・・・

そうねえ・・・昨日、仙人と話した最後の話題は「太陽光が強すぎる」というテーマでした。
「子供の頃、冬は縁側で日向ぼっこをしたけど、あのころの冬の太陽は、おぼろでほっこりしていた。
今は、冬でも、ギラギラ照りつける。
太陽が、変わったね。」

これは、最近、小鳥が減った。雀もいない。
トンボやちょうちょはおろか、ゴキブリさえいない。という話の末尾でした。


「農薬?放射能?原因はなんでしょう?」
「太陽じゃない?」

「え?・・・そうかもしれない」

太陽の燃え方とかが、変わったら、太陽系全体に影響が出るし、逃げていけるところがない。

「詐欺である"温暖化情報"」が、そもそも怪しい。
「寒冷化が迫っていること」も、報道されない・・・

これかもしれない・・・だったら、もう、最後だわ。

株価の動きも、本当に嫌な感じなのよね。
「あんなもん、自由になんとでもできるんでしょう、彼らには」

そう思う。

せいぜい、個人投資家がかっぱらわれている程度じゃないかね。

けど、その株価大変動で、上げたり下げたり操作しながら、最後には、市場からごっそりマネーを引き上げるつもりなんだと私は思っています。

なぜ、最後かと言うと・・・貨幣が変わるからです。

電子マネーに変わるのか・・・世界統一通貨ができるのか。
金本位制にするのか。

いずれ、今のマネーの砂嵐は止めるしか無いでしょ。

もう、徒労ばっかりで、誰も美味しい目に合わなくなったのだと思う。

だから、一般大衆の目を「貴乃花がどうした」とか「ボクシングの山根会長が、結婚写真を撮った」などという、どーでもいい話にひっぱっていく。

私には、手のつけようがないテーマは「宇宙人ネタ」でして、トランプが宇宙軍をつくったとか、マティスの後任は宇宙戦争に詳しい・・とか、いう、話をどう思えばいいのか、わかりません。

日本政府の隠し事レベルには、この「宇宙・太陽」までは入っていないと思う。

せいぜい利権問題、金の問題まででしょ。

あとは、韓国・北朝鮮・中国に相手にされない悔しさでちょっかいかけているネタはあると思う。

徴用工の話を聞くたび、韓国人はいいよなあと思うわ。

あんたら、朝鮮人としてこき使われたのではなく「日本人の身分」だから、徴用された。
同じく徴用された日本人だって、同じ残酷な目にあっている。
でも、いまさらお国を訴えようなんて、どんなに悔しくてもできない。
いいよな。朝鮮人は。
都合によって「日本人になったり、朝鮮人になったりできて」

私は、韓国の軍艦からのレーザー照射問題は、最初から、なんかなあと思っていました。
今の韓国政府と日本政府なら、より「おばか」は、日本政府ですからね。
事情は、ともかく、おかしいのは日本側だろうと思います。

外務大臣とか防衛大臣を見てよ・・・何をか、いわんや。

それはそうと・・・見た?
カリフォルニアの"森林火災"あれって、宇宙空間から放射された何かで、焼き尽くされたり、大きな穴が空いたのでしょう?

誰が、なにのために!あの兵器を。

テレビの馬鹿騒ぎが、誰の目にも虚しくて「いざなぎ景気超え」などという「嘘にしても、もう少し騙せる嘘にしろ。おかげで、日本政府が発表することは100%嘘だとばれたじゃないか、あほ」
という有様が・・・何かわからないけ、現状が、ものすごくやばいことを物語る気がします。
クリックよろしくお願いします

聖書の聖句に


叩けよ、さらば開かれん

求めよ、さらば与えられん

と、あります。

イエスの山上の垂訓だったと思います。


幼稚園がキリスト教だったので、私は、ごく幼い日から、この言葉を知っていました。

けれど、こんなもの「ただの言葉」だと思っていました。

不幸な思いに打ちひしがれていた時、

こぶしに血がにじむぐらい、叩いても叩いても、とびらは開かなかった。

ああしてほしい、こうしてほしいとどんなに求めても、与えられるどころか


聖書の別の聖句のごとく

「持っている者には、さらに与えられ
持たざる者は、持っているものまで、奪われる」

(これは、その通り!という実感がありました)

これでもか!と、不幸はつぎつぎ襲い掛かり、油断も隙もありませんでした。


けれど「蒔くに時あり、刈るに時あり」

人生は、その晩年に一生分の答えを出してくる・・・ものだと思います。


職場から解放された65歳の時が、

私には、転換点となりました。

それまでと、モノの見方も変化していたし、

それまで見えなかったことが見えてきました。

けれど、苦労は、それまでと比べて、どちらが重いかというぐらい重かったです。

一時期改善されていた肝機能が、がくんと悪化するぐらいのストレスでした。

叩いてもドアは開かない・求めても誰も与えてくれない・・・との思いから、自力で戦い抜いて、歩きとおそうと決意しました。

そして、5年がたった今年・晩秋。

楽になりました。

それまでの心配事が、すべて消えました。


どうして楽になったのかわからなのだけど・・・戦わなくなった。

自分の力の限界を知って、それ以上の焦りを持たなくなった。


そしたら、扉が開き始めました。

求めたものが、与えられるようになりました。


と、同時に「神さまのパワー」というものが、どういう働き方をするのか、理解できるようになりました。

それまで、言葉だけしか知らなかったことが、感覚で捕えられるようになりました。

自分の周辺で「神さまのパワーが、働いていることがわかる」ようになりました。

みんながみんな、70歳を過ぎさえすれば、同じ感覚になるとは思いません。


この感覚は幽界と顕界の境がおぼろになっている感じかな。

どうして、それが見えるようになったかと言うと

私に「神さまのパワー」を送ってくれる人が出来て。

私自身に、その送られる「パワーの圧」が、感じられる。

そして、物質が変化・変質する。

それを、見せられたので、見えない力の持つ物凄さが、理解できたのです。

これは生きた力であって、理屈ではないのです。

想念と物質が共振することがわかったです。

これは、人間の持つ力ではないとおもいます。

あくまで神々の力。

ならば、神様が、万能なら、人間なんかいらないと思うでしょう?

違うんです。
人間界のことは、人間にしか動かせない。


だから、人間は神さまの力を借りて、物事を成すのだけど、

神様は、人間を通してしか働けないのです。

人は、とても貴重な存在です。

(ここまで書いて、昨日、新幹線に乗ってしまったので・・・昨日は、更新できず・・・自分としては、悔しい。けど、この問題をこれ以上書き進むことは、一夜明けた今朝も、やはり無理です。

「見えない力を感じ取る感性のある人」には、多言を要しないけど、感じ取れない人には、言葉を重ねても無駄ですからね。

まとめると、「人間を超えるパワーがあり、物質を変質させる神通力というものが、存在する」「だったら、その力だけで十分じゃないか、人間は、なにのために生きているの?」と、思うだろうけど、そうではなくて、その神々と人間の関係性は、私にも、わからないのだけど・・・しかも、神々は、別に人間に帰依を求めているとも、思えない。

けど、叩けば扉は開き、求めれば与えられるというのは、本当だなあ・・と、近頃思うのです。
神々には、人間を助ける義務なんかないし、人間には、神々にお仕えする義務なんかない。

でも、神々を納得させるだけの誠意と努力があれば、神々は、思わず、振り向いて応援したくなる・・・そんな感じかな。
そして、神々の応援を得られた人は、何事が起ころうと「天意」と感じ、騒がず、
他の人から見て、不思議な速さで、物事を進めていける。
障害は、道を開け、不運は通り過ぎる・・・

そして、その人の願いが正しければ、神の力は、その人を通して流れ出し、世の中を変えていく。

もがきながら、泣きながら歩いてきた自分の道が、あれが「叩いていた」「求めていた」姿だったんだと、今、自覚されるんです。

もともと、不完全な姿で生を受けるのだから、段階を踏んで成長し、資格を与えられる。
人生とは、そういうものだとここに来て、気づくのです。

まさに近道はない。王道は無いのです。

たくさん超えた、恐怖の瞬間、襲われた災難、どれも、自分を磨いて「人となす」ための修練だった。

そう・・・昨日は、1年前から私に絶えず応援のパワーを送ってくださった"私の仙人"に会いに行ったんですよ。
そして、こんな話をして「浮世離れの二時間」を過ごしました。

生きるっていいなあ・・・さりとて、時期が来て去っていくのもいいなあ・・・
柳は緑、花は紅
春風にたゆとう枝のように、吹かれ流され、でも「志」は、捨てずに。

仙人のパワーを浴びると、むやみに眠たくなって、早くに眠ってしまったのです。

クリックよろしくお願いします

お母さんはね、自分が十月十日、お腹を痛めて産んだ子供だから、それが、どんな子供でも「いい子」なんです。


我が子であると言うだけで「最高」

でも、父親は違います。
自分の名前を与える子供は、その名に恥じない立派な子どもでなければならない。


良い子しか「わが子」とは、認めないぞ。
悪い子は、出て行け。わが家の子ではない。


母親は、悪くても、劣っていても我が子は全部かわいい。


両親そろって「わが子は良い子」と言ってしまっては示しがつかない。
けど、母親までが「悪い子は出て行け」と言えば、子供には救いがない。


男親と女親がそろって、子供は、まっすぐ育つのよ。

最近は「躾けのつもり」だった、と言って、子供を死なせてしまう未熟な親が少なくなくて、「良い子じゃないから、いらない」と言いたがる傾向がみられる。

そうではなくて「どんなひどい子でも、母親は、どこまでも、子供を懐に抱きしめてやってほしい。

男女共同参画というけど、やっぱり、男と女には役割の違いがあるよ。
それが、真実さ。
クリックよろしくお願いします

縁起物ですから・・・もらってください、と差し出したり。


縁起物だから飾りましょうと言ったり。


縁起のよいように。
いい因縁を呼び起こせるように・・・


正月は「おめでとうございます」と言うのは、別に1月1日が、何かめでたいのではなく、「おめでとうございます」と、三河万歳の様に「言葉にすることで」

新しい年が「めでたい」年になるように「祈念している」わけだ。

今年は、私は、本当に正月準備ができなかったので、かろうじて、しめ縄を飾り、玄関先に紅白の葉ボタンを植えました。

これが、せめてもの「縁起物」
縁起のいい歳になりますように!

紅白だから、なにかいいことがあるとか、しめ飾りが無いと年神様を迎えられないとか、そんなことは、実際、ありはしないのだけど


若いころは、勢いに任せて「運も縁も」そんなもの、関係ないと思っておれたけど

年を経て、さまざまなことに出会い、思いもかけない不運にも出会い、あるいは、ありがたい縁をいただき、つくづく、己ひとりの力で生きているのではない、

天地の恩、人の恩に、生かされて今日の無事がある・・・と、身に染みると、

ついつい、せめて紅白のハボタンにも、祈願をこめたくなる。

無事は「あたりまえ」ではなく、稀有な幸運。

あたりまえに、物事が過ぎてくれるのは、見えないところで大きな力に支えられ、守られているから・・・年々、そのことが、心にしみます。

どうか、来年が、わが家にとって、近隣にとって、日本にとって、世界にとって、よい年になりますように。

縁起をかついで紅白のハボタンを植える。

あたりまえのことが、あたりまえに出来るのは、実は、大きな幸せなのです。
何でもないことが、得難い幸せ。
クリックよろしくお願いします

↑このページのトップヘ

traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /