行く年
>太陽と月の再生である、19年ぶりの朔旦冬至。古い19年のサイクルが終わり、新しい19年のサイクルが始まりました。
これまでの19年間、良いことも悪いことも含め、過去は過去であり、すべてを感謝した上で、この新しいサイクルから心機一転、それぞれの人にとっての新しいステージが始まると思います。
そういった流れにおいて、2015年は多くの人々にとって、今までとはまったく違った流れが動き出すタイミングだと思います。
長年連れ添った家族、仲間と離れて新たな出逢いが始まる人もいれば、長年勤務していた会社、職業を手放して、まったく違ったライフスタイルが始まる人もいるでしょうが、すべては、必然のタイミングのもと、この時を待って準備されていた流れであり、何も心配なく、流れに身を委ね、本来の自分の魂が喜ぶ道へと思いきって進むことが大切だと思います。
頭で考える時代よりも、ますますハートで感じて動く時代であり、その中で自分を信じて突き抜ける人々と、まだ自分を信じきれず、済んでしまった過去の出来事に囚われ、起こりもしない未来の出来事に振り回され、今を生きることなく、カオスの世の中の流れに巻き込まれる人々と二極化が進む年となるかもしれません。<
以上「天下泰平」ブログより転載。http://tenkataihei.xxxblog.jp/archives/51904686.html
ここの内容に、個人的に、本当にそうだと思います。
今までずっと追い求めてきたおよそ20年の歩みの方向を変えようという気持ちが日々高まっていること、「別れ」と「出会い」が、錯綜していること、
私の周りで、渦が巻くように変化が起こっていること、
そして、私は、その渦の力をバネに居場所を変えようとしています。
去っていった人もあるし、私からさった人もあります。
今まで、嫌な人が、身近にいるけど「この人に耐えるのが、私の修行なのだ」と心に決めて耐えて来たけど、急に「我慢しなくてもいいんじゃないの?」と、言う気になった。
だいたい、あと何年生きるのかわからないのに我慢することないわ。
大事なものを失うかもしれないけど、どうせ、持って死ねないし・・・
出来ることだけしよう。
出来ないことで苦しむのはよそう。
出来ることなら、出来るタイミングが見えてくるし、できないことならじたばたしても無駄だ。
天下泰平さんの説によると19年がひとくくりなのだそうです。
ならば2くくりもの長い間、私はたった一回の恋を失った、たった一回の失恋をずっと引きずってきました。
このことは、私の中で「青春」が終わらなかったという意味でもあります。
心を青春時代においてきてしまった。
そして、そこから一歩も前進できなかった。
自分の年齢も数えない。
人生が、あの時止まったから。
現実はぐるぐる回って進むのだけど、私の心だけは、頑固に同じ位置にいました。
私一人が恋しがっているのだと思い続けている間は・・・そこで凍り付いていた。
でも、「彼はあなたを失ったために命を断った」・・・と知らされた2年前、
体は生きているけど心が死んだ私も、本当に死んでしまった彼も、やっぱり命がけの恋だったんだ・・・あれは絶唱だった。そう納得して初めて、青春のページを閉じることができました。
ものすごく自分勝手な割り切り方であることはわかっています。
けど、理屈じゃないんです。
その事実を知る時期が悪ければ、私も後を追ったでしょう・・・
19年を2回重ねて、ようやく青春の闇から抜け出した。
太陽がまぶしかった・・・長い間穴倉にいましたから。
自分を責め続けた牢獄に。
この長い期間に体もめちゃくちゃに痛めてきました。肝臓から始まって腎臓も心臓も傷めました。
けど、少しずつ少しずつ、体の不調からも解き放たれました。
この地上で、残された時間は長くは無いけど鎖を解かれたから、与えられた時間だけ頑張ってみようと思う。思うことが全部できるわけじゃない。
出来なくても仕方がない。
希望には翼があって、私が誰かの希望を受け継いだように、私の希望は、必ず時空を超えて次の人の心に届くから。
「おばあちゃんと、遊びたい」といって、孫娘が正月にはやってくる。
この子も、この日のことは忘れても、私の希いを引き継いでくれる。
悲しみは捨てて来年は、今までとは違う年にしようと思う。
皆さまも、今は大きな区切りの時だそうです。
昨日の涙は振り切って、明日に向かって微笑みましょうね。
必ず希望があります。
世界は夜明けを迎えるでしょう。
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