<復活主教座聖堂>(2018年09月18日)

ユジノサハリンスクの少し東寄りを南北に延びるコムソモリスカヤ通の北側は<ガガーリン公園>の敷地に面しています。そこを少し南へ進めば、コムニスチ―チェスキー通と交差します。

このコムソモリスカヤ通の<ガガーリン公園>の傍から、コムニスチ―チェスキー通を目指して歩きました。最近、コムソモリスカヤ通の一部は歩道を修繕するような工事が行われています。何やら作業員が出て仕事をしている箇所が見受けられ、作業関係車輛が駐車していて「何処を進もうか?」と考えてみる場面も在って、更に石を敷き詰める前の砂地が剥き出しになっている「工事中です!!」という箇所も一部に在り、「多少歩き悪い...」とブツブツ言いながら進みました。

↓そういう「歩き悪い...」という区間が途切れて「やれやれ」と思った時に、目に飛び込んだのがこういう様子でした。
18SEP2018 church (1).jpg
↑コムソモリスカヤ通とコムニスチ―チェスキー通との交差点近くに在る<復活主教座聖堂>の鐘楼です。

画の鐘楼は西寄りの側に向いていますから、「好天の日の夕刻」には強めな西日の光が正面から当たるような感じで、なかなかに見栄えが好くなります。

ロシア正教の活動がロシアで活性化するのは「ソ連後」の時代になる1990年代からです。方々で、失われた教会の再興や再建、或いは新たな建設ということが行われるようになりました。

サハリンに在っては、例えばアレクサンドロフスク・サハリンスキーのように、1930年代に損なわれた教会の再興を目指して教会建設が行われた経過が在りますが、殆どの街では「新たな建設」が行われています。

ユジノサハリンスクの<復活主教座聖堂>は、「上位の聖職者が入ってサハリンでの教会の活動をリードする」という意図も込めて建立されたようです。名称に入っている"主教座"という語が、そういう意図を示しています。最初は奥の礼拝堂の部分が完成し、後から鐘楼も登場しています。

この鐘楼の画に関しては「"外国"のロシア!!」というイメージが強く、稚内・コルサコフ航路の関係等、「サハリンを訪ねてみませんか?」という趣旨の広告ポスター等で多用された経過も在ります。

↓敷地の門が未だ開いている午後6時頃だったので、少し建物に近付いてみました。
18SEP2018 church (2).jpg
↑鐘楼の側から強めな光が当り、白い壁の建物の陰影が強調され、背後の「形容し難い美しさの碧空」との対比で、吸い込まれるような感じさえして、暫しぼんやりと眺めてしまいました。

この<復活主教座聖堂>ですが、季節毎、時間帯毎に色々な「見え方」が在って、各々が記憶に残り易いものです。そして「概ね四半世紀」というようなことになるのでしょうが、この地域での教会の活動の歴史が、この建物や辺りの空間の中に刻まれているような、不思議な感じもするような場所です。

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