skip to main | skip to sidebar
ラベル 祖国を想う の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 祖国を想う の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年7月25日水曜日

忘れていません

 オットのTシャツ。
去年、ボランティアした託児所の方がわざわざアメリカまで送ってくれた大切なもの。東北を訪れてから、もう1年が経ったのか。あれからすぐムスメを授かり、ますます命の重みについて考えるようになった。
 忘れていません。そしてまた必ず訪れます!

2011年4月22日金曜日

Japan Disaster Response and Future Assesment

ハーバード大学のJapan Relief Weekの一環として行なわれたシンポジウムに行って来た。会場は満員!http://harvardforjapan.fas.harvard.edu/symposium/
(近々このサイトからシンポジウムを観れるそうな)

マイケルサンデル教授って、日本で有名なのね。NHKで白熱教室とかいう番組やってるって、確か母に聞いて知ったんだけど。私はここに住んでいて、彼のこと全然知らなかった。

医療、原発、景観設計のスペシャリストによるパネルディスカッションも。ぶっつづけ2時間。いろいろ勉強になったけど、個人的に「で、これからどうしたらいいの?」って答えにはたどりつけなかったかも。難しいんだけど。

また、こういう機会があったら参加したい。
なにより、継続して関心を持つ事、長い目で支援していく姿勢が大事かと。
がんばれ日本!

2011年3月25日金曜日

Harvard for Japan

今週は、Harvard for Japanという名で、ハーバード大学付近でいろいろなチャリティーイベントをしている。この間雪が降った日、近くを通りかかったのだけど、懸命に募金活動をしている学生達の姿には心を打たれた。

今日は、そのチャリティーイベントのひとつHarvard Bach society orchestraのコンサートへ。えー、この演奏している人たち皆ハーバードの学生なのー?地震が起きてから1週間後には始まったこのイベント。その企画力、行動力に感服。午後8時から始まったコンサート、結局終わったのは10時を過ぎていた。今、ハーバード大学4年生のヴァイオリニスト五嶋龍さんの演奏もあった。さすがプロだと思ったわ。音色が違うって素人の私にもわかったもの。

このTシャツ買っちゃった。ジムに着ていこう。背中に小さく「がんばれ日本」と書いてある。オーダーフォームはこちら→https://spreadsheets.google.com/viewform?formkey=dFkwZ3h3ZWxRZUVOMXZqdWdiTFVKY0E6MQ

2011年3月18日金曜日

New York Timesの寄稿文

共感したので、コピーしておこうかと。

−−−
危機的状況の中の希望
村上龍

先週の金曜、港町・横浜にある我が家を出て、午後3時前、いつも行く新宿のホテルにチェックインした。普段から私はここに週3〜4日滞在し執筆活動やその他の仕事をしている。

部屋に入ってすぐに地震が起きた。瓦礫の下敷きになると判断し、とっさに水とクッキー、ブランデーのボトルをつかんで頑丈な机の下にもぐりこんだ。今にして思えば、高層30階建てのビルの下敷きになったらブランデーを楽しむどころではないのだが。だが、この行動によってパニックに陥らずにすんだ。

すぐに館内放送で地震警報が流れた。「このホテルは最強度の耐震構造で建設されており、建物が損傷することはありません。ホテルを出ないでください」という放送が、何度かにわたって流された。最初は私も多少懐疑的だった。ホテル側がゲストを安心させようとしているだけではないのかと。

だが、このとき私は直感的に、この地震に対する根本的なスタンスを決めた。少なくとも今この時点では、私よりも状況に通じている人々や機関からの情報を信頼すべきだ。だからこの建物も崩壊しないと信じる、と。そして、建物は崩壊しなかった。

日本人は元来“集団”のルールを信頼し、逆境においては、速やかに協力体制を組織することに優れているといわれてきた。それがいま証明されている。勇猛果敢な復興および救助活動は休みなく続けられ、略奪も起きていない。

しかし集団の目の届かないところでは、我々は自己中心になる。まるで体制に反逆するかのように。そしてそれは実際に起こっている。米やパン、水といった必需品がスーパーの棚から消えた。ガソリンスタンドは枯渇状態だ。品薄状態へのパニックが一時的な買いだめを引き起こしている。集団への忠誠心は試練のときを迎えている。

現時点での最大の不安は福島の原発だ。情報は混乱し、相違している。スリーマイル島の事故より悪い状態だがチェルノブイリよりはましだという説もあれば、放射線ヨードを含んだ風が東京に飛んできているので屋内退避してヨウ素を含む海藻を食べれば放射能の吸収度が抑えられるという説もある。そして、アメリカの友人は西へ逃げろと忠告してきた。

東京を離れる人も多いが、残る人も多い。彼らは「仕事があるから」という。「友達もいるし、ペットもいる」、他にも「チェルノブイリのような壊滅的な状態になっても、福島は東京から170マイルも離れているから大丈夫だ」という人もいる。

私の両親は東京より西にある九州にいるが、私はそこに避難するつもりはない。家族や友人、被災した人々とここに残りたい。残って、彼らを勇気づけたい。彼らが私に勇気をくれているように。

今この時点で、私は新宿のホテルの一室で決心したスタンスを守るつもりでいる。私よりも専門知識の高いソースからの発表、特にインターネットで読んだ科学者や医者、技術者の情報を信じる。彼らの意見や分析はニュースではあまり取り上げられないが、情報は冷静かつ客観的で、正確であり、なによりも信じるに値する。

私が10年前に書いた小説には、中学生が国会でスピーチする場面がある。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」と。

今は逆のことが起きている。避難所では食料、水、薬品不足が深刻化している。東京も物や電力が不足している。生活そのものが脅かされており、政府や電力会社は対応が遅れている。

だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。だから私は信じていく。

原文 (英語)
www.nytimes.com/2011/03/17/opinion/17Murakami.html

2011年3月13日日曜日

胸が締めつけられる大惨事

11日の早朝、妹や友達からのメールで大地震のニュースを知った。それでも仕事に出かけなければならなかったのだが、気になってあまり手につかなかった。それからずっと、パソコンにかじりつくようにニュースを見ている。自然の脅威。映像を見て、何度涙したことか。 2ヶ月前に訪れた仙台、松島。オットもあの仙台空港の映像には茫然としていた。
NHK http://www.ustream.tv/channel/nhk-gtv
TBS http://www.ustream.tv/channel/tbstv

オットの家族、親戚、友達から電話やメールをいただいた。

私の北海道の家族はおかげさまで皆無事。妹と母は地震の直前まで東京にいたのだが、地震が起きたときは北海道に着陸していたのだとか。危うく帰宅難民になるところだったよう。

宮城県はたった2年ほどとはいえ、幼い頃育った場所でもある。そこにあんな大惨事が訪れるなんて。そして今もなお、余震に脅かされながら生活している人たち、取り残されている人、助けを待っている人がいるなんて、本当にいたたまれない。

海の向こうで何もできずにニュース見てるだけ。見守ることしかできないのがもどかしい。
ネットでいろんな義援金募集が広まっているようだけど、信用できる募金窓口を見極めるのも大事なのかと。必要な場所にきちんと届けばいいのだけれど。
募金情報一覧 http://sites.google.com/site/quake20110311jp/bokin

今は、一個人としてできることは少ないけれど、もしも、小さな力でも必要な時期が来たら、現地に駆けつけたいと、オットと話しているところ。

下書きに放置してあるここ2週間の投稿はのちほどアップしますが、しばらく食いしん坊日記はお休みしようかと思っております。
 

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /