2013年03月17日 17:10
石巻灯油大作戦
2/14 『石巻灯油大作戦』
仙台ライブから一夜明け、腹ごしらえに皆で行った「利久」の牛タンにタン鼓みを連打しまくって、石巻へ。
本日は石巻灯油大作戦だっちゃ!
この辺りの人は語尾に「〜ちゃ」をつけがちなんやけど、この方言は「うる星やつらのラムちゃん」を連想させる...
ラムちゃんのあの話し方は、作者の高橋留美子先生が仙台弁をモチーフにして作ったんだとか...。
さて、最初に灯油を届ける11世帯が生活している仮設日和が丘団地に到着して、
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今回、石巻の事をいろいろサポートしてくださった地元で民生委員をなさっている秋月さん、そして灯油業者『渡辺米穀店』のワタナベさんと合流。
ちなみに、秋月さんは俺の大学の先輩のお母さんです(^^)
さらに、クロサワ店長をはじめとするBLUE RESISTANCEチームも応援に駆け付けて来てくれてました!
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ありがとうございます!!!!!
届けに行った先で出会ったノザキさんが震災当時のことや仮設住宅での生活のことなどを話してくださいました。
とにかく元気っぱいなノザキさん。
いろいろ話してるうちに意気投合して、、、
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ハグ。笑
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ノザキさん、いつまでも元気いっぱいでいて下さいね。
また逢える日が来ることを願っています☆
(ちなみに、ノザキさんと俺は同じヘビ年です!)
続いて、12世帯が生活している仮設日和が丘第2団地。
ここはテニスコートの敷地内に建てらています。
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11世帯が生活している仮設泉町団地。
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そして、37世帯が生活している仮設日本製紙団地へ。
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ここで出会った姉妹のようで姉妹じゃないお2人
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このお2人も、ものすごく元気!
ずーーーーっと、喋ってました。笑
あと、灯油を持ってきた俺達に何度も
「コーヒー飲んでくかい?」
「コーヒーはいいかい?」
って、すごく気遣ってくださいました。
「津波に全部流されて何も無くなったんだよ。」
「全部、皆からもらった物。今日着てる服だってそう。」
「けどさー、この服あったかいし、可愛くないかい?」
そう明るく笑顔で話す姿に、俺はあらためて心を突き動かされた。
もう2年近く、この生活を送っているのだ。
そして、東京からやってきた見ず知らずの俺達にあったかい心配りをみせてくれる。
復興までの道のりはまだまだ、まだまだ続く。
俺も、俺達も、その道を一緒に歩んでいこう。
お2人に手をふり、俺達は8世帯が生活している仮設新栄中央団地へ。
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ここは公園に建てられた仮設住宅です。
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敷地内には、このような石碑が...。
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『新なる 栄あれ』
この地域の名前を意味するであろうメッセージ。
震災前に刻まれたこのメッセージは、今、この地域そして被災地のみならず、日本全体に発信されている言葉なんじゃないだろうか。
復興への道のりのスローガンともいえるこの言葉を俺達1人1人の胸にも刻んでおこう。
続いて、30世帯が生活している仮設新栄団地へ。
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写真に写っている1000極さん(ミミカジルのボス)が小さく見えるのは俺だけ?笑
もともと小柄な彼ですが、てっきりレゴブロックかと...。笑
そんな1000レゴブロックさんも自分の体より一回り大きいポリタンクを一生懸命運んでくれたこの場所で出会った年輩のご夫婦がいろいろお話をしてくださいました。
旦那さんは19歳の時にチリ地震津波を経験したそうです。
1960年、チリでM9.5という世界最大規模の地震が発生。
それによって、およそ2〜6mの津波が三陸各地を襲い、大きな被害が生じました。
しかし、東日本大震災ではそれを遥かにしのぐ津波が押し寄せたのです。
このご夫婦は津波からなんとか助かったものの、何もかもを失い、4日間まともな食事をとることができなかったそうです。
「そんな感じでも生きていられたんだから、ちょっとのことぐらい大丈夫だっちゃ!」
そう話してくれたご夫婦も、長引く仮設住宅での生活に不安が募ることが多くなってきているそうです。
仮設住宅も含め、現在およそ31万5千人もの方々が避難生活を余儀なくされています。
きっとその方々も、このご夫婦と同じ心境なのではないでしょうか...。
俺達が次に向かったのは、9世帯が生活している仮設新栄東団地。
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ここも公園に建てられた仮設住宅です。
ここで出会った、ホルモンを聴いてくれてるONE PIECEが大好きなジュン君
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ジュン君。
君はもう立派な"腹ペコの一味"やで!
いつかライブハウスで逢おうぜ!
そして、
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10世帯が生活している仮設井内団地に灯油を届けて石巻灯油大作戦終了!!!!
今回、石巻で届けた灯油はポリタンク107缶分。
灯油を届ける際に、お世話になった渡辺米穀店は陸前稲井駅前にあるんやけど、皆でそこに立ち寄りました。
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ここを走るJR石巻線は震災の影響で一時全線不通でしたが、現在は小牛田〜渡波駅間が復旧しており、さらに渡波〜浦宿駅間が今月16日に運転再開。
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しかしながら、残る不通区間である浦宿〜女川駅間は軌道の損傷、さらに女川駅舎が消失してしまったため復旧の目途は立っていないそうです。
プラットホームから女川駅方面を望む
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ちなみに、震災後、海に出れなくなってしまったクロサワさんは線路上にたまったガレキの撤去作業をしていたそうです。
クロサワさんと同じく海で生計を立ててた方のうち、再び海に戻ったのは半分くらい。
戻ったのは70〜80代の方々がほとんどで、それ以外の世代、特に40〜50代は辞めてしまった方が多いそうです。
クロサワさんは、その後ライブハウスを作るわけですが、それができるまで石巻でのライブは、
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このボーリング場に隣接された『プレナホール』で行われてました。
そんなBLUE RESISTANCE店長 クロサワさん。
普段、口数が決して多い方ではないけど、大好きなバイクの話になると童心に返ったような笑顔で楽しそうにお話してくれます(^^)
あと、灯油大作戦の移動中に住宅地のなかでひときわ目立つ大きな家を見つけては、
「あれ、地主だな」
と、地主に敏感でした。笑
陸前稲井駅前でワタナベさん、BLUE RESISTANCEチームとお別れした俺達。
東京への帰路につこうかと思いきや、秋月さんが俺達のために何やら用意してくれてるっていうことなので、ご自宅にお邪魔しました。
到着した俺達を待っていたは、、、、
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ぐはぁぁああああ!!!!!
秋月ママ特製 SOUP THE PIG
そして、
寿を司るもの!!!!
オトゥティ!!オトゥティ!!
共食いの如く豚汁をすすり、両方の前足を器用に使ってお寿司をいただく。
さらに、ワカメやお酒のお土産まで頂きまして、本来は俺達がお礼しなければならないのに、こんなに手厚いおもてなしを受けるだなんて...。
秋月さん、ありがとうございました!
その優しさ...
クセになってしまいそうです...
俺達に良くないことを教えてしまったかもしれませんよ、秋月さん。笑
とにもかくにも、『ホルモンの東北灯油大作戦』 これにて終了!
今回、俺達のこの活動にご賛同・ご協力くださった皆さん。
本当にありがとうございました!!!!
震災から2年。
時間がかかってしまいましたが、ようやく三陸の地に来ることができました。
このツアーで結んだ「絆」を第一歩として、今後もホルモンなりの支援活動を続けていきたいと思います!
被災地の復興を願う俺達と全国の皆さんの真心をこれからも届けに行きまっせ〜!!!!
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さてさて、秋月家をあとにして帰京するお腹いっぱいの豚さん達。
心地よい疲労感とこのツアーで得た多くの思い出に包まれながら、眠りにつくのでありました。
食べてすぐ寝てしまったので、東京に着くころには牛になってることでしょう。笑
〜今日の「俺たちの太」〜
あのツアーから1ヶ月が経過。
まだまだその余韻が残っているようです。
先日の太様と私、、、、
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偶然のシンクロ。
ビバ☆東北ライブハウス大作戦
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