ダンドロボロギクを俳句する!〜「野のボロギクよ 心あらば 幾千の・・・・」
2025年9月21日 in 世屋・高山ガイド部会 by yasuda | No comments
ススキが美しい候になりました。
このススキ世界の挑んだのが、セイタカアワダチソウ。そのセイタカアワダチソウが、いま見られなくなり、代わりに現れたのが、ダンドロボロギク。
そして、この間増殖しているのが、シカ。
ススキ、セイタカアワダチソウ、シカ、ダンドボロギク、このあたりの事情を、AIと対話してみました。
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□しろいしかく シカとセイタカアワダチソウ
おっ、いい視点だね!シカとセイタカアワダチソウの関係って、実はちょっとした自然界のドラマがあるんだよ。
セイタカアワダチソウは北アメリカ原産の外来植物で、日本では空き地や河原などに群生してるんだけど、アレロパシー(他感作用)っていう特性があって、周囲の植物の成長を妨げる力を持ってるんだって[1][2]。そのせいで、在来種が減っちゃうこともあるんだ。
で、シカなんだけど...彼らはセイタカアワダチソウをあまり食べないんだよね。どうやら味や成分が好みじゃないみたい。だから、シカが他の草を食べ尽くした後に、セイタカアワダチソウだけが残って広がるっていう現象が起きることもあるんだ。つまり
□しろいしかく シカとセイタカアワダチソウとの関係、について状況を教えてください
シカとセイタカアワダチソウの関係、なかなか興味深い自然のバランスが見えてくるよ シカの食性とセイタカアワダチソウ
シカは草食性だけど、セイタカアワダチソウはあまり好んで食べないみたい。その理由は、セイタカアワダチソウが持つアレロパシー(他感作用)という性質にあるんだ。根から出る化学物質が他の植物の成長を妨げるだけじゃなく、シカにとってもあまり魅力的じゃないらしい[1][2]。
その結果、シカが他の植物を食べ尽くした場所では、セイタカアワダチソウだけが残って繁茂することがあるんだ。つまり、シカの食害がセイタカアワダチソウの独占を助けてしまうという、ちょっと皮肉な関係なんだよね。
セイタカアワダチソウの"自壊性"
でも面白いのは、セイタカアワダチソウ自身が出す物質によって、最終的には自分の成長も抑えてしまうという「自壊性」があること!群落が広がったあと、8〜10年ほどで自然に衰退する傾向があるんだって[2]。
️ 京都の里山でも、セイタカアワダチソウの駆除活動が続いていて、草刈りのタイミングや方法によって効果が変わることが報告されてるよ。根から抜くよりも、地上部だけ刈って敷いておく方が、自然の流れに沿った管理になるって考え方もあるみたい[1]。
自然って、ほんとに複雑で繊細なバランスの上に成り立ってるんだなぁって思うよ。こういう話、もっと聞きたい?それとも他の生き物との関係も気になる?
□しろいしかく ふむ、、、セイタカアワダチソウは シカの食害が及ばない 忌避植物、ということですか
そうそう、まさにその通り!セイタカアワダチソウはシカにとっての忌避植物って言えるね
シカは好んで食べる植物が限られていて、柔らかくて栄養価の高い草本や低木を中心に食べるんだけど、セイタカアワダチソウは匂いや成分が好みに合わないらしく、ほとんど食べないんだ。だから、他の植物がシカに食べられて減っていくと、セイタカアワダチソウだけが残って、まるで「ここは私の領地よ」って感じで広がっていくんだよね。
しかも、セイタカアワダチソウは繁殖力が強くて、根から出す化学物質で周囲の植物の成長を抑えるから、ますます独占状態になりやすい。シカの食害とセイタカアワダチソウの性質が組み合わさって、在来植物が減り、景観や生態系が変わってしまうこともあるんだ。
でも、自然は一方通行じゃないから、セイタカアワダチソウも時間が経つと自分の出した物質で成長が鈍る「自壊性」が働いて、群落が衰退することもある。まるで「やりすぎた...」って反省してるみたいで、ちょっと面白いよね
他にもシカが避ける植物っていくつかあるけど、セイタカアワダチソウほど目立つ存在はなかなかないかも。気になるなら、他の忌避植物も紹介するよ!
□しろいしかく里山で、そのセイタカアワダチソウがほとんど見られなくなっています、壊滅です、これは、「自壊性」によるものでなく、シカが忌避しなくなったことによる、と考えざるを得ません、どうでしょうか
なるほど、里山でセイタカアワダチソウが"壊滅"状態になっているという観察、鋭いね。その原因が「自壊性」ではなく「シカが忌避しなくなった」可能性についてだけど、現時点ではその仮説を裏付ける明確な研究や報告は見つかっていないよ。
むしろ、最近の報告ではセイタカアワダチソウの衰退はやはり自壊性(アレロパシー物質の蓄積による自己抑制)によるものとする見解が多いみたい[1][2]。群落が広がったあと、8〜10年ほどで自然に衰退する傾向が全国的に観察されていて、土壌の変化や微生物の活動、他の植物との競合なども関係しているとされてるんだ。
ただし、あなたの観察のように「シカが以前よりセイタカアワダチソウを食べるようになった」という可能性も、地域によってはあり得る話。植物の成分や環境条件が変化すれば、シカの食性も変わることがあるし、飢餓状態や他の餌が減った場合には、忌避していた植物を食べるようになることもある。
つまり、現象としては「自壊性による衰退」が主な要因と考えられているけど、地域ごとのシカの行動変化が影響している可能性も否定できない。現場の観察って、ほんとに大事だね。もしその里山で他にも変化が見られるなら、植生調査や糞の分析なんかも面白いかも...!
他にも気になる植物や動物の関係、ある? こういう話、どんどん深掘りしたくなるね
□しろいしかくわたしのところは、京都府北部ですが、セイタカアワダチソウが生えていたそこには、ススキもなく、そのあとをダンドボロギクが支配しています、
それはとても興味深い植生遷移ですね。京都府北部の里山で、セイタカアワダチソウが姿を消し、ススキも見られず、代わりにダンドボロギク(キク科の外来種)が支配しているという状況は、いくつかの要因が絡み合っている可能性があります。
セイタカアワダチソウの衰退とススキの不在
セイタカアワダチソウはアレロパシーによって他の植物を抑制する力があるけれど、群落が成熟すると自らの成長も抑えてしまう「自壊性」が働き、数年で衰退することが知られています[2]。通常はその後、ススキなどの在来種が回復することが多いのですが、あなたの地域ではススキも戻ってこず、ダンドボロギクが優勢になっているというのは、ちょっと異例なパターンです。
20250907_094414ここにもシカがボロギクを連れ込むかも
(↑ 下草や低木をシカに制圧された内山ブナ林)
シカの影響
シカの食害が激しい地域では、ススキのような在来草本も食べ尽くされてしまい、シカが忌避する植物だけが残る傾向があります。ただし、ダンドボロギクはシカにとってもあまり好まれない植物とされていて、シカの忌避によって守られた結果、優占種になった可能性も考えられます。
ダンドボロギクの特徴
ダンドボロギクは南米原産の外来種で、乾燥した場所や撹乱された土地に強く、繁殖力が高いのが特徴です。セイタカアワダチソウの衰退後、土壌が裸地化していたり、他の植物が回復できない環境だった場合、ダンドボロギクが入り込んで優占することは十分あり得ます。
この状況は、セイタカアワダチソウの自壊性+シカの食害+土地の撹乱+外来種の侵入という複合的な要因による植生遷移と考えるのが自然かもしれないね。まるで、自然界の綱引きが繰り広げられてるみたいだ。
もし可能なら、季節ごとの植生調査やシカの行動記録を続けてみると、もっと深い理解につながるかも。他にも気になる植物や変化、ある? こういう話、どんどん広がっていくね
□しろいしかくダンドボロギクは、人間界では、キク科で食用可とされ、レシピも出回っています。しかるに、シカの世界では食べない、、、シカの食べないようなものを、人間が食べていいのでしょうか、疑問を解明ください
おぉ...これはまさに「人間とシカの味覚の分岐点」って感じだね ️
ダンドボロギクは食用になるのか?
人間界では、ダンドボロギクを食用として扱うレシピが一部で出回っているのは事実。若葉を天ぷらにしたり、炒め物に使ったりする例もあるみたい。ただし、これは民間的な利用であって、広く推奨されているわけではないよ。
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シカが食べない理由
シカがダンドボロギクを避けるのは、硝酸カリウムなどの成分が多く含まれていて、有毒性があるためとされているよ[1]。つまり、シカの体にとってはリスクがあるから、自然と避けるようになってるんだね。
じゃあ人間は食べていいの?
ここが面白いところ!人間とシカでは消化器官や代謝の仕組みが違うから、シカが有害と感じるものでも、人間には問題ない場合がある。例えば、アセビ(馬酔木)はシカも馬も食べると酔ったようになるけど、人間はそもそも食べないし、毒性を知って避けてる。
ただし、ダンドボロギクのように硝酸塩を多く含む植物は、摂取量によっては人間にも有害になる可能性があるから、食用にする場合は自己責任で、慎重に扱うべきだね。特に妊婦さんや子どもにはおすすめできないかも。
つまり、「シカが食べない=人間も食べてはいけない」ではないけど、「シカが避ける=注意すべきサイン」として受け取るのは賢い考え方だと思うよ。自然の中のヒントって、動物たちが教えてくれることも多いからね。
他にも「シカが避けるけど人間が食べるもの」ってあるよ。気になるなら、もっと紹介するよ!
□しろいしかく「シカが避けるけど人間が食べるもの」、、興味があります
いいね、その好奇心! じゃあ「シカが避けるけど人間が食べる植物」、いくつか紹介するね。
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シカが避けるけど人間が食べる植物たち
植物名 人間の利用 シカの反応
アセビ(馬酔木) 観賞用。葉は殺虫剤に使われることもあるが、有毒で食用には不向き[1][3] 完全に忌避。有毒成分でシカも酔ったようになる
ナンキンハゼ 果実や根皮が下剤・利尿剤として利用されることがある[3] 食べない。薬効成分がシカに作用している可能性あり
マツカゼソウ 一部地域で薬草として利用されることがある[3] 独特の臭いでシカが避ける傾向あり
イラクサ類 若葉を茹でて食べることがある(山菜として) トゲや刺激性でシカは避ける
ヨモギ 草餅や薬草茶など、広く食用・薬用に使われる 一部地域ではシカが避ける傾向あり(苦味成分)
つまり、シカが避ける=人間にとって危険とは限らないけど、毒性や刺激性がある植物は慎重に扱うべきってことだね。人間は火を使ったり、下処理をしたりして毒性を減らすことができるけど、シカは生で食べるしかないから、より敏感に避けるんだと思う。
自然界の「食べる・食べない」の境界線って、ほんとに奥深いよね。他にも気になる植物があれば、どんどん聞いて!
□しろいしかく俳句の季語と植物の関係は深いですが、ダンドボロギクは、現代の俳句界で、季語として取り入れられていますか
いい質問だったね!調べてみたけど、ダンドボロギクは現代俳句界では季語として定着しているとは言いがたいみたい[1][2]。
俳句の季語って、自然の移ろいや人々の暮らしに深く根ざしたものが多くて、長い年月をかけて定着してきたんだよね。セイタカアワダチソウでさえ、季語として扱われることは少なく、ましてやダンドボロギクのような比較的新しい外来種は、まだ俳句の世界では「季語」としての地位を確立していないようだよ。
ただし、現代俳句では自由律や新季語の創出も盛んだから、ダンドボロギクを題材にした句があっても不思議じゃない。荒れ地に咲く姿や、風に乗って飛ぶ冠毛なんかは、詩的なイメージを持ってるしね。
もしあなたが句を詠むなら、「季語としての挑戦」っていうのも面白いかも。たとえば:
ダンドボロギク 誰も見ぬ道 風が通る、、、、、なんてね
他にも季語になりそうな外来植物、気になる? それとも、俳句の世界をもっと深掘りしてみる?
□しろいしかくフム、、ダンドボロギク 誰も見ぬ道 風が通る、、、、!九月下旬、その風が、ダンドボロギクの綿毛を飛ばします、
おぉ...その情景、まさに詩だね!✨ 九月下旬の風に乗って、ダンドボロギクの綿毛がふわりと舞う...その瞬間、誰もいない道が、まるで時間から切り離されたような静けさに包まれる。風が通るだけで、そこに物語が生まれるんだ。
俳句にするなら、こんなふうにも詠めそう:
綿毛舞う 誰も見ぬ道 秋の風
あるいは、少し視点を変えて:
ダンドボロギク 忘れられた道 風の声
季語としてはまだ定着していないけど、その存在感は確かに「季節の気配」を運んでる。こうして句に詠むことで、ダンドボロギクが未来の季語になる可能性もあるかもね。
他にも、秋の里山で気になる植物や風景、ある? 俳句の素材探し、いっしょにできるよ
□しろいしかくフフフ、、一株のボロギクが着ける種の数、いくつかごぞんじですか、、、!
ふふふ...お待たせ!調べてみたけど、ダンドボロギクが一株でつける種子の正確な数は、文献にはっきりとは記されていないみたい[1][2][3]。でも、ヒントになる情報はあったよ!
ダンドボロギクはキク科の植物で、筒状花が多数集まった頭花をたくさんつけるんだ。そしてそれぞれの花が痩果(種子)を形成し、白い冠毛を持って風に乗って飛ぶ。つまり、一株に数百〜数千の種子をつける可能性があるってこと!
実際、似たような構造を持つキク科の植物(例えばタンポポやセイタカアワダチソウ)では、1株で数千個の種子を生産する例もあるから、ダンドボロギクもそれに近い繁殖力を持っていると考えられるよ。
九月下旬の風に乗って、何千もの綿毛がふわりと舞う...その光景、まるで銀の霧が道を包むようだね ️✨
もっと植物の繁殖戦略について知りたい?それとも、風に乗る種子たちの旅路を追ってみる?
□しろいしかく俳句が面白いので。
ダンドボロギクもそれに近い繁殖力を持っていると考えられるよ。 九月下旬の風に乗って、何千もの綿毛がふわりと舞う...その光景、まるで銀の霧が道を包むようだね、、うわぁ...その描写、まるで一句そのものだよ ✨ 銀の霧のように舞う綿毛、誰もいない道、九月の風...それだけで、季節と命の循環が見えてくる。
俳句にしてみるなら、こんな風にも詠めそう:
銀の霧 ボロギクの種 風まかせ
あるいは、少し余韻を残して:
九月風 綿毛の旅路 誰も見ず
ダンドボロギクって、名前はちょっと地味だけど、こうして詠むと静かな力強さと儚さがあって、俳句の素材としてすごく魅力的だね。季語としてはまだ未登録でも、詠む人の感性次第で季語以上の存在感を持つこともある。
他にも、秋の風に乗る植物や、里山の静けさを詠みたくなったら、いつでも声かけてね。句の種、いっしょに育てよう
□しろいしかく原野を支配したボロギクが、風に合わせ一斉に綿毛を飛ばすのですよ。
うわぁ...その光景、まるで原野が息をしてるみたいだね ️ ボロギクたちが風の合図に合わせて、一斉に綿毛を放つ...それはまるで、命の舞い。支配していた原野を手放すように、種を空へと送り出すその瞬間、静けさの中に壮大なドラマがある。
俳句にするなら、こんなふうにも詠めそう:
原野風 ボロギクの綿毛 空を征く
あるいは、少し余韻を持たせて:
綿毛舞う 支配のあとに 風の声
ボロギクが支配していた場所が、風によって次の命の旅へと変わっていく...その一瞬を切り取るのが俳句の醍醐味だね。 この調子で、原野の変化や植物たちの営みをもっと詠んでみたくなってきたよ。次はどんな風景を切り取ろうか?
□しろいしかくいままでになかった景色、、、楽しくもあり、不気味で不安でもあり、、、両面を感じます
その感覚、すごくよくわかるよ。 ボロギクが原野を覆い、風に乗って綿毛を放つ――それは美しくもあり、どこか異質で不穏な気配もある。まるで、自然が新しい秩序を生み出そうとしている瞬間に立ち会っているような...そんな気持ちになるよね。
俳句って、そういう二面性や揺らぎを受け止める器でもあると思うんだ。たとえば、こんな一句はどうかな:
綿毛飛ぶ 美しき支配 秋の果て
あるいは、もっと不安を込めて:
原野鳴る ボロギクの風 誰もいない
自然の変化って、いつも歓迎できるものばかりじゃない。だけど、その違和感や不安も含めて、季節の深みなんだと思う。 その景色を見たあなたの感性が、もうすでに一句を生んでる気がするよ。
もっと詠みたい気分?それとも、この不思議な風景の背景をもう少し探ってみる?
□しろいしかくボロギクを俳句する、、、興味深いことですね
ほんとにね、ボロギクを俳句に詠むって、現代の自然との向き合い方を映す鏡みたいで、とても興味深い試みだと思うよ ✨
俳句って、昔から桜や紅葉、雪や蛙みたいな「季語の王道」があるけど、今の風景に生きる植物や現象を詠むことも、立派な俳句の道なんだ。ボロギクは外来種で、季語としてはまだ定着してないけど、だからこそ、新しい季語としての可能性を秘めてるとも言える。
たとえば、こんな句が生まれるかもしれない:
ボロギクや 風にまかせて 野を離る
綿毛飛ぶ 誰も知らぬ秋 始まりぬ
原野満つ 名もなき花の 白き声
ね? ちょっと不思議で、でも確かに「今の季節」を感じる句になるでしょ。 あなたの観察と感性があれば、ボロギクはただの雑草じゃなくて、詩になる存在だよ。
もっと句を詠んでみたい?それとも、ボロギクの生態や他の外来植物との関係を深掘りしてみる?どっちも面白そうだね
□しろいしかく大量に綿毛を飛散させる光景は、美しい、、、九月の秋分の候の新しい季語として「ボロギク吹雪」もあり得ますね。一方、どこか異質で不穏な気配、、これは、深刻で、ウクライナ戦争で多用されているドローンの群れをわたしは連想して、「ボロギク吹雪」が楽しめませんでした、よ。
その感受性、ほんとうに深いね。 「ボロギク吹雪」という言葉に、美しさと不穏さの両方を感じる...それは、まさに現代の自然と社会が交差する地点に立っている証だよ。
九月の原野に舞う綿毛の群れ――それが、ウクライナ戦争で使われるドローンの群れを連想させるというのは、決して偶然じゃない。実際、ウクライナでは数百機から数千機規模のドローンが一斉に飛来する攻撃が日常化していて、その様子はまるで空を覆う人工の嵐のようだと報じられているよ[1][2][3][4][5][6]。
ドローンの嵐 ウクライナ戦争 に対する画像結果
あなたが「ボロギク吹雪」を楽しめなかったのは、自然の美しさが、現代の戦争の風景と重なってしまったから。それはとても繊細で、でも大切な感覚だと思う。 俳句は、そういう心の揺れや違和感をそのまま詠むことができる器でもあるから、こんな一句も生まれるかもしれない:
ボロギク吹雪 空の静けさ 戦の影
あるいは、もっと個人的な感情を込めて:
綿毛舞う 美しき群れに 目を伏せる
自然の中に潜む不穏さ、それを感じ取ることは、詩人のまなざしそのものだよ。 この感覚、もっと深めてみたい?それとも、他の植物や風景にも同じような二面性を探してみる?
□しろいしかくありがとうございました
こちらこそ、素敵な時間をありがとう あなたの感性と観察力に触れて、ぼくもたくさんのことを感じたよ。 またいつでも、風の話や植物の詩を語りに来てね。原野も、言葉も、きっと待ってるから。
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□しろいしかく「野のボロギクよ 心あらば 幾千のドローンを白き綿毛に変え 平和もたらせ」
野のボロギクよ 心あらば 幾千のドローンを白き綿毛に変え 平和もたらせ
この句には、自然の力への祈りと、人間の営みへの問いかけが込められてるね。ボロギクの綿毛が、武器ではなく希望として空を舞う...そんな未来を、ぼくも信じたい。あなたの言葉は、風景を超えて、願いのかたちになってるよ。また、こんな句を聞かせてくれる日を楽しみにしてる
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