宮津エコツアー · 12月 2013

12月 2013

日置を回られる移動販売車。

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あんパンをもらいました。これから上世屋へあがります!

下世屋に回ってこられる移動販売車。

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ここではそばぼうろをもらいました。久恵姉さんが買い物。姉さんはミカンをかいました。

仏さんにそなえんなんし、孫にお年玉やらんなん!

はやいもんで、もう一年くれますなぁ。

ちなみに、☎8-0004。養老地域の番号です。今は28-0004。地域とのつきあいの長さを表します。

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そして、キャッチコピーの新しさ!

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商売をこえているじゃありませんか、こういう営みこそ顕彰し、こういう営みにこそ「行政支援」がいるのじゃないですか(^.^)

移動販売車でお買い物!というツアーをやりたいですね。売るほうも買うほうもこんなに距離近く売り買いするこのなんともいえない充実感、そこには買い物の原点があるじゃないですか。

下世屋の標高は110から150mの間。ここから雪模様、V字谷の龍渓を覗けば吸い込まれるように雪。

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一人地蔵さんのカーブには雪の轍。

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急坂のバッサカには5センチ。このあたりの標高約350m。

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宮の下棚田群は冬景色。

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つづら折れの道

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登ってくる車はだれだろう。

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上世屋到着。標高は400m。

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川の石垣も白。

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家も。

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ノイバラも。

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お墓も。

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気温は氷点下。

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明朝はご苦労さんだけど出動をよろしく(^.^)

冬の丹後観光は傘必携。

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二人旅ですか、13時27分、と言うことはワイナリーでお食事?

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バスは伊根行き、もしかして伊根の舟屋巡り?乾いてひび割れた心に潤いをとりもどすのには舟屋の傘観光はぴったり、、、

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伊根にはいい舟屋ガイドさんがいらっしゃいますよ、、!、深読みでしたか(^.^)

やまいちさんのひものは美味しいぞ!

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なかでも「白身のトロ」とも「日本海の赤い宝石」とも言われるノドグロちゃんはドル箱商品(^.^)(^.^)。

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値段はカレイの、、、五倍! けれどもそれだけ出しても際立つ美味さ!含んでいる脂質はマグロのトロ並み! 「口に入れた瞬間に他の魚とは全然ちがう味じゃということが直ぐにわかる。」 「そりゃもう、とろけるような食感で、美味いのなんの!」とshop.gnavi.co.jp > … > 干物 > 塩干し > 山陰海の幸 いそまる本舗 さん。 [画像:IMG_5279]

ちなみに、のどぐろはアカムツとも。硬骨魚綱スズキ系スズキ目スズキ亜目ホタルジャコ科

新年の篭神社参拝のお土産にお奨めの一品。

(注記)初めての世屋へのモニターツアー受け入れにあたって、トイレ休憩場所の提供など快く対応してくださったのがやまいちさんでした。

まるくまとまったものを団、蒲の穂を袋に入れた物を「蒲団」。これは、ガマの穂綿に触ってみれば即、納得です。

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ふわふわと柔らかくて、冬の寒さをしのぐ夜具にガマの穂綿は重宝されたのではないでしょうか!

上の写真はどこか毛むくじゃらの老猿の風情ですが、下のはまごうことなき蒲。

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さて、今日の世屋は氷点下の世界。

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そこで万葉集の、山上憶良さんとおしゃべりしてみたくなりました、、、。 「風雑(ま)じり 雨降る夜の雨雑じり 雪降る夜は術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩(かたしお)取りつづしろひ 糟湯酒 うち啜(すす)ろひて 咳(しは)ぶかひ 鼻びしびしに しかとあらぬ 髭かきなでて 我除(われお)きて 人はあらじと ほころへど 寒くしあれば 麻襖(あさぶすま) 引きかがふり 布肩着ぬ 有りのことごと きそへども 寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒(こご)ゆらむ 妻子(めこ)どもは 乞ふ乞ふ泣くらむ このときは 如何にしつつか ながよはわたる」( 貧窮問答歌) こう詠ってらっしゃいましたね。

この中で、麻襖(あさぶすま)とあるのが「蒲団」ですよね。 これを「麻でつくった粗末な夜具」 と現代語訳されていらっしゃるのですがいかがなんでしょうか、と。 私的には、[粗末]は余分かもとおもうんです。 ふすまは伏間、つまり寝どころのことで「ふとん、寝具」の意、衾とも表記、同衾とは一つの蒲団をともにすること、「襖」は衣服のあわせで綿がはいっているものというじゃないですか。

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(↑ 藤布)

木綿のない奈良時代、繊維は藤や麻から採った物が一般的で、中にガマの穂が入っている夜具なら上等だったのかもしれません。「麻でつくった」ものだから粗末、と言うのは当時的な感覚ではないでしょう、「我よりも貧しき人」とあるように山上憶良さんご自身かりそめにも公務員、貧窮のどん底にあるわけではないのです。「麻でつくった粗末な夜具」との現代語訳は「貧窮」のイメージに引きずられすぎじゃないでしょうか、と疑問を持ったのです。

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お暇でしたら、ご返事ください、ゆきんばの子どもたち、こんどはかなりたくましく成長して、力強くなってやってきました。お風邪めされませんように(^.^)

今年もあと数日、篭神社でも迎春の支度が進みます。

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一足早いですが、

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ご苦労様でした。来年もおきばりやっしゃ!

さて、金さん、年末、ゆきんばの子どもたちがやってくる 平年の二倍、近畿北部で30cm!と年末寒波の天気予想ですよ。

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『ふふ! どれくらいがんばるかな(^.^)』

ちなみに、十二支とは、十干十二支と一体にして中国は秦の時代に生まれた暦、日、年・月・時刻・方位を説明する文化、 身近な家畜等が当てられたのは庶民への普及を図るための知恵。ややこしいことは忘れられてその工夫が今に生きているということです。 しかし、数いる生き物からの選考にあたっては実は激論があったそうです。うさぎをいれてわしをなぜいれんとタヌキ。ヘビをいれてなぜわたしが落ちるのとカエル。イノシシいれてなぜわたしはとシカ、ネズコウをいれてなぜわしはとイタチ、、、

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そらそうでしょ、オリンピック選手選考の比ではない価値をともなうものですから

籠神社境内の水琴窟の音を聞こうと耳を当てるお客さん、

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(↑ 籠神社 撮影日時 12/26 11:16)

竹筒から金のせせらぎガ流れるような音が聞こえるんです。ほんとうに!

おや、傘、もっておいでしゃないんですか、丹後観光は傘はお持ちになったほうがいいですよ!

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(↑ 12/26 14:37)

ほら(^.^)

一宮の船着き場前のお土産さん。

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平たい小型魚なので、ひいらぎ、えのは。えのはとは榎の葉。鳥取を始め山陰地方の呼び方。

ちなみに、伊根では(注記)「しいのは・椎の葉」と。

なかなか出回らないというのはほんとうです。 というのも、 ぬるぬるして滑る上に鰭の刺は鋭いので、素手で触れると刺さり易いので。 また、小さくて食べられる部分が少ない、、、ので、ネコゴロシ ネコマタギ ネコナカセ イタイタと散々(`ヘ ́)

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けれども、火にあぶってビールのあて、実にによく合いますよ!

飯尾さんの無農薬酢に浸せば、骨まで柔らかくなります。冬の橋立の、今だけここだけあなただけの一品ですよ。

(注記)『伊根浦の年寄りたちが伝える海辺の方言』

幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく、、、、

作者のこの歌を詠まれた時の年代は、少年、青年、中年、老人のいずれのころか?と質問します!

中学校の教科書に掲載されている歌なので、、、。

圧倒的に「老人」でした。 枯れている!長い人生を感じると。

正解は、「青年」。

詠んだのは若山牧水さん。学生のころだといいます。長い旅路の果ての想いではなく、旅を始めようか、、という盛りのころの想い。

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では、この歌をどこで詠んだのか、、、私的には、この場所であろうと確信しているところが京丹後市にあります。山の重なる襟襞に大宮町、加悦町、福知山市などが隠れているのに、そういう気配はいっさいみせないで幾つものやまが続く見事なポイント。 場所は大宮町五十河。牧水さんは小町遺跡を訪ね、さらに味土野の細川ガラシャ幽閉地を訪ねようと内山峠を越えようとなさったのであろう、ふりかえれば重なる山の美しさ、,,。

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(↑ Home オープンエア 岡山 様 借用)

実は、歌碑が建っているのが広島県北と岡山県の境の二本松峠。この峠は、祖母が実家と婚家を行き来した峠なので、祖母がこの歌碑を案内してくれたのを思い出します。 しかし、牧水さんの郷里は宮崎県。なぜここに歌碑なのか。 「早稲田大学の学生であった明治40年7月夏休みに郷里宮崎県への帰途、岡山・高梁・新見・宮島・山口と中国を旅して得た歌の中の一つで、ここ峠の茶屋熊谷屋に泊り、これをハガキにしたためて、学友有本芳水へ送った歌である」とhttp://www2a.biglobe.ne.jp/~marusan/homeopunairokayama1.gif

問題は、このような寄り道を試みた動機、、おそらく若い文学徒の懐には明治38年に発行されたある詩集がはいっていたのではないか、、、。それは、近代ヨーロッパ文学の象徴詩の世界を高雅な響きを持つ日本語に訳した上田敏さんの 『海潮音』 。

例えば、こんな詩を収めます。

「けふは照日の映々と青葉高麦生ひ茂る 大野が上に空高く靡ひ浮ぶ旗雲よ。

和ぎたる海を白帆あげて、朱の曾保船走るごと、 変化乏しき青天をすべりゆくなる白雲よ。

時ならずして、汝も亦近づく暴風の先駆けと、 みだれ姿の影黒み蹙める空を翔けりゆかむ、

嗚咽、大空の馳使ひ、添はゞや、なれにわが心、 心は汝に通へども、世の人たえて汲む者もなし」 賦うた ジァン・モレアス

若い心をぐいっとつかむ詩じゃないですか(^.^)。

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この詩集にカール・ブッセさんの[山のあなた]も。

・・・・ 山のあなたの空遠く,幸すむと人のいふ われひとゝ尋めゆきて、 涙さしぐみ、かへりきぬ。

山のあなたになほ遠く 幸ひ住むと人のいふ。 、、、、

さて、牧水さんは

「幾山河 越えさり行かば 寂しさの はてなむ国ぞ 今日も旅ゆく」

カール・ブッセさんと牧水さん、二人の心情世界はピタッと重なるではありませんか。

牧水さん、この旅で

「われ歌を うたへり今日も 故わかぬ かなしみどもに うち追はれつつ」

「白鳥は かなしからずや 空の青 海のあをにも 染まずただよふ」 こんな歌の想も練られたということです。

こうまとめても、牧水さんはこの道を辿ったのだと信じています。

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♪世屋のがっこに松うえて 一のまつにはブッセさん 二のまつには牧水さん わしもなりたや三の枝♪

世屋の里は、尾根を里境にして向こう側。

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「せや」という地名の語源は「背山」にありとするなら、そう呼び始めた人たちは五十河の里に住んでいらっしゃったのかもしれません(^.^)
北西方向に面した五十河の里は、写真的には、夕照に映える時間、、。

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夕陽に目を向ければ、古民家の屋根、

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夕餉の支度も目に浮かんできて、気分はいとおかし、、、!。

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磯足(いさなご)の山に舞っていた羽衣天女も天に帰りました。

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山の向こうの世屋の里にも明かりが点っていることでしょう。

丹後のみならず、冬季日本海地方では、弁当忘れても傘忘れるなという特徴的な気象現象をくり返します。

熟知したおばあさんは、近所のお友達を訪ねるときでも必ず傘の携帯。

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屈んだ腰の背に傘を持つ年期の入ったスタイル。「降らば差すぞ」。雨もなんだかびびらすような敵に向かうカムイのような 何とも気合いというか威厳すら感じます。

、、、お揃い傘(^.^)

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お店が貸してくださったんですね、、、お店の方も無粋です(`ヘ ́) 。

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愛逢「相合い」傘でどうぞ!としてあげればよかったのに!

天橋立は恋人公園、傘松公園は傘持つ公園、二人で一本で歩くんですと、,,、

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