今や介護の社会化は多くの方々に受け入れられ、この法人が誕生した措置の時代との認識は大きく異なりました。
でも、介護保険制度となって誰もが必要なときに必要なサービスを受けられるようになったと勘違いしていないでしょうか。
制度が定着しサービス量も増え、在宅か入居を選択しながら老後の過ごし方を考えるなどと言うのは、厳しい現実に目を向けていないのかもしれませんよ。
地域の縮小化、人口の減少に気づくことなく、一見すると過ごしやすく車社会で広がった生活圏域は、医療・行政・金融(農協・郵便局・銀行など)・教育・警察(駐在所や交番)機関などが集約され、全ては自己責任となり、判断や活動能力等に課題を抱える方々には、安心や安全は厳しい時代の到来になっているやもしれません。
2040年を視野におく地域包括ケアシステムを穿った見方をすると、限られた事業所、不足する介護職員に頼られないから健康寿命の大切さを説いているのか、財源の問題なのか、もっと正直にインパクトある危機感を持って説明することが大切でしょう。
その説明は、国か、身近な行政か、学者か、誰なんでしょうか。
数年先の(近い将来)当事者や、そこに関わりのある方々には、介護従事者不足への意識が希薄のように感じます。
自分たちはこの制度が定着し、どんどん良い方向に向かうので安心という考えが強いのではないでしょうか。でも、こうした考えは、人手不足をやり過ごし、今後、危機が深まるなかで、誰しもが厳しい現実に目を向けなければならなくなるでしょう。
だから、誰が危機感の説明をするのでしょうか。
えっ!事業所だって!(そ、そんな・・・)
とにもかくにも、介護職員の不足に危機感を持てなかったつけが、どう影響してくるのか。
一法人の課題ではなく、法人連携の在り方や行政関与の在り方が(指導監督の次元より、法人支援の方法を打ち出さないと消滅の危機に瀕するので)、地域のこととして問われていると考えます。
どういう社会に住みたいか、どんな介護の社会化なのか、どういうサービスにしたいのか、心構えと覚悟に基づくその価値観はどうでしょうか。今までの介護観(価値観)に新しい価値観を作る時期かと思えます。
さあ、今日は意味不明な真面目さがありました。
これからの縮小社会に、どう進んで行ったら良いのやら、誰か教えてください。
でも、介護保険制度となって誰もが必要なときに必要なサービスを受けられるようになったと勘違いしていないでしょうか。
制度が定着しサービス量も増え、在宅か入居を選択しながら老後の過ごし方を考えるなどと言うのは、厳しい現実に目を向けていないのかもしれませんよ。
地域の縮小化、人口の減少に気づくことなく、一見すると過ごしやすく車社会で広がった生活圏域は、医療・行政・金融(農協・郵便局・銀行など)・教育・警察(駐在所や交番)機関などが集約され、全ては自己責任となり、判断や活動能力等に課題を抱える方々には、安心や安全は厳しい時代の到来になっているやもしれません。
2040年を視野におく地域包括ケアシステムを穿った見方をすると、限られた事業所、不足する介護職員に頼られないから健康寿命の大切さを説いているのか、財源の問題なのか、もっと正直にインパクトある危機感を持って説明することが大切でしょう。
その説明は、国か、身近な行政か、学者か、誰なんでしょうか。
数年先の(近い将来)当事者や、そこに関わりのある方々には、介護従事者不足への意識が希薄のように感じます。
自分たちはこの制度が定着し、どんどん良い方向に向かうので安心という考えが強いのではないでしょうか。でも、こうした考えは、人手不足をやり過ごし、今後、危機が深まるなかで、誰しもが厳しい現実に目を向けなければならなくなるでしょう。
だから、誰が危機感の説明をするのでしょうか。
えっ!事業所だって!(そ、そんな・・・)
とにもかくにも、介護職員の不足に危機感を持てなかったつけが、どう影響してくるのか。
一法人の課題ではなく、法人連携の在り方や行政関与の在り方が(指導監督の次元より、法人支援の方法を打ち出さないと消滅の危機に瀕するので)、地域のこととして問われていると考えます。
どういう社会に住みたいか、どんな介護の社会化なのか、どういうサービスにしたいのか、心構えと覚悟に基づくその価値観はどうでしょうか。今までの介護観(価値観)に新しい価値観を作る時期かと思えます。
さあ、今日は意味不明な真面目さがありました。
これからの縮小社会に、どう進んで行ったら良いのやら、誰か教えてください。
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