ご心配くださいました皆様、ありがとうございます。
今日で20年度が終了です。早いなぁ、3月31日です。
ブログ投稿サボりました。まさかこんなに長く休んでしまうとは、、、。
この間、いろんな方々からご心配をいただき、申し訳なく思っています。
主催者の立場にて大きく関わる研修会(秋田県地域包括・在宅介護支援センター協議会研修会)を体調不良で(投げ出すように)欠席してから、もぉーだめ。ブログの投稿に気持ちは向かず、今年度最終日を迎えてしまいました。そんな崩壊状態にも関わらず、忍耐力を持って訪問してくださいましたみな様に、先ずは感謝申しあげます。ありがとうございます。
さて、私的動向の紹介は結構と言われそうですが、2月の振り返りです。
9日は、秋田県老人福祉施設協議会施設長研修会でした。湯沢市のセミナーでお会いさせて頂いた厚生労働省老健局計画課課長補佐. 田仲教泰氏と、社会福祉法人神戸福生会理事長.中辻直行氏の、お二人の講演を伺ってきました。なお、中辻氏には夜遅くまでお付き合いを願っては、相当なご無理をさせたみたいで、反省でした。
12日(木)は全国地域包括・在宅介護支援センター研修会でした。
研修委員としての責任を思い、状況が許せるかなと感じ、にわかに霞ヶ関の全社協で研修会でした。打ち合わせなどないままシンポジウムの進行をやらせていただきました。役得でしょうね、出版されたばかりの白澤先生のブログをまとめた福祉のアゴラをいただきました。そうです、白澤先生が助言者であり、サイン入りでいただいたのです。白澤先生ブログ福祉のアゴラ
私の名前の横に敬天愛人の言葉を添えてくださりました。もぉ〜有頂天、早く本を持って帰りたい。そして見せびらかしたいの気持ちでいっぱいになったのです。
で、ですが、早く帰りたいと思いつつ、夜は学生時代の先輩や、仲間と共に飲って来ました。
先輩である三遊亭右紋師匠に柳家権太楼師匠もお見えです。今夜は仕事を入れずに、みなさんとのお付き合いです。ありがたいですよ。
翌日は朝帰りでして、園に着いたのは午後からです。そして、夕方は横手市増田町のいきいきの郷にお邪魔でした。特養のこれからみたいな話で、職員のみな様とお勉強会でした。
そしてこの日、13日の金曜日でしたが、私に若い職員からのプレゼントがあったのです。厄日や大凶のイメージ日なのですが、明日のバレンタインデーにと、手作りチョコやクッキーを持ってきてくれたのでした。予期せぬ贈り物に感激したのでした。
今年の運を全部使い切ってしまったかもしれません。今にして思えば、ここらいら辺から、妙に調子こいた感があります。
さて、14日(土)は恒例の道の駅おがち雪まつり。カラー雪像コンテストです。私は会場に行ったのは午前、そこでは愛光園チームjが仕上げを行っていました。我が平成園の雪像は雨風からシートで保護されており、仕上げは午後とし、本番に臨むとか。
そして、その結果です。
そうなんです。オバマ大統領の人気は高く、見事に最優秀賞をいただきました。
翌、日曜日は日本社会福祉士会用務で東京は四谷の本部で会議です。昨年末からの経済不況を思うとき、低所得者支援員会ホームレス支援委員会として、国への緊急提言やら、各支部への働きかけが必要ではと協議してまいりました。
17日(火)は在宅介護支援センターの主催で「家族介護者教室」を行っております。管理栄養士、ホームヘルパー、歯科衛生士が講師となって、家族の方々に在宅介護の配慮点について説明をさせていただきながら、皆さんとつくった料理をいただきました。
18日は能代山本地区地域包括研修職員研修会がありまして、二ツ井にあります、よねしろ地域包括支援センターに、県の事務局と共にお邪魔してきました。高速だからこその時間短縮ですが、いやぁ〜秋田県は広かったです。
19日は県の地域ケア体制構築に係る湯沢・雄勝圏域公開協議会でした。公開ですから傍聴席を気にしては、ちょっぴり緊張しながらの発言をしたところです。
21日(土)は、またも上京でした。日本社会福祉士会理事会です。風雪、吹雪いていました。天候の性でしょう、ポイント切り替えが出来ないとかで、ローカル線は動いてくれません。天気がおまえは言っても役立たずだ、能力がないから行くなと押しとどめるのでした。ですから、新幹線への接続に間に合わず、大幅に予定を遅らせての出席でした。遅れがわざとじゃないということを証明していただくために、こんなものをいただきました。遅延証明書
帰りは帰りで、やはり遅れが出ました。でも人身事故と聞いたら文句など言えないし、しんみりとなってしまいますよ。
23日は苦情対応のための第三者委員会でした。委員の方々より、神妙にアドバイスをいただいたところです。
翌火曜日は、宮城県大衡村から七峰荘の方々との意見交流会です。今日が第1班でして、3月3日には第二班の方々もお見えでした。
で、全く私的な話しなのですが、この日の夜に、長寿を全うし母方の叔父が亡くなりました。で、葬式までの二日間がドタバタしてしまいました。私の叔父への接し方に問題があったのでしょう。体に異変が生じまして、金曜の朝は起きあがることが出来なかったのです。この日の夜は、大物講師の方をお呼びして接待をさせていただくはずが、あ〜ぁなのでした。急ぎ、非礼を詫びつつ、渡辺県老施協会長に今夜と明日の研修の件についてお願いすることだらけでした。そうです、甘えさせて頂きました。それに、米さんと事務局の小松さんにも。皆さんのおっしゃるに、電話ではとても元気だ。動けないとは信じがたい。ホント、声を聞く限り元気だと励まして下さいました(励ましかなぁ、そうかなぁ〜、嫌味だったのかなぁ)。
と言うことで、冒頭に紹介させて頂きました、県地域包括・在宅介護支援センター協議会の研修会を、断腸の思いで欠席となったのでした。ですが、私はただただプレッシャーに弱かったのでしょうか。その日の夕方から、体が軽くなり動けるようになってきました。ひょっとするひょっとするかもしれないなぁと思いつつ、日曜日を迎えました。
するとまぁ、何と言うことでしょう。体は何ともなく、いいや何事もなかったかのように、またまた上京してしまいました。日本社会福祉士会用務、滞日外国人支援委員会に参加してきました。もちろん、今回も日帰りですが、いたって元気なのでした。金・土がまるでウソのようでして、申し訳なくて申し訳なくて。
そんな後ろめたさを感じつつも、今度は嬉しいことがあったのです。地元ライオンズクラブより、寄付金をいただいたのでした。4日の定例会に参加し、会員の皆様の前で贈呈式でした(私も地に足がつかない幽霊会員ですが)。
そして6日は、男鹿・潟上圏域の地域包括・在宅介護支援センター協議会研修会に参加するのでした。ここで、渡辺県老施協会長とお会いすることが出来まして、平に平に先日の失礼をお詫びさせて頂きました。寛大な会長は米さんと違い、事情をお汲みとりくださいまして許して下さったのであります。ですが私はここで背信行為というか、呆れた行動に出るのでした。そう、研修会が終わるや、東北ブロック地域包括支援・在宅介護支援センター協議会の会議に参加すると言い出し、盛岡に向かいました。岩手県地域包括・在宅介護支援センター協議会長や役員さん、事務局である岩手県社協さんには大変ご迷惑をおかけしては、お世話になりました。もちろん、盛岡の夜を飲み歩いても来たところです。何処が体調不良だ!素行不良の間違いだろ!なんもコメントできません。
前日に盛岡に泊まり、疲れたなんて言えません。日曜は雄勝中学校卒業式に参列後、湯沢市地域セミナーでお勉強でした。このセミナーに関しての話題を書き込もうと思ったのですが、忘却とは忘れ去ることでして、記憶にあるのは、ブログを一ヶ月以上も放置していることで、出会う方の何人かの方々から、体調が悪くしていたのではないかとか、何かあったのかと、心配の声をかけていただいたことでした。この時点で、心を入れ替えておけばよかったのですが。
振り返り、あまりにも長く、続きはまた明日と言うことにします。
ブログ投稿サボりました。まさかこんなに長く休んでしまうとは、、、。
この間、いろんな方々からご心配をいただき、申し訳なく思っています。
主催者の立場にて大きく関わる研修会(秋田県地域包括・在宅介護支援センター協議会研修会)を体調不良で(投げ出すように)欠席してから、もぉーだめ。ブログの投稿に気持ちは向かず、今年度最終日を迎えてしまいました。そんな崩壊状態にも関わらず、忍耐力を持って訪問してくださいましたみな様に、先ずは感謝申しあげます。ありがとうございます。
さて、私的動向の紹介は結構と言われそうですが、2月の振り返りです。
9日は、秋田県老人福祉施設協議会施設長研修会でした。湯沢市のセミナーでお会いさせて頂いた厚生労働省老健局計画課課長補佐. 田仲教泰氏と、社会福祉法人神戸福生会理事長.中辻直行氏の、お二人の講演を伺ってきました。なお、中辻氏には夜遅くまでお付き合いを願っては、相当なご無理をさせたみたいで、反省でした。
12日(木)は全国地域包括・在宅介護支援センター研修会でした。
研修委員としての責任を思い、状況が許せるかなと感じ、にわかに霞ヶ関の全社協で研修会でした。打ち合わせなどないままシンポジウムの進行をやらせていただきました。役得でしょうね、出版されたばかりの白澤先生のブログをまとめた福祉のアゴラをいただきました。そうです、白澤先生が助言者であり、サイン入りでいただいたのです。白澤先生ブログ福祉のアゴラ
私の名前の横に敬天愛人の言葉を添えてくださりました。もぉ〜有頂天、早く本を持って帰りたい。そして見せびらかしたいの気持ちでいっぱいになったのです。
で、ですが、早く帰りたいと思いつつ、夜は学生時代の先輩や、仲間と共に飲って来ました。
先輩である三遊亭右紋師匠に柳家権太楼師匠もお見えです。今夜は仕事を入れずに、みなさんとのお付き合いです。ありがたいですよ。
翌日は朝帰りでして、園に着いたのは午後からです。そして、夕方は横手市増田町のいきいきの郷にお邪魔でした。特養のこれからみたいな話で、職員のみな様とお勉強会でした。
そしてこの日、13日の金曜日でしたが、私に若い職員からのプレゼントがあったのです。厄日や大凶のイメージ日なのですが、明日のバレンタインデーにと、手作りチョコやクッキーを持ってきてくれたのでした。予期せぬ贈り物に感激したのでした。
今年の運を全部使い切ってしまったかもしれません。今にして思えば、ここらいら辺から、妙に調子こいた感があります。
さて、14日(土)は恒例の道の駅おがち雪まつり。カラー雪像コンテストです。私は会場に行ったのは午前、そこでは愛光園チームjが仕上げを行っていました。我が平成園の雪像は雨風からシートで保護されており、仕上げは午後とし、本番に臨むとか。
そして、その結果です。
そうなんです。オバマ大統領の人気は高く、見事に最優秀賞をいただきました。
翌、日曜日は日本社会福祉士会用務で東京は四谷の本部で会議です。昨年末からの経済不況を思うとき、低所得者支援員会ホームレス支援委員会として、国への緊急提言やら、各支部への働きかけが必要ではと協議してまいりました。
17日(火)は在宅介護支援センターの主催で「家族介護者教室」を行っております。管理栄養士、ホームヘルパー、歯科衛生士が講師となって、家族の方々に在宅介護の配慮点について説明をさせていただきながら、皆さんとつくった料理をいただきました。
18日は能代山本地区地域包括研修職員研修会がありまして、二ツ井にあります、よねしろ地域包括支援センターに、県の事務局と共にお邪魔してきました。高速だからこその時間短縮ですが、いやぁ〜秋田県は広かったです。
19日は県の地域ケア体制構築に係る湯沢・雄勝圏域公開協議会でした。公開ですから傍聴席を気にしては、ちょっぴり緊張しながらの発言をしたところです。
21日(土)は、またも上京でした。日本社会福祉士会理事会です。風雪、吹雪いていました。天候の性でしょう、ポイント切り替えが出来ないとかで、ローカル線は動いてくれません。天気がおまえは言っても役立たずだ、能力がないから行くなと押しとどめるのでした。ですから、新幹線への接続に間に合わず、大幅に予定を遅らせての出席でした。遅れがわざとじゃないということを証明していただくために、こんなものをいただきました。遅延証明書
帰りは帰りで、やはり遅れが出ました。でも人身事故と聞いたら文句など言えないし、しんみりとなってしまいますよ。
23日は苦情対応のための第三者委員会でした。委員の方々より、神妙にアドバイスをいただいたところです。
翌火曜日は、宮城県大衡村から七峰荘の方々との意見交流会です。今日が第1班でして、3月3日には第二班の方々もお見えでした。
で、全く私的な話しなのですが、この日の夜に、長寿を全うし母方の叔父が亡くなりました。で、葬式までの二日間がドタバタしてしまいました。私の叔父への接し方に問題があったのでしょう。体に異変が生じまして、金曜の朝は起きあがることが出来なかったのです。この日の夜は、大物講師の方をお呼びして接待をさせていただくはずが、あ〜ぁなのでした。急ぎ、非礼を詫びつつ、渡辺県老施協会長に今夜と明日の研修の件についてお願いすることだらけでした。そうです、甘えさせて頂きました。それに、米さんと事務局の小松さんにも。皆さんのおっしゃるに、電話ではとても元気だ。動けないとは信じがたい。ホント、声を聞く限り元気だと励まして下さいました(励ましかなぁ、そうかなぁ〜、嫌味だったのかなぁ)。
と言うことで、冒頭に紹介させて頂きました、県地域包括・在宅介護支援センター協議会の研修会を、断腸の思いで欠席となったのでした。ですが、私はただただプレッシャーに弱かったのでしょうか。その日の夕方から、体が軽くなり動けるようになってきました。ひょっとするひょっとするかもしれないなぁと思いつつ、日曜日を迎えました。
するとまぁ、何と言うことでしょう。体は何ともなく、いいや何事もなかったかのように、またまた上京してしまいました。日本社会福祉士会用務、滞日外国人支援委員会に参加してきました。もちろん、今回も日帰りですが、いたって元気なのでした。金・土がまるでウソのようでして、申し訳なくて申し訳なくて。
そんな後ろめたさを感じつつも、今度は嬉しいことがあったのです。地元ライオンズクラブより、寄付金をいただいたのでした。4日の定例会に参加し、会員の皆様の前で贈呈式でした(私も地に足がつかない幽霊会員ですが)。
そして6日は、男鹿・潟上圏域の地域包括・在宅介護支援センター協議会研修会に参加するのでした。ここで、渡辺県老施協会長とお会いすることが出来まして、平に平に先日の失礼をお詫びさせて頂きました。寛大な会長は米さんと違い、事情をお汲みとりくださいまして許して下さったのであります。ですが私はここで背信行為というか、呆れた行動に出るのでした。そう、研修会が終わるや、東北ブロック地域包括支援・在宅介護支援センター協議会の会議に参加すると言い出し、盛岡に向かいました。岩手県地域包括・在宅介護支援センター協議会長や役員さん、事務局である岩手県社協さんには大変ご迷惑をおかけしては、お世話になりました。もちろん、盛岡の夜を飲み歩いても来たところです。何処が体調不良だ!素行不良の間違いだろ!なんもコメントできません。
前日に盛岡に泊まり、疲れたなんて言えません。日曜は雄勝中学校卒業式に参列後、湯沢市地域セミナーでお勉強でした。このセミナーに関しての話題を書き込もうと思ったのですが、忘却とは忘れ去ることでして、記憶にあるのは、ブログを一ヶ月以上も放置していることで、出会う方の何人かの方々から、体調が悪くしていたのではないかとか、何かあったのかと、心配の声をかけていただいたことでした。この時点で、心を入れ替えておけばよかったのですが。
振り返り、あまりにも長く、続きはまた明日と言うことにします。