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横町物語〜介護・福祉の周辺〜

つれづれ・・・

2006年04月

みどりの日、当地も桜が開花してきております。
春爛漫、どことなくウキウキしてくるそんな日であります。

そう、今日はめでたい結婚披露宴。
男子職員がめでたくゴールイン。
友達っていいなあ、そんな仲間からの祝福が暖かい披露宴でした。
極めつけは、綺麗な可愛い花嫁さんを『愛しています』と、声高らかに宣言していた部分。
ご両親や列席者の前で言われたら、ごちそうさまとしか言えない。
偉い、よく言った。いいぞ、若者。
『お似合いだぞ!ご両人。』

ありがとう。
素敵なカップルを前にし、こちらも幸せな気分に浸ることが出来ました。
バンザーイ、ばんざぁ〜い。
息子と同い年のカップルを前に、親として羨ましい。
そう言えば、家に帰ってから気づいたけど、息子の同級生の名前が名簿にあって、懐かしいやら、歳を感じるやら。

息子世代、可愛いよな。いつの間にかこんなに成長しちゃってさ。
『みんな、幸せになあ〜れ』
父さんは願っています。

"おはようございまぁ〜す!"
そ・そ・それはそれは初日から元気の良い学生さん達。
早いものであっという間の2週間でした。

年齢に応じた所作・立ち振る舞いは確かにあるのだろう。
彼女らの元気は自然発生であり、元気が違う。
真似れるものではない。
だから、今日で嵐が去ったと言うんじゃないけど、どこか拍子抜けかもしれない。

ご利用者から見ればホント可愛いのだろう。
この人が受け入れたらという方をもあっさり笑顔とする。
関門・難関、難攻不落をものともせず、とけ込んでいた。
いや、受け入れられていた。
若さはそれだけで武器と言えるかもしれない。

でも職員はそうはいかない。特に経験を積めば積むほどに。
だから、職員の側は良い刺激であったはず。
年齢・経験相応の技量を確認する場面になったろう。
自己点検が出来るのだ。

質問に応え、実習ノートに目を遣り、さらにコメントを記すことの大変さから学ぶ。
この若さで、ここまで考えているのか、こんな知識を持ち合わせているのか、......
うかうか、マゴマゴしていられない。
経験を積んだ、実務を重ねた自分たちが、今どの辺に位置しているのか、いなければならないのか、振り返り、考える場面をもたらしてくれるのが、実習生の受け入れかな。
さあ、実習生の受け入れシーズンだ。
たくさん勉強させていただく機会の到来だ。

建設業の方の訪問でした。
グループホームは開設してから3年が経過したとか。
そう、現在、離れた場所ではあるが、ワンユニットずつ、二つのグループホームを経営している方、同一業界人でもあるのだ。

訪問用務は、所有する空きビル利活用による在宅福祉の展開について、意見を聞きたいとの申し出かな。
さぁ〜て、私どもと同じ圏域で営業したいと申し出る方に、どんなふうに相談にお応えして良いのか、もぉ〜っ、困っちゃう。
参ったなぁ、弱ったなぁ、ドキドキ、バクバクだよ。
が、会ってみるや、考え方が正しいってことは、良いなぁ!なのです。
気力・体力・知力・智力・財力・資力・地力・眼力・努力・魅力等、いわゆる実力の持ち合わせがないことから、夢をも忘れかけていた自分には、強烈な刺激!!だったのです。

利用者本位制・職員の専門性を考えていらっしゃる。実によく考えているのだ。
従事した頃の熱い想い、従事後に思う感性の有無と発揮、経験者としての眼差しの活かし、専門性にどう取り組もうとして来たかの継続的チャレンジ姿勢について、語ってくれたのでした。
ご利用者の様子と職員の歩み、相互の関わりから学ぶ変化(成長←→マンネリ)の二極化に触れたり、ほとんどは介護観についての語りであったかもしれません。研修機会の取り入れや研修派遣支援について語る姿は、新規同業者というより、老舗の風格です。

すべては、サービスの質を高め、喜んでもらう、満足していただくとの考えです。
使命感を忘れない事業所であり続けたいとの意思が明確でありました。
少しだけ、気力がムクムクと。そう、私どもだって......ですよね。
みんなプライドもって、頑張ろうな。
ですから本日の訪問、ありがとう。

横手市にある、いつもお世話になっている特養を、ルンルン気分で訪問。
最近、電話連絡も疎遠化傾向、嫌われたかと心配になり、気を遣っては、手ぶらでご機嫌伺いに出かける。
たっぷりと2時間もお相手していただく。
手ぶらにも関わらず、コーヒーと昆布茶、それに常務理事さんと施設長さんのお二人のお話しで、おもてなしをいただく。

ここの法人は、母子寮や児童養護も運営している。
知ったか振りはいつものことでごめんなさいですけど、これらの施設に求められている生活の質は、一般在宅と隔たりのないものなんでしょうか。
根底に、地域・住まい・住民というこだわりは強くあるのじゃないでしょうか。

だからかなぁ、特養も、単なる定型サービス提供ではなく「地域の社会生活を支える福祉拠点」の理念が伺えるのです。
確かこの法人の十周年記念講演で聴かしてもらったように思う、そう、「コンビニ型福祉拠点」の考え方が、なるほどと浮かんでくるんだよな。

羨ましい程に街中にある特養です。
不特定多数の住民の方々が出入りできている、まさに公益性が感じ取れる特養です。
そのように、地域の中で、コンビニ型福祉拠点として24時間365日開店していることで、利用者の別なく、そこで暮らす地域住民の安心の場として、定着しているんだと、あらためて尊敬した次第なのです。

存在意義のある姿、そんな姿に心を打たれ、月曜に引き続き、今週は二つの施設を訪問させていただきました。

昨日は他施設の50円コーヒーでお客様気取りでしたが、今日は当方自慢のひまわり会による喫茶『ふれ愛』でコーヒーをいただく。
こちらは一杯100円。
安い・美味い、だが売れ行きは芳しくいない。
それでも毎日笑顔で応対なのがここの売り物かも。
くよくよしないのが心配なぐらいに、底抜けに明るいのが"売り"の喫茶である。

で、本日は昼食を持ち込んで、養護学校生徒さんも来ていたし、一緒に食事を摂らせてもらう。
話題は彼が中心だ。
照れる彼と、元気の良いお母さんと、よく喋る私と、3人、カウンターでの食事だ。

そ・それで、彼はなっ・なんと今日、テレビ放映の日なんだとさ。
実は先月当市で行われた「NHKのど自慢」予選会の模様とのこと。
養護学校高等部仲良しグループで出演したけど、本選出演は叶わなかった。
仲間に対して直前まで出演を渋りながらも、いざ本番では大ハッスルであったらしい。
そんな様子を、予選会を、地元のNHKでは紹介している。
夕方はビデオを録るんだと張り切っている。

張り切っている彼は、今日学校を休んだとか。
こんな休むところ ( 所属の場 ) を持っているのが良いんだよな。
卒業後の進路が中々見えてこない。厳しい現実が控えている。
毎日が休みとならないようなことも考えなくては。

でも、今日は張り切ってテレビテレビ。楽しくテレビだ。

ご指導いただきたいことあって、昨年度開設された新型特養を訪問させていただく。
従来の施設らしさとは無縁、玄関からして違いがある。
『ようこそ!いらっしゃいませ』的な、もてなしの気配、歓迎の雰囲気が漂う。
ウキウキした気持ちで入ってしまう。そんな期待感が、ここを訪問させていただく度に起きてくる。羨ましい ( けど、ちょっぴり悔しい ) 。

外履きを脱いで内履き ...... なぁんてなことではなく、素足( 靴下 ) だ。運動靴を履いてコンクリート床を移動する大規模箱形ではなく、生活単位を考えた住まい重視だ。木のぬくもりが伝わってくる。これならご利用者が床に座っていても、いや、座りたくなっても違和感がない。羨ましい ( やはり、ちょっぴり悔しい ) 。

さて本来は、『親しき仲にも礼儀あり』なんでしょうが、それが中々身に付かない、困った親父は、雰囲気の醸し出す優しさに嬉しく有頂天になって、ずかずか中へはいる。そして50円のセルフサービスコーヒーの前にたたずむ。物欲しそうに立ちつくす。使い方がわからなかったのだ。確かこの前もそうだった。セルフケアが苦手で依存心が強いのだ。使用法がわからないと、職員さんに来てもらい、いかにもお金を払ったんだと言わんばかりにして、50円のコーヒーを入れていただく。いいなぁ。明るく優しく親切なスタッフがそろっている。私なんかにも優しい職員さんなのだ。羨ましい ( ほんのちょっぴり悔しい ) 。

無遠慮な声を聞きつけ、「やあ、いらしてましたか」と、施設長、それに理事長まで挨拶してくれる。

施設長は困っている者がいると見逃せないタイプ、実に男気のある?女性だ。リーダーシップと言うのだろうか、とにかく面倒見がよい。思わずすがってしまうほどに、頼もしいのだ。羨ましい ( かなり、相当に悔しい ) 。

理事長も色々と気遣ってくれる。上品だが庶民的。私なんかにも話しを合わしてくれる。たくさんのことを教えてくれる。話しの幅が広く、とても楽しい。 ( さすが、例え冗談でも、ここだけは同じ調子のコメント出来ないや ) 。

そうして、前置きは長いけど、用件については、貴重な資料をいただき、あっさりと終わるのでした。
でも、居心地が良く長居をしてしまいました。
貴重な時間を私なんかにお付き合い下さりましたこと、感謝いたします。
そして、ハード・ソフトともに、こちらを刺激してくれる、良いお見本に感謝致します。

こだちユニットが担当で、(入所)生活部会が18:15〜19:50。
自主的会議だが、看護・介護に加え、調理・事務からも出席がある。
各部門がチームケアや連携を提唱しながらも、多職種が集うことは中々難しい。
変則勤務の合間や時間外にも関わらず、参加してくれることには、ひたすら感謝だ。

さて、議題は
にじゅうまる 各ユニットの今年度の生活目標
にじゅうまる 誤薬防止対応
にじゅうまる 排泄委員会による排泄ケアへの取り組み
にじゅうまる 看取り指針の解説
にじゅうまる 連絡事項
だったかな。

協議内容はボリュームたっぷりだ。
さて、生活目標に関連づけて、少しだけお節介的 ( 世話まけ ) にコメントさせていただくのを許してくださるならばですけど.........、、、。
各ユニットが目標として、表現の違いはあったけど、『快適な環境づくり』をあげておりましたよね。

にじゅうまる排泄
(基本) トイレで排泄すること、オムツでの排泄、快適性を考えようか。
にじゅうまる看取り
人生の最期に、例えば
...... 優しい声かけや肌をさする手
馴染みの調度品や香しい花の香り
口腔内を爽やかに保つ
お世話など、生活介護の延長には五感の刺激にもこだわろうか。
無力感より達成感が得られる関わりをしたいよな。

少しだけと前置きしたから、今夜はしつこい書き込みは止めてと、
みなさん、遅くまで熱心にありがとうございました。

春の交通安全週間である。
管内でも啓発活動が盛んだ。
そんな中、本日はセフテイレデイが安全運転のメッセージを持って訪問予定だ。

来ました、来ました。セフテイレデイさんは、2名です。
(私には、他の方が何人いらしたか、記憶にありません。)
早速玄関に出迎えました。
メッセージを読み上げ、伝え、それを手渡していくとのこと。

×ばつ「どこでセレモニーをやりましょうか」
しろまる「ここの玄関で行わしていただきましょう」
×ばつ「ここでいいんですか」
しろまる「はい、ここを使わしてください」
×ばつ「わかりました、ではどうしましょうか」
しろまる「あなたが安全運転管理者ですか」
×ばつ「いえ......???」
しろまる「安全運転管理者の方にセフテイレデイより手渡しをします」
×ばつ「......(気分を取りなして)センター長!センター長!(呼ぶ)」
しろまる「(センター長を前に)あなたが、安全運転管理者ですか」
センター長がうなずく。セレモニーが始まる。
センター長とセフテイレデイが向き合う。私は作り笑顔で見入る。

昨日から楽しみにしていたのに。
いいな、安全運転管理者は (でも、今だけ)。
浮ついた者が出来る立場ではないのだ。
センター長だから務まるのだ。
自分にそう言い聞かせる身がけなげと思う。
さあ、みんな!安全運転だぞ (力なく叫ぶ)。

こもれびユニットで昼食時誕生会予定との情報入手。
せっかくの機会を逃すまいとお邪魔させていただく。
ご利用者が手をかけてつくったのり巻き、
ご利用者の指導のもと職員がつくった豚汁、
そして職員がわっぱか(即席)で仕上げたプリン、がならんでいる。

料理能力を比べることなんて、やさしいから誰もしない。
だからメニューの紹介に他意などなく、あくまでやさしい(つもり)。
だけどほんと、どれもが美味しいのだ。
腕前は雰囲気づくりかもしれない。
とにかく会話が弾む。
そんな中、しろまるしろまるさんはいくつになったんですか?
まだ誕生日でない。今日は誕生会、、、誕生日までしろまるしろまる日もあるから、歳はまだとっていない。

女性に年齢を尋ねるには配慮が必要なんだよな。
でも、しろさんかくしろさんかくさんは、もう誕生日過ぎたからしろまるしろまる歳になっている。
女性は他人が歳を重ねていくのは楽しいのかも。
でも、私のことは職員のしろまる子さんより一歳上だと言った。
すると私は、実年齢より7歳上となる。〜私も細かいかな〜
罪のないものを攻める、そこいら辺が女性はスクラムが組めているようだ。
でもしろまる子さんは、私のことを落ち着いているから実際より上に見えるのだと言った。
上手なフォローである。
でも付け足しもあった。そう、実際は見た目も老けていると言った。
正直と言うことなのか。〜ここで認めてはいけないんだけどさ〜

でもですよ、そんなこと言っているから◇◇さんに、のり巻きをいただかれてしまうんですから。◇◇さんは、食欲旺盛であなたの指までも食べようとしているじゃありませんか。指は食べてもらっては困ります。消化に悪いから。いや、まずいから。いや、あのぉ、、、。

さて、私は自分の分はしっかりガードして、誰にも渡しませんでした。
けちではありません、きっちりしていただけです。
さて、◇◇さんはしろまる子さんのも含め、随分食べていたようだけど、お腹は大丈夫なのかなぁ。

心配する私もお腹の皮が突っ張っては、眼の皮がたるんでしまい、まどろみ加減の午後となってしまいました。

ご利用者にとって生の延長線上にある死、職員にとって介護の延長線上にある看取り、やがて訪れる命の終わりをどこでどのように向かえるか、施設での終末を希望された方への支援の方向性、『看取りに関する指針』を前に、尊厳ある関わりをあらためて考える。
この指針は、今までの関わりを職員間で振り返り整理し、相談員がまとめてくれたものだ。

自宅の畳の上で近親者に見守られて死にたい、そんな願いが介護力や家族背景・住宅環境等から叶わなくなって来ては、治療である医療行為と言うより、死に場所として病院が選択されつつある現実は否定できない。
そんな中、施設で最期を向かえたいとの意向には、ある意味、住み慣れた我が家同様、喜怒哀楽・全人的関わりの生活を共にしてきた、昨日今日の関係ではないからこその、選択があるのだろう。
医療機器に囲まれるのではなく、生活を共にしてきた仲間や職員に囲まれ、馴染みの環境で安らかな人生の終焉を迎えたい、そんな安心の拠り所が期待なのだろう。

介護職中心の施設に、病院のような医療は無く、その行為は極めて限定される。
職員は不安だ、まして介護職員に充分な知識はない。さらに痛みや苦しみの対応は介護だけでは対応できない。看護に負担がかかる。お医者さんに負担がかかる。
幸いなことに、当園は開設以来、嘱託医の先生より、ご家族への説明、職員への助言と意識統一の支援があり、死と向き合うことを教えていただいたように思う。
それは、チームワークであり、不安から逃げることなく相手を見守り、出来ることを精一杯に努めようとなっては、求心力を付けていただいたのかもしれない。

人生の終焉に出来ること、死から逃げずにしっかり向き合い、後悔を残さないよう努めることだろうか。
厳粛な場面に関わる畏敬の念とは、人生観・死生観について色々と示唆していただけることかもしれない。職員冥利やプライドに大きく影響するものだ。

門出とは言いながら、やはりどこか寂しさを覚える卒業式へ出席させていただいたのは、つい一ヶ月程前のこと。
さあ今度は入学式の末席を汚させていただく、私にとって光栄な機会が続く。
昨日の午前は雄勝高校、午後は雄勝中学校。本日午前は稲川養護学校だ。

夢と希望と憧れのなか、心温まるたくさんの祝福の拍手を受ける、それぞれのステージにある、まぶしく輝くピカピカの一年生・晴れ舞台に触れては、こちらもニコニコと幸せな気分に浸ってしまうのでした。
おめでとうございます。

さて、自分のことを振り返ると、節目のステージ、入学式や卒業式の場面を、あまり思い出せない。
物心付くのが遅かった、記憶低下、単に感受性の無さ等、やっぱりと思う様々な要因があげられるが、背景には、生徒数が多かったから、その他大勢の身には他人事の行事であったように思うのだ。
少子高齢化などとは無縁、教室いっぱいに机が並び、歩く場所がない程狭かった時代があったんです。

そして最近の少子高齢化は、人口減少での高齢化率上昇であり、旧我が地区を見るなら、お年寄りの数も減っているのだ。
昨日の中学新入生は70人弱であった。
次期介護保険法見直し時には高校卒業となる彼等の大半は地元を離れるかもしれない。
私の同級生も地元を離れた者が多かったから、残った者はいつも間にかその他大勢の役回りが出来なくなり、世代交代や年齢による地域での役が付いてくる。適材適所ではなく人材不足から、やむを得ず役が付いてくる。
いろんな意味で人任せではいけない時代、自分のこととして捉えなければならない人口減少下での高齢化社会へ入学しつつある身に、ピカピカと輝くのは頭だけ。
目出度い席だったのに、何故か昨日・今日とマイナス思考に陥るんだわ〜。

法人FM広報『ほのぼの横町』の時間帯変更です。
毎週水曜日、9:10〜です。
今日が今年度第一回目の放送でした。
出しゃばりました。生放送、電話取材にしゃしゃり出ました。
時間枠20分です。自己満足です。
リスナーの方々を想像することなく、話し込みました。
マニアックな各事業の説明だったと振り返っております。

放送終了後、広報担当職員より「ありがとうございました。ご苦労様でした」の、言葉をいただく。
あくまで穏やかな口調です。決して悪くは言っておりません。
でもその口調には抑揚がありません。えっ、これって一本調子ぃ〜、なの。

遠い昔、かって赤ら顔の田舎少年と賞賛されていた時分、国語の授業で音読み・訓読みを学びましたが、本日は棒読みもあったと復習しました。
「ありがとうございました」〜棒読みで語りかけていただきました〜
おかげで自分の説明能力を実感できたのです。
自己覚知が出来たと言うのでしょうか。
だから私の方からは、抑揚をつけ、かつ、心をこめて、ナイス評価に「ありがとう」を伝えます。

さて、こんなことを冗談で言えるうちは良いのですが、今年度からは自分たち事業所の基本的な事項やサービス内容、運営に関する取組状況を、サービス利用しようとする方々に対しての公表制度がスタートするから、一般向けに分かり易い説明をしなくちゃあ。
そう、『介護サービス情報の公表』だよ。
職員みんなの頑張りを言語化・明文化し、情報が広く万人の目に触れたときに、これが根拠だよと言える資料整備が必要だから、説明能力の重要性を思っているのです。自己満足ではすまされないもんなぁ。

こんなさい、課題ばかりが思い起こされるけど、ホームページも改正介護保険に基づくアップがまだだしさ。訪問者少ないからといって、許されないよな。けど、今しばらく、ごめんなさい。いろんな分野で差し替えが必要だったんだなぁ。

ドキッ!私も差し替えが必要だってかぁ。
ごめん、ごめん、ごめん......。
もう少しどころか、まだまだ居させて下さい。
あ〜あ、広報からとんでもない方向に話しが展開しちゃったよ。

知人を介しての紹介です。
こんな方もおるんだなぁと、紹介です。

Wさん、「個人の想い・個人的行動」
以下、原文より

介護保険の改正(運用)に異議を訴えるために、4月3日午後3時から厚生労働省の玄関前に座り込みを開始します。と言っても体力を考えながらですので、土曜日と日曜日は休みま〜す。頑張っても、15日までの予定です。

改正介護保険法の問題点と異議(A−4紙4枚に8,000文字程度にびっしりの異議文)
これは、紙面の関係で紹介できません。

そこで、Wさんの宣言文だけの紹介ですが(原文転記)......

改正の名目で、制度の根幹を変えてしまった! 坐り込みしかない!

介護保険とは、該当者が「生きる為の、生きていく為の制度」なのか、該当者を「生かされている状況に置く制度」なのか? 真剣に問いかけたい、と思います。
少なくとも、高齢障害者の生活の基盤をキチンと支援するのがこの制度の目的です。今回の改正(改悪)の形ならば、以前の措置制度に復帰した方が余程優れていると考えられる程に、これまで育て上げてきた介護保険制度の根幹が否定された、と考えます。また、関連して障害者自立支援法も突然妙な発表がありました。これらを含めて以下の宣言を致します。

私、しろまるしろまるしろまるは、今回の改正介護保険法改正及びその運用のあり方に強く抗議し、62歳の誕生日に合わせて、4月3日より、厚生労働省の前に坐り込みをする事を宣言致します。
4月3日・午後3時から厚生労働省前にて、坐り込みを開始いたします。同じ気持ちをお持ちの方、近くに来られ、時間が空いた時で結構ですので、駆けつけて、供にお坐り下さるよう、呼びかけをさせて頂きます。みなで力を合わせて適正な運用になるよう、行政に抗議し、その内容の意味を問いかけて参りましょう。

平成18年3月22日
×ばつ丁目 しろまるしろまるしろまる

と言った宣言文でした。

いろんな人がいろんな気持ちで、4月を迎えていたんだなぁ〜。
ぐらいの私で、問題意識が低いのかしら。

読売新聞秋田版には、"新「介護予防」開始出遅れ"の見出しである。
この4月からの制度見直しで導入された「介護予防サービス(新予防給付)」の開始を遅らせたのが、県内には12市町村あるとの記事でした。

全国どこでも同じサービスが利用出来るとようにと言う触れ込みと、やる気の違いで市町村格差が出てきますよとの触れ込みだったかな。たしか、介護保険導入時にはそんな説明場面があったような気がする。

で、また新聞記事に戻ると、体制整備が間に合わなかったのは、旗振り役の厚生労働省と、運営に苦心する現場とが緊密な意思疎通を図れていない現状、制度の情報不足を掲げている。そして、介護予防サービスが定着出来なければ、保険財政への影響・保険料の上昇に繋がると懸念をしめしている。

このような記事の内容、市町村の姿勢にどうのこうのではなく、保険者も被保険者も、マスコミに心配されては話題になるだけ、いいのかもしれない、との感想だ。
だって事業所は、情報量の有無に関わらず、厳しい変革の荒波に揉まれ、4月直前まで制度と利用者との間で右往左往しても、成熟や自立が出来ていないと、指摘されて終わりかもしれないのだ。

制度説明、そのことに関する疑問や苦情も含め、ケアマネジャーや事業所が行うことになるだろう改正介護保険法のもとで、新年度がスタートなのです。
私たちが、住民に一番身近な場所で、支えていく立場なのです。

ですから、これらは決して嘆き節ではありません。
ですから、前向きに、制度理解に努め、その法理念のもとに進もうと、夕方は職員会議を行ったところです。皆さん、空腹の所、夜遅くまでありがとう。
さあ、新年度の始まり、始まりぃ〜。

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