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外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2023年05月

総務省が発表した2022年10月1日の総人口は1億2494万7000人で、前年に比べ55万6000人減少したと発表しました。これをもう少しよく見ると日本人だけを捉えれば1億2203万人で前年比75万人減少です。統計上の自然減、つまり出生者から死亡者をひいた人数は2000年以降、見事な減少ラインなのです。まるで積算をしているがごとく自然減が増えています。これは言うまでもなく、出生者減と高齢者の死亡者が増えていることが原因です。

また統計には社会増減という欄があります。つまり日本人の海外移住の増減です。こちらはコロナで半ば強制的に帰国を余儀なくさせらた学生や一時的就労ビザ所有者が続出した2020年を除き、基本的には出超、つまり日本を去る人が近年ざっくり年間1万人程度います。04年から09年頃は日本への期待感が大きく減退していた時期で年間平均84千人海外移住しています。

もう一つ、外国人の動きです。これも興味深い動きです。1990年から民主党政権になる08年までは94年を除き、概ね年間5-6万人ずつ増えていました。ところが民主党政権下の09年から12年までは見事にマイナスでその4年間で15万8千人も外国人がいなくなっているのです。そして安倍政権時代の13年から再び戻り始め、今日までマイナスだったのは21年のコロナ禍の影響を受けた年だけです。そして増え方がやや加速度的になっており、22年単年でも19万1千人増となっているのです。

この人口の動きと経済や技術の進化から日本の10年後、20年後を想像すると今のような真綿で首を絞められるような「耐えられる人口減と人口構成の微小な変化」から「目に見える構造的変化」になることは自明であるとみています。

思いつくことをざっくりリストアップしてみましょう。
1 現在の高齢化率(65歳以上の人口率)は28.9%でこれが2065年には38.4%に向かう漸増が続き、超高齢化に伴う経済生産性に懸念あり。
2 新生者が80万人を下回り、今後も減ると予想されるため、今後、企業が日本人採用に関し、相当苦労する時代を迎え、かつ、賃金の大幅上昇が見込まれるかもしれない。
3 不足する労働力はAIやIT化による自動化、効率化と共に外国人労働者に頼らざるを得ない。
4 高齢者が戸建ての家をメンテ出来ず、また空き家問題が今後、更に深刻になるであろう。一方、高齢者がマンションに引っ越すのはローンの問題と毎月の管理費の支払い懸念があろう。
5 増大する社会保障費の歯止めはカナダや英国に見習うべき
6 相続税対策で地方の僻地にアパートを建てることを禁止し、コンパクトシティ化をまい進し、居住地、商業地、農地、非開発地の棲み分けを行い、地方の活性化をすること

もっといくらでも思いつくのですが上記に関していくつか補足説明したいと思います。

2と3に関して日本人労働者は二極化が明白化するとみています。つまり、頭脳労働者とそうではない人です。日本企業は総合職への門戸が異様に広く、3年、5年で振り落とされる人を考慮した一括採用をしますが、諸外国ではありえません。今後管理部門がより少数精鋭され、外国人も入り込んでくることを想定すれば、「負け組」が相当出ることで社会的な分断が起きるかもしれません。できる人間はより高い給与を、脱落者には厳しい社会です。日本がフラットな社会を維持できるか、瀬戸際にあるように見えます。

5なのですが、医療費負担がなぜ社会問題化されるのかです。英国やカナダは医療費は無料です。しかし、その負担が極端な財政問題にはなっていません。違いはこちらの人が医療機関に行くか、と言えば本当に必要に迫られて、という人だけという違いかと思います。外来診療の回数比較では韓国の次に日本が世界で第2位でその回数は年間一人12回を超えます。私はカナダで年1回行くかどうかです。

カナダの場合、更にファミリードクターないしウォークインと称される第一関門で患者の抱える大抵の問題は処理され、より高度な治療を要する人だけが専門医に行け、かつ必要以上の治療はしないというのが大方針です。医療費はタダでも投与される薬は企業などが提供する医療保険を持っていなければかなりの負担額になります。

よって極端な話、こちらの人は医者に行かず、自分の免疫で自然治癒に心がけているのではないか、と思うのです。一方、日本人は医者好きで医療機関に行き過ぎです。一案として医者は保険で診てもらえるけれど薬は負担が多くなるといった制御の工夫が必要な気がします。

6について450の地方自治体が既に何らかの「立地適正化計画」を策定しています。平たく言えばコンパクトシティを推し進めるための制限です。発想としては居住誘導地域とその域外という発想です。いわゆる市街化区域と市街化調整区域に近いのですが、既に住宅があるエリアでも市町村がそれ以上の市街化を認めないというものです。そうなれば道路もインフラも集約でき、効率化が極めて高くなるのです。例えば京都の舞鶴市は市街化区域が2駅を中心としたエリアに限り、全体の7%しかないのです。また金沢市のように居住区域への移住促進に奨励金を出すところもあります。

私ならコンパクトシティにリバースモーゲージを積極的に受け入れる集合住宅を作ります。購入者の高齢者は一括で購入資金を支払い後、管理費など全ての住宅関連費をリバースモーゲージでカバーし、お亡くなりになった時、余りを相続者に差し上げるという仕組みです。これは高齢者には優しいと思います。

私が日本にいた31年前と今、社会構造的には目立って変わりはありません。これが維持できないと分かっていてもなかなか変えられない日本があります。ただ、知らぬ間に企業は海外で稼ぎ、外国人の高度技能労働者も増え、地方の街づくりの絵図は変わってきています。着実に地殻変動はしているのだ、という意識のもと、若者は学び方改革を、社会人は働き方改革を、高齢者はシニアライフ改革を通じて次世代につなげられる社会を形成したいですよね。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。
2023年05月30日10:00
カテゴリ
自動車
経営
私はEVの時代が来ると相当前から述べておりましたが、その頃「こいつはアホか?」ぐらいのコメントがずらり並んでいました。あれから10年以上たつと思いますが、EVは結局「好き嫌い」もあるし、「食わず嫌い」なところもあると思います。嫌EV派は電源の問題に電池の性能、寒冷地で使用などとにかく問題を挙げ「ハンターイ!」とするわけです。今でもそうかもしれません。以前にも書きましたが強制されるわけではないので当面は市場を分けて行けばよいと思います。但し、2-30年後にはメンテナンスや部品の問題から両者が共に健全に生存とはならない気がします。

ではお前はなぜ、当時、EVの時代が来ると思ったのか、と言えば欧米のプロパガンダには勝てない、それが最大の理由でした。欧米が揃ってまっとうな理由付けをし、産業の大革命を起こし、巨額の投資を行い、デファクトスタンダードを変え、ビックプレーヤーの序列を変えるというのは残念ながら我々には未だ抑えることができないのです。つまり、「ルールは白人が作る」という意識の強さは残念ながらこの時代に於いても変わらないということです。これは北米で31年も業務をしている私が日々感じることなのです。

その間、テスラがその市場で圧倒的地位を確保しました。テスラが売れたのはEVというだけではなく、今までのクルマにない様々な工夫が施されていたことがあるでしょう。販売店がない、自動車がインターネットで繋がる、様々なオプションはサブスク型、更には自前の充電施設も都市部を中心に充実させました。マスク氏はそういう意味では技術者以上にマーケッターしてのセンスが非常にあったとも言えます。

ではお前もテスラが欲しいのか、と言われるとファンの方には申し訳ないですが、お金をくれても乗りません。私はあの車、特に白いテスラを初めて見た時から今日まで続くイメージがあるのです。「13日の金曜日のジェイソンのマスク」。のっぺらぼうな感じで無表情、無機質なあのフロント周りは私のテイストには全く受け入れられないのです。

ここにきていよいよ多くのメーカーが参入し、戦国時代を迎えた感じがします。4−5年前までは「電気自動車は部品数が少ないから参入障壁は低い」という声もまことしやかに聞こえてきました。では本当にそうなのか、と言えばEV先進国、中国の市場を見れば雨後の筍ののようにできたEVメーカーがどんどん倒産しています。つまり、市場淘汰が進んでおり、それなりの商品力や販売力を兼ね備えた企業しか勝ち残り組にならないということです。

EVを含む自動車産業は部品数に伴う参入障壁の問題ではないと考えています。絶対的な安全、安定、そして商品の耐久性です。ひいては値落ちしにくい車であることが要件であり、これはやはり、長年自動車メーカーとして経営している企業に一日の長、いや、百日の長があるとみています。

その中でフォードのジム ファーリーCEOがテスラとの差別化を口にしていると報道されています。これはフォードがGMとの勝負に敗れた1920年代のマーケティング競争を背景に述べたものとされ、あの時のフォードが今のテスラだと置き換え、今のフォードは陳腐化しつつあるテスラを商品力で超えていくという意気込みを見せています。

では商品力とはなにか、です。個人的に期待するのは自動車を移動媒体からエンタテイメントや楽しい空間、あるいは自分だけの時間を過ごせる場所に創造することかと思っています。つまり、自動車の中にいることがより心地よくなる仕組みづくりではないか、と考えます。例えば映画は音響効果の高い車の中で見る、といった感じです。読書室でもいいでしょう。匂いと癒しの音楽でリラックスできる空間もアリです。その点ではEVではないですがトヨタ アルファードはコンセプトとしては先行したと思います。

ではもっと何ができるか、ですが、一つには天井の使い方が現状、せいぜい電動ルーフ止まりですが、もう一工夫した解放感が演出できないか、です。あとはクルマの側面が停車時に広げられないか、といったアイディアもあるでしょう。つまり、車内空間は狭く、その圧迫感を改善できないか、と素人ながら思うのです。

つまり、今後10年でクルマはクルマとしての用途に絞ったものだけではなく、極めて趣味の色合いが強い「多目的車」ではなく「極目的車」が提供できれば面白いと思いますし、徐々にそうなるのだろうと思います。さもなければマスク氏の言うように車は「コモディティ化」するわけで多くの人がジェイソンのマスクというか「イーロンのマスク」のような車を乗ることになるのでしょう。

クルマがコモディティになるか、という議論は奥深いと思います。例えば私はiPhoneを持っていますが、多くの方は全く同じスマホを持っています。これはコモディティです。また、スマホを差別化したいとも思っていません。それはディバイスであり、その中にあるアプリへのアクセスこそ、個性化が進むからです。つまりハードウェアは性能さえよければこだわらないともいえます。

クルマがコモディティ化するとすればEVでなく、完全自動運転になった際に所有欲が無くなると思われ、それが一番怖いところです。自動車メーカーの自動運転車開発に対する熱意があまり感じられない一つは自分で自分の首を絞めるからではないかという気すらするのです。

少なくとも私がテスラの顔は嫌いだ、と言っている時点でコモディティにはならないのだろうと思います。また、産業政策的にもコモディティ化は避けるべきではないかと個人的には思うところです。そういう意味ではEV戦国時代の勝者はまだ、誰か想像すらできないとも言えそうです。

では今日はこのぐらいで

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サミット終了直後、成功裏な結果を受け、突如「衆議院解散選挙」が話題に上がりました。今国会の期末は6月21日。その期末に向け、解散を行うのではないか、と言うものです。しかし、サミット終了後、岸田氏への熱量は急速に冷え、更に水をかけたのが長男、翔太郎氏を中心とした身内の忘年会の写真でした。

ひな壇に立つ翔太郎氏を入れた12人の顔はぼかしが入っていますが、どう見ても若いのです。つまり翔太郎氏とほぼ同年代かその上の方ぐらいに見えます。とすればいとこぐらいではないかと思います。身内の忘年会を公邸でやるのはかまわないけれど、公的な場であるひな壇やスピーチ用の台(Podium)で冗談写真を撮ったのは「せっかくだから見せてよ」に応えた翔太郎氏のノリだったと思います。そしてそれが流出するとは彼も思いもしなかったわけでわきの甘さと言うことになります。

それにしても週刊文春、いったいどうやってこの写真を入手したのでしょうか?身内に裏切者がいたのでしょうか?恐ろしい調査、交渉能力です。

それはさておき、衆議院の解散について岸田首相は「ない」と明言しています。もちろん、まともに聞いて「ある」と言う首相はいない訳で無意味な質問とも言えます。では、6月の国会会期末に向けて解散コールをするか、ですが、個人的には「ない」とみています。

半年近く前に同様の話題が上った時、私は秋という意見を申し上げました。こんな読みはほとんど価値がなく、その時々の政局次第なのです。逆説的ですが、岸田氏がもしも解散を急がねばならない理由があるとすれば2つです。

1つは最大の外交上のイベントが終了し、今後の外交でポイントゲットがしにくいことが上げられます。ここにきて急に北朝鮮、金正恩氏と会いたいと言いだしました。これは残る3人の外交相手、金正恩、習近平、プーチン各氏との会談による成果アピールという切り札の一枚を出したい訳です。ただ、この3人との会談は今までのような順風とはいきません。ほぼ成果ゼロの可能性が高いわけでそれが外交ポイントになる確率は低く、ならば解散を急がねばならない一つの理由にはなりえます。

もう1つは公明とのすきま風と維新の躍進を受けた自民党としての焦りです。維新はウィシュマ氏に関する発言で騒動になった梅村みずほ議員を党員資格停止6カ月の処分としました。8段階ある処分で厳しい方から3番目です。この判断、維新は素早かった、そして同議員の発言、行動に対してかなり厳しい姿勢を示したことが逆に維新に威信を与えた形となったとみています。

日経の最新世論調査で次の衆議院選で投票したい政党は自民の36%に対し維新が16%と騰勢を強めています。立憲が10%であとはすべて3%以下です。この状況に於いて今、解散選挙が良いのか、もうしばらく待つほうが良いのか、政局としては判断が難しいところですが、維新の躍進があれば自民の改革が進めやすいという逆療法もあります。つまり、これを放置すれば維新が地方政党から本格的に全国区政党として躍進する一方、自民が旧態依然のままで極めて強い危機感が生まれるならばその危機感をわざと煽る戦略が可能です。

その効果の一つが公明党との関係見直し、もう一つが維新と国民民主との対話です。

日本の政治に於いて自民に対立する政党が一時期を除き、出なかったことは中国の共産党一党体制を批判できるものではないのです。日本人が日本を守り、正しく幸福な国家づくりをする議論と政策を進めるにあたり、自民により緊張感を持たせるなら維新は今ならば栄養ドリンクなのです。今の国民は何か違うものを求めている、そして世代交代が進んだ中で過去のしがらみにとらわれない行動に挑戦することを求めている、それが今の日本ではないかと思うのです。

岸田氏は党内派閥では力がない、よって外部環境の変化に頼るという手法を取るなら別に6月解散ではなく、秋以降でもよいだろう、いや、解散をしないという手もあるかもしれません。自民党は長老の高齢化が進む中、岸田氏にとって時間をかけた方が都合がよいこともあると私には思えるのです。

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芸能の世界は私にとって異質であり、アンチャッチャブルな世界という意識が非常に強かったと思います。今でもそうです。そしてそこに生きる人たちもまた、一般人とは違うという意識を何らかの形で持ち合わせています。もちろん、一部の芸能人は一般人と芸能人の中間の生きざまの人もいるでしょう。それでも主流の位置づけは別々の世界だろうと思います。

小さなお子様を持つ親は自分の子供を芸能界に入れたいと思う人もいます。私も高校受験の時「堀越学園に入ったら芸能人の卵たちと知り合いになれる」と勝手に妄想したこともあります。一般人にとってそこは覗いてみたい未知の世界であり、興味深い世界でもあるのです。

ですが、芸能の世界が美しい歴史の上に立っていたとは決して言い難いところです。江戸時代に於ける芸能関係者とは明白な敷居の違いがありましたし、戦後、日本の芸能を支えたのが在日韓国人であったこともまた事実です。在日の方々は当時、日本の一般企業になかなか勤めることが出来ず、自営としてできる数少ない選択肢の一つが芸能であったとされます。

ある意味、一般人が近づきにくい世界だけにその世界の独特の習慣、習わしなどが今でも燦然と残っており、芸能人も一般社会と区別することを一種のプロ意識と勘違いすることもあったようです。「おはようございます」は我々の世界では午前中という時間による設定ですが、芸能や飲食の世界ではその日会った時が夜でも「おはようございます」です。これが一種の「業界人」的な感覚となり、例えば六本木あたりでも一般人御用達とは区別された店に行くことに一種のステータスすら持つわけです。

その特殊性ゆえ、仮に自分にとって耐えがたいことでも「これを乗り切れば一流になれるかも...」という気にさせることもあるでしょう。ジャニーズの一件にしろ、女子のタレントの世界でいう枕営業(事実のほどは未確認)でも同じです。それで名が知れ、売れっ子となれば「努力の甲斐」かもしれませんが、それは氷山の一角であり、9割以上が水面下という厳しい社会において脱落組が必ずしも納得して去っていくわけでもないでしょう。そういう意味では今回の一件は別の意味での「カミングアウト」でもあるのです。

ジャニーズ問題のもう一つの不思議な点は女性ファンたちの沈黙です。メディアで連日報道される割には(元)ファンの間で今一つ盛り上がらないのです。そしてジャニーズを支えた多くの女性ファンは複雑な気持ち故に言葉にできないというのが私の周りを見た限りの理解です。彼女たちがファンであったそのお相手が悪いことをしたわけではなく、ファンとして引き続き真正面から見てあげればよいのに女性たちはまるでパンドラの箱を開けて煙に巻かれたように、コンサートのあの熱気に包まれた興奮は遠い過去のものという感じを見て取っています。

ジャニーズは終わったのか、これは私が論じる話ではありません。が、多くのマスコミ、特にNHKを中心としたテレビ番組に於いて「薄々感じているが、『タブー』は見ないふり」で出演交渉をし続けたその姿勢は問われてもしょうがないでしょう。NHKの紅白などの出演を巡っての過去のジャニーズ争奪戦を考えれば国会で取り上げられてもおかしくないのです。もちろん、男色であったジャニー氏のご乱交振りは知らなかったと言い逃れもできるでしょう。が、「業界の常識と噂」は確実にあったはずでそれを知らなかったというのは藤島ジュリー景子氏が「知らなかった」というのと同じぐらいのおとぼけだということです。

市川猿之助さんの場合はもっと狭い世界だったと思います。一般の芸能人は芸能事務所に所属し、そこからお呼びがかかるというパターンかと思います。よって会社組織としてより開かれた人材ストックと派遣業であると言えます。ところが歌舞伎の場合には「家」がついてきます。ある意味、生まれたときからその道に進む宿命であります。よってその濃密な家のしきたりが時として人格すら狂わせるほどの圧力となると想像しています。

ジャニーズの件にしろ猿之助さんの話にしろ、囲い込まれた狭い社会をベースとし、一般人によそ行きの顔で接し、身内だけに素性を見せるのは多少は致し方ないと思っています。その点に限って言えば個人的には猿之助さん擁護派であります。つまりある意味、プライベートを暴かれた彼が辱めを受けたのです。週刊誌が他人の家の中の様子を覗き、記事にし、その性癖やプライバシーを暴き、金を稼ぐことが正当でしょうか?

ましてや今、社会はLGBT法案だと言っているわけです。人の性とその性癖については社会的ルールを逸脱しなければ容認しようと言っているわけです。とすれば猿之助さんの場合はハラスメント的要素はあるにせよ、性癖を暴いたことが社会の動きと真逆の悲劇ともいえるのです。

芸能人は自分を差別化することが好む好まざるにかかわらず必要になります。私が知るある有名芸能人の方は知人以外は決して一般人と交わりません。それは一般人の振る舞いがまるで「見せ物」であるかのような下品でリスペクトがない発言や行為を伴い、本人をいたく傷つけることになるからです。本人からそう聞いているので本当なのでしょう。

ジャニーさんの一件は開示されている情報だけで判断すれば法に触れたパワハラ。しかし、民事訴訟がないということは個別の絶対的な証拠がないかもしれません。一方、ジャニーズ事務所のネグリジェンスを訴えればジャニーズ事務所は存在できないほどの打撃を受けるでしょう。

それにもましてファンの女性がかわいそうかもしれません。彼女たちの青春を返せ、と言われたらどうしますか?とはいえ、マイケルジャクソンの一件も時を経て収まっています。芸能歴史の1つの事件簿なのかもしれません。

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また明日お会いしましょう。
2023年05月27日10:00
私の嗅覚がまだ正常であれば日本にはほんのりバブルの匂いがしてきた気がします。ユーチューブの個人動画では派手にお金を使う行為に人気が集まり、五輪選手村だったマンションは転売すれば2倍になったという話も聞こえてきます。物価高で大変、という声は最近鳴りを潜め、国民が大いにお金を使う循環に代わっていますが、この動きは私が80年代半ばに感じたあの時と似ています。バブルは経済環境と心理と社会的背景のベクトルが一致した時に起きる、これがひろのバブル論です。さて、1−2年後にどうなっていることやら。

では今週のつぶやきをお送りします。

債務上限問題とアメリカの株価
債務上限問題でくすぶるアメリカですが私は10日ほど前にアメリカの一流のエンタメだと判断しました。故にギリギリまで引っ張るでしょう。バイデン氏が日本滞在中もその交渉のため半日サミットを欠席したのは見せ場でもあり、チキンレースにも見えるのです。聞こえてくるのは双方の条件のすり合わせ。そしてこれを書く金曜日現在「これで交渉が分裂したらシャレにもならない」ぐらいまで寄っています。

バイデン氏もマッカーシー氏も破綻国家としての責任を負えないし、「ノリ」でそんなことをすれば国民のみならず世界からそっぽを向かれ嫌われ者になることは自明の理。それが交渉の心理ゲームであります。とすれば5月に入って全く冴えなかったNYダウはそろそろ反転攻勢になるでしょう。昨日のエヌビディアの好決算を受けた同社株の暴騰はハイテク株に更なる勇気を与え、投資家は今年に入ってずっとレンジ相場のNY市場に目を向け、資金を振り向けることになるとみています。

問題はそれを受けて日本株がどうなるか、です。私の見る限り東京市場は非常に不健全。金曜日の東京市場は日経平均の115円上昇に対しプライム銘柄の値上がりはわずか419、下落が1371銘柄なのです。全然おかしな相場つきで理由は値がさのハイテク、と言うより半導体銘柄だけで引き上げたためです。少し前はバフェット銘柄で商社が買われ、今は半導体、次は何でしょうか?ネタはあると思いますが、東京市場は一点集中過ぎて横の広がりがない点がやっぱり投資家のすそ野の狭さを感じます。

長野の立てこもりに見る孤独な子供たち
いい歳をした息子が両親と暮らすというのは猿之助さんも似た背景です。概ね息子と言うのは母親の溺愛と父親の背中との距離感の中に生じる自己闘争ではないでしょうか?あくまでも長野の一件だけに絞ると由緒ある家、両親とも社会人として名声もあり評価もされてきた人、故に地元の人は「だけど、あそこの長男は...」と囁き合う狭い社会の中で心理的な引きこもり状態になったのではと推測しています。

元首相、現首相への暴力による自己アピールも同じで一旦、火が付くと歯止めが利かない暴走心理は共通項のように見えます。しかも時としてそれはより計画的であり犯行時も冷静で捕まった後も自分の起した凶事について自己都合の論理を積み上げます。もちろん、こういう行為は昔からあるし、今でも例えば煽り運転をする輩などは同じベクトル上にあるわけです。

これら一連の問題の背景は家族とのしがらみと自分の立ち位置から来る現実逃避ではないかと思うのです。それは金の問題ではなく、家族愛の問題でもありません。家庭という狭い環境に於いて自分がリスペクトされる居心地の良い場所がないことへのフラストレーションがあるのでしょう。もう一つは日本人が常に比較論を持ち出すこともあると思います。「あそこの姉はいい子なのに、息子はしょうもないわねー」といったたぐいの話です。孤独な子供たちを作ったのは家族という舞台とそれをみる近隣という観客が生み出す社会的圧力ではないか、と一人っ子である私は慮るのです。

公明党はどうしたいのだろう?
公明党が衆議院の「10増10減」に伴う候補者調整に関して自民党に東京での自民党候補を推薦しないなどの「離縁状」を突き付けました。茂木氏は首相に「どうしましょう?」と相談、首相らしい「丁寧な説明」を指示したと報じられています。今回はあくまでも東京の問題に留まっていますが、公明党はイライラしていますが、その根源は自民党との問題ではなく、公明党そのものの地盤の軟弱化にあるとみています。自民と公明は長年、同床異夢、仮面の夫婦であって熟年離婚の危機にある、そんなところでしょう。

その背景の一つは維新の躍進であります。それだけではなく、国民民主もそれを援護する形となっています。自民党は現在の盤石の体制を踏まえてより強固な体制を敷く選択肢が増えたともいえます。もちろん、自公協力体制によりこれまで自民党候補者がずいぶん救われたことも事実で、産経は公明が協力しなければ東京では自民が5人落選するのでは、と報じています。しかし、国民から見ればこの選挙協力は本質的には茶番で選挙民に選択権を与えていないようなものであります。

公明党が社会趨勢の中で不利であることは言を俟たないのです。宗教が背景である同党にとり社会が安定し、若い人に新しい価値観が浸透すればするほど距離感が出るのは社会の当然の動きです。自民としては与しやすい政党ではありますが、公明ではなくてはいけない理由もありません。むしろ自民党が変わらねばならないこの時期に構造的改革の一環として自民が連立の枠組みを外す勇気を持ち、国民にその信を問うぐらいになれば公明党はひとたまりもない気がします。

後記
半年ぐらい前にある方からの紹介でEmailにてご挨拶をさせて頂いた方から唐突に電話があり、「計画している住宅開発事業、あなた、手伝えるかしら?」と。カナダ人で一等地に不動産を抱える富豪夫人だけど建物開発のノウハウはゼロ。「私は騙されたくないの」。この世界は極めて難解、かつお金の匂いを嗅ぎつけるサメがうようよ。私はお金に興味がないがゆえに「あなたの家の資産を守るという立ち位置ならお手伝いできますよ」というと大変喜んでくれました。この話がどうなるかはわかりませんが、私はここに来て本当に無欲になってきた気がします。無欲ゆえのビジネスの極みを目指してみたいですね。

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。
セブン&アイを人間の体に例えると胴体がコンビニ事業、そして両腕が百貨店事業とスーパーマーケット事業とみると非常にわかりやすいと思います。昨日の同社の株主総会で株主提案の井阪隆一社長ら5名の退任要求が通るかどうかが大きく報道されました。この会社の経営は最高益を積み重ねるにもかかわらず、混迷の深さを物語っているとも言えます。それは両腕の百貨店とスーパーマーケットが胴体から離れ、わきが甘くなり、そこを外部の多くの人が突つくことで両腕と胴体が更にバランスしない状況にあるからです。

いったい何がこれほど面倒な事態を引き起こしているのでしょうか?

セブン&アイについては目先の問題と根底の問題の2面から取り上げる必要があります。

目先の問題は百貨店売却とイトーヨーカドーの経営不振の件です。この2つの問題は共に現経営陣に責任がある、これは明白です。つまりコンビニ事業は出来るけれど事業売却や他の事業の経営は不得手だということを世間にこれほど見せつけた恥はないと思うのです。本質的に経営手腕の問題であります。

西武とそごうの百貨店の売却に関してはフォートレスとの協議が止まっています。止まった理由はフォートレスの後ろにヨドバシカメラがついており、そのために様々な問題解決が前提になっているからです。問題は仮にフォートレスがヨドバシを切る場合、同社がヨドバシに巨額の違約金を払う仕組みが織り込まれているはずで、フォートレスはヨドバシをこの売買で組み込まない訳には行かないのです。

つまり、立ち往生して困っているのはフォートレスなのです。しかもそのフォートレスの親会社はソフトバンクGから中東の会社に代わり、経営方針を含め、行方が分からない状況です。一方でセブン側は交渉遅れは最重要問題ではないはずです。むしろ、コロナ明けで消費が戻っており、百貨店事業は大きく改善している最中であり、次の四半期決算では思った以上に良い百貨店事業の数字が出てくるものと思われます。ただこれはたまたまであって、経営手腕としては評価できないわけです。

ではイトーヨーカドーの件です。井坂社長の説明、ヨーカドーのノウハウがセブンの食材部門に生かされており、イトーヨーカドーとセブンは一体であるというのは苦し紛れというか、表面繕いの理由でしかありません。スーパーマーケット事業は国内で大小乱立、大乱戦が続く中、大が小を飲み込みつつあるのが業界絵図です。ところがヨーカードーは完全に出遅れ、その競争力は喪失しつつある、これが現状です。

本質的にはセブン&アイは誰のものか、でしかないと考えています。セブン&アイ社の主要株主は信託口を除けば伊藤家が約10%を所有する最大株主です。その伊藤家にとりイトーヨーカドーは祖業です。それを誰が守るのか、その契りが伊藤家と井坂社長との間にあるとみています。つまり、「自分が社長である限り、ヨーカドーは守ります」と。

鈴木敏文氏がセブンのホールディングス会長だった際、井坂氏はコンビニ事業の社長を長年やっていました。が、鈴木氏は「経営に改革がない」と唐突に井坂氏排除の人事案を出すものの、伊藤雅俊名誉会長がNOを突き付けました。鈴木氏はこれが決め手で辞職します。

伊藤氏と鈴木氏の関係は書籍等を読む限り両名はほぼ水と油の関係だったのですが、伊藤氏が粘り強く我慢をした、それが私のみた関係でした。ですが、伊藤氏はどこまで鈴木氏を一人間として評価したか、これは分からずじまいでした。伊藤氏はその点、井坂氏とは一定の良好な関係を築いていたとみています。故に人事案で「拒否権」を発動したのではないでしょうか?少なくとも現時点では伊藤家にとって井坂氏しか頼る人がいない、という構図にみえます。

とすれば井坂氏が外資の圧力に屈し、イトーヨーカドーを売却しましょう、という話は逆立ちしても起こりえないことになりやしないでしょうか?もっと勘繰れば、百貨店事業の売却が完了すれば次はスーパーマーケット事業だとマスコミや評論家は騒ぐだろう、だったらここは引き伸ばし作戦をして時間を稼いだ方がよい、という戦略にも取れます。

私の上記のシナリオの真偽のほどを確認する術はありません。が、ありうる話だし、仮にそうだとすればセブンほどの企業はこれほど内向き経営だということ、あるいは第2の経営の柱を立てることすらできない一本足経営に傾注せざるを得ない点において経営者としての評点はやっぱり昨日の株主総会での支持率、76.36%でしかないということです。つまり成績でいうとC評点です。

創業家の祖業であるスーパーマーケット事業がサイドラインに追いやられ、コンビニをメインラインに押し出した鈴木氏、そしてその恩恵にあずかった伊藤氏、更には伊藤氏亡き後の大株主創業家としての意向という複雑な関係は「日本的創業家問題」という表現で終わらせて良いのか悩ましいところであります。

セブンは世界に打って出られる素養がある企業なのに頑強な胴体に対して両腕に振り回される経営陣という実に奇妙な構図がまだしばらく続くということでしょうか。

では今日はこのぐらいで

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Value Added ビジネス、あまり聞かない言葉かもしれません。存在しているかもしれませんが、とりあえず私がインスピレーションでつけた名前です。私はこの言葉をサブスクリプションビジネスやFeatures on Demand (FoD)といった萌芽期を迎え始めたビジネス、更には事業者が生み出す付加価値をオプション化することで収益につなげる動きと捉え、これが急速に展開するとみています。

私が6月に取った日本行きの全日空の航空券で座席を指定するにあたり驚いたことがあります。窓側、通路側を指定すると片道25ドル(2500円)追加料金なのです。つまり3列シートの真ん中なら追加なしなのです。飛行機の座席はこだわりが多い人が多いと思います。絶対窓際の人もいますし、私のように窓際は寒いことがあるので座らない人もいます。しかし、3列シートの真ん中を積極的に選ぶ人はいない、つまり、全日空はそこをベースプライスと考えたわけです。

飛行機の座席指定をする際に追加料金を取るところは増えており、カナダのキャリアも同様です。また荷物も国内線は預け荷物は追加料金がかかるケースが増えています。これは荷物がない人がベースプライスということなのでしょう。

ではFeature on Demandビジネスとは何か、といえば「あなたのご要望にお応えしてサービスを付加しますよ」と言うことです。具体的には自動車メーカーが今、最も熱くなっている領域です。BMWは最近、運転席と助手席のシートヒーターをFoDに変えました。つまり、一定額を払わないとオンにならないのです。そもそも物理的装置は座席の下についているのですが、コンピューターを介してそれに使用制限をかけるわけです。よくよく考えるとおかしいのですが、それが正論化されようとしているのです。

ベンツはもっとえげつないです。同社のEVであるEQシリーズではエンジンパワーの追加分をオプションにしたのです。ベースモデルだと0-100を6秒ですが5.1秒にパワーアップする追加の60馬力が月60米ドル(1万円)、永久に買い取るなら1950ドル(30万円)追加になります。 トヨタも車の離れたところからのアンロック機能などを追加で売っています。

この手のFoDはテスラがそもそもやっていたのですが、それが大きく広がってきたということでしょう。もちろん、消費者はブンブン丸で怒っていますが、この流れは今後、あらゆる方面に広がる可能性が指摘されています。

熱海の名門旅館だった「つる屋」が閉館された後、香港資本がそれを買い取り、250億円かけて改修した「パールスターホテル」が取り組んだのは「泊食分離」形式です。つまり食事はオプションです。表向きは熱海にある飲食店が活性化するよう旅館が顧客を囲い込まない仕組みにしているというのが理由ですが、旅館をより不動産ビジネス的に扱い、手間のかかる飲食を省くのは一案なのかもしれません。

私が日本国内旅行する時は基本はシティホテルに宿泊し、食事は地元の飲食店で食べます。理由は好きなものを好きなだけ食べられるわけで、旅館料理のようにお仕着せ、押し付けはあまり好まないのです。こういう人は確実に増えています。

一方、サブスクがウザいと思うこともあります。私の会社が使っている2014年度版会計ソフトがいよいよサポートが無くなることもあり、新たに購入しようとしたらもう、買取版は無くなり、サブスクのみでした。それもいくつかあり、処理する会社の数や使えるパソコンの台数により月々の金額が違うのですが、最も安いプランでも1年半ぐらい払えばもともとの買取版と同じ金額になってしまいます。会社の会計ソフトは否が応でも必要なのでずっと購入し続けなくてはいけないのです。

日本で売っているノートパソコンには未だウィンドウズ オフィス パッケージが搭載されているものも若干ありますが、あれは日本スペシャルです。海外では原則なくなっています。ノートパソコンはカナダでも4万円台から普通にあるのですが、何も搭載されていないわけです。オフィス機能はサブスクになるわけで嫌だと思えばグーグルDocに入るしかないわけです。グーグルのスプレッドシートとエクセルは手を入れれば互換性がないとも言い切れないのですがメールなどで受け取ったエクセルやワードは開けないということです。

Value Added サービスはハードとソフトを融合させている場合に追加料金を取りやすくなります。例えば私が経営しているシェアハウスの場合、賃料と別に運営費の形で光熱費や清掃費用を追加で頂いています。遊園地などで入園料と乗り物に乗る代金が分かれている場合も同様です。そう考えると事業者が持っているサービスにお金がかかるというのは当然のことになのでしょう。

スーパーのビニール袋、日本ではまだ購入できるならこれは価値の追加とも言い換えられます。(カナダではビニール袋が既に禁止されています。)そのうち、スーパーのレジはセルフなら追加料金なし、人がいるところなら10円プラスになるかもしれません。それにうなずけるようになったのが今の時代なのです。

今後、顧客とサービス提供者の間でいざこざが起きることもしばしばありそうですが、我々消費者は事業者のやり方に飼いならされていくのです。なぜならそれがないと困ると分かっているからです。ある意味、世知辛い経営思想になったものだ、と思わずつぶやいてしまうのは私だけでしょうか?

では今日はこのぐらいで

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また明日お会いしましょう。
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