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外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2021年08月

2021年08月31日10:00
カテゴリ
不動産
社会一般
かつてマンションのメリットは価格がリーズナブルで交通の便が良いところに居住地を構えることができる、でありました。それは日本の土地は高い、という神話があったことも背景の一つです。が、そんな話はバブル前のことです。更に高齢化と人口が減少している事実も大きく一部を除き、土地の価格は手ごろになりました。

そもそも高度成長期は政府の持ち家政策の後押しがあり先進国の持ち家比率である6割に達するまでは何処の国でも住宅産業は謳歌するのです。しかし、日本は昭和43年にそれを達成しています。そして今、出生者が80万人を割ろうかということは将来の新築住宅需要は80万x0.75x60%=36万戸しかないのです。(0.75は独身を貫く人と結婚をする人の比率を考え合わせてたもの)これではマンション業者も住宅業者も1/3になるし、土地の需要なんて極端に落ちてしまうのです。

東京一極は続くと言われてきましたが、コロナで東京都は入超から出超になりつつあるところです。理由はリモートワークなどの環境が普及したことでどうしても東京近郊に居住しなくてすむ人が「自由な住み方」を謳歌するようになったことがあります。

私は長年不動産事業に携わっているのですが、マンションと戸建て、どちらが良いか、という長年の議論について金銭面に限って言えばからは戸建ての方が圧倒的に有利と申し上げます。

その理由を羅列しましょう。

1 戸建ての土地はあなたのもの。マンションの土地はみんなのもの。
2 土地の価格は償却しない、だから不動産に対して土地の比重が大きい方が将来価値は担保される
3 マンションは共有部分の塊。管理費の多くは共有部のメンテに充てられ、あなたの部屋に直接的メリットがあるかどうかは別。
4 戸建てにはエレベーターもないしアメニティルームもない。エレベーターの管理費は高く、常駐管理人やコンシェルジュなどの人件費が管理費に占める割合は大きい。
5 劣化したマンションの対策は住民の一定数の同意が必要。戸建てはあなたの意思次第。

ぱっと思いつくだけでもこれだけあります。特にメンテ、管理の部分において木造戸建てとRCの高層マンションでは格段の差があります。給排水設備なども大がかりですから頻繁なメンテとコストは大きなものになります。また戸建てのメンテの一部は手先が器用な人なら自分でできる人もいるでしょう。一方、マンションの水回りを自分でいじって階下に漏水でもさせたらただ事ではありません。

戸建ては部屋の改造も容易です。家族構成が変わることによって間取りなどを変える場合でも融通が利きますが、マンションで間取り変更は極めて限定されてしまいます。

では最大の問題の戸建て価格です。土地だけみると選ぶところによっては都心に近いところでも坪200万円を切るような物件は結構あります。仮に15坪(50m2)もあれば二階建てで80m2ぐらいの住宅が建ちます。では建築費はいくらかかるか、ですが、一般には3000万円から4000万円と言われています。これは大きさというより住宅の基本性能を持たせる部分(台所やふろ、トイレ)は家の大小にかかわらず必要な為、どんなに小さくても一定金額はかかります。

一方、新築物件は一流メーカーにお願いすると目の玉が飛び出る価格になるのですが、工務店でやれば2-3割は違います。また、いわゆる業者価格となればもっと下がります。つまり、建築費には相当の利益が乗っていますのでうまくやれば一般相場の3割以上安くゲットすることも可能です。

更に、それすら高いと思うならフルリノベーションという手法があります。これは改築なのですが、ほぼ全部やり変える方法で、びっくりするぐらい安く収めることが可能です。間取りもかなり自由が利きます。安くできる理由の一つは許認可がいらないことが最大の要因でしょう。また使えるものは使い、古い部分も化粧をしてピカピカにすることが可能です。それならば大きさにもよりますが、1000万円から1500万円も出せばできてしまうのです。

いわゆる建売や建築条件付住宅は開発業者の利益がたっぷり乗っかっていますのでベストは自分で古家を購入するところからやるべきです。高齢化に伴い、古家付き売り物件は結構出ています。それを利用すれば都心や交通の利便性の良いところでも予算以下に納めることも可能かもしれません。

物価の安さを求めて田舎暮らしを選ぶ方もいますが、あまりインパクトがないものです。住居費は下がるのですが、食費やサービスのコストはさほど変わらないし、選択肢が狭まります。むしろ、自動車が必要だといった余計な費用がかかることもあります。それならば都心近くで戸建て物件を探す選択肢は大いにあると思います。

少し前の日経に「『マンション高すぎる』 住宅・通勤、一極集中再考迫る」では23区新築マンションの平均価格は2020年で7712万円、中古が4044万円とあります。それでもマンションを選ぶのか、土地持ちを選ぶか、その検討の余地は大きいと思います。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
2021年08月30日10:00
ワクチンパスポートという言葉がちらほら聞こえてきました。日本国内のおおよその一致した認識は「(海外渡航用などのために)ワクチン接種した証明」です。市町村のウェブサイトにもわざわざ「接種証明書(ワクチンパスポート)」とあります。これ、よく考えると接種証明がなぜパスポートになるのか意味不明なのです。

パスポートの意味とは1旅券2フリーパス3その状況になるための手段です。ワクチン接種に絡む意味合いからすると2のフリーパスが適用できるわけですが、日本のそれは現状、ワクチン接種者になにか特別優先権的なメリットはありません。

菅総理が「ワクチン接種証明書の積極的な活用の方法を含め、飲食店の利用、旅行、イベントなど日常生活や社会経済活動の回復もしっかり検討する」と述べ、それを補足するように加藤官房長官が国内で接種の事実を証明するに当たり、『接種済証』を用意していただくということは可能だ」と述べています。つまり接種証明はワクチンパスポートを作るための一プロセスであり、接種証明がパスポートになるわけではないのです。ここがきちんと理解されていない気がします。

では本当のワクチンパスポートとはどんなものでしょうか?ここ、カナダ、ブリティッシュコロンビア州で9月13日から本格導入される「ワクチンパスポート」は詳細プランがまだ発表になっていませんが、シビアです。「必要不可欠以外の活動やイベントに参加する場合に、州民に新型コロナウイルスワクチン接種証明の提示を義務付ける」もので9月13日以降、移行期間を経て「ワクチンを打っていないとどこにも入れないよ」ということになるのです。その規制対象はすべてのレストラン、パブ、バー、コンサート、劇場、映画館、ジム、レクリエーション施設、結婚式、パーティー、会議、学生寮...。どうです?ここまで規制されるとまず、仕事ができません。友人と会ってお昼ご飯も食べられません。これらのところに入るには政府発行のIDを提示することが求められるのです。

当然ながらこの発表には強い反対もあります。当地の新聞には「そんなことしたら客がいなくなる」「常連にそんな失礼なことを聞けるか!」といった声が出ています。しかし、当地は強制力があるのです。できなかったら厳しいペナルティが課せられるのです。この1年半の間、若者が家でパーティーをしているといった通報で数十万円単位の罰金を科せられ、マスコミに公表されるといったことすらしばしば起きています。このルールを守らなかった施設には厳しい罰則が待っているとあれば否が応でもそれに従うし、逆にずるをしていたら必ずそれを見ている目があり、通報されるのがこちらの社会構造なのです。

私の日本の友人たちと時折やり取りしていてもワクチンを打っていない、あるいは打つつもりがないという人はかなり多いのです。なぜ、そう考えるのだろう、と思った時、当地のワクチン非接種者の傾向とある共通点が見えた気がするのです。当地の非接種者は疾病や体質問題などを抱えるそもそも接種できない、あるいはすべきではない人を別にすると、地方居住者、一部の先住民にその傾向がみられます。なぜか?といえばワクチンに対する正しい理解ができないことと隔離された生活を送っているため、コロナに鈍感になっていることがあります。ただ、もう一つ、信条に着目したのです。つまり、人体に人造の薬を入れることを良しとしないという発想です。

この信条はどこから生まれるのか、といえば案外宗教的なものであるケースがあります。当地の先住民はIndigenous religion(土着宗教)にいまだ影響を受けています。この土着宗教は日本の八百万の神に近いものがあります。それは近代の三大宗教であるユダヤ、キリスト、イスラムと絶対対比の関係です。宗教史を紐解けばすぐに出てきますが、古代アフリカで発祥した宗教観は土着宗教で日本はそれの足跡を残す神道が今でも根本にあります。私はここに日本が政治や決め事で強制力を持たせられない根本理由があるのではないか、と最近、要研究対象の一つに入れています。

日本に於いて狭義の意味でのワクチンパスポートは絶対に作れないでしょう。強制できないし、ペナルティや罰則規定もできません。それらの発想は根本は聖書の教えによるものであり、「罪と罰」であり、「禁断の果実」なのです。一方、神道に天罰や祟りはあっても教義がないので罰則はなかったかと思います。

ワクチンを打ちたくないという理由に間違った情報の流布が指摘されています。もちろん、私はその影響は計り知れないと思っています。しかし、それ以上に日本人は心の中に土着宗教的な抵抗感を持っているのだろうと推測しています。「そんなできたばっかりの薬で副作用がどうなるかわからない」というのは近代医学に対して漢方治療の話をしている比較がわかりやすいかもしれません。あるいは抗生物質を否定するようなものです。ならば日本人の薬好きはどこから来るのか、実に矛盾するその考えは自己都合と自己解釈によるものでしょう。

コロナは地球儀ベース。そこに神道国家の日本が世界スタンダードとどうすり合わせていくのか、これ、私のふとしたつぶやき的思いつきですが、真の意味のワクチンパスポートは究極の難題ではないかという気がしています。

では今日はこのぐらいで。

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2021年08月29日10:00
トランプ元大統領がツィッターで発信し続けた理由は何だったか覚えていますか?メディアを通すと自分の意図したことにフィルターが入る、だから生の声を直接国民に伝えるということでした。トランプ氏の発信力効果は抜群でツィッターのそのメッセージをメディアが逆に解説するという逆ルートが生まれました。

ただ、トランプ氏はただ、漠然と発信していたわけではなく、自分の信念に基づき、戦略的でかつ、自分で行動に移すことを踏まえていました。つまり、発信力には行動力が伴っていたとも言えます。

禁煙をする際に自分の周りの人に「俺、たばこ止めたから」と公言する人が時々いたと思います。(最近タバコを吸う人に出会わないので聞かなくなったかもしれませんね。)なぜ、公言するかといえば自分の意思を他人に言うことによってその気持ちをより確固たるものにするというわけです。心がくじけそうになったら「俺、みんなに言っちゃったし。3日ぐらいは禁煙しないとな。」になるのでしょう。

発信力を身につけよう、と言われますが、それは単に好き勝手放言をSNSを通じていうことではなく、自身の信念に基づいた行動を発信することで揺るぎないものにする、これが本当の発信力です。発信力についてネット記事の説明には「一方的に押し付けるのではなく、周りの意見も聞きながら、自分の意見を伝え、しっかりと理解してもらうことが発信力」(Edit)とありますが、理解してもらうためには行動で示さなくてはいけないのです。

例えばインスタを通じて発信する場合、写真を撮るという行動が必要です。インスタ映えする写真となるとそのあたりに転がっているわけではなく、自分で発掘するために探しに行く探求心がなくてはできません。もっと若い世代はTikTokの動画配信だと思いますが、これはもっと難しいでしょう。ユーチューバーになりたいという子供が非常に多いのは手軽に金儲けできると思っているからかもしれませんが、ユーチューブで飯を食えるだけ稼げる人は不動産屋の格言、「千三つ商売」(1000人に3人しか成約しないの意)程度だし、それを3年続けてやっている人となればどれだけいるのか、と思います。

「発信力を磨く」というのはそもそも順番が違うのです。行動をみせ、それを発信していく、これが正しい形です。

マーケティングの打ち合わせをやっているとマーケティングの手法ばかりいろいろ意見が上がります。マーケティングという意味合いを十分に理解していないのですね。もともとは商品開発という観点あり、顧客がどんなものを欲しているか、それを自社でどう製造し、販売するか、という大きな一連の流れ全体を言います。ところが多くの議論はその一番最後の「どう販売するか」の中の更に一部分である「顧客に商品の存在をどのように伝達するか」になってしまっているのです。

私は集合住宅販売のマーケティングをやっていた中で最も時間を費やして研究したのが「我々の顧客は誰なのか?」であります。立地や諸条件、全体プランの中で無から有を生み出すにあたり、購入層を作り出すには「若い年層」「プロフェッショナルカップル」「子育て終了組」「リタイア層」「投資家層」のどこの層を狙うか、これでプロダクトから顧客とのつながる手法まで大枠が決まってきます。

つまり発信力は最終手段であり、その結果、それに「おっ!」と共鳴してもらえないと発信そのものが無為になったり時として炎上してしまうのです。

ではSNSが強いマーケティング力をもつか、といえばそれは確かにあります。飲食店などでは発信力があると顧客が圧倒的に増える傾向はあります。ただし、店がそれに見合うサービスを提供しないと「なーんだ!」になってしまいます。つまり発信力が逆進してクレームになって跳ね返ってくるわけです。私の感覚としては飲食店などが強いSNSマーケティングを施すと1-2割程度がリピーターとなりますが、あとは「一元様」になります。クーポンビジネスが廃れたのはターゲットマーケティングとならず、誰彼構わず値引きすることで急激な売り上げ増にサービスなどが対応できず、全般のクオリティが落ちて逆効果になったケースが続出したからです。

発信力はビジネスに限らず、個人でもたやすくできる時代になりました。しかし、結局人気がある発信者は発信内容にリアリティがあり、安定的に発信していることが大事だと思っています。発信を継続することで個人の才能を開花させることも可能です。「へぇ、〇〇さん、そんなことできるのね?」と言われれば嬉しいものです。発信して褒められることで人間やっていてよかったと思うときですね。

発信力はビジネスも個人ベースでも有益なツールで、それをうまく使いこなせば会社や人の才能が開花しやすくなることは間違いなさそうです。

では今日はこのぐらいで。

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2021年08月28日10:00
オリンピックとパラリンピックの熱量の違いを改めて感じさせているのが今回の大会。メダルの数もその熱量に影響しているのでしょうか。パラで日本のメダル数と順位を把握している方はどれぐらいいらっしゃるでしょうか?27日時点で日本は金2つを含む9つで順位は13位。中国が圧倒していてメダル総数48個、2位の英国は28個と大差です。そういう意味では小学生にパラを実際に観戦させて熱量を上げるのはよいことだと私は思います。もっと応援して盛り上げよう、ですね。

では今週のつぶやきをお送りします。

ジャクソンホール
「夏の終わりのジャクソンホール」、こんな歌があってもおかしくないほどマネーマーケットのその年の後半を占う重要な発言が毎年繰り返されます。私も今週「ジャクソンホール待ちだね」をどれぐらい繰り返したか...。結論は想定通り、パウエル議長が今年、緩和縮小を開始する方向だと述べた一方、それが利上げ時期を想起するものではないとしました。またスピーチのトーンも"Stimulus too early could be particularly harmful"(緩和縮小を急ぐのは特に害となる)といった感じです。私の予想は「あいまい表現」だろうでしたが、ほぼその通りになっています。FOMCは今年、9月、11月、12月とあります。9月で緩和縮小は打ち出さず、11月が妥当だろうという市場の大勢に私も同意です。

株価は一斉に上昇しています。理由はあく抜け。本来であれば緩和縮小はマイナスイメージですが、すでに織り込み済みでこれで市場はすっきりとした気持ちになっています。月曜日の東京市場も結構上昇するでしょう。ただ、私は引き続き、秋の波乱を警戒しており、基本的には現金化を進めます。新たに投資したとしても非常に短期で小さい利益確定を積み重ねる手法になると思います。それぐらい世の中は読めないと思います。

金利政策も緩和縮小プロセスだけでも1年以上かかるでしょうから政策金利引き上げ実施は22年中は厳しいでしょう。ただ、それは過去の流れであって今日ではすべての常識が覆されることもしばしばあるのであまり経験則に頼らないほうがよさそうです。投資家の方はグローバルな観点で先読みするしかないと思います。東京市場ではクズ銘柄や新興市場が元気になっています。個人投資家好み銘柄の物色が鮮明で主要銘柄の動きが鈍いのがなぜか、ぜひとも分析してみてください。

アフガン、アメリカは復讐できるのか?
これほどコケにされたアメリカ大統領も久々に見た気がします。8月中のアフガン撤退方針に頑なになり、挙句の果てに自爆テロで米兵13名を含む100名以上の犠牲者を出したアフガン情勢。バイデン大統領は「必ず見つけ出し、報いを受けさせる」と強い言葉で非難しましたが、撤退するのにどうやって復讐するのでしょうか?特殊部隊ですか?犯人はIS系のISIS-K(イスラム国コラサン)のようです。ややっこしいのはISIS-Kとタリバンは「不倶戴天の敵」(NEWSWEEK)であり敵は誰か、というそもそも論からスタートしなくてはいけません。

ISIS-Kはイスラエルとアメリカを絶対敵国としています。タリバンは私の理解はイスラムの教えを非常に狭義に解釈しながら国家統制をすることを目的とし、必ずしも世界をテロで震え上がらせるというタイプには見えません。ただし、アフガンの統治においては女性の民主的権利はほとんど奪い取られる可能性は高いでしょう。

それゆえに次は難民問題を抱えるのです。まず、どこを経由して国外に脱出するか、です。主要隣国はイラン、パキスタン、それと旧ソ連邦諸国です。英国やドイツは一定数の難民受け入れに寛容であり、アメリカも20年間米軍に協力してくれた人を難民として受け入れるつもりはありますが、どうやってその人たちを救い出すかであります。可能性は旧ソ連諸国ルートですが、ロシアが嫌がる公算が高いでしょう。難民救出作戦まで考えるとアメリカは撤退しなければよかったという結果になるかもしれません。

さぁどうする、自民の議員は立ち上がれるのか?
今、多くの自民党若手議員が「自分たちが変える新しい自民党」を意識しているかもしれません。総裁選の日程が決まり、ぐずぐずイメージの岸田さんがいち早く出馬表明をしました。またほぼ明白な二階氏降ろしを公言し、党内で様々な意見がぶつかり合っているようです。もう一つの構造的障壁である「派閥」をぶっ壊せるか、というところにあると思います。

派閥内で意見調整ができない、これが現在の自民党です。最大派閥の細田派も麻生派も一枚岩になっておらず、派閥として方向が決まったのは石原派のみです。派閥とは個人個人の微妙な温度差をひっくるめてグループとして一つの方向性の決めごとをすることです。この手の動きは政治に限らず、組合活動でも地域の町内会でも同じでしょう。ただ、自民党というそもそもある程度の方向性が決まっている中で更に7つも派閥に分かれているのはサル山ニッポンの象徴です。党利党略ならぬ「派利派略」でちっちゃいですよね。ちっちゃい。

会社の役員とNPOの役員や議員の違いをご存知ですか?会社の役員には代表権を含めた一票の重みづけがあります。ですが、NPOにも議員にも一票は新人も超ベテランも同じなのです。ということは派閥の長が偉そうにするのはそもそもお門違いだということを学んでほしいのです。各地から選ばれた議員は一人一人が誇りと勇気、それに責任をもって票を入れるという行為を学んでほしいと思います。

後記
コロナになって変わったことの一つに会う人が選択的になったことがあります。今までは自分と折り合いが悪い人や普段接点がない人も集りで一緒になることはありました。が、今は自分に近い人と会うことが多くなり、リアル版フェイスブックのような気がします。これは視野が狭くなるので良いとは思わないのですが、心地よさがあるのが問題です。これに負けずにいろいろな人と接点を持つという意識を意図しておかないと狭い人間関係になりそうで怖いですね。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
ニューヨーク在住の大江千里氏が「日本は安すぎる」と述べて話題になったのが週刊ダイヤモンドの記事「安すぎ日本 沈む給料、買われる企業」。大江氏はその記事の中でラーメン一杯2200円、ビールでも飲めば5500円、それに対してワンコインランチの日本は常軌を逸していると述べたのです。内外価格差を指摘した記事は相当ありますし、私も折に触れて価格差はご紹介してきたと思いますが、大江氏のネームバリューと週刊ダイヤモンドという組み合わせで注目を浴びたのでしょう。

上記の例を少し考えるとラーメンとビールと税金/チップの価格を分類しないと正しい答えは出てきません。ラーメンは20ドルと表記されています。ではなぜ、ビールを飲むと50ドルになるのでしょうか?本文には替え玉、トッピングをしてビールを飲むとあるのでここで膨らんでいるのですね。

ビールの飲み屋価格は北米と日本、どちらが安いでしょうか?答えはおおむね同じです。場所により変わりますが、物価の高いNYあたりのパブですと1パイント(=16oz=473ml)は8-9ドルでしょうか?つまり900-1000円です。一方、バンクーバーだと7カナダドル程度ですから600円です。日本は中ジョッキで500-600円はするでしょう。(日本の方が泡が多くビールの量はジョッキサイズ2割減程度の350MLぐらいです)とすればMLあたりで計算するとさして変わらないのです。

高いのはチップと税金ではないかと思います。アメリカのチップは高くなって最低15%、このところ20%が普通になってきていると思います。更にNY州の飲食の税金は8.875%がかかるのです。とすれば上記の大江氏の価格分析はラーメン20ドル、トッピングと替え玉10ドル(想像です)、ビール8ドル、チップ7.6ドル、税金4ドル、これで合計49.6ドル、つまり円で5500円の分析になります。

日本から来た人は欧米の物価は高いと異口同音に言います。ハワイまできてコンビニのABCストアで弁当を買う日本人観光客が多いのはレストランはメニューの価格を足し合わせただけでは支払いが足りないのです。飲食の税金が安いバンクーバーでもチップ15%と合わせて2割は価格に上乗せしなくてはいけません。これは30年前に私がここに来た時から変わりません。私も初めて赴任してきたとき、外食はできないと思ったし、最近赴任してきた方と話していたら外食が高くて、とこぼしていました。

では欧米の人はどうしてそんな高い外食費用を払えるのでしょうか?それは外食がイベント的であってレストランに行くのが日常ではないのです。普段はランチ持参だったり、フードトラックで買ったり、スーパーのイートインやフードコートを使います。日本では多くのサラリーマンが毎日のランチをレストランで食べます。つまりそもそものレストランへの需要と期待度が違うのです。北米は非日常だから多少高くても印象深い店に行きたいし、金払いもよくなるのです。私だって昼食は家に帰って食べています。だって外食は時間もかかるし払いきれないのです。

ただ明白なのは大江氏が指摘するように日本のレストラン価格は安い気はします。私が普段使いするごく普通のパブでハンバーガーを注文すれば17-8ドル(1600円)プラス税サ20%です。つまり約1800円。日本なら1000円ぐらいでしょうか?

今日は別にレストランの価格比較をするつもりではなく、内外価格差は表層の金額比較だけではなく、各国の消費者行動をベースに判断すべきということを言いたかったのです。アジアは外食文化です。例えば香港の集合住宅のキッチンで調理をすることは設計上、前提としていません。地元の人がコンロ2つぐらいの狭い台所で鍋を振ることはあまりなく、外食かテイクアウトをするのが当たり前です。安くてうまいから外食するのではなく、外食する文化だから安くてうまくなるのです。日本も同様。だけど、欧米はそういう文化がないのです。

では欧米の住宅はなぜ高いのか、といえば買えば住宅は家族の城だし、友人や知人を呼ぶ社交場でもあります。その為に大事に使い、価値を維持します。日本は木造住宅が22年で償却します。家にも狭いから人をあまり呼ばないでしょう。中国だって所有権がない一種の長期賃借権ですから先々価格は下がるでしょう。欧米では財産になります。日本は土地は償却しないけれどマンションの土地なんて分けられないのです。つまり、実質価値不明なのです。

アメリカの航空代金は安いですね。理由は真四角の国土でひとが縦横無尽に動き、需要が多いのです。日本は主要都市間の需要は極めて大きいけれど地方になると途端に落ちてしまいます。カナダも日本に近く、横横しか動かないので航空運賃は高いのです。

日本の価格が高いもう一つが高級輸入品。例えば自動車はバンクーバーと日本を比べると申し訳ないぐらいの差が出ます。2021年型ポルシェ マカンは日本が754万円に対してバンクーバーは520万円で買えます。高級腕時計なども価格差がありますが、各国向け価格設定は様々なファクターで決めていますが日本の舶来品は高い点はずっと前から変わっていません。

かつてビックマック指数というのがありました。同じビックマックが世界でいくらで売られているかで為替を占う材料にしたりしたものです。しかし、ハンバーガーを食べる文化とその価値観の置き方は違います。世の中の物価はそんなに単純に比較できないということではないでしょうか?

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
2021年08月26日10:00
カテゴリ
起業
経営
私の仕事人生を振り返るといろいろ経験してきたと思います。高校生の時、初のアルバイトがダスキンの営業アルバイトで1日最低2件新規受注がないとその日でクビになるというものすごい条件。私は2日目にクビになりました。その次は大学生の時の警備員バイトで初めは工事現場の夜勤仕事、最後は六本木近くの乃木記念館で宿直一人バイト。夜3回ほど懐中電灯で見廻りに行くのですが、展示物がすごくておしっこを漏らすほど怖かったです。次に150席のレストランのバイトでは皿洗いから入って厨房を仕切るバイト頭までなり、忙しいときはサーバーを手伝っていました。

ゼネコンに入っても工事現場、不動産開発事業だけではなく、ゴルフ場運営業務を日本とアメリカで1回ずつ、アメリカで日本食レストラン運営、アメリカのプライベートジェットの運営会社と重ね、独立してからはカフェにレンタカー、マリーナに駐車場運営、シェアハウス、現在は教科書/書籍の卸販売に高齢者向け施設関係の事業もあります。

しかも多くは汗をかきながらのプレーイングマネージャーでしたのでカラダで覚え込んだことが多く、これだけ多岐にわたる経験が様々な事業の予見につながるし、チャンスがあればどんなものでも食いついていくチャレンジ精神だけはこの歳になっても衰えを見せることはありません。新規参入事業は大変だけど、次の世界を見通すという意味では実にわくわくするひと時なのです。

私が教科書販売を始めた際、日本のある教育出版会社の社長にあいさつに伺いました。事業の勝算を聞かれ、「いつかは打倒!、アマゾンですよ」と申し上げたところ、馬鹿にしたように鼻で笑われました。しかし、実は教科書販売を始めたその日からこのビジネスは5年の賞味期限と割り切っていました。いつまでも紙の教科書を使う時代ではない、と。よってその間に次の柱になるビジネスを立ち上げなくてはいけないと自分の中で「要管理事業」に据えていました。

その対策、何をやったかといえばオンライン販売できるインフラ作りでした。つまりECサイトの立ち上げです。それも一度作ったけれど使い勝手が悪かったので1年もしないうちに全部作り替えました。売る商品の中身は後からついてくるが何が売れるようになっても直ぐに対応できるようなインフラ整備に重点を置いたわけです。

コロナになりカナダの大学で立ち入りができなくなり、大学の書店も閉店します。オンラインで授業を継続するといっても学生が教科書をどうやってゲットするのか、という際に私どもは自社のオンラインストアに誘導することができたのです。しかし、正直言って使い勝手はまだ悪いです。アマゾンカナダにも卸しているので双方競い合いのような形で注文がどんどん入ってくる中でふと思ったのです。

アマゾンの今のビジネスモデルはそろそろ終わると。以前にも指摘したと思うのですが、ECが当たり前になればECショッピングがウィンドウショッピングと同じぐらい面白くなくちゃいけないと思ったのです。かつてアマゾンがダッシュボタンを出したことがあります。あのマーケティングはアマゾンの販売姿勢がグローサリーショッピング、必需品の機械的購入に過ぎないと強く印象付けました。

アマゾンの弱点はデカすぎる、これに尽きるのです。私は百貨店衰退論を十数年前から言い続けています。なぜか、といえば人々はより深いものを求めるからです。オンラインショッピングが当たり前になるならもっとオンラインショッピングに付加価値をつけなくてはいけない、そう考えているのです。

私は自社でオンラインビジネスをしているからこそ、これに気がついています。カナダのショッピファイ社は中小企業向けのオンラインストア事業の支援ビジネスで世界トップクラスを走り成長著しい状況です。そして今回、メルカリが第4の事業の柱としてネット販売の事業を支援する「メルカリShops」を9月から行うと発表しました。メルカリはあくまでも自社顧客のネット販売事業を支援することに当面目標を限定しているようですのでインパクトは小さいのですが、たぶん、それは足掛かりを探しているということかと思います。

私の周りにはまだ様々な未開、未経験の事業案件がたくさんあるのですが、EC事業は力点を入れたいところです。ビジネスのインフラ、つまり輸入業務、倉庫の確保と発送の機能をECの充実化と合わせてできればよいわけです。輸入、倉庫、および発送機能はあるので将来的にそれを拡大するフレキシビリティは十分にあると考えています。

打倒アマゾンはともかく、あの社長に「お見それしました」と言わしてみたい今日この頃です。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
1982年2月、私は戒厳令下のポーランド、ワルシャワにいました。学生がたむろするユースホステルに泊まり込んでいたのですが、夜になれば社会主義の国で冬、雪、戒厳令、食べるものは芋だけとなればやることがないのは私だけではなく、同じユースホステルに泊まっているポーランド学生も同じです。国が転覆するような大騒ぎの最中にひとりの日本人がポツネンといるのがよほど珍しかったのか、10人ぐらいで車座になって話をしたのを覚えています。

あまりにも刺激がなさそうなこの国で「皆さん、何をして過ごしているのですか?」と単刀直入な質問に対して「セックスかな?」と皆が異口同音に答えたのが鮮明な記憶として残っています。

90年代初頭、アメリカ。家庭中心の良き時代のこの国家では、夜になるとダウンタウンがひっそり静まり返ります。仕事が終われば車を飛ばして家に帰る生活が普通でした。そんな頃、週〇回夫婦の営みをしないと離婚原因になるとまことしやかに言われたことがあります。ここカナダでも調停離婚する際に「あなたが最後に夫婦の営みをしたのはいつですか?」と聞かれる可能性は大です。1年間が一つの目安だったかと思います。同居せずに営みがない状態が1年も続けば立派な離婚要因になります。

そんなアメリカにしろカナダにしろ、家庭中心となれば今でも夜になればやることがないのは変わらないのです。仕事は西海岸勤務の場合、午後3時から5時には終わります。(東時間に合わせて仕事をしている人や建設労働者は7−3時の勤務体系が多いのです。)当然、家に帰ってからの時間は長いのです。

かたや東アジア。ネオンの刺激がいっぱいあります。経済発展とともにより刺激的なライフが過ごせるし、それにはまる若者が普通になりました。お金があれば好きなことができるし、好きなところにも行けます。また、一度刺激を味わえばそれは麻薬のようにもっと強いものを求めます。

韓国の出生率は悲惨を通り越して末期症状に思えます。2020年の同国の出生率は0.84、ソウル市に限って言えばたったの0.64です。ダントツの低さですが、娯楽の刺激度が大きい香港(0.87)、台湾(1.07)が追う展開で東京も1.13です。これに続くように東南アジア諸国の出生率が急落してきているのは経済発展とネオン街という組み合わせ要因は一つあるでしょう。

日経が「少子化克服は『百年の計』 出生率1.5の落とし穴」と題した特集を組んでいますが、その中に「なぜ少子化が進むのか。人口学者が指摘するのは、女性の教育と社会進出だ。」とあります。この記事に対して様々な意見があり、日経の編集委員の方が「それは違う!」と意見し「女性の教育と社会進出が進んだにもかかわらず、家事や育児の役割が変わらず女性に偏っているから結婚や出産をためらう」からと述べています。いわんとしていることは確かにそうですが、私には本質ずれだと思います。

確かに日本は少子化対策を施し、2005年の1.26を底に耐え忍び、2020年で1.34です。私は日本の出生率低下が止まった理由の一つは、若者の収入が伸びず家に居る時間が長くなったため、とみています。一般的には都市化が進むと経済進展と共に人々はより開放的になり、自由を謳歌しやすくなります。

少子化の原因に男性の家事など家庭内作業への参加率の低さが問われることは多くあります。否定はしませんが、それをあまり強調しすぎるのも偏りがあると思っています。今日の少子化は男女共にその原因があると考えています。例えば韓国の4B(非恋愛・非セックス・非結婚・非出産)は女性の観点ですが日本にもこの発想がないとは言い切れない気がします。

そしてもっと言えば社会が発展し、やることが増え、SNSでいろいろ繋がることで暇にならなくなるのです。特に女性はマメですので夜遅くまで作業ややり取りに追われることは多いでしょう。「夜なべ」するのは男性というより圧倒的に女性が多いのです。つまり女性は忙しいので営む場合ではないこともあるかもしれません。

もう一つ、根本的な背景は種の保存の法則そのものだということです。戦争時代には産めよ増やせよでした。人間としてナチュラルな行動だったのです。また、1918年の子供の死亡率は18.9%、今の死亡率は0.19%、医学の改善で1/100になったのです。人間は本能的にバランスをとる仕組みを持ち合わせているのだと思います。経済環境を考え、子供が生存する確率が高ければ少子化になるのは自然の摂理かもしれません。

教育費がかかるという問題は少子化の結果の話ではないか、と私は考えています。つまり、家計という経済的枠組みにこれだけ教育費があるけど子供一人しかいないから満額予算獲得、よってより高度で質の高い教育を施す、という流れになっていないでしょうか?

この問題はどの面をとらえるかによって答えは変わってきますが、私は以前から解決は極めて困難と考えています。そういう点からすれば特殊合計出生率だけ見れば日本はよく持ちこたえているともいえそうです。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
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