[フレーム]

外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2023年06月

2023年06月30日10:00
池袋にある日本最大級のアニメショップは10代、20代の人の聖域と言ったらよいでしょう。私は仕事の関係で行かざるを得ないのですが、ごった返す土日は避け、平日の早い時間に行くようにしています。それでも抵抗があるのは「見てはいけない世界」であるからでしょう。客の目線は完全にオタクであり、自分の世界に浸りきっています。

探していたものが見つかった時、かつては「あっ(た)ー!」で呼吸は吐きながら声を上げたのですが、最近の女子は「はっ!!」と息を吸い込みます。これは私がカナダの販売フェアなどで現場に立っていてもかなりの確率でそのシーンに出くわします。当然、今回、東京のアニメショップでも10代ぐらいの女子が息を吸い込みながら嬉しそうな顔をしているところに出くわします。

この息を吸い込みながら驚きの表現をするのはなかなか慣れないと難しいのですが、たぶん、声を出さないようにしながら感情表現をしようとしているのではないか、と勝手に想像しています。

なぜ、若者はアニメに没入するのか、いろいろな切り口があるのだと思いますが、一つの見方に自分だけがそのマンガに没入できる物語があるのではないかと言う気がするのです。とくに隠れたヒットとなっているBL系にその世界を見ることができます。このアニメショップの片隅には美男子の写真集のコーナーがあります。(なぜか、美少女の写真集は一冊も置いていません。)ですが、何度行っても手に取る人は少ないように感じます。我が社のオタク系社員の解説ではそれを「リアルには興味がないから」と断じています。なるほど、リアルの写真では憧れになるけれど、自分を投影することはできません。しかし、アニメならそれは可能なのでしょう。

アバターにせよ、メタバースにせよ、そこにいるのは自分の代わりです。自分の推しキャラのアクリルスタンドを常にカバンに入れて食事をする時やお茶する時に一緒に写真を撮る行為は他人から見れば奇妙かもしれませんが、彼女たちにすればペットを連れている人たちの気持ちと何ら変わらないのでしょう。

なぜ、このような行動が生まれたのでしょうか?

現実の世界で実現できないけれどもう一人の自分にはそれを託せるのではないかと考えています。例えば社会に対して不満がある、なぜ、自分だけこんなに苦労しても楽になれないし、楽しくないのだろうと考えます。どうして彼女や彼氏ができないのか、会社の会議では自分の意見はなかなか言えないし、いろいろな作業を押し付けられるし、自分の行きたかったお店に行けば長蛇の列で暑いのに並びたくない、といった思い通りにならない日々の中、もう一人の自分ならそれが成し遂げられるのでしょう。

かつてのアニメヒーロー、ヒロインよりもっと現実に即した感じがあるように思うのです。

以前、若い人が会社に入っても偉く成りたがらないという話題を振りました。その背景は「責任をとりたくない」です。自分の上司が問題解決のために東奔西走し、汗をかきながら頭を下げているシーンを見て自分はああなりたくない、と強く思います。ならば一生ヒラでいいか、なのです。お金は欲しいけれどそこまでして欲しくはない、なのです。

これは北米の若い人の典型的パターンとも共通します。こちらの会社は人遣いは荒いし、最初のオリエンテーションはともかく、あとは自分で学んで、というスタイルだと途中で失敗もするし、嫌になってすぐに退職するケースは後を絶ちません。「自分の思っていた会社と違っていました」は北米のみならず、日本でも常に上位に入る退職理由です。

私がもう一つ着目するのはもう一人の自分を持つことでより自分だけの世界に没入しやすくなることでしょうか?自分のことを分かってくれるのはリアルの世界でも2−3人、あとバーチャルの自分だけ、だけど自分は幸せ、なぜなら誰からも私の生き方にいちゃもんをつけられることは無いから、です。一歩間違えば現実逃避なのですが、自分と意見や生き方が違う人はそれぐらい「ウザい」のでしょう。

これを我々のような成熟した世代が自分たちと比較して、批判してはいけないと考えています。これは今の人たちの価値観そのものであり、そういう変化を作り出したのは我々にも大いに原因があるのです。これを嘆かず、社会が受け入れてながらも社会の構造をどう作り上げていくのか、考えなくてはいけません。

今回東京にいて思ったことはこの暑さの中、まだマスクをした若者が多いということ。マスクは感染症対策もあるのでしょうが、マスクをすることで自分を社会から隠蔽したい心理があるようにも見えます。つまり自分の存在を社会にアピールせず、ひっそり自分だけの世界に浸るのです。

私が少子化問題はお金だけの問題ではないと再三申し上げているのは若者の生き様が我々からすれば驚愕するほど変わってしまったことにあるのです。彼氏、彼女はバーチャルで。そのうち、バーチャル結婚にバーチャル家族ができるかもしれません。案外これは冗談ではなく、本当に起こりそうな気がします。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
財務省は本当に不人気だし、日本経済全体をもっと俯瞰するチカラをつけないといつまでたっても悪代官の異名を払しょくすることはできないと思います。

今回、富裕者層の間でよく使われたタワマン節税にメスを入れることになりました。2億円ぐらいで買ったタワマンの高層階の物件でも相続上の課税評価は極端な話、5割、6割圧縮どころか、4000万円ぐらいまで圧縮できるケースもあり、相続税対策のテクニックとして使われてきました。今回、この「不公平さ」を是正するために圧縮率を「改悪」し、節税の魅力を低減させるようにします。実施時期は早ければ来年早々ともされます。ただ、圧縮率の変化ですので引き続き節税としての効果はあります。詳細は今後、判明してくるでしょう。

財務省の姿勢は「決して相続税強化ではない」としています。言い分としては相続税は令和5年の歳入計画上、2兆7760億円で全体の2.4%しかないというわけです。とはいえ、消費税(20.4%)、所得税(18.4%)、法人税(12.8%)に次ぐ4番目の収入源です。岸田首相は増税に前のめりですのでフォローの風は吹いています。また、長期的な国家財政という点では世界共通ですが、税収不足は常態化、悪化の一途を辿ります。理由は社会サービスの維持とそのコストが膨大になっているからです。

よって健全な税収を得ることは重要なことである、と言う意義は分かります。が、このような目に見えた税収増にもならない小手先の施策で、重大な意味をなさない「税捕捉の修正、強化」は大魚を逃がすことになると思います。基本的に財務省を含めた役人は目先の公平の原則にのっとり過ぎていて肝心かなめなポイントを外してしまうのです。残念です。

私は不動産事業を37年ぐらいやっている中で単なる事業者というより都市計画における不動産事業という位置づけを考えてきました。例えば不動産価格上昇は悪か、といえば行き過ぎはダメですが、不動産が健全で安定した上昇を示すことは国内経済が大きく回転するようになり最終的には法人税や所得税の税収増につながるのです。

端的に言うと日本の住宅は木造2階建てが主流です。昭和40年代頃に建てられたものもまだ多く残っていますが、それは当時、国を挙げて住宅の所有率を世界水準である60%台半ば程度まで引き上げようとしていた為です。当時の住宅取得ブームはその背景であり、安普請な家でも「所有」することを大義としたわけです。ところがそもそも木造住宅の償却は22年、おまけに安普請の住宅でも居住者が高齢になると「だましだまし」住んでしまう訳です。

マンションブームはこれら古い住宅を持つ人が「駅近」「安全」「階段なし」「地震でも頑強」などを理由に転居促進が生まれました。当然、古い家は取り壊され、新たな息吹が生まれます。つまり不動産に回転力が生まれ、それが経済の活性化となるわけです。

タワマンも同様で一定の不動産の回転を生み、東京のみならず、地方にすら億ションを生みました。不動産は経済の中で最もパワフルな経済効果を生み出すツールです。6割の人が所有する不動産はウン千万円以上するわけで年間2%程度の値上がりだとすれば定期預金ですずめの涙程度の利息に比べたら圧倒的にパワフルであることは一目瞭然なのです。

ではタワマン投資は儲かるのか、といえば都心のごく限られた場所を除き、私はさほど強気になれません。2億円で買っても10年後に同額で売るのは一般的には苦労するはずです。理由は相続時の課税所得が小さいことが物語っています。マンションの場合、自分の土地は区分所有でその数%の所有であり、自分だけの特定の土地があるわけではありません。今は不動産が上がっているとされますが、その根源である土地の比率は小さいのです。つまり、不動産価値のほとんどは減価償却される建物部分にあり、かつその管理費、修繕積立金は高いのです。

よってタワマンは相続税対策では有効だけど実際の利益では場所によりけり、です。

海外の不動産を長年見ている限り、東京が向かうのは都心の不動産は投資家や外国人が所有し、一般的な勤労者層は郊外に押しやられるというシナリオです。NYでもロンドンでもトロントでもこれは同じで東京だけが2−30年遅れてしまっています。が、その流れは出来つつあるとみています。

国交省としては地震対策上、古い建物を新しくし、より安全で環境に適合した快適なまちづくりができます。官邸レベルでも海外からの投資を呼び込める上に土地の比率が少ないタワマンは安全保障上も都合がいいはずなのです。当然ながら財務省にも金は落ちます。国際金融都市東京を目指したいならこんな子供の小遣い稼ぎのような税の改変をしている場合ではなく、日本の富裕層を餌に海外マネーを釣り上げるぐらいの発想が欲しいと思います。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
ニューヨーク州で修理する権利を保護する法案が可決する方向で進んでいると報じられています。メーカーは顧客が修理するための支援を行い、その情報はネット上に公開すること、となっています。ネット上の公開を要求されればこれがアメリカの一州の法案であっても実質的に世界的に影響を与えることになります。知的財産権に引っかかりそうな気はします。

私が10数年前、日産GTRを購入した時、販売担当者から「修理や点検は弊社だけに持ち込んでください。高額なGTR専用の検査器具を備えており、それを通じて修理点検をしないと保証が切れますのでご注意を」と。結局何度かそこに点検で持ち込みましたが、高額でやりきれなかった記憶があります。保証期間が切れた後、知り合いの店に持ち込んで修理点検をお願いしたところ、「日産のワランティ、切れますよ」と。いいからやって、と言ってそれ以降、特段、問題は発生していません。知り合いのところでやれば価格は半分程度で収まります。

ある人が「うちの洗濯機、そろそろ買い替えようか?」と。壊れてもいないのに不思議だな、と思って聞いていると「5年も使って飽きたじゃない。新型も出ているし」と。もう一つ、ラジオで洗濯機にまつわる話を聞いていたら「結婚祝いで自分が欲しくないタイプの洗濯機をもらったので捨てる訳にもいかず、2年だけ義理で使ってようやく欲しいタイプに買い替えた」と。

壊れなくても買い替える需要はメーカーにとっては嬉しい話ですが、価値観の相違とは言え、個人的には無駄遣いのようにも聞こえます。私が普段使っているノートパソコン、もう、7年になりますが、途中でメモリーを増設したり、すっかりダメになった際、デフォルト設定から全部やり直したりしたこともありますが、これだけ持ち歩いている今でも全然普通に使えます。

私はどうも英国風のものを大事にする癖があるようで壊れてもどうにかして直せないか、と工夫をするようにしています。「壊れた!」と言ってもごく一部の部品が不良化するだけで全体には問題はないケースが大半です。わずか数百円の部品を一つ交換するのに数万円の修理費をかけるわけですが、これがもう少し安くなれば良いのにな、と思います。

アメリカの捨てる文化にも閉口です。私がマンションデベをやっていた時、トイレ廻りの機器の不具合が出た際にメーカー保証を求めたところ、何も言わずに新しいものと交換してくれました。理由は修理は出張訪問し、問題の発見、部品の発注、修理という段階を経なくてはならず、それをするならさっさと新品と交換した方がコストが安いというものでした。特にトイレ廻りの機器だと衛生上、修理する人も少ないこともあるのでしょう。

修理する文化は世の中、便利になるとともに廃れてきていると思います。理由は何処がどう壊れたか、自己判断できないからです。もちろん、無知な人が分解修理は出来ませんが、大半の取扱説明書には「困ったら」という欄があり、Q&Aが羅列してあります。その中には笑い話にもならない設例、電源は入っていますか?コードはきちんと接続されていますか?といった話が割と多いのです。

日本では少ないですが、北米では駐車場のゲートが自動開閉や建物に入る際に特殊な機器、フォブとかクリッカーと称するものを使い開錠します。時々、客から「フォブが使えないんだけど」とクレームの連絡をもらうのですが、99%のケースは単なる電池切れなのです。非常に小さいコイン型電池が入っているのですが、その存在を知らないわけです。「へぇー、電池が入っているの?」と言われたらこちらが聞きたくなります、「電池がなきゃ、どうやって動くのですか?」と。

修理する文化は重要なのですが、個人的にはさほど広がらない気がします。洗濯機の例ではないですが、「壊れることを期待して」「古くなったことを理由に」新しいものを買う方が魅力的だということなのでしょう。修理はコストがかかるのです。その8割以上は人件費が占めます。そして手間暇もかかります。

私が20年以上使っているスイスの時計は時々オーバーホールが必要ですが、メーカーに頼めば10万−15万円、家電量販店で7万円程度、日本の近所の時計屋なら5万円です。時計はインフレしていて貴金属としての価値が高く20年前と比べ2倍にはなっています。つまり、中古でも極めて高い価格が付くので当然ながらメンテはし続けなくてはいけません。中古市場が確立され、流通しているもの、例えば家、自動車、バイクや自転車、時計は修理をすれば価値の下落は最小限に食い止められます。最終的にはモノを大事にする人には福が来るような仕組みですかねぇ。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
2023年06月27日10:00
カテゴリ
経営
自己啓発
先週号の日経ビジネスの特集がブリヂストンでした。もしや、と思い、読み進めるとやはり、ファイアストン買収後に史上最大の失敗と揶揄され、悪戦苦闘したその買収をものにするために送り出された石橋秀一CEOを中心とした紙面構成でした。

1988年1月、私が勤めた青木建設がアメリカのホテルチェーン、ウェスティンを買収しました。1720億円は当時としては日本企業による海外企業の買収としては破格で、会社が最も意気揚々としていた時期だったと思います。その直後、私はトップの秘書になり、シアトル本社で毎月開催される取締役会に随行するようになってすぐに気がついたことがあります。それだけの大枚をはたきながらホテル事業を理解している人はこの会社にはほとんどいない、と。

今だから申し上げられることはあの買収劇は銀行にそそのかされて購入したけれど会社が持つ能力をトップも銀行も過信していた、それに尽きたと思います。買収したウェスティンそのものは最高の案件だったと思います。その買収にはNYのプラザホテルやハワイのマウナケアなど垂涎の不動産物件も目白押しでした。しかし、買収した青木建設は土木の会社であり、トンネル、宅造、埋め立て、ゴルフ場を作らせれば日本有数だったのにホテル事業ができる人材は極めて限定され、買収した企業の持つ能力を引き出せなかった我々は負け戦も同然だったのです。

それと時を同じくした1988年5月、ブリヂストンがファイアストンを買収しました。その金額3300億円。青木建設のウ社買収のはるか上を行く買収劇となりました。が、ブリヂストンも我々同様、買収先の支配に非常に苦労します。そして数年後、同社のファイアストン買収は史上最悪の買収とまで叩かれたのです。私はその頃、密かに「それは私たちの方だよ」とつぶやいていました。

90年代にある雑誌でファイアストン再興のために石橋秀一氏がアメリカに貼り付いていると記事を読みました。私は当初、この石橋氏は創業家の方かと思ったのですが、違う方でした。カラダを張って再建するその様子に私も興奮せざるを得なかったのです。理由は私も当時の社長から「バンクーバーのウェスティンホテルの敷地での社運を賭けた再開発事業を君に託した」と辞令を受けたからです。また併せてカナダにある5つのホテルを抱える会社の役員となり、トロントの巨艦ホテルは私が担当するバンクーバーの不動産開発会社が99%を所有することになったのです。弱冠29歳、武者震いです。が、もちろんそこからの話は苦労の連続。

日本企業がアメリカ企業を買収するのは恐ろしく苦労します。それは90年代後半、私がアメリカでゴルフ場の経営、運営を託された時に気がついたのです。「アメリカ人は自分を雇ってくれた人を真のボスだと思うが、途中参戦の我々は単なる監視者でしかない」と。多分、石橋氏も同じ思いをしていたでしょう。しかし、日経ビジネスを読む限り、石橋氏は自分がアメリカにどっぷり浸かり、本社のバックアップという「コミットメント」で彼らの心の奥底をつかんだようです。それがブリヂストンの勝ちストーリーであり、青木が買収したウェスティンは東京本社が腹の据わった「コミットメント」をしなかったことで負け戦となりました。

日本企業による海外企業の買収は極めて多くの事例があり、その多くは失敗、撤退という結果になっています。青木建設も同様です。ではなぜ、お前の不動産開発は成功裡だったのか、といえば私が最初から最後まで一気通貫で面倒を見る機会をくれたからです。その為、自分の全てをそれに賭けることが出来たからです。その気持ちがなければうわべだけの経営となり、従業員や取引先、関係者の心はつかめないのです。ブリヂストンの石橋氏がアメリカに貼り付いて再建にすべてをかけたのも会社が石橋氏に託したからでしょう。

ではアメリカで日常茶飯事行われるM&Aはなぜうまくいくのでしょうか?それは被買収企業の取り込み方が上手で最近は被買収企業のトップを温存するケースが増えていることもあります。また、同じ言語=似た感性を持つ人同士ならば聞く耳を持つということもあるでしょう。ここは非常に難しいのです。例えばセブンイレブンのアメリカ事業はアメリカ人がしっかり掌握しています。悔しいけれど日本人では太刀打ちできる人材はそう多くない、それが実情なのです。

近年、日本企業による海外企業の買収は再び大きく伸びてきています。我々の失敗や苦労が生かされ、日本のマネージメント能力が世界水準となり、世界をリードする、そんな時代を期待したいところです。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
2023年06月26日10:00
会社、政治から町内会やPTAまで組織のピラミッド構造は頂点が一つしかない富士山型とも言えます。これが仮に山脈型であればどうなるのでしょうか?功罪があると思います。この辺りを少し、掘り下げてみましょう。

このブログで再三取り上げてきたEV。10年もその議論をしてきた中で個人的な帰着点はこのブログの読者の中での甲乙をつけることは不可能である、と。なぜならそれは個人の気持ちが入り込んでいるからですが、経済活動という別次元の歯車とは必ずしも嚙み合わないのです。ここにコメントを書き込む方はなかなか雄弁な方が多く、そこだけを切り取ると「なるほど」と思わせるのですが、クルマに関してほとんど意見のない若い人や女性の声はさっぱりわからないのです。つまり、意見1つにしてもバランスは取れていません。

月曜日の日経の編集員記事に「日本車の『不都合な真実』」とあります。長めの記事ですが、なかなかよくまとまっていると思います。ポイントはEVの普及促進が中国やアメリカに出来て、日本になぜ出来なかったか、であります。そのストーリーを日産の内田誠社長を背景に展開させています。

私が読み取ったその答えは記事には一言も触れていないトヨタにあり、です。もっと言えば豊田章男氏にあり、です。それはピラミッドの頂点であるトヨタがあまりに強大、かつ遠大で、おまけにクルマ好きの豊田氏の存在が大きすぎたために革新的発想が止まったことにあるとみています。豊田氏の功罪と言う点では自工会の会長としてのポジションとトヨタの社長の違いを世間に明白に示せなかったことです。私から見れば自工会のトップをやるならトヨタの会長になってからやるべきだったと思うのです。これは申し訳ないですが、豊田氏の失策です。

戦国時代と徳川時代の違いは何か、と言えば徳川の時代に藩の力が削がれ、戦い方を忘れた点は大きいでしょう。戦争の話ならそれが良いわけですが、経済やビジネスの話となるとそういう訳にはいきません。群雄割拠の中、激しい戦いの勝ち抜き戦こそ、真のリーダーを作るのです。日本の自動車業界もかつては東の日産、西のトヨタでした。その戦いがあったからこそ、日本の自動車業界は大きく伸びたことは目立たない一因だと思っています。

例を変えましょう。教育的見地からもこの傾向はみられます。それは東大を頂点とするピラミッドです。長年、私は東大卒がどんなに優秀か知りたかったのです。自社の従業員にもしたことがありますが、私の今の思いはいろいろな意味で東大卒は枠にハマらないので使い方次第ではないかと位置付けています。

ところが長年東大、京大と言った日本最優秀の学生のみをキャリア組として採用し続ける省庁のキャリアシステムは東大をピラミッドの頂点にしたわけです。(最近の採用大学は多様化してきています。)その頂点は崩しようがありません。

なぜなら学歴であり、2つ目の大学に挑戦する気構えがない限り、そして年齢的な点も踏まえればどれだけ能力があってもそのキャリアを覆すことは絶対不可能だからです。それは優秀だろうが、出来損ないだろうが、誰も追いつけない、追い越せない砂上の楼閣にすらなりうるわけです。また、ノンキャリアは入省した時からどこまで上がれるか、明白に決定づけられています。そんな夢も希望もない職場で改革的、創造的な仕事ができるわけがないのです。

ではなぜ、日本はピラミッドが好きなのか、山脈ではなぜダメなのでしょうか?個人的には共同体の長の発想が原点ではないかと考えています。つまり、長に対する信頼は絶対であり、長もそこを踏まえたリーダーシップをとる絶対的関係が構築されることでトップ以外の人は「一任」体制となり、その時点で自己判断を放棄するのです。放棄しているのですから何かあれば文句だけを言えばよいわけです。儒教的要素も当然あり、年長を敬う傾向は未だにあるでしょう。

これは今日の体制と全く変わりません。日々の生活で何かあれば行政や政治家に文句を言うのです。自分で工夫するわけではありません。「それは自分の仕事ではない」という考えになるわけです。

では山脈になぜならないか、ですが、これは私にはまだ答えが引き出せません。日本では「亜流」と言う言葉がありますが、「亜流」から「主流」にはなりえない社会構造なのかもしれません。利権もあるし、社会構造が「主流」を基盤に出来ているので新しい社会に不安だらけなのです。マイナンバーカードについてテレビの討論会で偏向報道かと思わせるほど「稚拙だ」「失敗だ」と大批判オンパレードでした。つまり、型を変えることができない、よって複数の主流が生まれるような素地がない、と言うことかもしれません。

ピラミッド型は絶対不変の社会においては強固で安定感があります。一方、日本を取り巻く問題は山積し、経済的にも長期凋落傾向を止めることはできません。ここを思えば日本的ともいえるピラミッド社会が変貌する時なのかもしれません。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
プリゴジン氏率いるワグネルがロシア軍に対して反旗を翻し、モスクワに向け、蜂起しました。ロシア隣国、ベラルーシのルカシェンコ大統領が仲介役となり、これを書く24日早朝の時点ではプリゴジン氏は自軍に原隊に戻れ、と指示をしているようだ、と報じられています。

本件、今だに情報が錯綜しているので細かい動きについては無視しますが、5月のプリゴジン氏が見せたバフムトからの撤退の示唆は同氏とロシア軍部、ひいてはプーチン氏との隔たりが明白かつ、緊迫したものであったことを裏付けています。5月6日付の本ブログではプリゴジン氏の動きを受けて「感覚的に転機を迎えているように感じている」と述べさせていただきました。

戦争遂行では司令部(大本営)が一枚岩になれるかが大きな意味を持ちますが、今回の動きは岩の裂け目が大きくなり、二つに割れる直前にある、と言う表現が一番わかりやすいと思います。

そこで思い出したのが日本の226事件です。若い方には名前すら記憶にない、と言う方も多いでしょう。多分、学校では教わらないと思うのでなお更、知る術がないと思います。この事件は戦前日本における極めて重要な、そして、日本がその後、戦争にまい進したきっかけとなる歴史的クーデターです。当時の首相、岡田啓介は義弟と間違えられ、難を逃れましたが、高橋是清、斎藤実など要人が殺害されました。その後、天皇の指示があり、鎮圧、降伏したものです。事件そのものは数日間でしたが、その後の日本を決定づけることとなります。

この事件の背景は軍部が天皇親政のもと国家改造を目指す皇道派と陸軍の中枢が政治、経済を動かすべきとする統制派と分かれていたことが原因で、この事件後、日本は民主主義が消え、統制派が政府を牛耳ることとなり、軍部主導となります。最終的には統制派の最後の大物となった東条英機が登場し、戦況は引き返せない状態となります。

この話、よく考えると幕末の動乱における佐幕派と討幕派の戦いと同じで、会津や水戸の幕府軍、一方は京都を守る薩摩と土佐、第三極だった長州藩の三つ巴が、驚愕の薩長連合となり、鳥羽伏見の戦いで徳川が滅びる話と重なるものはあります。

では今回のブリゴジン氏の反逆は何なのでしょうか?226事件と比較することは正しいのか、であります。これを重ねること自体がお前は「全然理解していない」との指摘があると思いますが、共通項はあるはずです。全部が重ならなくても一部の重複はその将来を予見するには意味があることだと考えています。

プリゴジン氏の不満は露軍の指揮系統とその希薄な戦略にあるとみられます。代弁するならば「戦争しているのに政権に緊迫感がない」であります。一方、昨日、蜂起し、モスクワまで200キロまで迫ったという話が仮に正しいとすればその進軍に於いてほぼ無抵抗だった点が衝撃であります。仮に、ルカシェンコ氏の仲介がなければもっと緊迫感が生じていたともいえ、ロシア軍部の厭世観は相当なものであることをほぼ証明したとみています。

ブリゴジン氏は今回についてはルカシェンコ氏の仲介に「無血の合意」をしたと述べていますが、、自分を有利に持っていく打算が働いたとみています。江戸の「無血開城」も「無血」に意味があるのです。

では、問題はここからです。仮に226事件と重なるとすれば蜂起は数日、ロシアの場合は1日で収まっていますが、その衝撃は大きく、歴史的転換点となるはずです。

一部のワグネルにそれほどの力はないのでは、という意見ですが、それは解釈を間違えていると思います。そもそもロシア軍部にプーチン氏への絶対服従を誓っている人がどれぐらいいるかであります。ウクライナを攻めるロシア軍の一部にもかなりへっぴり腰な部隊もあるようで、きっかけさえあれば忠誠がボロボロと剥がれてしまう希薄さがあるとみています。戦国期や江戸時代に農村民や町民に刀や鉄砲を持たせたようなものです。

とすれば可能性としてはワグネルのように雇われて金の力で戦争をする傭兵組織、戦争はまっぴらごめんだとするロシア軍の一部、そして国軍としてプーチン氏を中心とた軍部の3分裂の可能性は否定できないのではないでしょうか?とりもなおさず、今、彼らが直面しているウクライナとの戦いどころではない、ということになります。下手をすればロシア軍総崩れが起きかねないでしょう。

プリゴジン氏は226事件でみる統制派であり、それに対して皇道派は国軍でプーチンに表面上、忠誠を誓っています。歴史が重なるなら統制派が有利になる一方、皇道派は統制派の首謀者であるブリゴジン氏を暗殺する計画は当然打ち出すでしょう。つまり、ロシア国内で不信感だらけとなります。一方、ウクライナと戦う以上、国内問題を可及的速やかに解決しなければウクライナ戦争はロシアの完敗となりかねません。

俯瞰するならば欧米は興味深く見守る、ウクライナは今のうちに一気に巻き返す、ロシア内部ではプーチン氏の次と国家再建を巡り水面下の動きが出る、そんな予想をしています。またこの段階になれば諜報活動が極めて活発になるはずで、スパイ戦が戦況を制する公算も出てくるとみています。

まさに新展開という言葉が正しいとみています。

では今日はこのぐらいで。

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
2023年06月24日10:00
私は広末涼子が15歳でデビューした時、きらりと光るものを感じてその当時発売されたビデオを長年、抱え込んでいました。何が惹きつけたかといえば「あの型にはまらない躍動感」だったと思います。ぴょんぴょん飛び跳ねていたのは若さだけではなく、性格も飛んでいたと思います。まぁ、今回の騒動、くだらない話ですが、それを経済評論家までああだこうだ、と述べるのはどうなんでしょうか。日本の歴史ではお殿様は当たり前、庶民は罰せられる、だったようですが、今は真逆の時代と言うことでしょうか?

では今週のつぶやきをお送りいたします。

投資は上がり下がりがあることを認識すべし!
賞与の時期です。日経のアンケートでは貰ったお金の15%を投資に、そのうち、63%を日本株にするとの回答でした。100万円もらった人はざっくり1/10の10万円を日本株に投資するということです。では今は日本株を買うべきか、と言えば素人ならおやめなさい、と申し上げます。なぜならしばし、ブレそうな気がするからです。株は他人が儲かった話を聞いて追随するケースが多いのですが、それは時遅しなのです。例えば商社の株は今年の初めに買っていれば儲かったのです。

今週、世界の株式は全般にさえず、日本株もダメでした。主因はパウエル氏の議会証言で利上げが2回程度あることを示唆しているからです。市場は口先介入だと思っていますが、あそこまで言われると本気かな、と迷いが出たわけです。では日本株はどうでしょうか?円安がここまで進んでいるのに株が売られたのは海外勢のエネルギーが切れたとしか思えません。ただ、これから2か月間はネタが少ないので大きく下げることもないでしょう。問題は銘柄選びが難しいわけです。

市場参加者にはつまらない一週間でしたが、唯一きらりと光ったのがビットコイン。最近は話題になりにくくなりましたが個人的には長期上昇波動にあるとみています。ブラックロックがビットコインの現物投資のETFを申請したことがきっかけで他社も追随の動きです。また仮想通貨では様々な問題が提起されていますが、いわゆるアルトコインとリンクしているのがイーサでビットコインは身きれいです。だけど、ボーナスを突っ込んではいけません。まずは分散投資がリスク軽減の第一歩です。

タイタニック号の亡霊
潜水艦でタイタニック号を探す、という探検心は宇宙に出ていく気持ちと同じぐらい興味を搔き立てるのでしょう。ツアー代金一人3500万円、金持ちからしたら宇宙に行くよりはるかに安く、しかも人数は限定されています。つまり、何億円も積んで宇宙に行った人と比べ、希少性ではいい勝負だったわけで企画としては上手だったと思います。

が、潜水艇が水深に耐えられるかは別問題。ロケットを飛ばすにしても細心の注意と先端技術の粋があっても失敗するのです。潜水艇そのものの注目度が少ないこともあり、そのあたりの技術的確認がおろそかだったのかもしれません。主催者はNASAやワシントン大学の名前も上げていたようですが、両者とも関与否定です。乗船していてお亡くなりになった事業創業者の「自己過信」の可能性は問われるでしょう。残された者もたまったものではありません。

豪華客船タイタニック号は1912年、英国からニューヨークに向かう途中、氷山にぶつかり、1500名あまりの命が奪われた伝説の事故です。栄華を極めた人たちの晴れの舞台が一瞬のうちに悲鳴と変わっったその亡霊は今回乗船した富豪たちをも迷わすことなく、一瞬で圧殺してしまいました。この手の潜水ツアーは仮に技術的に進化したとしてもビジネスとして当面、成功することはないかもしれません。それはリスクを考えると、あまりにもはかない終わり方で美しくないからであります。

賢さは難問を解くことではない
私が高校受験勉強をした際、当時のいわゆる御三家(麻布、開成、武蔵)の過去問題に挑戦し、ウーンと唸ったのは設問のひねくれ方が尋常ではないからでした。私は中3の時は出席日数ギリギリしか学校に行かず、あとは超スパルタの進学塾で朝から晩まで缶詰でした。それ自体、狂っていたと思いますが、その狂った受験戦争の真っただ中にいる私でも御三家の問題は狂っていたと記憶しています。

現在、日本の高校受験に於いて英検準2級と数検準2級を持っていれば入学の優先ポイントをもらえる高校があります。しかし英検、数検共、準2級は高校レベル。つまり中学校では習わない内容を自己習得せよ、と言う訳です。これはおかしい!また、日経は韓国の尹錫悦大統領が大学統一入学試験で学校で習わない超難問が出題されるのはおかしいと発言し、論争になっていると報じています。

社会人になると思うことがあるのです。訳わからぬ数学や理科系の知識より社会人教育してもらったほうが助かると。大学生卒にエクセルシートをまともに使える人は少ないけれど会社ではそれがないと役立たずです。メールの書き方も稚拙、電話での応対も出来ない、マネー教育も道徳教育も不完全。だけど、クイズ大会のような難問を解かせることに世間は喜び、テレビ番組もそれを後押しします。ですが、そんなものは一部の人だけで良いのではないかと思うのです。高齢者向け脳トレで小難しい漢字を書かせる問題を見て、「これは脳が活性化するものではない。易しい問題を素早く片づけることが本質だ」ということを皆、忘れているように感じます。

後記
今、東京にいるのですが、ふと思うのは「窮屈」さでしょうか?バンクーバーはビジネス街のすぐ横に落ち着く環境があり、気分転換もしやすいのですが、東京のコンクリートジャングルと「人圧」が重く感じられるようになったのは歳をとったからかもしれません。荒川の岩淵水門はサイクリストやロードバイクのメッカで私は東京にいる時は必ず数回来ますが、その時だけは救われたような気持になります。あの広々とした解放感は多摩川では再現できません。まさに私の東京のオアシスです。

では今日はこのぐらいで

ブログの応援もお願いできますか?クリックをするとブログランクアップにつながります。
北アメリカランキング
北アメリカランキング

また明日お会いしましょう。
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:
QRコード
Archives
記事検索
Recent Comments
traq

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /