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外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2011年12月

2011年もいよいよ終わりです。経済部門に関して言えば世界の財政問題をメディアが取り上げない日はなかったと述べても過言ではありませんでした。ギリシャ、イタリア、アメリカ、日本...。どの国も抱えている共通問題とみてもよいでしょう。そして、奇妙なことにそれが以前にもまして注目されるようになりました。

考えてみればイタリアなどは20-30年前もヨーロッパの不良少年のようなところがありました。しかし、今年ほど茶の間の話題に出るほどではありませんでした。

財政再建ではアメリカが当初、輪転機をひたすら回す、という施策に出ました。そして、本来であれば、ドルが暴落するところだったのにそれ以上に悪化したユーロがもっと悪くなり、結果としてシーソーゲームでドルは押し上げられました。つまり、アメリカ有利な展開。もっと言えばアメリカの格付け会社がヨーロッパ諸国の格付けを下げるという発表を常に絶妙のタイミングで行うことでユーロのシーソーを押し下げた、ともいえるでしょう。

ユーロはIMF前専務理事のニューヨークでのホテルの暴行容疑事件あたりから完全に歯車が狂ってしまいました。私はどうもその辺がすっきりしないまま年を越しそうです。

さて、国民の政府への不満は高まるばかり。ギリシャでもイタリアでもアメリカでも現政権に対する強い不満、そしてギリシャ、イタリア、スペインでは政権、トップ交代が実現しました。アメリカの場合、ブッシュ嫌いでオバマさんを選んだにもかかわらず、いまや国民からは「期待はずれ」のボイス。仕事がない、借金はたまる、家は追い出されたという恨み節があちらこちらから聞こえてきました。日本でも民主党に期待したのにその後は裏切られっぱなし。結局のところ、政府部門は税収に対する歳出バランスはもはや取りようがないという構造的問題を抱えてしまい政治にその処方箋を求めても難しいということなのでしょうか。

政府部門は何故これほど苦しむのでしょうか?それは人々の要求の高まりにひとつの解を求めることも可能かも知れません。ネットなどで情報が飛び交い、人々の目が問題点に集中しやすくなったこと、そしてその不満の矛先を政府にぶつけるという姿勢は世界共通の手段です。さらにライアビリティが政府行動をコンサバティブに変え、行動一つ一つに対してあらゆる対策を講じていかなくてはいけなくなったということでしょう。つまり、われわれ国民は政府部門に期待しすぎているし、無理難題を押し付けているということなのかもしれません。

私が手がけたバンクーバーの開発事業。完成後4年ぐらい経ってから市役所から電話。「お宅が作った歩道の一部に段差ができているから直してくれ」。歩道を含む公道は完成後すべて市に移管しています。「当方の責任も補償期間も過ぎているからうちではできない」。しかし、当局は予算は一切ない、段差で躓いて転べばライアビリティを負わされる、という恐怖感を背に懇願姿勢。結局、半分ほどお金を出してあげて直してあげた経緯があります。しかし、街中を歩けばそんな段差はいたるところにあります。そして役所はそんなお金はもはやまったくないのが現実なのです。

私は悪いものを悪い悪いと騒ぎすぎているところにもっと問題がある気がします。つまり、不安が増長しているのです。騒ぐから人々はもっと不安になる、金融機関の信用不安が起きる、メディアが騒ぐという悪循環の繰り返しであったということです。これら一連の流れは中国、文化大革命で紅衛兵が「資本主義の虫を無理やり探し出す姿」となんとなく重なりを感じます。悪いと噂されれば第三者の審査機関、格付け機関は問題を見つけざるを得ない状況になっています。本来ここまで大騒ぎするはずではなかったのに大事になっている理由のひとつではないでしょうか?

もちろん財政問題の本論は違うところにありますが、こんな一面にもあったのかもしれません。
直近では2008年についで振り回された一年だったと思います。2012年が回復に向かう年になってくれるようせめて祈りましょう。
今年も一年お付き合いありがとうございました。来年も引き続きよろしくお願いいたします。

ということで今日はこのぐらいで。

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ではまた明日。
2011年12月30日10:30
カテゴリ
経営
日本の社会
今年、私が方針転換したのが高齢者向けビジネス。実は日本で高齢者向け住宅を建設し、一人暮らしの老人が安価で安心して居住できる住宅の開発を2年ほど前からプランしておりました。実際、日本の高齢化は加速度的に進んでおり、高齢者向けのサービスは可及的速やかにそのインフラを整備していかなくはいけないと感じておりました。

しかし、かかる高齢者向け住宅については国交省管轄と厚生省管轄で縦割り行政となっており、実に複雑怪奇な上に省庁の方針に対してそれを管轄する市町村で当該普及のための予算がないといった問題があり、行政上のまずい運営に辟易としました。

更に市場調査をかなり突っ込んで行ったところ、高齢者向け住宅は埋まっていないという現実にぶつかったのです。理由は簡単で今住んでいる家からそこに移ればさまざまなエキストラコストがかかります。それが払えない、払いたくない、という切実な理由から高齢者は本当に自宅でケアできなくなるまで動かないという現実を見せ付けられたのです。

もう一つは高齢者を相手にビジネス=金儲けをするのが気が引けたというのが本音かもしれません。

ですので、私としては日本で高齢者向けビジネスを直ちにするつもりはないのですが、上述の通り、増大する高齢者に対してさまざまなインフラが欠如していることは事実なのです。

私の母親がまだ東京で小さな洋服店を経営しておりますが、これが案外売れるようなのです。なぜかと聞けば周辺のターミナル駅に集積するデパートやリテールに押されて近隣の商店はほとんど壊滅状態になりました。確かに食材店の顧客はスーパーなどに吸収されましたが洋服屋に関して言えばターミナル駅のそばにある店舗は若い人向けが主流で高齢者向け衣料を扱っているところがない、と。だから、同年代である母親が売る同年代向け衣料が案外売れるそうなのです。これは驚きでした。しかし、言われてみれば確かに高齢者はターミナル駅そばで買い物するには高いハードルが出来てきました。人ごみ、複雑な通路、そして、店舗は効率化でよりお金を使ってくれそうな若い人向けの洋服を扱うので高齢者は弾き飛ばされています。

これと並んで案外潰れないのが街角にある飲み屋や居酒屋。いわゆる赤提灯です。何の変哲もない住宅街にぽつっと居酒屋があったりするのですが、そういう店を覗くと案外客が一杯だったりします。何故でしょうか?これも高齢者の顧客を確保しているのです。わざわざ電車、バスに乗って繁華街に行くのはだんだん億劫になるものです。出来れば歩いて5-10分ぐらいのところで一杯やりたい、と思っている人はすごく多いのです。だから、こういう店も潰れずに、いや、案外儲けているのかもしれません。

バンクーバーから車で10分ぐらいのところにウェストバンクーバー市というカナダでも最も高級で金持ちが住む住宅街があります。ここにはミリオンダラーの立派な家が所狭しと並んでおりますが、高齢化も加速度的に進んでいます。そしてその結果が坂の下の方に高齢者向けの施設や住宅が数多く開発されているのです。何故坂の下かといえば坂を上り下りするのは仮に車であっても高齢者にはだんだん厳しくなるそうなのです。この坂の下にある幹線道路沿いには素敵なショップが立ち並びますが、高齢者の需要を満たすようなショップが立ち並んでいるのです。

数年前、私は日本のシャッター街となった商店街の活性化についてこのブログでいろいろ意見したことがあります。今、高齢者の手が届く近隣に高齢者向けの店舗があったらどれだけ便利でしょうか?街中の酒屋は今、配達することで売り上げを伸ばしていると聞きます。いわゆる御用聞きです。これはまさに一昔前の日本の姿に戻ったということであります。魚屋で「おじさん、このさばを三枚に開いて頂戴!」なんていう注文はスーパーでは出来ないのです。

高齢者向けのビジネスは案外皆さんの隣に潜んでいるのかもしれません。着眼点を変えると面白いものが見えてきたりする気がしませんか?

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。
2011年12月29日10:00
久しぶりにユダヤ系カナダ人のBuddyであるG氏と昼間から二人でパブでビールを飲みながら2時間半のランチ。氏はバンクーバーの著名人でラジオの番組から新聞のコラムまで持ち、数々の会社や団体のボードに名を連ねる建築家、デベロッパーです。

彼の年齢と経歴からして相当の資産を貯めこんでいる筈でもうそろそろゴルフ場と結婚したほうがいいんじゃないか、と冷やかしたところ、とんでもない、今年は忙しくてほとんどできなかった、と。話をしているうちに盛り上がった話題が「人は金のために仕事をするのか?」であります。

ある程度の年齢に達し、ある程度の金銭的余裕があると物欲もなくなる、というのは少なくとも北米では本当で彼も今年はワインブリーザーを一つ買っただけであとは数回、旅行に行ったぐらいだったそうです。では何故スローダウンして好きなゴルフ三昧とならないかというと野望だけは衰えないというのです。今年のバンクーバー市長選も最後の最後まで立候補を考えたというし、今でも市長の仕事ならやりたいといっているその理由は名声を求め、人脈を活かし、指導力を発揮し、人々からリスペストされたいという野心が彼のエモーションをそこまで高めているようです。

その対比で出たのが不動産業界で成功したF氏。その業界で相当の成果を残し、蓄財し、裕福という目標に到達してしまった結果、仕事振りがすっかり変わってしまい仕事に立ち向かうパッションが完全に消え、昔の名声の惰性で仕事をしているというのが双方共通の厳しい評価。

よく言われるのが宝くじで巨額の富を当てると人生が変わるといいます。シャンペンを開け、会社を辞め、車を買い、家を買うのが北米でよく聞くパタンですが、日本でも似たり寄ったりだと思います。しかし、宝くじの当選者が必ずしも終生幸せになるかどうかは別の話のようです。それは生き方が変わり、付き合う友達がいなくなり、結果としてモノには不自由しないけど社会生活に溶け込めなくなる、というものです。

人間は金のために仕事をするのか、という質問に対し私の答えは「自分の精神を磨き続けるため」というのが答えです。

料理人がまず包丁を研ぐようにビジネスパーソンはビジネスをする以上その感性を常に極限なまで敏感にすることが重要です。何故、そこまでするかといえば自分自身との戦い以外の何者でもない、ということであります。G氏のように野望を持ち続けるというのも一つでしょう。私はクオリティオブワークを常に念頭においています。彼にしても私にしても自分自身との戦いをした結果として報酬があるが決して報酬が先にありき、ということではないことに意味があります。

G氏も私もたゆまぬ努力をし失敗も重ねてきました。しかし、失敗を振り返ることでそれを自分の糧とし、更なる飛躍を遂げようとお互いに励ましあい、誓い合ってきました。

2011年もあと数日、そろそろ、2012年の抱負を考える時期となりました。少なくとも私はチャレンジを継続します。それが自分がもっともキラキラしている生き方だと分かっているからです。

「来る年」は決して穏やかではないでしょう。しかし、更に高いゴールを設定することでよりその苦しさを乗り越え、飛躍できると考えています。汗を流すという言葉はもはや日本人には忘れ去られた言葉かもしれません。少なくとも私には一緒にシャカリキになれるBuddyがそばにいるだけで勇気づけられるような気がします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。
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ではまた明日。
2011年12月28日10:00
民主党で離党の動きが加速しているようです。民主党が与党になったときの政権公約が形骸化し崩壊していることへの憤りが表向きの理由です。小沢派の離党が主流とのことでスケジュール的に期限の今日12月28日中にも離党し、新党を数日中に立ち上げ来年度政党交付金の締め切りに間に合わせる、ということでしょうか?

だとしたら私はおろかな行動、とバッサリ斬らせていただきます。

まず、どんな新党を構想しているのか存じ上げませんが、新党立ち上げは日本の社会、政治、経済、福祉、生活、外交などあらゆる方面の課題を発起人が腹を割ってじっくり話し、一枚岩になったうえで行うべきです。交付金の日程に合わせて新党立ち上げなどというのは愚の骨頂です。

それにしても最近の新党はしたたかな計算と打算で成り立っています。今、国会に議席を有している政党はいくつあるかご存知ですか?じつに13もあるのです。NHKの日曜討論に出てくるのは上の方だけでそれ以外にも随分あるのです。

では、少数政党はどの程度機能するのでしょうか?政党戦略であるならば企業買収における市場シェアの考え方と同じでA党とB党の党員を足すと一気に順位が上がる、という意味合いでなければなりません。しかし、現在、議員数10名以下の政党が8つもあるのです。市場シェアの考え方からすればシェアの低い党と一緒になるメリットはほとんどないはずです。

今回民主党から若手が離脱し、新党を立ち上げるとしてもまたせいぜい10人規模の政党になってしまうのです。

では、市場占有率ならぬ議席占有率でみると、衆参両院708議席に対して、民主党57.6%、自民党28.4%となり、両党あわせて86%にもなるのです。とすれば、新党を立ち上げる勇気は立派だとしてもボイスはかき消される事になりますし、メディアへの登場もなくなるのがオチです。

次に外国に住んでいる私からみると日本がほぼ単一民族で島国でもともと一億層中流という流れを汲んできているのですからベクトルの向きが外国ほどばらばらではないと感じています。ならば、意見はある程度集約されてしかるべきだと思うのです。なぜ、今、議席をもつ政党が13あり、更に14番目の政党を作らなくてはいけないか、さっぱりわからないのです。

あの国土が広く3億1000万人の民を持ち、東西南北ですっかり文化が違うアメリカでさえ基本的に二大政党に収まっています。

政党を作ることは確かに憲法で認められているかもしれませんが、だからといってその機能を十分に発揮できない少数政党を雨後のたけのこのように作ればよいとは限りません。なぜなら、国民が政治家のボイスに迷わされてしまうからです。一方、離党議員にとってはソニーを辞めて松木電機を作るとか、トヨタを辞めて内山自動車を作る、といっているようなものではないでしょうか。日本には残念ながら新興政党が隆起する素地は何年待っても作りあがらないと思います。それが少なくとも歴史でした。

一方で日本がこれから乗り越えていかなくてはいけない問題は山積しております。その中で党利党略が前面に押し出される政治ゲームが延々と続くのであれば日本は戦前戦後を通じて政治は3流のまま一向に成長しないということになるのでしょう。

実に残念である気がします。

今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。
ブログも書きっぱなしというのはいけません。自分の考えが一定時間経ったのち、合っていたかの検証はすべきです。日本のメディアは言いっ放しのところも結構多く、「あれはどうなった」という事を責めることはあまりありません。
しかし、勉強でもそうですが、復習と反省がものをいうのです。そういう意味で一年を見直すことは重要だと思います。

その1 G20
本ブログ1月1日にG20はまとまりを欠く集まりとなる、と書かせていただきました。この趣旨はG7がキリスト教を信じる欧米が主導権を握ることで一定の方向性や帰着点を引き出しやすかったのですが、集団合議制になればなるほど物事は決められず、結果して会議そのものへの期待は小さくなる、というものでした。これはほぼその通りに推移したのではないでしょうか?

むしろ、今後は民族問題を含めたもっと我侭な動きが必ず出てきます。2011年が民主主義への賞賛の年だとすればそれはその弊害である意志決定の遅延に伴う反作用がちらちら見えてくることを想定しなくてはいけません。その例として欧州連合におけるイギリスとドイツの対立はまさにそこに根本理由を見出すことが出来ます。

その2 円高
ドル安を通じて輸出倍増計画を打ち出したオバマ大統領でしたが、昨日も書きましたとおり、ドルが基軸通貨でありドル安の輸出増以上のデメリットもあるわけで結局、ユーロとのシーソーゲームを繰り返したということでしょうか?為替予想について具体的数字はこのブログには書かないことにしていますが、別のところに書いたものを見ますとちょうど一年前に円は75円まで来ると想定しておりまして、これはほぼビンゴだったと思います。

何故そう予想したかといえば超長期の円ドルチャートで円高になる方向性が見えていました。ですがドル円が市場最高値をつけた頃、円が60円台や50円台になると言っていた人がいましたが当たるとは思っていません。世の中、そんな一方通行はないものです。

その3 オリンパス
事件発覚後間もない10月22日の僕のブログにはこう書いています。
「菊川会長を中心とした一部経営上層部がダミー取引をしたのではないかと思われます。それが何かの損失補てんなのか、特殊な人脈の中で行われた「ある費用」なのかまだ、それは開示されていませんがいずれわかることでしょう。ケイマンを経由した取引であるとか、情報開示に対して非常に抵抗しているところからすれば当局の強制調査など強権をもって対応するしかなさそうです。」
更に、
「(菊川元会長とマイケルウッドフォード氏は)喧嘩両成敗になると思っています。会社の本来の価値と事業は特別に遺棄しているわけではありませんから現経営陣が早急なる幕引きを計り、本業の信用の回復にまい進することでオリンパス事件は収まることになるとみています。」

実際オリンパス事件は現時点で幕引きに向けた動きが見られます。多分、S社かF社が増資を引き受けるなどで終わります。上場は維持される公算が高いと思いますがウッドフォード氏の芽はないと思います。何故なら四半期決算を見てもウッドフォード氏の経営手腕がそこまで評価出来るのか不明瞭であるし、そこまで優秀なら既に別の会社にヘッドハンティングされているでしょう。

その4 欧州
最後にヨーロッパ。僕は欧州連合首脳会議が12月8日から行われ、その結果を踏まえ、今年はそこまで、あとはクリスマス休み、としました。市場はもっと動く、と予想した方もいるようですが、実際沈静化しました。繰り返し言うようですが、「ニュースがあるから市場が動く」のです。クリスマスは宗教的な儀式であり、日常のゴタゴタから解放されるときなのです。そんなときは何も起きないのが当たり前であります。

では今後はどうなるか、それは年初に書くブログにて書かせていただきます。

私は特別に内部事情を知っているわけではありません。むしろ、事情通の方が予想を外すことがあったりします。なぜなら、その特殊情報がいかにも判断に大きな影響があると勝手に想像してしまうのです。世の中、エキストリームにはなりません。必ず、議論の中である一定のしかるべき方向性に行くようになっています。それを読み取れれば誰でもある程度の確度を持った予想は立てられるものだと思います。

ということで今日はこのぐらいにしておきましょう。

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ではまた明日。
野田首相と温家宝首相の会談で日本が中国の国債を7800億ドル規模で購入することとしました。中国は既に10兆円以上日本の国債を買っていると見られており、いわゆる片思いから持ち合いという強い連携時代に移ることになります。

日本からすれば7800億円規模は外貨準備の0.8%程度にしか当たらないとのことですから記事をこのまま読めばすっと流してしまうかもしれませんが、この動きは来年以降の為替と国債相場にきわめて重要なファクターとなると思われます。

私が一番先に気にしているのがアメリカの反応であります。日本としては外交ルートを通じて事前にアメリカにはその方針を伝えている可能性は高いと思います。なぜならばアメリカほど自国通貨の価値について神経質になっている国はないからです。

ご存知の通り、米ドルは基軸通貨としての役割と米国内通貨としての二つの顔を持っています。アメリカとしては基軸通貨だけに貿易赤字になってもあまり気にならないといえる部分もあります。なぜなら、世界の通貨として好む、好まざるに関わらずドルが世界共通の通貨価値のメジャメントになっているからであります。

しかし、基軸通貨としてのポジションを失うとアメリカ経済はボロボロになることが目に見えています。なぜなら巨額の貿易赤字と財政赤字は格付けの下落を通じて国債価格の下落(利回りは上昇)、ドルの下落を伴うからです。そのためアメリカは過去、基軸通貨防衛の為にさまざまな努力をしてきました。

一説にはイラク戦争もイラクが石油取引をドル建てからユーロ建てに変えるとしたこともその一因といわれています。ドル防衛の為にはアメリカは死力を尽くす、という感がします。私のブログでも指摘している通り、昨今の欧州金融危機もアメリカの格付け機関に振り回されている感がありますが、ユーロを沈み込ませドルを相対的に安定化させるという目論見は見事にワークしているわけです。

例えばアメリカの短期国債は今、マイナス金利状態。つまり、預ける人がお金を払うという異常事態になっていますが、そこまでしてでも欧州を中心にドルが欲しいという需要のマインドの表れとなっています。

このような事態の中、日本が中国との国債持ち合いに入る、そして、それは外貨準備の1%にも満たないわずかな金額とすればアメリカは今は容認します。しかし、日本としてはこれは入り口に過ぎず、ここから大きな中国国債シフトが出来る道筋を作ったともいえます。そこから派生的に想像できる事は、

1.中国が同様の国債持ちあいを他の同盟国にもよびかけること
2.その結果、ドル国債の需要がじわじわと低下していくこと
3.アメリカの覇権の時代から中国経済主導へのシフトへの準備ともとらえられること

でしょうか?日本としても膨大な為替評価損を抱えるアメリカ国債を買い続けることに抵抗はあったはずです。もちろん中国の経済も先行き不安が一杯ですが、それをいえば世界どの国も安泰なところを探すほうが大変だということになります。今回の野田首相の中国訪問でさらっと記事にされていたこの持ちあいは将来的に大きな意味合いをもたらすことになると思います。

今日はこのぐらいで。

ところで頂いているコメント、ちゃんと拝見しております。ありがたく存じております。私は基本的にはコメントを通じて皆様とわいわいやるのが楽しいと思っておりますのでタイミングを見て再オープンしたいと思います。ご支援いただいている方のご理解、ありがたく存じます。

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ではまた明日。
クリスマスということで街はもうすっかり静かになりましたがこの時期はいつもの癖で一年を振り返ってしまいます。
毎年はじめに一定のチャレンジと目標をセットしてそこに向かって突っ走るわけですが、今年は皆さんどうでしたでしょうか?年初の抱負通りに行きましたでしょうか?日本にいらっしゃる方は震災などで思い通りの形にならなかった方も多かったのではないでしょうか?

僕はチャレンジと効率化の二本立てメニューで走ってきました。チャレンジはダイエットでいう運動をするほう、効率化はカロリー制限のようなものでしょうか?プロセスは苦労しましたが結果としては悪くないものだったと思います。

カナダのビジネスは全体的に緩慢な感じでした。周りでも新たに投資をしてニュービジネスがどんどん立ち上がったという感じはしませんでした。特にダウンタウンではビジネスをギブアップするケースも散見できましたし、ロブソン通りなど主要繁華街の店舗もfor leaseの看板が目立っていた気がします。

この状況の中、今年は大口の顧客契約更改が4件ほどありましたがどれも満足できる条件での更改となりました。また、不良債権も発生しませんでしたが、それは運も良かったかもしれませんけれど大家としてテナントのビジネスを守るという目に見えない計らいや対策を行っていたことかもしれません。多分、スタッフすら気がつかなかったかもしれません。以前にも申し上げたと思いますが大家とテナントの関係を上下関係におかず、水平状態におき、ウィンーウィンを作り出す方策を推し進めており、これがワークしました。大家によってはテナントの事を顧みず、自己都合の条件を押し付けるところが多いと思いますが大企業には出来ない芸の細やかさで乗り切れたかもしれません。

一方チャレンジのほうは一勝一敗に終わりました。ですが、負けたほうのチャレンジはそのプロセスにおいて非常に勉強させてもらったと思います。僕は10の失敗で1の成功がある、と思っております。ビジネスで勝ち続ける人はいません。どれだけ失敗してそれを反省し、次のチャレンジに生かしていくか、これが全てだと思っております。

震災を通じてここバンクーバーでも日系コミュニティーを中心に今までなかったチームの活力を見ることが出来ました。僕としても出来るだけのことをさせて頂きましたが、それ以上に日系の人が一緒に活動したことに大きな意味があったと感じております。多分、この動きは世界中の日系コミュニティ全て同じだったと思います。

この日系のつながりを風化させないということが今後重要な課題になってくるでしょう。僕もいくつかの非営利のグループで活動しておりますが、今まであまりご一緒することのなかった人々とイベント等を通じて盛り上がったことは大変意味があったと思います。海外に住む日系コミュニティに強い絆が生まれてくれればと思いますし、我々の世代はその盛り上がりを継続する為にアシストをしていくことが義務かと思っております。

厳しい年であったからこそ一方的な守りに入らず、弱いところを見つけそれを補完していくという積極的な活動がビジネス、ノンビジネスを通じて貫いた一年だったと思います。常に考え、改革し続けることでその成果は翌年に引き継がれていくものです。激動の2011年だったからこそ、より思いを強くして次の年を迎えたいと思っております。

では今日はこの辺で。

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