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外から見る日本、見られる日本人

バンクーバーの日本人社長ヒロが仕事、生活を通じて感じた経済、経営、社会、日本人観などを綴っています。

2016年09月

夏の選挙の時、小池旋風は多くの都民の心を捉えました。メディアが有力候補と称するほかの二人を圧倒し、都民の黄色い声をモノにした小池さんの勝利の原動力は「クリーン」であったと思います。マスコミの力添えもあり、都議会のギトギトした部分が悪役扱いされたことも追い風でありました。

ただ、小池さんには弱点があります。それは方向転換できない暴走型である点でしょう。テレビに出ない日がない小池さんは今では露出度において風邪気味らしく元気のない安倍首相をはるかに凌駕しています。首相より注目されれば蓮舫さんのようにいつも白いジャケットともいかず、毎日の洋服選びも大変だろうと思いますが、それ以上に紋切り調の自己発言の重みがどんどん増し、フレキシビリティをなくしてきています。

私が懸念しているのは知事として着任わずか2か月のペースとしては無理がありすぎるということであります。この状態を続けるのは精神的にも肉体的にも不可能であります。

個人的には小池さんを応援しております。その中で期待の一つに知事としての長丁場をどう走りぬき、都政を改革していくのか、バランス感覚も重要だと思っています。小池さんへの期待は都政のヒロインというより前3都知事が途中退任している中、まずは任期を全うできる安定感、信頼感、そして着実な改善を進めていくことであります。

今回、やや奇異に感じたのは豊洲問題がまだこれからどうなるかわからない中でオリンピックの会場問題もバッサリと斬ってしまったところであります。疑問はそこまでやるほど小池さんのブレーンが存在するのか、であります。少なくとも議員レベルでは表立って同調できる人はいないでしょう。ということは自らのスタッフの一部ということになりますが、どこまで気を許し、任せられるのでしょうか?私ならまず信用しません。なぜなら彼らは公務員であり、最後は自分がかわいい人たちばかりで時の流れに身を任せやすくなるからです。

安倍首相があれほど精力的に動き回れるのは内閣や閣僚、ブレーンがごっそりいるからでしょう。毎夜毎夜、各界の人たちと会食をし、多い日では3度のディナーが入るときもしばしばです。これは人との付き合いを通じて自分の仲間と情報を集め、根回しをし、岩盤を動かしていく地道で目立たない努力をしているからです。

ところが小池さんは私から見れば今は裸の女王様。これでは味方どころか敵を加速度的に増やすばかりであります。

小池さんは問題点を明示し、公開することについては長けています。いまだわからないのはそれをどう解決させるかその能力であります。この手腕はいまだ未知であるといえましょう。が、小池さんの口調は勧善懲悪型なので解決策次第では「妥協した」と言われかねないリスク含みになります。では小池さんにも黄色い声で応援する都民にも完全に理解してもらえる満額回答があるかといえばそれはまずないでしょう。

今、都民の間に広がる期待とは「小池さんは妥協しないわ」でしょう。「豊洲は安全対策ができない限り移転しないわよね」もあるでしょう。ましてやオリンピック会場の問題となれば「そうよ、こんな数週間のイベントで多額の税金を使うならもっと私たちにも使ってよ」「森さんって本当に酷いわ、小池さんに頑張ってもらわないと」という女性目線の強いサポートになっていくのです。

この雰囲気が増長されると小池さんは本当のバトル時代を迎えることになり、三文週刊誌が喜ぶネタを大いに提供することになります。

私ならどうするか、ですが、豊洲に関しては問題だ、問題だというばかりではなく、どうやったら解決できるか、その道筋を示すべきです。来年しろまる月には移転させる、そのために改善すべき点を掲げ全力でそちらに向かう対策を早く示すべきです。検査や試験という時間がかかるものに頼りすぎてはいけません。そこに答えがあるわけではなし、試験結果も答えにばらつきがあり、どこまで信頼できるのかという点もあるのです。

オリンピック会場についてはあれは半ば失言だと思っています。費用が最大3兆円かかるという調査レポートを鵜呑みにしすぎです。最大3兆円ならもともとの見積もりから増えた部分を検証し、2兆円に減らせないのか、その精査はしていないでしょう。思いつき発言と言われても致し方ありません。

私が小池さんのブレーンがいない、と懸念するのはそこなのです。一国家と同じぐらいの規模を誇る都政の運営において十分な検討がなされず、一部の報告や調査でそれを判断するのはあまりにも危険な暴走であります。

小池さんに求められるのは年単位の戦略であります。テレビ出演で言質を取られすぎず、もっと地に足を付けた落ち着いた都政が求められるでしょう。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
2016年09月29日10:00
カテゴリ
経済一般
外交
9月25日付の私のブログでこんなことを書いています。「いつかは上がるといいながらなかなか上向かない原油価格。今週にOPEC,イラン、ロシアが非公式会議で減産を再び探るようで現在、下地ならしの会議が進んでいるようですが、下馬評ではあまり期待は持てないそうです。案外、期待していない会議でびっくりするよう合意がなされたりするものなのです...」と記したのは別に何か裏情報を持っていたわけではありません。

実際のところ、ロシアは合意できないだろうと会議に参戦しなかったようで内部の人間すら期待感ゼロだった今回の暫定合意は何だったのでしょうか?

私が注目していたのは下地作りの調整がイランとサウジの間で進んでいたことが逆に本気度を感じさせたという点でしょうか?今までのOPEC会議はイランの出方が最大の注目でしたが石油の輸出解禁からイランの増産ペースが軌道に乗るまで時間がかかっていました。その間、イランは聞く耳を持つ状況になかったのですが、今回、下地作りのテーブルに乗ったのはいつまでもわがままがいえないという先読みもあったのだろうと思います。

サウジも台所が非常に苦しい中、31歳のサルマン副皇太子の采配にも注目でした。かつての石油の実権者で20年も在任したヌアイミ石油相からサルマン副皇太子ダイレクトの指令が伝わりやすいファリハ氏に代えたところがその伏線であります。

サルマン副皇太子はサウジの長い先行きを考える中で、脱石油社会の到来を見越し、各種投資に打って出ています。しかしながら、それらが開花するのには時間がかかるため、現状の石油依存の国家体質において目先、何が何でも状況を改善させる必要性を背景に感じ取れます。また、アラムコの上場準備もあり、その価格形成をなるべく高めたい野望も当然あったはずです。

今回の暫定減産合意は11月30日のOPEC総会時に正式決定されるとみています。減産幅はわずかですが、産油国が無尽蔵な産油競争に陥っていたことに歯止めがかかったことは大きなトレンド変化とも言えます。原油価格はニューヨーク市場で5%程度上昇して47ドル台となりましたが、今後、じわっと上昇が続き、当初見込んでいた年末50ドルから60ドルのラインに再挑戦になろうかと思います。

さて、原油価格が多少なりとも上向くことでそれなりの影響が出てくるでしょう。例えば、アメリカでは自動車販売は燃費の悪いライトトラックから乗用車などへのシフトが起きるかもしれません。読み切れないのはアメリカのシェールオイルがどのぐらい回復するかですが、個人的には金融機関がすぐさま、融資の姿勢を転じることはないとみていますのでシェール復活には原油がある程度高値安定するまでは再ブームは期待できないと思います。

日本などでは一部関連製品の値上がりはありうるかもしれませんが、5-60ドルの水準であれば物価への影響は軽微だろうと思います。むしろ、物価マインド的にプラスに転じますので経済全体にはよいシャワーとなるのではないでしょうか?

長期的に見れば脱石油社会は時代の趨勢ですのでジワリと石油依存度は下がってくるとみています。また、天然ガスが安値で放置されているので代替資源としての活用が進めば資源依存の地図は変わってくると思います。特に安倍首相がプーチン大統領と進めている日ロ間の経済関係の合意についてはサハリンの石油、ガスの日本への供給が主テーマであろうと推測しています。パイプラインを含めた供給体制の合意の可能性もあり、日本にとって資源のオプションが増え、価格交渉力が増してくることもあるでしょう。

一方、石油価格の上昇は中国の資源へののどの渇きを促進してしまうかもしれません。最大の懸念は南シナ海への進出意欲でしょう。過度の資源価格へのスペキュレーション(投機)は政治問題、外交問題への発展につながり、東アジアの不安定化をもたらす要素にもつながります。

中東の石油減産合意はリンクする世界故に「風が吹けば桶屋が儲かる」的な展開を見せるものです。すべてを予想することは難しく、想定外の事態も起こりうることは頭の片隅に置いていた方がよさそうです。

では今日はこのぐらいで。

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ヒラリー クリントン氏とドナルド トランプ氏の第一回目の討論会の影響力は凄まじく、史上最高のソープオペラに1億人が釘付けになり、どちらがどうだったという論評にスポーツバーでも盛り上がったのではないでしょうか?

討論会の内容については報道の通りですのでそちらを参照いただくとして、なぜ、この二人がここまで勝ち抜き、アメリカでは史上最低の大統領選と自らを酷評しながら史上最高の視聴者を集めたのでしょうか?私はここに老いつつあるアメリカを見て取っています。

民主、共和のそれぞれの予備選ではそれなりの候補者はいました。特に共和党は乱立乱戦模様で的を絞りにくいほどでありました。また、それなりに知名度がある候補者も数多くいましたし、大所高所からアメリカのビジョンを掲げた候補もいました。が、そのようなまじめな候補者はことごとく敗退し、エンタテイメント性があり、楽しい候補者が残ったとも言えます。これではラスベガスの三文劇場で見る芝居のようなものであります。

なぜ、この二人が残ったのか、私なりのポイントは三つあります。

一つは圧倒的な知名度をベースに「史上初」の冠がつく二人である点でしょうか。「女性大統領」対「政治家ではない候補」であります。オバマ大統領が当選した時も黒人大統領という史上初の冠がついています。アメリカは開拓主義ともいわれ、何事もチャレンジし、新たな分野に手を伸ばしていくDNAがあります。世界を見てもこの体質は他国には見られない独特のリーダーシップであります。

私はこれは国民が求める刺激だと思っています。その刺激は強烈であればあるほど注目を浴びるという点で今回の二人はまさにその枠にピッタリとも言えそうです。

二つ目は回顧主義であります。方やチャレンジ精神と開拓主義と言いながら、実は古き良きアメリカを忘れらないアメリカをそこに見て取れます。例えば最近のアメリカの映画を思い出してください。多くのヒット作は過去大ヒットしたものの続編やシリーズものが多くなっています。ラジオ局は60年代、70年代、80年代のヒット曲を流す専門局が増えています。決して90年代のヒット曲ではないところがポイントです。これは年齢層でみると40代半ばから上の人達が若いころに楽しんだ時代でそれだけその年齢層のボイスが強いということが考えられます。

三つ目に私はリーマンショックが与えたアメリカの変化を掲げたいと思います。2006年の住宅バブルのピーク、そして、2008年の危機でアメリカが経験したことは住宅を取得するゴール達成感、そして一部の人はそれをはく奪された現実であります。つまり満足なり不満足なりの達成に伴う燃え尽き症候群が国民全体を広く覆ったことがあります。わかりやすい例えならば大学入試で志望校なりやむを得ない選択なりをした段階でそれまで学業に燃えてきたあの青春が終わるということと同じでしょう。

また、アメリカンドリームである3大自動車メーカーの2つが潰れ、再生した会社において賃金が低く抑えられる新時代のトレンドを作り上げたことはアメリカ産業界全体にあっという間に広がりました。

イエレンFRB議長が雇用統計に必ずしも満足しないのは平均賃金が上がらないから、とされますが、これは日本でも同じことが起きたわけで当然、予期できた事態であります。つまり、アメリカがディスインフレから場合によりデフレ化する予兆すらあり、国民は肌でその先行きを感じているのだろうと思います。

そうなれば「世界のことより私の生活」と思う中流が声を上げるのは当然でしょう。アメリカといえばエスタブリッシュ層など知的イメージが先行することもありますが、実態は99%の中流のマインドが大きな流れを作っています。それゆえ、シリアよりもロシアよりも北朝鮮よりもウォールマートの安売りに行き、ダラーストアでたらふく買い物をして、週末、コストコでガソリンを入れることの方が重要なのであります。

よって、あとひと月強でこの長い戦いも終わるわけですが、どのような結果になろうともアメリカの内向き志向はより強くなり、世界の中で超大国としてのリーダーシップを期待するのは無理なのだろうと思っています。日経の社説は「米大統領候補は世界への責務を忘れるな」という仰々しい内容でありますが、それは時代錯誤であって、今我々が声を上げなくてはいけないのは世界の新調和とそのニューリーダーシップではないでしょうか?

2017年から世界のピクチャーは大きく変貌する、これが私の見立てです。そして日本はもっと自立しなくてはいけない時代に突入するでしょう。我々にとっても大きな幕開けとなりそうです。

では今日はこのぐらいで。

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2016年09月27日10:00
カテゴリ
社会一般
経営
かつての会社の組織はわかりやすさがありました。平社員の上に係長がいて、その上に課長、部長、役員、社長であります。その直線型の組織形態は下であげた声が上まで届きやすい仕組みであったといえます。会社や組織によってはそのコミュニケーションラインを課長、部長あたりが節目になってそこで止めてしまう動脈硬化はありますが、それでも問題の原因を突き詰めるには容易だった気がします。

今の組織はプロジェクトチームや第三者委員会、社外取締役、有識者委員会といった様々な名称の「こぶ」がコミュニケーションライン上に生まれています。その「こぶ」は特殊な権限を持つ場合もあるし、意見をするだけの場合もあります。会社のトップ人事を決めることもあれば意見だけ聞いてあとは社長マターというケースもあります。

この組織の「こぶ」は会社のみならず役所を含むあらゆる団体で増えてきています。

私がバンクーバーのNPOで20年近く役員をやっているなかで「こぶ」はごく当たり前の運営形態でありました。なぜならばあることを実行するのにいちいちNPOの役員会で諮っていては議論百出でものが進まないからです。そのために担当ごとにチームを作り、それぞれのこぶが一定の権限と責任感を持って担当作業を進め、役員会でその進捗を適宜報告、またイベントなどが終われば反省会を開くという流れでした。

この仕組みがワークしたのは役員会=組織中枢そのものが極めて少人数である「小さな政府」状態が背景にあります。一人一人の権限と責任が明白でそこに期待されているものも組織を通じて認識されています。結果としてそれがうまく機能しなければ機能させるように担当配置を見直したり、権限そのものを見直すことにつながります。

このやり方は組織の一つひとつがより活性化し、コミュニケーションが進み、発展的ディスカッションができていると認識しています。

東京都の豊洲盛り土問題では当時の担当部長が十分に状況を認識しないままハンコを押していたことがわかりました。かつて私が会社員だった頃、「俺はハンコを押すだけの仕事」と言っていた人がいました。あるいは同意したくなくてもハンコを押さねばならぬ時はめくら印にさかさ印、印のサイズが小さいハンコを押すなど抵抗を示した人も数知れず。

東京都の担当部長さんがハンコを押したのは盛り土をしていたと認識していた、と事実関係を掌握していなかったことにあります。「課長が全てを仕切る」と言いますが、部長さんが蚊帳の外であることは日本の組織でしばしば見受けられることです。「君、大丈夫なんだろうな」「はい、すべて確認済みです。」「そうか」この単純系の会話は組織の血行をよくさせるための常備薬ともいえましょう。

ではこの場合の責任は何処にあるか、といえば本来であれば担当がきちんと説明をしていなかった、あるいは隠ぺいしていた可能性でありますが、組織において責任は担当ではなく、長が取ることになっており、担当の処分は組織内でひそかに行われるのがしきたりともいえましょう。

では、業務や作業を「こぶ」に任せた場合はどうなるのかといえば新国立競技場問題で露呈したように誰が何をやっているのか全然わからなくなってしまうリスクが生まれてしまいます。それはプロジェクトが大きすぎて関連する事象が増大、「こぶのこぶ」の管理ができず、全体が掌握できなくなってしまうともいえます。また、会議では皆、言いたいことだけを述べ、その結論づけをきちんとしていないことによる宙ぶらりんがあいまいさを生み出すこともあるでしょう。

日本人は会議が大好きな民族であります。一つの事象を皆と分かち合うという文化的背景でしょう。「おすそわけ」や「稟議制度」「町内会や村落寄合」など基本的には小組織において価値観をシェアし、ディスクロージャーをする発想とも言えます。ところが問題はこの均一の会議空間はバトルの場と化し、それなりの主義主張を貫き、その上、人間関係という感情論がミックスされると権力で押さえつけない限り、絶対に一点に収まらないのだろうな、という点でしょう。それゆえ、仕切る人間の能力次第ではオープンエンド、つまり締まりのない何のための会議だかわからなくなる事態が生じるのです。

後々これが問題になると「そんなことは議事録に記載されていない」「記憶にない」「俺は関与していない」「知らなかった」という格好の理由付けができる状態を作り上げます。

世界の中央銀行の政策会議はその点、誰がどう投票したか開示されるため、少なくとも責任所在の曖昧さは少なくなります。これは冒頭のNPOの例のように会議参加者がせいぜい10人程度で収まっているからこそできる技であります。

テレビなどで時々映し出される政府の会議の模様。私からすればこれはいったい何なのだろう、なんでこんなたくさんの人が出席しなくてはいけないのだろう、と疑問符だらけであります。

これからオリンピックに向けて様々な会議が催されるでしょう。会議は取り仕切り能力、つまり議長の能力が全てであります。また、個人的には会議は10人までだと思っています。それ以上呼ばねばならない理由は会議出席者が事情を把握していないからであり、それは能力の欠如とも言えます。

会議は小さく、短く、これは多くの企業が取り入れているアイディアです。椅子がない会議もあります。立ってやるから早く終わるというわけです。また、会議テーブルが座る位置により権限を示す長方形というのも時代遅れだと思います。円形テーブルが会議のスタイルとしてはベストでしょう。

こんなところにも変わらなくていけない日本を感じてしまいます。

では今日はこのぐらいで。

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2016年09月26日10:00
カテゴリ
韓国関係
外交
お隣、韓国は話題の提供には事欠かない国であります。政治から外交、経済、社会までとにかく不思議な話題が多いのは国家の腰が座らない状態が続いているからでしょう。まさにバンジージャンプで上下に激しく揺れるような状態のこの国であってはならない紐がほどけてしまうようなことがまた起きるとは思いませんが、この国は今後、どこに向かっていくのか、私なりに考えてみました。

朴大統領が就任当初、中国傾倒、日本無視の姿勢を貫いたのは朴大統領の真意ではありませんでした。前大統領の李明博氏の竹島上陸という「奇行」に原因の一端がありますが、必ずしも李氏に全面的原因があるとも思えません。私は2011年8月の韓国憲法裁判所の慰安婦への補償に関して「解決済み」であった同問題が振り出しに戻ってしまったことが原点ではなかったか、と考えています。

李氏は経済大統領として「韓国747計画」と称する7%成長、一人当たりGDPを4万ドル、世界7位の国家を目指しました。リーマンショックを経験しながらもこのころの韓国は数字としては良好なものを残しました。理由は中国の躍進に伴い韓国の製品がバカ売れしてからであります。また、李氏は決して反日派ではなく比較的日本と協調体制をとっていました。よって韓国にとって「日本と中国の両手に花」状態であったわけです。あの憲法裁判所の判決さえなければ日韓関係は全く違う歩みをしていたはずでした。

朝鮮半島の人は何処を見ているのか、といえば自分のことが全てかもしれません。これは北も南も同じです。あの半島には韓国5000万人、北朝鮮2500万人の合計7500万人の人口を抱えます。国土の大きさは北が12万㎢、韓国が10万㎢であり、日本が人口1億2000万国土38万㎢であることを考えると日本と似たような密度をもったこの半島ですが、歴史的には中国と日本に大きな影響を受け続けました。そのため、常に中国側に傾いたり、日本側に傾いたりするのですが、自我に目覚めにくい体質でいつも「誰かのせい」にする悪い癖があります。

言い換えれば、半島では誰かが面倒を見てくれるという前提が国民意識の中に根付いており、あとは自分さえ良ければ万事うまくいくわけです。多くの韓国財閥が裏金や税逃れで年中手入れを受けているのも自己利益の追求といってもよいでしょう。

韓国国民と政府の関係もこの枠の中に収まっており、例えば、セウォル号の問題が生じたときも国民と政府の戦いになってしまいます。こんな不幸になったのは政府が悪いと。私ならあの船に過剰積載して無理やり稼ごうとしたフェリー会社に矛先を向けるべきだと思いますが、金がとれないから政府を責めるわけです。

同じことは慰安婦問題でも同じで憲法裁判で政府の努力が足りないといわれれば国民の矛先は韓国政府ではなく、金のとれる日本政府に向かうわけです。今回10億円を勝ち得たわけですからいったんは収まり、次の矛先を探すことになるのでしょう。

問題は次の矛先はそう簡単ではなさそうだ、ということでしょうか?Thaad(サード)ミサイルを韓国に配備することに対して中国は猛烈なる反発を示しています。中国の「人の足元を見る政策」からすれば韓国に経済的締め付けをするのは目に見えています。あるいはかつて日本製品でやられたように中国国営放送が韓国製品を叩くこともありうるかもしれません。中国は徹底して韓国を中国の配下にするために厳しい措置を行い、平伏させる気であります。

わずかな可能性であってもそれがあり得るが故に韓国東亜日報は「慰安婦像を移転させるべき」という衝撃的な論説委員のコラムを打ったわけです。これは日本との関係を改善しておかないと韓国は中国に制圧されてしまうという危機感の表れともとれます。それにもかかわらず一部の活動家はいまだに慰安婦像を世界中に拡散しようとしていますが、時代錯誤といってもよいほど的外れな活動に世界はようやく気がつき始めています。アメリカはその点本当に愚かでしたが。

日本が対韓国に行わなくてはいけないこと、これはいざというときの防御ラインであります。このブログで何度か意見していますが、日本政府が韓国に対して10億円払う、通貨スワップを再開する、はたまた安倍首相があれほどまでして朴大統領との関係改善に努めるなど奮闘してきたのは韓国が崩壊するのを防ぐためだとしたらすっきりするでしょうか?

中国か日本に頼ることで韓半島の歴史は今日に至っています。自立出来ているようでできてない韓国と北朝鮮にとって中国とも日本とも薄弱な関係となれば赤子の手をひねるほど簡単に崩れるのが両国の最大の弱点であります。特に韓国に今、崩れられると困るのは日本です。(同じことは中国の北朝鮮への気遣いです。)それゆえ防御ラインを明白にしながらも韓国に「味方意識」だけは持たせるという微妙なバランス感覚でコントロールする外交スタンスということではないでしょうか?

世界経済が拡大していた頃は皆で果実を分け合っていました。今、長期の構造的低成長に陥っていますが、これは果実の取り合いだとも言えます。誰かが我慢しないと誰かが飢餓に陥る、そして飢餓になった時、人はとんでもない行動に出る、これが私のみる朝鮮半島の歴史であり、現状なのだろうと思います。

解決方法はあるか、と言われれば私はない、と申し上げます。ないからこそ、壊れないようにするしかないと思います。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
自動車燃費競争は日本主導で進んでいると考えてもよいでしょう。軽自動車のような車体重量の軽さから燃費を良化させるもの、ハイブリッドやEVのような革新技術で燃費を向上させるもの、アイドリングストップなど新技術で燃費を向上させるものなど様々で自動車各社の努力はそれこそ乾いたぞうきんを絞るようなレベルなのだろうと思います。

最近は三菱自動車の不正燃費問題で水を差したような感じで、新たなる燃費向上に繋がる技術のニュースは少なくなってきていますが、日産が先日発表したレンジエクステンダーは話題になりそうです。同社の主力車である「ノート」にこのシステムを搭載させることで同型の非搭載車より燃費が4割ほど向上するとされています。

このレンジエクステンダー搭載車はガソリンを必要としますが、それは電気エネルギーに転換するだけのために使い実質的には電気自動車であります。ただ日産ではハイブリッドとして考えているようです。技術的には新しいものではなく、GMのボルトが2011年型から搭載していますし、BMWのi3もオプション車があります。しかし、日本ではほとんど知られていないため、市場発掘の起爆剤となるかもしれません。

一方でこのような燃費競争の結果、燃費30キロ、40キロが当たり前になると日本の消費者市場では刺激が慢性化されて販売に寄与してこなくなるとみています。これは人間の心理的な問題であります。新しいものに対して飛びつき、それが経済的に優れていれば売り手はさらに深堀をし、買い手はベストなものを探し出すという好循環が生まれます。ところが技術革新が一巡し、消費者は深堀に疲れてきます。これを私は「取り残された消費者」と称しています。つまり、消費者すべてがベストオブベストを求めるのではなく、ある程度、例えば7割とか8割の水準であれば大半の消費者の満足度は高まり、それを超えるものを求める人は急激に減るという仮説であります。

多分、統計的に分析すればグラフ上である程度の傾向を描くはずでほとんどの人は一定枠に収まり、それ以上を求める人は標準偏差から外れる傾向が出てくるのではないでしょうか?では、このグラフを更にアメリカ人と日本人で比べると中心線がずれるはずで日本人は車に乗る距離が圧倒的に少ないはずなのに燃費にこだわり、アメリカ人のこだわりはより少ないはずです。どなたか研究していただければ面白い結果が出ると思います。

この仮定が正しいという前提でさらに考えを進めると日本人は数字による判断が好き、アメリカ人は感性による判断をもっと取り入れるということでしょうか?例えば私はかつてバンクーバーとシアトル郊外を数年間に渡り毎週通っていました。当初、日本車に乗っていましたが、とても疲れてしまいました。ハイウェイを巡行130キロぐらいでかっ飛んでいましたので小さいクルマですと安定感もなく、まさにゼロ戦で突っ込んでいくような雰囲気なのです。その後、フルサイズのアメ車、しかもクライスラーが持つ高速運転時に車体が沈み込む技術のおかげで安定感抜群になった時、これは動く応接室だと思いました。もちろん、ボディが大きい分130キロで走ってもぶれずスピードを感じさせないものでした。

先日、日本の某大手で某航空機メーカー向けに炭素繊維を開発されている方に「炭素繊維は車に応用できるのですか」と単刀直入に聞いたところ、「ごくわずかの燃費向上のために100万円も車体価格が上がるのは非現実的です」とバッサリ斬られました。レーシングカーのような特殊な車には特殊な目的があるので価格以上のこだわりがあるけれど燃費向上とは結局、消費者の懐を温かくする術であって、そのために車体価格が上昇するのは本末転倒ということでしょう。もちろん、こんなことをいえば環境にやさしくする意味もあるとお叱りを受けるかもしれませんが。

燃費へのこだわりが薄くなっているもう一つの理由は原油価格が低迷していることであります。いつかは上がるといいながらなかなか上向かない原油価格。今週にOPEC,イラン、ロシアが非公式会議で減産を再び探るようで現在、下地ならしの会議が進んでいるようですが、下馬評ではあまり期待は持てないそうです。案外、期待していない会議でびっくりするよう合意がなされたりするものなのですが、いづれにせよ技術革新は燃費に対する消費者の感性を鈍くさせてきていることは事実だと思います。

そういえば日本でなにげなく渋滞で並ぶクルマを見ていたところ見事にワゴンとハッチバック型ばかりです。そういうカナダはSUVが多いのですが、日本ほどみな同じようなクルマが並んでいるのはある意味、奇妙な光景であります。燃費の次はいかにたくさんの人やものを積み込み、車内容積を増やし、心地よい空間を提供するのか、という競争なのでしょうか?ならば、いっそのこと容積の大きさを燃費と並列したら売れるかもしれません。

では今日はこのぐらいで。

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また明日お会いしましょう。
2016年09月24日10:00
「今週のつぶやき」ではなるべくブログで取り上げなかった題材を主体に書かせていただいていますが、今週はどうしても二つの金融政策会議の内容のフォローからスタートさせていただきたいと思います。

言いたいことは一つ。アメリカ経済は2006年の住宅バブルの崩壊で大きく変質しました。よって、2004年から06年にかけて17会合連続で利上げしたという歴史もありますが、その時代との比較そのものが間違っています。住宅バブルの崩壊は経済的意味合いと共に社会学的、心理学的インパクトはもっと大きく、多くの民に「達成感」を与えてしまい、その後の消費ライフに地殻変動的衝撃を与えます。日本がその大先輩であります。

よって、アメリカのみならず、住宅バブルのあった英国やスペインなど欧州の一部も厳しくなりますし、オーストラリアやカナダがこれをフォローするようになると予想しています。もう一つはアメリカが「世界の警官」ではなくなったことでアメリカ国家としての軍事支出を含めた消費能力が大きく減少します。これが低金利がずるずる続く最大の理由だと考えています。

これによりもう一つの予想を立てるならドルの先行き弱含み感台頭で円は買われることでしょう。ドル円チャートからは昨年12月のFRBの利上げを機にドル安円高基調がほぼ継続されていますが、これが何を意味するかといえば「アメリカの利上げのインパクトはそれまでよ」であって、今後仮に数回の利上げがあったとしても調整的意味合いであって2004年のような連続利上げは逆立ちしても起こりえないということであります。ゴールドマンは年末に108円を想定しているようですが、最近のゴールドマンはかつての神話はないのでそのあたりの投資銀行と同じレベルです。

もう一つ、アメリカから。アメリカのヤフーの個人情報漏れ事件。その被害5億人。流出は2014年後半、なのになぜ、今、発表なのか?と疑問符いっぱいであります。実は私もその5億人の一人。当時、私のヤフーメールのアドレスを利用して私の名前のスパムがメアド登録先に2-3度、回ってしまったことがあります。

多くの方から「これ、何?」と聞かれて、すぐさま、ヤフーメールだということに気が付き、同メールのサーバーにあった情報を全削除しました。それ以来、ヤフーメールの信用がなくなってしまったので使わなくなっていました。2年もたって「今更」でしょう。この会社が経営不振に陥り、身売りしたのも頷けます。これは酷いですよ。

同じ、情報管理の問題は電通でも起きました。この問題はある意味、現代だからこそ起こり得るユニークさをもっています。それはネット広告が視聴者の属性で打ち出される仕組みであるため、その広告が本当に打たれているのか知るすべがあまりないということであります。これが意図的に顧客に過剰請求をする結果となったようです。

かつてラジオに広告を出すか、検討したことがあります。ラジオ局側は広告が一日に何回どういう形で放送されるのかを説明してくれたのですが、どこまでインパクトがあるのか、といえばある特定商品へのインパクトというより企業のイメージ的な広告に強みがあるだろうな、と思い、やめたことがあります。なぜならラジオは車を運転している人が主たる聴衆者。そこに紙とペンがなければ書き留められないので詳細情報をいくら言っても人は記憶に留められないと判断したのです。

ネット広告ですが、私が今、一本だけ打っているレンタカー向けネット広告は効果があります。絶大とは言いませんがコンスタントな集客につながっています。その広告は顧客特性型ではなく、べったり張り付ける広告です。理由はリファー(紹介)を拾い上げられるからなのです。顧客属性によるダイレクト型広告はその人だけが広告対象です。ところが広くべたっと広告すると「そうそう、あそこに日本人のレンタカー屋の広告あったよ」と人に紹介してくれる展開があるのです。レンタカーは今ではなくていつか必要になりやすい商品ですからね。

広告宣伝のやり方は最新型が必ずしも効果的とは限りません。旧態依然としたやり方にも利用価値を見出すことができるということでしょう。

最後に話題の豊洲地下空間問題。どうやらそこに溜まっている水が汚染されているとか、健康被害に影響があるという点はクリアしそうな気がしますが、なぜ、そんなことが起きたのか、という責任問題追及に焦点が集まってきたようです。そして、小池都知事はついに「無責任体制」という厳しい言葉を使いました。

無責任体制がなぜ起きるのか、これは豊洲の問題に限ったことではないでしょう。すべての企業と役所に言えることなのですが、人事異動が頻繁すぎることに伴う日本の本質的且つ、根本的問題ではないでしょうか?私がいろいろな方とプロジェクト物の話をしているとしばしば「これをやっても完成するときには私はいませんから」と言われます。自分の功績も失敗も完成した時には何も関係なしだとしたらどうして一生懸命仕事ができますか?

ある邦銀で話をしていた時、「私が営業して成果を上げてもその企業さんの口座の管理元の本店営業部が全部功績を吸い上げるんですよ。私はボランティアみたいなもので」と言われた時、これぞ日本の労働生産性が上がらない極めつけの理由だろうな、と思いました。一種の上納制度はヤクザだけではありません。民間企業でもシステムとして残っているということです。

ではどうすればいいのか、といえば部長になったら10年ぐらい張り付けてしまったらいいでしょう。偉くなって幹部候補になるラインは別にする発想が必要ではないでしょうか?なぜなら、今、社長をやりたい人、そんなに多くないですから。

では今日はこのぐらいで。東京はすっきりしない天気が続きますが、良い週末をお過ごしください。

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