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【コラム】戸塚啓

サッカーを楽しむ天才 小野伸二

[ 2023年9月29日 05:30 ]

01年、フェイエノールト時代の小野
Photo By スポニチ

小野伸二が現役引退を発表した。

「黄金世代」と呼ばれた1979年生まれの中心選手として、10代から日本サッカー界の先頭を走り続けてきた。国内ではプロデビューを果たした浦和レッズ、清水エスパルス、北海道コンサドーレ札幌、FC琉球でプレーした。カテゴリーもJ1、J2を経験している。

海外ではオランダのフェイエノールト、ドイルのボーフム、オーストラリアのウェスタン・シドニー・ワンダラーズでプレーした。フェイエノールトでは加入1年目から定位置をつかみ、ロビン・ファン・ペルシ、ピエール・ファン・ホーイドンク、ヨン・ダール・トマソン、ポール・ボスフェルトらとともに、UEFAカップで頂点に立った。

彼のポテンシャルを考えれば、欧州3大カップと呼ばれるタイトルを獲得したのも驚きではなかった。むしろ、もっと大きな足跡を残せたのでは、と考える人が多いのではないだろうか。

日本代表では98年から2008年まで稼働し、W杯には98年、02年、06年と3度出場している。04年のアテネ五輪はオーバーエイジで出場した。数多くの国際大会に出場しているのだが、僕自身が記憶に深くとどめるのは98年のフランスW杯である。

ピッチに立ったのはグループステージ最終戦のジャマイカ戦に限られる。それも、後半35分の手前からだ。わずか10数分の出場だったが、小野はスルーパスを通し、左足でシュートを放った。

日本にとって初めてのW杯となったフランス大会は、取材をするこちらも緊張を強いられるものだった。日本の試合を見つめる僕は、いつも落ち着かない気持ちだったと記憶している。僕と同世代の選手たちも、W杯という舞台に身構えるところがあったと思う。

そんななかで、チーム最年少の18歳だった小野は、いつもどおりに、楽しそうに、プレーしていた。ピッチ上の彼が醸し出す雰囲気は、清水商業のユニフォームを着ていた前年までと変わらなかった。

99年7月のシドニー五輪アジア予選で、相手選手のタックルを受けて左ひざに重傷を負った。あのケガさえなければ、彼のキャリアはまた少し違うものだったのではないか、などと勝手に考えることはあった。それでも、44歳まで現役を続けてきたのだ。彼のキャリアはどこから見ても眩しい。

小野が天才と呼ばれることに異論はない。そのうえで言えば、彼は「サッカーを楽しむ天才」だったのではと思う。

「簡単なことは当たり前にやる。簡単なことが一番難しいんですけど、それは当たり前にやらないと次に進まないので。そこからだんだんステップアップして、難しいことを簡単にやると」

どんなプレーでも当たり前に(見えるように)、簡単に(見えるように)やってのける。それこそが、小野伸二というフットボーラーの真髄ではないだろうか。勝利を求められるプロフェッショナルの世界で、彼はサッカーを楽しみ、その姿で私たちを楽しませてくれた。(戸塚啓=スポーツライター)

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