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【コラム】戸塚啓

輝かしいコパ・アメリカの歴史、過去大会の振り返り

[ 2019年6月22日 07:00 ]

1991年から2002年までアルゼンチン代表として活躍したFWバティストゥータ
Photo By スポニチ

サッカーには6つの大陸選手権があるが、コパ・アメリカは世界最古の大会である。第1回大会は1916年(!)で、2016年の前回大会まで48回の歴史を数える。大会の数だけドラマはある。歴史を紐解いたら辞典が作れるぐらいだ。

1990年以降の大会から、史上最強のチームを探してみる。

91年のアルゼンチンは魅力的だった。

86年W杯優勝を知るオスカル・ルジェリが最終ラインを束ね、90年W杯でPKストッパーとして名を馳せたセルヒオ・ゴイコチェアがゴールマウスに立つ。中盤ではディエゴ・シメオネが相手の攻撃に睨みを利かせ、レオナルド・ロドリゲスが創造性豊かにゲームを作る。

前線には今大会でブレイクするガブリエル・バティストゥータと、ブロンドヘアをなびかせるクラウディオ・カニーヒアがいた。ディエゴ・マラドーナは出場しなかったが、経験者と若手が融合したチームは59年以来のカップを勝ち取った。

91年のアルゼンチンが未完成の魅力を放っていたとすれば、97年のブラジルは完成された芸術品だった。

94年のW杯を24年ぶりに制したサッカー王国は、名伯楽マリオ・ザガロのもとでマイナーチェンジを進めていった。アメリカで世界一の称号を得たGKクラウディオ・タファレル、右SBカフー、CBアウダイール、マルシオ・サントス、MFドゥンガ、マウロ・シルバ、FWロマーリオらがさらに経験値を高めつつ、左SBロベルト・カルロス、FWロナウド、デニウソンらがチームの底上げを力強く促していた。アメリカW杯で左SBを主戦場としたレオナルドは、鹿島アントラーズを経てパリ・サンジェルマンへ移籍し、攻撃的MFとして背番号10を背負っている。

ブラジルはコパ・アメリカの直前に、フランスでプレW杯に参加している。フランス、イングランド、イタリアとの総当たりリーグ戦は1勝2分に終わり、イングランドに優勝を譲った。

それでも、全3試合で得点をあげたのはブラジルだけで、攻撃の破壊力は群を抜いていた。"ROーRO"コンビと呼ばれたロマーリオとロナウドのデゥオは、世界屈指と言って差し支えなかった。

そして迎えたのが、コパ・アメリカだった。

初戦で招待国のコスタリカを5対0で粉砕すると、メキシコとコロンビアも撃破してグループ首位で決勝トーナメントに進出する。準々決勝ではパラグアイを2対0で退け、ペルーとの準決勝は7対0のワンサイドゲームでファイナルへ辿り着いた。

この大会はボリビアで開催された。決勝は標高3500メートルを超えるラパスが舞台で、ホームのボリビアが相手である。準決勝で負傷したロマーリオを欠くこともあり、さしものブラジルも苦戦をするのではとの観測が広がっていた。

しかし、エジムンド、ロナウド、ゼ・ロベルトのゴールで3対1の勝利をつかむ。ブラジルにとっては5度目のコパ・アメリカ制覇で、自国開催以外では初めての優勝だった。

ブラジルは今大会のメンバーをほぼ踏襲して翌年のW杯に臨み、決勝で開催国フランスに敗れる。このチームのピークは、97年だったのかもしれない。それだけに、コパ・アメリカでの強さは時代を超えてまぶしい輝きを放つのだ。(戸塚啓=スポーツライター)

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