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花咲徳栄・上原堆我投手「育成から200勝できる投手に」 努力で覚醒した男の野望

[ 2024年10月29日 06:00 ]

花咲徳栄・上原
Photo By スポニチ

【目指せ!イチロー&由伸 24年ドラフト下位指名】 いつかは歴史に名を残す大投手へ――。オリックスから育成3位指名を受けた花咲徳栄(埼玉)の上原堆我(たいが)投手(17)は最速148キロの直球を武器とした強気の投球が持ち味。通算200勝を目標に掲げる右腕はまず、支配下登録を目指して夢舞台へ挑む。

マウンドではポーカーフェースを崩さない上原だが、名前が呼ばれた瞬間、自然と笑みが広がった。24日のドラフト会議で支配下ではなく育成での指名。それでも、プロで活躍できる自信があるからこそ「やっと呼ばれたなと。まずは支配下を勝ち取って、チームのために勝てるピッチャーになりたい」とうれしさの中に決意を込めて堂々と語り出した。

地道に努力を重ねてきた。プロ入りはその成果だ。高校入学時は体力がなく、任されるのはいつも終盤の少ないイニングのみ。昨夏は主に抑えとして結果を残してチームの埼玉大会準優勝に貢献したが、「自分がもっと長い回を投げられれば。新チームでは先発として活躍したい」と飛躍を誓っていた。

冬の間、とことん走り続けた。距離も本数も「覚えていない」と振り返るほど体力アップに努めると、ようやく先発の機会が巡ってきたのは今春の関東大会2回戦。日大明誠(山梨)打線相手に140キロ台の直球とスライダーのみの2球種で、5回参考ながらノーヒットノーランを達成。これ以上ない先発デビューとなり「初先発で緊張したけど、しっかり投げられて良かった」と笑みを浮かべた。

今夏の甲子園では新潟産大付相手に初戦敗退も、先発して9回11安打を浴びながら2失点完投。152球の熱投だった。悔いなく高校野球を終えたからこそ「今までやってきたことに後悔はなく、全てアピールできた。自信を持ってドラフト会議には臨めた」と、24日の運命の一日は自信を持って迎えた。

プロでの目標は「育成から200勝できるようなピッチャーになりたい」と名球会入りを宣言。支配下登録を通過点に「(ドジャース)山本由伸選手を超えられるようなピッチャーになりたい」とした。球界を代表する未来を思い描く右腕が、迷いなくプロの世界へ飛び込む。 (村井 樹)

《エース宮城に弟子入り志願》 上原はオリックスのエース左腕・宮城に弟子入りを志願した。「興南高校時代から宮城選手が好きでよく見ているので、宮城選手とは話をしてみたい」。利き腕は違うが、球界を代表する左腕との共闘に心躍らせた。大先輩の存在も心強い。13年ドラフトで3位指名された若月は花咲徳栄の先輩。「1年目からアドバイスを聞いていきたいですし、まずは自分が支配下を勝ち取らないと」と、花咲徳栄バッテリーの実現を誓った。

【巨人からドラ1指名 チームメート石塚と「いつか対戦」】
巨人から1位指名を受けたチームメートの内野手・石塚裕惺(18)は、上原にとっていつも憧れだった。

ピンチになるといつも声をかけに駆け寄ってくれ、チャンスでは誰よりも頼りになる。高校3年間、誰よりも石塚の素晴らしさを知っているからこそ「石塚が1年生から意識高くやってくれたので自分の中では見本で、もっと頑張らないと、と思えた」と感謝を伝えた。ドラフト1位での指名と育成からのスタート。プロへの入り方は対照的だが、負けず嫌いな性格の上原は「リーグは違うが、いつかは対戦したい」と目を輝かせる。

祖父がファンのソフトバンクに勝つことも一つの目標。「まずは対戦できる舞台に立てるように頑張りたい」。地道な努力でプロでも花開いてみせる。

◇上原 堆我(うえはら・たいが)2007年(平19)3月13日生まれ、静岡県出身の17歳。伊東ジュニアで野球を始め、伊東南中時代は静岡裾野シニアに所属。花咲徳栄では3年夏に甲子園出場を果たした。憧れの選手はメッツ・千賀。1メートル78、84キロ。右投げ右打ち。

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