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【優勝手記】ソフトバンク・近藤 "自分ちっちゃいな"五輪で芽生えた危機感 現状維持は後退、もっと上を

[ 2024年9月24日 06:00 ]

パ・リーグ ソフトバンク9―4オリックス ( 2024年9月23日 京セラD )

<オ・ソ>小久保監督(左)と優勝を喜ぶ近藤(撮影・後藤 正志)
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日本ハムから移籍2年目の今季も打率・314、19本塁打、72打点で打線をけん引したソフトバンク・近藤健介外野手(31)が本紙に手記を寄せた。16日のオリックス戦で二盗を決めた際に右足首を捻挫し、翌17日に出場選手登録を抹消。昨季に続く全試合出場はならなかったが、ポストシーズンでの戦列復帰を目指す男は、まずは新天地でリーグ優勝を果たした喜びなどを語った。

全試合を目標にやってきました。最後にケガをしてしまったのは少し残念ですが、チームのみんなと喜びを分かち合うことができて良かったです。今度は日本一の輪にいたいとの思いが強くなりました。苦しい時期もありましたが、数字的には思い描いているようなものを残せたと思います。

開幕前は不安もありました。昨年は出来過ぎじゃないか、との思いがありました。その中でチームも、個人的にもいいスタートが切れた。悔しかったのが7、8月に調子を落としたこと。あんなに長く苦しむことは初めてでチームも厳しい戦いが増え、主力の責任を強く感じた。申し訳なさでいっぱいでした。

交流戦の守備で右手を負傷し、しばらく痛みを抱えながらプレーしていました。その時は打撃も結果が出ていて、自分では何もないつもりでした。ただ、何をやってもダメ。痛い中でプレーして、そこのズレが影響していたのかなと思います。もちろん、あの時、出場の選択をしたことに後悔はない。少し前にギーさん(柳田)が離脱した。小久保監督にレギュラーと言ってもらって(春季)キャンプに入ったのは僕とギーさんだけ。あの段階で僕も抜けてはいけないという思いがありました。監督も「打席に立てるなら戦力と思っている」と言ってくれ、"振れるなら行こう"と決めていたので。

以前の僕は打率、出塁率だけの選手だった。ただ、せっかく結果を求められる世界にいる。一度の野球人生なんだから同じままではつまらない。長打率を上げようと取り組み、移籍してからの2年結果を残すことができたと思います。

きっかけは21年の東京五輪でした。正直、当時の僕は広い札幌ドームが(22年まで所属した日本ハムの)本拠地であることを言い訳にしていた部分もありました。それが(吉田)正尚、村上、鈴木誠也、坂本さん、それにギーさん。みんなのバッティング練習を見て"自分ちっちゃいな""このままじゃ終わってしまうな"とがくぜんとさせられたのを覚えてます。

プロ2年目で大谷翔平と出会ったことも大きかったと思います。あれだけ刺激というか、多くのことを学べた後輩はもちろんあいつだけ。高卒で1つ下なので話す機会も多く、キャンプで同部屋だったり、彼を助手席に乗せて鎌ケ谷を行き来したり。飯もよく連れていきましたよ。でも、意外と食べないというね(笑い)。

野球が好きで全てを注いでいる選手です。彼が凄いのは高卒1年目から意識が高く、それを貫くことができる精神力や強さというのを持っていたこと。ウエートトレーニングの大事さも一番、翔平から学びました。やっぱり凄いですよ。昨年3月のWBCの時も話を聞きましたけど...。彼の体は疲れないのかなって思いますね(笑い)。

現状維持は後退という思いは変わらない。変化は確かに怖いけど、それが楽しい性格でもある。これから先もいろいろ試しながら、もっともっと野球選手として上を目指していきたいと思ってます。(福岡ソフトバンクホークス外野手)

しろまる...右足首を捻挫している近藤は、優勝が決まるとユニホーム姿で松葉づえをついてグラウンドへ。ナインとハイタッチで喜びを分かち合った。「全試合というのは目標にやってきた。少し、残念ですけど、優勝できたんでうれしく思います」。今季は離脱まで全試合5番で出場し打率・314で、リーグ唯一の3割をマーク。ポストシーズンに向けても「間に合わせるようにリハビリに努めていきたい」と前向きだった。

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