日刊・兵頭喜貴 八潮秘宝館公式サイト

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良かったですけど、概ね予想通りでしたね。江田島の碇は最初か最後に出てくるんだろうなと思ってましたし、万博に触れてるのも沈んだ件の前振りなんだろうなと分かりましたし、竹野内豊が館長役ってことは、きっとこんな感じなんだろうな思っていたらその通りでした。

イイ話にし過ぎなんですよ。現実はあんなに甘くありません。

天一号作戦の際、大和が爆沈した後も、雪風の寺内艦長(当時)は、雪風単艦でも沖縄に突っ込む!と凄まじい覇気全開だったそうですけど、伊藤長官が現場判断で作戦中止命令を出したので沖縄行きを断念し、救助活動を開始したそうです。

逆に言えば、もし作戦中止命令が出なければ、救助活動はほぼ行わず、雪風は戦い続けて海の藻屑になっていたと考えられます。伊藤長官は、天一号作戦が余りに無謀だったので、「作戦行動が不可と判断した場合、現場司令官の判断で作戦を中止する」との条件を出して、参謀本部の了承を取り付けていたので、作戦中止命令を出せましたが、これは異例中の異例です。

本来であれば、参謀本部が中止命令を出すまで作戦は継続で、現場での判断は許されません。

軍という組織の非情さと伊藤長官の思いが交差する部分をもう少し深く描いて欲しかったですね。歴史を知っている人は分かるんですけど、その知識が無い人は全然分からないと思います。
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駆逐艦・雪風の錨(江田島・海上自衛隊幹部候補生学校)

でも、雪風の闘うところが見られただけでありがたいし、水雷戦の描写も良かったです。駆逐艦は船自体が速度最優先で作られていますけど、乗員もすばしっこい人が選抜され、常に速度・効率最優先だったので規律は緩く、ややだらしない格好に無精髭姿が定番で、暑い季節は草履ばきで闘っていたそうです。

その辺の考証や描写は、かなりしっかりしていて感激しました。

個人的には、連合国に賠償譲渡される際、煙草盆に至るまでキレイに磨き上げられていたこと。日本の敗戦後も中華民国海軍の旗艦として活躍したことも描いて欲しかったですね。

お陰様で、これからは「ゴジラ・マイナスワン」の最期に雪風が出て来た理由をいちいち説明しなくて済みますね。あの話は、圧倒的に絶望的状況を打開するために、幸運艦に最後の望みを託す他なかったのです。要は困った時の神頼みですよ。でも、それも歴史の知識が無ければ分かりません。


映画「雪風」を見た方、これから見る方には、以下のムック本も併せて読むことをオススメします。

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文藝春秋 臨時増刊 日本軍艦戦記 昭和45年
敗戦から25周年を記念して刊行されました。

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これに雪風の歴代艦長の座談会が掲載されています。

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雪風は、艦としての運用能力が高かったので最新の装備を確保出来たことが記してあります。運も良かったのでしょうけど、実際に強かったから生き残れたのです。

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寺内元艦長が、艦橋の上に身を乗り出して、三角定規を持って操艦指示したことを記した記述は、映画で大体そのまんま描かれてましたね。但し、竹野内豊演じる艦長と寺内元艦長のキャラは真逆だったと考えられます。

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30歳くらいの頃に、この座談会の締め括りを読んで人生観が変わりました。子供の頃は、まずは戦艦で空母までしか興味を持てませんでしたが、以来、駆逐艦愛が炸裂し、現在に至っています。

「半世紀以上前のムック本なんて買えないよ」と思っているそこのあなた!何と先日、同刊が戦後80年を記念して復刻されました!一家に一冊あっても無駄にはなりません。どうかこの機会にご購入下さい。

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昭和45年版の製本が痛んでバラバラになり(どれだけ読んだんだよ!ってことですね)、紙が酸化して来たので、復刻版も買いました。だから、左上に7月21日購入と書いてあります。実は、これを読んでいたから、映画の内容はほぼ全部分かってしまったのです。

追記
映画館に40人程の客がいましたが、おそらく自分が最年少でした。水曜日の朝9時の回だったからだと思いたいです。

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