昭和は危険が当たり前でした。
昭和は、中学の理科の先生が、火薬の作り方を授業の実習で教えて、それを自宅で真似した子供が家をぶっ壊しても、大した騒動にはならなかったんですよね。これは、身近で実際に起きたことです。その授業は自分も受けてますから。誤解があるといけないので補記しておきます。 ...
八潮秘宝館館主にして大日本ラブドール党総裁の兵頭 喜貴(ひょうどう よしたか)公式ブログにして個人新聞 スマートフォンで閲覧する方はブラウザーの設定を【PC版サイトを表示】にして下さい。広告が非表示なります。