日刊・兵頭喜貴 八潮秘宝館公式サイト

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今朝、公共放送が石原裕次郎の晩年のインタビューを放映してました。晩年と言っても、50過ぎで亡くなってますから、50歳前後の動画でしょう。

若いんですよ。とにかく、若いことに驚きました。

子供の頃は、何だかよく分からない渋い小太りのオッサンとしか思ってなかったんですけどね。亡くなったときも、特に早死にとは感じませんでした。しかし、自分が、この年になってみると、まだまだやりたいことがあったのに、無念のうちに亡くなったことが、よく分かります。

もっとも、昭和のスターは、昭和のうちに散ってこそ、スターであり続けられたのかもしれませんが。 晩節を汚さず逝けたことは、極めて幸運なのです。

顔色悪いのは、飲み過ぎて肝臓が弱ってたんだなとも感じました(確認したら、やはり肝臓ガン患ってんですね)。あの時代の飲み方は半端じゃなかったですからね。


昨日、電車に乗ったら、脇に女子高生と母親の二人組がいました。今の高校生の母親は自分と同年代か、少し若いくらいで、この年になると母親の方に目が行ってしまいます。

知らないうちに年取ってるんだなと痛感します。


追記
石原裕次郎の没年を確認したら、お父さんが愛媛の出身と知り驚きました。お母さんも広島の出身で、基本的に西日本の血筋なんですね。全く知りませんでした。

生まれた時点で「太陽にほえろ」が放映されていて、未来永劫「太陽にほえろ」は続いて行くような錯覚を感じていたので、ボスが入院し、女のボスが出てきて、やがてに番組自体が終わったときに、無常という概念を理解したことを未だに覚えてます。

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