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2015年03月

数えたことはないが、昨年の9月から新設された「大聖寺観光案内所」のホームページに、併設された「スタッフブログ」が、単純計算で200日は続いていると思う。発信者は、小生こと「吾亦交」の雑感や視点をかえた「大聖寺雑感」などのブログ名で書かせてもらった。よくぞ、ここまで「稚拙文」での発信が続けられた。よくぞここまで黙認し、ストップもかけずに見守ってくれた。案内所の所長や仲間に感謝したい。

▼案内所の所長が開設したホームページ開設への意図は、観光地として『静かな大聖寺』を、如何にして大聖寺をアピールできるかという「民間団体」の課題に到達した。当然の策だったと思う。

▼そんな主旨は分かっていても、毎日発信に値する活動内容や新聞記事のようなことに遭遇することはない。こまった末の結論は、日々に感じた「日常茶飯」の自分をさらけ出す日記スタイルになってしまった。

▼人生70歳の齢を過ぎた者にとっては、「人生初体験」の毎日である。過去にも、「三日坊主」の日記付けの経験からのスタートだった。「怖いものなし」、「失うものがない」、「本名や居所が分からない」。だからと言って「案内所のスタッフ・ブログ」。固有名詞での「誹謗中傷の類」は常識的にもご法度である。

▼しかし、この体験は「生きている」という実感を与えてくれた。老後の日々は、健康的に如何にして過ごすか。社会の小さな歯車となって、誰かと如何にして交わっていけるか。リタイヤ後に直面していた課題の札だった。

▼十数年前に、大聖寺に移住した独居老人は、そんな紐を引っ張ってみた。今では、案内所・所長の個人的人脈の皆さんが時折「いいね」のサインを送ってくれている。そして、わたしの身内や友人、知人らも、生存安否確認のために「大聖寺観光案内所」のブログを開いてくれている。「ありがとう。多くの皆さんに支えられて生きています」。

青い空に、くっきりと白山が終日見えていた。「白山は白くなきゃだめだ」と、誰かが言った。「そぉや!」と私が相槌を入れた。きょうの空色が、もしかしたら新幹線の先端列車の鼻先から彩られている「空の色」をイメージしたのかと思うぐらい、わたしは意識して見た空色だった。

▼とかくこれまで「北陸のイメージ」と言えば、「グレー」だった。長い冬は毎日空を見上げても雲が一面に覆われている。そして、「弁当忘れても、傘わすれるな」の昔からの言い伝えがある。だから、今日みたいな晴れた空が見える日は、気分的に爽快になる。人情も「ぐじゅぐじゅ」している北陸の人。

▼新幹線の先頭車両が、流線型で鼻すじから後ろへ伸びるラインは「空の色」でデザインしたという。「元気がでる」。そんな空が一日でも多くなればいいという願望で、「そらの色」を決めた人は「えらい」。

▼あすの加賀市を引っ張ってゆく子どもたちに、先人の偉業を伝える目的で24回の講座を一般公開してきた。きょう、明治維新から戦前まで日本を引っ張っていった「加州・大聖寺」に生を受けた「凄い人物50名」を、伝えた講師の先生方を招いて「今後も伝えてゆくにはどうしたらよいか」というテーマで話し合った。

▼結論は出なかったが、「曇り空に一点の青空」を見たような感じだった。流れ行く雲は宇宙の仕組み。一世を風靡した郷土の英雄という雲がいた。そんな雲たちは、雨雲になり郷土に芽を出し、苗を育成させる「豊潤の雨」を降らした。

▼先人の栄養分を含んだ雨水を貯める池を造り、必要な時に畑にやる「水撒き蛇口」を各所に建立し、多くの市民はその在りも知っている。そして、広く市民も使用できる。

▼雲がなければ雨は降らない。やっぱり、ときどき晴れの日があればいい。加賀市に産まれてよかったと思える郷土を愛する人たちが、たくさんいる「反省会」だった。

きのうの休日は、予報通り、終日春の日差しがあって、過ごしやすい日だった。市民の憩いの公園には数十本の桜の木がある。膨らみかけてはいるが、まだ開花には早い。私は手袋をしてオーバーコートの襟を立てている。公園の裏口からあたりから、子どもの発する声は近隣の保育園児。そんな子らのそばを通り過ぎた。黄色い帽子は「タンポポの花」のようだった。明日を担う子らの走りまわる芝生は光って見えた。

▼公園の敷地内にある「九谷美術館」の2階に併設されている茶房「古九谷」へ階段を登って、日差しがいっぱいの閑散としたベランダのテーブルに陣取る。コーヒーをオーダーしてから、タバコに火をつける。ゆらぐ煙は青空に消えてゆく、「至福」の時間だった。

▼子らの声が遠くに近くに聞こえる。クラスごとに別れた何組かのグループが公園内にいる。子らの甲高い声は、木々を通してはっきり大きく聞こえる。老人には、居心地がいい「平和の鐘」のようだった。

▼「モスキート音」という言葉を最近知った。若者に聞こえて、老人には聞こえないという。コンビニなどにたむろする若者を撃退させる「高周波音」だという。個人差はあるらしいが20歳以下には耐えられない音であるが、年齢が上がるにつれて聞こえなくなるという。

▼便利な社会には、年齢によって聞こえる嫌な機器が街中に進出し始めているという。「若者は、ハエや蚊扱いで、撃退させる音で公園でも遊ばせない」。おかしな世の中になったものだと批判も出始めているという。
▼昔は、「ワルガキ」を叱る大人が近所にいた。昨今はそんな大人がいない。だからと言って、無差別に若者を高周波の機器まで使って追い散らす「大人の発想」には苦言を言いたい。


通説となっている地域おこしの「3バカ」は、地域の現状を変革するのは、外部からの客観的なものの見方ができる「よそ者」、しがらみなくチャレンジできる「若者」、そして信念を持ち、活動に打ち込める「ばか者」の3つであり、全国で地域おこしに成功した土地には必ずこの3種の人材がいる。

▼今、甲子園では「選抜高校野球大会」の最中である。しかし、石川県の高校が出場していない。先の大相撲大阪場所では、好調にスタートした「遠藤関」が怪我で休場してしまった。どちらも、毎日、テレビで放送されてきたが、見ていても面白くない。郷土出身の選手が出ていると、負けても勝ってもわくわくしながらテレビを見ながら応援してきた。

▼今年の全国高校サッカーは、「星稜イレブン」が念願の全国制覇を果たした。県民の一人として、大変興奮した。元ヤンキースの「松井選手」の動向が、ニュースに出てもうれしくなるのは何だろう。サッカーや松井秀喜も、どちらにも関わりのないスポーツであり、個人的にも面識がないが、やっぱり、同じ空気を吸ってきた者への「郷土愛」しかない。

▼明治時代の文豪・「即興詩人「・森鴎外」は、「われ若し山国の産まれならば、此の情はやがて世に謂(い)う『思郷病(ノスタルジア)』なるべし。」と、うたっている。この「郷土愛」は、「地域お越し」の「3バカ」にも共通する。

▼今、全国的に注目を浴びている「ふるさと納税」も、「郷土愛」を利用した制度だったが、純粋さを逸脱すると失敗するという。

▼先日のコラム「時鐘」に、こんな掲載文があった。「・・・古ければ何でもいいのではない。個性が必要である。その時に気づく。地域の魅力となるのは文化の蓄積度であり、変わりやすい経済力は弱いことが。新しいものを作って魅力付けに成功した地方都市はほとんど例がない。『仕立て直す』智恵が、土地の文化力であると言えないだろうか・・・」。

観光案内所に詰めていると、各地からいろんな目的で大聖寺に訪れた人が、案内所に立ち寄ってゆく。初めての土地を訪れる場合は、それなりに事前の予備知識を得てからの訪問である。そんな旅人があえて観光案内所に立ち寄るのかと最近思うようになった。単なる、目的地まで「道案内」を尋ねるために「観光案内地図」を貰いに立ち寄っただけなのかと。

▼3月14日は「北陸新幹線金沢開業」で、3月の地元新聞やテレビは特番を組んでお祭り騒ぎである。そして、東京駅と上野駅がJRの線路でつながって、永い歴史に終止符が打たれた。それまでは東北や北陸(下り線)から東京に行く時の終着駅は、「上野駅」だった。そんな歴史的な東北や北陸からの玄関口がこの日限りでなくなって、東京駅になった。

▼「ふるさとの 訛なつかしの 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木」。岩手出身の石川啄木が上京して寂しくなった時、ふるさとのなまり言葉を聴くことのできる上野駅に行き、寂しい気持ちを紛らして安堵することのできたのが上野駅だった。

▼一見してリタイヤ組と思しき人たちが、遠来客として大聖寺駅に降り、街中に通ずる延長線上にある案内所を訪れる。そんな観光客に、大聖寺に見えた目的を交わす言葉に混ぜて聞くようにしている。墓参に来たついでに立ち寄る人。親が亡くなって生まれた土地が大聖寺であることを知り、訪ねて来た中年過ぎの人もいた。

▼駅に降りて、最初に会う方言混じりの地元人との会話がしたくて、訪れる人がいてもおかしくない。両親から受けついだDNAが、ふるさとに戻ったときに感じるのは、「ご当地グルメ」を食べる前に、空気と匂いに方言だろうと感じるときがある。

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