『生きています。』
数えたことはないが、昨年の9月から新設された「大聖寺観光案内所」のホームページに、併設された「スタッフブログ」が、単純計算で200日は続いていると思う。発信者は、小生こと「吾亦交」の雑感や視点をかえた「大聖寺雑感」などのブログ名で書かせてもらった。よくぞ、ここまで「稚拙文」での発信が続けられた。よくぞここまで黙認し、ストップもかけずに見守ってくれた。案内所の所長や仲間に感謝したい。
▼案内所の所長が開設したホームページ開設への意図は、観光地として『静かな大聖寺』を、如何にして大聖寺をアピールできるかという「民間団体」の課題に到達した。当然の策だったと思う。
▼そんな主旨は分かっていても、毎日発信に値する活動内容や新聞記事のようなことに遭遇することはない。こまった末の結論は、日々に感じた「日常茶飯」の自分をさらけ出す日記スタイルになってしまった。
▼人生70歳の齢を過ぎた者にとっては、「人生初体験」の毎日である。過去にも、「三日坊主」の日記付けの経験からのスタートだった。「怖いものなし」、「失うものがない」、「本名や居所が分からない」。だからと言って「案内所のスタッフ・ブログ」。固有名詞での「誹謗中傷の類」は常識的にもご法度である。
▼しかし、この体験は「生きている」という実感を与えてくれた。老後の日々は、健康的に如何にして過ごすか。社会の小さな歯車となって、誰かと如何にして交わっていけるか。リタイヤ後に直面していた課題の札だった。
▼十数年前に、大聖寺に移住した独居老人は、そんな紐を引っ張ってみた。今では、案内所・所長の個人的人脈の皆さんが時折「いいね」のサインを送ってくれている。そして、わたしの身内や友人、知人らも、生存安否確認のために「大聖寺観光案内所」のブログを開いてくれている。「ありがとう。多くの皆さんに支えられて生きています」。