観光案内所に詰めていると、各地からいろんな目的で大聖寺に訪れた人が、案内所に立ち寄ってゆく。初めての土地を訪れる場合は、それなりに事前の予備知識を得てからの訪問である。そんな旅人があえて観光案内所に立ち寄るのかと最近思うようになった。単なる、目的地まで「道案内」を尋ねるために「観光案内地図」を貰いに立ち寄っただけなのかと。
▼3月14日は「北陸新幹線金沢開業」で、3月の地元新聞やテレビは特番を組んでお祭り騒ぎである。そして、東京駅と上野駅がJRの線路でつながって、永い歴史に終止符が打たれた。それまでは東北や北陸(下り線)から東京に行く時の終着駅は、「上野駅」だった。そんな歴史的な東北や北陸からの玄関口がこの日限りでなくなって、東京駅になった。
▼「ふるさとの 訛なつかしの 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく 啄木」。岩手出身の石川啄木が上京して寂しくなった時、ふるさとのなまり言葉を聴くことのできる上野駅に行き、寂しい気持ちを紛らして安堵することのできたのが上野駅だった。
▼一見してリタイヤ組と思しき人たちが、遠来客として大聖寺駅に降り、街中に通ずる延長線上にある案内所を訪れる。そんな観光客に、大聖寺に見えた目的を交わす言葉に混ぜて聞くようにしている。墓参に来たついでに立ち寄る人。親が亡くなって生まれた土地が大聖寺であることを知り、訪ねて来た中年過ぎの人もいた。
▼駅に降りて、最初に会う方言混じりの地元人との会話がしたくて、訪れる人がいてもおかしくない。両親から受けついだDNAが、ふるさとに戻ったときに感じるのは、「ご当地グルメ」を食べる前に、空気と匂いに方言だろうと感じるときがある。
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