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2015年12月

ペルーの視察旅行から帰って来た瀬戸さんは、興奮して旅の話をしてくれた。日本人からペルー人の生活に接すると、戦後の日本を思い出す。粗末な雨をしのぐ家屋に住み、食糧事情が決して良くない。過去の日本にも、生きるための略奪もあり、義理人情のない貧困状態がしばらくあったように、決して豊かな国ではなかった。

▼コロンブスがアメリカ大陸を発見したころまでの、ペルーは、アジアから大陸移動した先住民族(アメリカインディアン)によって、「インカ文明」という高度な文明を作り出し、豊かな生活をしていた。今から1万3千年前の日本の縄文時代と同時代。

▼「種子島」に鉄砲が伝来したころの、16世紀になって、地球最大級に栄華を極めたインカ帝国は、一瞬にしてスペイン人の鉄砲兵器によって破壊された。そして、スペインの領土となり、植民地化で国民は奴隷にされた。

▼母系のDNA(ミトコンドリア)。日本の縄文人とは同じ遺伝子を持つインカの古代人も「八百万の神々」を信仰していたという。インカの王は、国民が信仰する神々を統一するために「天の神=コンドル」に置き変えた。「地の神=ヒューマー」。「地下の神=ヘビ」。日本にもあった「本地垂迹説」の神仏同体説を、動物に置き換えて統一したという。

▼そして、インカ帝国の物流を良くするために、「宿場」を作っていた。インカの場合は山岳道路のため、馬で行く30キロごとに作った。日本では、人が一日で走る距離に合わせて10キロ。この話を、現地のガイドから聞いた瀬戸さんは、20年前に大聖寺から江戸までの上下街道にある「一里塚」を整備して、一里塚再生事業を成功させたことを思い出していたのではないかと想像した。

▼奇しくも日曜の夜。NHKのテレビは「日本人のルーツ発見」を放映していた。縄文人「富山人骨」発見。縄文人は弥生人を受け入れる多様性を持っていたから進化した。大陸から手作りの簡素な舟で、黒潮を乗り切る技術があったから、日本列島までたどり着けたという。そんな縄文時代の文明が、今、解き明かされる。

▼来年の「赤瓦の里」セミナーは、秋に開催される。会場での報告会が楽しみである。ペルーで日本人の血が流れる「フジモリ大統領」が就任した歴史もある。地球の反対側で「武士道」の精神が、復活するかもしれない。

「来る来ると 年の瀬招く かざぐるま 吾亦交」。通行人も途絶えている、JR大聖寺駅前にある観光案内所。外は雨、今年最後の日曜の当番日は、訪れる旅人もまばら。北陸の小さな城下町で、73回目の暮れを迎える観光案内人は、静かに時間の流れを感じている。

▼現役の後輩たちは、異口同音に「今年の1年も早かった」という。流れの速い川の土手を歩く人生の旅人時代は、みんな早いと言う。時の流れを見ながら生き抜く、環境だから仕方がない。昔の小生もそうだったから・・・。

▼少し前までは「狭いニッポン、そんなに急いで何処へ行く」と流行った言葉で、世の中の流れをヤジっていたが、今は、「あれよ!あれよ!」と見ているだけの人になった。もう、ついて行けない情報量の多さと進化の早さに、驚くよりあきらめている。

▼戦後70年は、平成の世になって、もう28年目を迎える。新次元の世界にいる「新人類」の種族と、旧次元の分類の種族と大きく分かれている。もしかしたら、私は絶滅危惧種の部類になっているかもしれない。

▼静かな午後。ペルー国を一週間の予定で旅した、当案内所の仲間である瀬戸さんから旅行の「みやげ話」を聞いた。目的は、クスコの町の「赤瓦の里」を視察に行った。来年、大聖寺で「第3回赤瓦セミナー」の全国大会を、開催するための視察旅行だったが、たくさんの歴史的実話の裏話を仕入れてきたらしい。

▼明治時代に、南米ペルーへ開拓移民団として日本から「さくら丸」で移住した2世の中から、「フジモリ大統領」が誕生した経緯を、ガイド役の現地人から聞いた。ガイドは青年期まで、日本で教育を受けていた。もうひとり、現地人と結婚した海外青年協力隊員も、ガイド役をしている。その人から聞いた歴史的背景のペルー。感動した「おみやげ話」もあるという。

▼二人とも日本の文化を知り、歴史的な比較をしながらのペルーを語るから、ツアーの日本人観光客にも感動を与えたという。なかでも「武士道」は、ペルー人に賞賛を与えた思想だと言う。

きょうから年末休暇に入る。まだ、元気に動ける職場を持つひとりでもある。うれしい正月を待つというより、元気で「ありがたい」年の瀬を迎えられたことへ感謝でいっぱいである。おかげさまで、生活習慣病の常備薬を服用しながらの、「見かけ健康体」と自負している。

▼十数年前に「四十肩・五十肩」を経験したが、最近「七十肩?」になって右腕にこわばりがきている。生活には支障が無いが、ペットボトルの栓を開ける時が苦痛になって来た。しかし、うれしいことにパソコン・キーを両手指で打てるから、ブログ発信には事欠かない。

▼老化防止に始めた購読紙のコラム「時鐘」の記事を、毎朝パソコンで写し書きする習慣も持続出来ている。2012年10月1日からスタートして、1160日以上も続いている。そして、途切れながらも、毎日発信の「大聖寺観光案内所・スタッフブログ」も、来年には足掛け3年目に入る。

▼「スタッフブログ」という主旨から程遠い内容を、毎回見守ってくれている案内所の篠原所長や、時折、「いいね」のコメントをしてくれている面識のない方々や別居の子どもらも、そして、「見ているよ」とお声掛けくださっている多くの方々にも、この場を借りて御礼を申し上げたい。

▼人間は独りで、生きられるとは思っていない。若い時期には、「生意気」だったことが、今では懐かしい。「すべっても、ころんでも」生かされていることへの感謝の毎日である。年を重ねないと分からない日々を体感している。「誰かに見られている」「だれかに見て欲しい」から、「他人へやさしさやおもいやり」を、口に出して発する「言霊」にも意識するようになった。

▼予定通り、12月のカレンダーに「12」の数字を描くように、16回のブログは発信できた。毎日発信できない「老人の遊びゴコロ」の智恵は、「継続」というテーマーで今年は完了できた。来年も、生きている間に智恵は使うものだという先人の教えに習って、がんばっていきたい。

年末の恒例行事と言えば幾つもあるが、国を挙げての庶民的祭りは「クリスマス」だろう。今年になって隣の前庭には、暗くなると「電飾飾り」にスイッチが入って、帰宅時の眼にも安堵感を覚えさせてくれている。そんな風景に違和感もなく、当たり前の風物詩にもなって来た。

▼「うちクリ」というコトバが定着してきたという。「うちクリスマス」の略語で、1224日から25日まで、十字架のネックレスをぶら下げた一家が、クリスマス・イブを自宅で過ごす。そんな「洗礼」も受けていない、擬似クリスチャンが増えたらしい。

▼イエス・キリストが生まれた「生誕日」を記念して、「太陽暦」の西暦元年がスタートしたという。来年は、グレゴリオ暦「2016」年で、400年に97回の「閏(うるう)年を置いた年でもある。4年毎に太陽の位置を調整する、2月29日のある年。分かりやすく言えば「オリンピックの年」でもある。

▼「ニッポンの常識は、世界の非常識」と言われていて、国民感情として「肩身の狭い」を感じてきた。だが、安全。平和。親切。勤勉。正確や、数々の歴史的習慣を含めて、世界中から大勢の人が来日して、それらを実体験して帰って行く。日本のクリスマス・イブの「クリスマスケーキ」と、バカ騒ぎも、世界に通用しない習慣らしいが、そのうち「世界の常識」になるかもしれない。

▼1万数千前の縄文時代。世界で最も早い段階に土器を作り出して、高度な文化を築き上げてきた日本民族は、その後の1万年を狩猟・採集生活を続けてきた。そして、変化が起きたのは紀元前5世紀ごろだった。

▼日本人の特性の一つに、新しい文化・文明に適用する能力があった。悪く言えば「サルマネ」。よく言えば、柔軟で融通がきく能力だろうが、明治時代に西欧文明を受け入れ、先進国の仲間入りができた。そして、戦後の「合言葉」は、アメリカに追いつけ追い越せだった。

12月に入ると、「クリスマス商戦」で日本中が大騒ぎ。きょうは、猫も犬も未(ひつじ)や申(さる)も・・・クリスチャン。

昨日は「旗日の祝日」。「天皇誕生日」。82歳を迎えられた天皇陛下には、ご高齢にもかかわらず皇后さまとご一緒に多忙な公務をされている報道を見るたびに、たまには皇太子さまと代ってもいいのではないかと、思うことがある。

▼しかし、報道によると公務に励むことが、健康的にもいいとおっしゃっている。先日のテレビ番組で、旧皇族の一員である「竹田恒泰」氏が、日本で1番自由の無いお方は天皇であると言っていた。誰しもが成れない立場だが、万世一系の維持のため選ばれた男子の天皇であるべきだ。女系天皇には反対とも発言していた。

▼私的には、憲法第一章に、「象徴」としての位置づけは、「元首」と違う。などの解釈問題で、はっきりしたらよいという考える人もいるらしいが、国家元首としての待遇は外国で、おもてなしを受けておられるから、それでいいのではないか。天皇より上はいないのだから、これまでの条文でよいと思う。

▼2千年以上も続く世界に類のない天皇家。そして、皇室への信頼は昔も今も変わっていない。「象徴的元首」と国民も尊敬している。平成の世にも、ベールに囲まれている天皇家。それでいいのではないか。「男子一系」を重んじているお世継ぎ問題や、皇太子妃殿下の病状など、軽々しき芸能人のプライベートと同じようなレベルの話題を、マスコミは慎むべきである。

▼我が家にも掲揚していないから偉そうなことは言えないが、「旗日」の大聖寺の街には、「国旗掲揚」の家が少ない。国道305号沿いを1キロほど車で走ったが、「国旗掲揚」は10軒に満たない現状だった。

▼あらためて、ネットで調べたら「国旗掲揚のマナー」というコーナーがあった。その一部には、1国旗の掲揚の時間帯は、日の出から日没まで。2国の象徴だから、破れや汚れのある国旗は掲揚しない。3雨天の日は雨に濡れないようにする。4丁寧に扱う。5自国の国旗を揚げず、他国の国旗掲揚はいけない。6掲揚位置は、入口から外に向けて右側に掲揚する。7複数の国旗を掲揚する時は、同じ高さにする。

▼1年間の国旗掲揚日は15日ある。これを機会に、国旗を買い求めて「元旦」には掲げるようにしたいと思った。

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