「続・ペルー旅行記」
ペルーの視察旅行から帰って来た瀬戸さんは、興奮して旅の話をしてくれた。日本人からペルー人の生活に接すると、戦後の日本を思い出す。粗末な雨をしのぐ家屋に住み、食糧事情が決して良くない。過去の日本にも、生きるための略奪もあり、義理人情のない貧困状態がしばらくあったように、決して豊かな国ではなかった。
▼コロンブスがアメリカ大陸を発見したころまでの、ペルーは、アジアから大陸移動した先住民族(アメリカインディアン)によって、「インカ文明」という高度な文明を作り出し、豊かな生活をしていた。今から1万3千年前の日本の縄文時代と同時代。
▼「種子島」に鉄砲が伝来したころの、16世紀になって、地球最大級に栄華を極めたインカ帝国は、一瞬にしてスペイン人の鉄砲兵器によって破壊された。そして、スペインの領土となり、植民地化で国民は奴隷にされた。
▼母系のDNA(ミトコンドリア)。日本の縄文人とは同じ遺伝子を持つインカの古代人も「八百万の神々」を信仰していたという。インカの王は、国民が信仰する神々を統一するために「天の神=コンドル」に置き変えた。「地の神=ヒューマー」。「地下の神=ヘビ」。日本にもあった「本地垂迹説」の神仏同体説を、動物に置き換えて統一したという。
▼そして、インカ帝国の物流を良くするために、「宿場」を作っていた。インカの場合は山岳道路のため、馬で行く30キロごとに作った。日本では、人が一日で走る距離に合わせて10キロ。この話を、現地のガイドから聞いた瀬戸さんは、20年前に大聖寺から江戸までの上下街道にある「一里塚」を整備して、一里塚再生事業を成功させたことを思い出していたのではないかと想像した。
▼奇しくも日曜の夜。NHKのテレビは「日本人のルーツ発見」を放映していた。縄文人「富山人骨」発見。縄文人は弥生人を受け入れる多様性を持っていたから進化した。大陸から手作りの簡素な舟で、黒潮を乗り切る技術があったから、日本列島までたどり着けたという。そんな縄文時代の文明が、今、解き明かされる。
▼来年の「赤瓦の里」セミナーは、秋に開催される。会場での報告会が楽しみである。ペルーで日本人の血が流れる「フジモリ大統領」が就任した歴史もある。地球の反対側で「武士道」の精神が、復活するかもしれない。