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2014年10月

さわやかな秋風が吹くのもあと何日あるのか。きのうは、そんな秋日和だった。落葉掃除もあとわずか、桜老樹も枝だけになり青空が見えてきた。しかし、桜葉が散ると、モミジ葉の季節になる。

▼市庁舎の駐車場掃除をしていると、「石しろまるしろまる 1682」のナンバーが付いた車があった。「いろはに」か、語呂合わせがいい番号だと思い、あたりを注意してみると、軽トラックに「8739(はなさく)」や車体が赤なのに「4616(しろいろ)」があった。

▼「語呂合わせ」の好きな日本人は、「4(死)・9(苦)」を忌み嫌ってきた。プロ野球選手の背番号で、4や9と49をつけているのは、外人選手。 「末広がり」は縁起がいいと、「8や八」をつけたものがたくさんある。ご当地発祥の「8番ラーメン」やずばり「末広屋」の店名も各地に存在する。

▼数字に関して好き嫌いがあるのは、日本人だけではない。外国人(キリスト教圏)は「13」を嫌う。「13日の金曜日」、黙示録の「666」も嫌う。むかし、銭湯の脱衣箱には「4や9」はなかった。イタリアのアリタヤ航空の座席にも「13や17」はないという。

▼「13」は「最後の晩餐」にちなむ、キリストを入れて13人だった。「17」は、日本語の「語呂合わせ」と同じ発想の、「今は死んでいる」という意味になるという。だが、古代ギリシャの故事で、オリンピックの最長競走に「マラソン」が取り入れられている。「42・195km」を走る競技で、これまでにも日本人のランナーが活躍している。むかし、この距離を暗記するのに「死にいく子」と覚えた。

▼数年前、「ナンバーズ3宝くじ」で「666」を買って、6万円の当選金をもらったことがあった。電話番号にもこだわる会社や役所もある。「8609」は定着してきた、「職業安定所(ハローワーク)」の電話番号でもある。加賀市の公用車に「300」が付いている。選挙公約(マニフェスト)で、「クール加賀三百万人構想」から、願いこめて別注したそうである。

▼「御嶽山の噴火」は、鮮明に知っている自然災害だった。東日本大震災を「3・11」。アメリカの同時多発テロ事件を「9・11」として記憶にとどめる数字。御嶽山噴火も「9・27」と記憶に残すのか。私のオリジナルで「降る石(で)国(が)ないぞ」と覚えたい。【2014年9月2713時】頃に「御嶽山」は噴火した。

きのうは、朝から秋空が広がっていた。予約していた掛り付け病院での健診日。待合室で、見覚えのある顔の同世代から、「久しぶり・・・」と声を掛けられた。一瞬、頬が固まった様子を悟られないように、ことばを濁した。名前と以前の出会いの場面が思い浮かばない。

▼タイミングよく、検尿コップを持って、彼がトイレから出て来るのを待っていたので、すぐさまトイレに駆け込んだ。検尿コップを置く小さな窓口には、まだ、検査室に取り込まれないコップが二つ並んでいた。

▼まず、用をたす前に、コップの名前を確認したら、彼の名前が分かった。「よかった!」。一瞬に10年前の接点がよみがえった。そして、ゆっくりと検尿コップに、たっぷり注ぎこまれた。

▼いま時分になると、「新蕎麦入荷」の張り紙や「のぼり旗」の蕎麦屋が見られる。先日、「新蕎麦」を食べに、福井の勝山に出掛けた。だが、張り紙を探す前に、空腹に負けて、初めての店に飛び込んだ。そば屋の構えは立派な設えだった。しかし、メニューには、単品の「おろしそば」もあったが、地元のB級グルメ「ソースかつ丼」に、おろしそばが付く定食類が多い。

▼イメージと違ったが、仕方なしに「おろし蕎麦」の大盛りと、「鯛すし」を注文した。山の中「勝山」にある、山海の珍味?も旅?の巡り合わせと観念した。やっぱり空腹には勝てなかった。一向一揆時代、一揆勢と「平泉寺」は対立状態であった。そして、平泉寺派に勝ったことで、一揆勢は「村岡山」に陣があったことから、「勝山(かっちゃま)」と改めた。

▼定年後の「失業給付金」受給期に、大聖寺・南郷の「蕎麦屋」で修業した時期があった。わずか3ヶ月だったが、はじめて習う「手打ちそば」のノウハウは、知らない世界とはいえ、そんな手仕事に興味津々だった。今は亡き、師匠は、脱サラした同世代の人だった。そんな師匠の又従兄弟(またいとこ)が、時々、調理場に顔を出していた。その彼が、病院で出合った人だった。

▼師匠とは、修業を終えても友情関係が続き、「東日本大震災」の数年前に、東北(福島・宮城・岩手)を3泊4日のドライブ旅行をした仲だった。2年以上の「癌闘病」で逝ってから、5年経過したという。これも、何かの巡り合わせと、師匠との思い出を馳せながら、合掌。

「いつものように 幕があき恋の歌うたう私に・・・・あれは3年前止めるあなた駅にのこし・・・」。ちあきなおみがレコード大賞を取った。「喝采」は1972年だった。あれから42年も経っていたのか。何事にも「月日の経つのは早い」と、感ずるようになった。

▼あれは3年前、築100年も経っている門構えの「有形文化財」指定の家屋に住むようになった。移住を知った地区の新聞営業所が、さっそく、新規購読の営業に来た。石川県を代表する「北國新聞」を、地元貢献のつもりで1ヶ月分を「おためし」気分で契約した。

▼そんな新聞に掲載されていた「時鐘」コラムに、ひと目惚れした。そして、キーボードを打つ機能訓練にもなるから、「時鐘」を写し、残ったスペースに「日記」も書きしるした。

▼2012年10月1日からスタートした。「足かけ3年」。なんとか続いている。同年1029日を開くと、「今どきの80歳と同一視するから、この長寿社会では色々と誤解が生じる。男の年齢は8掛け、女は7掛けの時代だと割り切ればいい・・・」から、始まって、「論語」の60にして「耳順」。「七十而従心所欲、不躍矩」とあり。すなわち「70になると、おもうままにふるまっても道を外れないようになった。」と記載されていた。

▼2013年1029日のコラムは、「武士の献立」の試写会を見た。加賀騒動を背景にしたストリーの骨太な魅力は・・・・印象的だった二つの場面を紹介▼・・・嫁の家事労働が過酷な頃、一番のリラックスできる場所は、竈(かまど)の前だった。▼もうひとつは、縁側で瓜を食べる場面だった。行儀悪く、食べた後ウリの種を庭に吐き捨てる。そんなタネから芽が出て、自宅にスイカやウリの畑ができる。子どもたちは食物と生命の循環を知った。

▼最近3日前のことも、すぐに思い出せない。ましてや、一年前や2年前などは、もってのほかである。しかし、日記は、リアルに記録してくれている。アルバム写真で記録する風習は無くなりつつあるが、過去を活字で見るのも「こそばい」。2年分の730日を何度でも往復できるから、得したような気分でもある。

「ワレ、ちょっこし ダラんねいけぇ。ええトシこいて、パソコンできるさかいユウぅて、「ブログ」。なんやそれ!。いまはやりの「つぶやき」か。しょうもないもんにこって、毎日何かいとるがや。見てくれるモン、おらんやろう。いいかんげんにせいまぁ」。

50年ほどまえだったら、仲のいい友達が私に言っただろう・・・忠告を、「コマツ弁」の方言でしゃべってみた。

▼石川県の方言は、加賀と能登に大きく分かれるが、細かに言えば、金沢と松任に能美、小松と江沼(加賀市)も微妙に違うイントネーション。方言も違う。江沼でも、片山津、大聖寺、山代、山中、浜地区(塩屋など)も違う。

▼「ふるさと検定」の歴史文化IIの学習帳にも、「方言」のページがある。地域の老人たちが、日常的に使っている代表的な方言の50例が紹介されていた。ほとんどの方言と意味は分かったが、2つだけ分からんことがあった。「あやめ」と「とんびすけ」だった。

▼先日、富山県の「城端(南砺市)」に研修旅行に行ったんや。その時、ガイドさんに注目しっとた。ご当地の歴史的芸能の「曳山祭」の説明では標準語やったけど、連れだって街中を歩くときの会話には、越中弁の訛りやった。キツクないイントネーションやった。

▼南砺市(福光・城端・井波・福野)の方言は、歴史的に金沢の郊外地区だったことで、高岡や富山とは異質の柔らかいイントネーションだった。日常品以外の買い物は、富山や高岡へ行かず、ほとんど金沢へ行くがや。と、りくつなことも喋っとたわ。

▼コマツじゃ、ダラのことを、「あやめ」といわんし。江沼やと、「的はずれな」ことを、「とんびすけ」と言うがやと・・・。「じょんなこと、言うがやね」。

▼「ブログ」も、ガッパになって書いとるし、ショマナ文やし、ハシカイことも書けんけど、ダラクサイと思わんと。ほんで、メトにせんと、づうと、見とってほしがや。

▼「ふるさとの 訛りなつかし停車場の 人ごみの中聴きに行く」啄木。

「ふるさとの 訛りなくせし友といて モカ珈琲はかくまでにがし」修司。

「ダチカンと くちぐせ母はもういない ときどき真似し立ち止まる時」吾亦交。

1020日の「時鐘」に、「おもてなしは、こ・こ・ろ」という誰もが口にする事例が、載っていた。自戒を込めて、一部抜粋して、「こころ」しておこう。

▼「おもてなし」で大切なのは「聞くこと」だと思う。遠来の客なら自分の街のアピールより先に「どちらからおいでですか?」と聞く▼観光地でよく体験することがある。街自慢が延々と続く。それがサービスだと思っているからだろう。人は知らない街を知りたくて旅をするのだが、自分の街やふるさとのことも聞いてほしいのである・・・・▼ところが、接待の女性はしばらくたってから案内したという。のんびりと海を見ている金田一先生のひとときを大切にし、声をかけるタイミングを計っていたのである。もてなしとは言葉だけではないことの一例だ▼各地で「おもてなし」」講座が続く。土地の魅力をアピールする会話能力に磨きをかけないといけない。だが「おもてなし」とは「こ・こ・ろ」のこと。その一言に尽きる。

▼「城下町大聖寺」を残す運動を、「地道に活発」に展開している。「歴町センター・大聖寺」のリーダーでもある瀬戸氏も事あるごとに、「こころのタッチパネル」に照らし合わせて、瞬時の対応をしている。「心・体・金・交流」の四つを「健康」に照らす「こころのタッチパネル」。この「実践活動」を近くで実感している。

▼前述の言語学者の金田一先生が、能登のホテルでの経験した「おもてなしの心」は、「能登の海景色に見とれている・・・」時。ひとりの接待さんのちょっとした気遣いが、記事となり広がって行く。そんな情景を、ロビーの隅で、お客への僅かな時間に間をおく「こころづかい」が、ワンシーンのように目に浮かぶ。

▼たぶん、連続日本一の「あのホテル」だろうと、勝手に想像してしまう。それは、接客マニュアルにない行為だと思う。「間のタイミング」は、腕時計では測れない時間である。やっぱり、「こころの時間」だ。

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