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2016年01月

きのうのインターネット画面の「総合ニュース」欄にある、注目される各新聞のトップニュースを見る。海外では「北ミサイルに警戒」、「増え続ける慰安婦像・放置する韓国政府」、国内の「罠ではない、甘利氏辞任の裏舞台」、「石原氏は得意じゃないかも・麻生氏」、「バス転落・シフトダウン失敗の声」、「スペインにマックが500店しかない訳」、「澤ママ、エッセーで衝撃告白」。

▼ご当地の新聞のトップニュースは、「日銀初のマイナス金利」だった。預金したら金利を取られるという、これまでの常識が真逆になった。わが身には縁の薄い預金のことだから、実質無関係である。単純な疑問は、「誰も預金しないだろうが、そのお金はどこへ回すのか」。

▼今年になって、「マイ・ナンバー制度」の「カード作製」が市役所でも受付が始まった。希望者だけらしいが、どんな時に必要なのか今一分からない。どうも、預金時に必要らしい。預金者が名前を変えての預金口座を、一つにすることに意義があるらしい。

▼いくつかの銀行預金で、個人名義の隠し財産を一つにすることによって、課税対象になるという。それと、「マイナス金利」との因果関係があるのか、ないのか。預金の無い者からすると無関心と言わざるを得ない。

▼それより、女子サッカーを、世界一までに盛り上げた「澤穂希さん」の、母親が書いた「子育てエッセー」に関心がある。「チャンスの波に乗りなさい」といい続けた。そして、男の子ばかりのサッカーチームでイジメにあった時には、「やられたらやり返せ」とも、激励したという。

▼幼児がスマホで遊ぶ時代。スマホは子育てには必要ないと思うが、これが今、社会現象を起こしているという。成長するわが子がスマホに夢中になっていて、家族との会話ができない。母親や爺ちゃんや婆ちゃんがうろたえているという。おかしな世の中になったものだ。

▼2月20日。加賀市民会館で、ジャーナリスト「石川結貴さん」が「スマホ時代の子育て」を講演するポスターを見た。爺さんの立場で、聴いてみたいものだ。

甘利大臣が辞任した。今、思えば、テレビに映る国会(委員会)中継で、答弁に待機する甘利大臣が映し出されていたが、疑惑の心痛を表す顔がアップされていた。「政治と金」は、今に始まったことではないが、こんな事件に出会うたびに、「またか」と。庶民感覚からすれば、別世界の話。

▼だが、油断することなかれ、誰にも当てはまる。人の心に住む卑しい「体質」に、隙あれば忍び寄る細菌でもある。政治家の裏口から侵入する危険な「口利き献金」という「バイ菌」で発病した。これを「自業自得病」という。

▼今回の辞任に追い込まれた原因には、また、事務所「秘書」の事務処理がいい加減であったと。脇の甘さがあったことで責任を取るという。前回の小渕大臣の辞職にも、同じようないい訳であった。安倍内閣が「ヤベー内閣」になるかもしれないことを暗示する事件になるかもしれない。

50年前の流行語は「白い巨塔」だった。当時の聖域だった医局制度や医学界の腐敗を鋭く追及した、「山崎豊子」の長編小説が映画化された。人の命を預かる著名な医者と、医学大学で教授を狙う野心的な男が、織りなすドロドロとした人間の確執をストーリにし社会小説だった。

▼「週刊文春」が甘利大臣の不正疑惑を報じなかったら、「小保方晴子」氏の「あの日から、今日までのこと」の出版に関する話題がトップだった、はず。しかし、不運ながら、「STAP細胞研究」を支援した仲間の逆襲にあって「理化学研究所」の、学者たちの人間臭いバッシングで消された手記が、「甘利」でかき消された。

▼「議員バッチ」の世界。「白衣」の世界。「学者」の世界。「制服」の世界である特権階級は、「お上」という厚いカーテンで仕切られた世界は、長い間「別世界」でもあった。庶民はいつも「土下座」しながら仰いでいた。そんな遺伝子が今日まで続いていた。

▼「黄門さま」のテレビ番組が、今でも超人気であることが実証された。「控え居ろう、頭が高い。ここにおわすは、先の副将軍」。水戸の光圀公がいないのが残念である。

記録的寒波が日本列島を襲って、一時はどうなるかと心配していたが、一転して好天になって、三日前には白山がくっきりと青空に映えていた。そして、気温も平年並みになった。むかしから大聖寺では、雪の寒さも「御願(ごんがん)まで」との言い伝えがある。毎年2月10日に行われる「菅生石部神社」の竹割りの奇祭「御願神事」のことである。

▼「ゴンガンまで」は、積雪の目安を指す言葉だから、暖かさは「春の彼岸」まで待つしかない。大聖寺に点在する神社仏閣寺には、江戸時代から季節の風物詩を表す伝統的な宗教儀式が今も行われている。菅原道真と大聖寺藩主を祀る「江沼神社」には、1月15日の「左儀長」から始まって、日蓮宗蓮光寺の「星まつり」での「水行」で水をかぶる行事。同じく「宗寿寺」でも2月11日には同様の「鬼子母神祭」での「水行」が行われる。

▼例年の4月15日から2日間は、「加賀神明宮」での「桜祭り」。古式装束を着けた大勢の祭礼委員が、神輿を引いて「水守神社」で一夜を明かし戻ってくる神事で、満開のさくら並木を往復する。春の行事を締めくくる伝統行事と言えば、「蓮如忌」である。浄土真宗の門徒が多い当地では、4月25日から5月2日までの間は、福井県境の「吉崎御坊」で蓮如上人の遺徳をしのぶ伝統行事。330年以上も続く一大法要会である。

▼今は、気象情報が茶の間に居ながら、身近になったが、完璧とは云えない。ましてや自然災害の予知はできていない。発生してからの予備的備えを意識するだけ。何も分からない大昔と変わらないのも事実である。

▼宗教行事には、寺院の創建由来に関わる神事儀式の他に、「長久国家安泰、五穀豊作、家内安全」を祈る。「こよみ」には、自然界の変わり目を記録して、苦しい寒さを「水行」という形を示し、耐え忍んで来た。そして、度重なる自然災害を乗り越えた。「春の風物詩」を通して、地方に伝わる宗教行事が、永久に続くことを願う。それに加えて、町民意識の継続も応援したい。

きょうは、今月の勤務する最後の日でもある。何とか無事にやり遂げることができそうである。一ケ月の作業日がランダムで12日間。休みの日をはさんだこの間合いが、微妙に楽しみである。毎週日曜日は、観光安内所で訪れる国内や海外からの、旅行者の質問に答えるボランティア活動で、刺激も受けている。

▼・・・と、ブログの原稿を前日に書くようにしている。ところが、現実には何が起きるのか、分からないから、原稿を書き直すことも多々ある。その多々のひとつが起きた。仲間が雪かきで、足を滑らして骨折。そして、2ケ月間休むという。そのために急遽、明日の29日も出勤することになった。

▼「予定は、未定」と、よく言ったものだ。新聞やテレビのメディアでは、出来事の結果をあらかじめ想定して作っておく「想定稿」や「想定映像」が一般的だという。時間単位で変化する社会の出来事を報道するには、「用意万端」が不可欠でもある。中には、著名人が入院するとあらかじめ業績資料や映像を用意する。病死を予定する「死事=仕事」かもしれない。

×ばつジョコビッチ」をテレビ観戦していた。時速200キロの球がどこに来るかで、「瞬時」にカラダが反応する。「想定球」に反応するテニス選手の能力には、いつもながら「超能力」を感じる。

▼先の、スキーバスに乗っていた若者たちも「まさか」の事故で亡くなった。「一寸先は闇」には、若者も老人にも格差がないことを実証したニュースだった。キリスト教には「予定説」なる、人間は救われるか滅びるかあらかじめ神の意思で決められているという。2000年前の「予定説」には、いつ効果が現れるのか疑わしい。
▼よって、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は「預言の宗教」と言われて久しい。神の意思で「救われた人間は、永遠に生きられるのか」。解らない事を言う神の預言だ。

沖縄本島で観測史上初めてミゾレの雪が降った。各地でこの時期雪があまり降らない所でも、積雪になったという。ニューヨークでも大雪で「非常事態宣言」が発令されたとニュースは伝えていた。予想が当たった。暖冬で雪無し正月を迎えた今年の年明けの、直感的な「第六感?」だった。「この後の天気がヤバイぞ」と。

▼人間には、視、聴、嗅、味、触の「五感」がある。この感覚があるから、身近な危険を察知して通常の生活ができる。そして、「第六感」という五感の他にあるとされる感覚で、鋭く物事の本質を感じる機能。一般的には「勘の鋭い人」ともいうが、大方の場合、勘が働きすぎて「余計な勘ぐり」で敬遠される人もいる。

▼我輩の場合は、今年の大雪予想は、年を重ねた体験的な記憶から感じた判断であった。だから、特殊な能力でもなかった。むしろ「鈍感力」を大事にしている。何事にもくよくしない。ストレスを感じさせない。人が見て「どん底」であっても、「まぁ、いいか」。・・・の「ケセラセラ」の生き方をしてきた。エッヘン!

▼「人間はなるようにしかならない」。と、いう日本には、子どもが成長する段階で、感じた生き方を考えてから決めればいいという。先人からの考え方があった。今風にいえば、日本人の「DNA」だという。信仰心の例からすれば、生まれながらに日本人は「八百万の神」がいて、「絶対神」がいない。

▼正月の初詣は神社で、「今年の夢を祈る」。「お盆」には、先祖供養をする。年末の「クリスマス」には、ケーキを食べて家族の健康を確かめる。そして、「バレンタインデー」には、恋人に「愛情を確かめる」。結婚式には、時にはクリスチャンにもなる。「一神教」の外国から見ると摩訶不思議な国民だという。だが、欧米人は生まれた親が信じる神に従うしかない。それより、人間として日本の方が理にかなっていると思う。

▼「森羅万象」。宇宙に存在する一切を尊ぶというDNAが働く日本人だから、戦後から立ち直って、今日があることをあらためて思う。

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