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カテゴリ: 五徳庵情報

8月から始めた「ぐるっと廻る・活性化サロン」の歴史探歩は4回目。「山の重伝建」東谷地区大土町の二枚田家が昼食会場だった。以前に、何度か「オエ(民家の上がり口の間)」の囲炉裏端で、昼食を頂いたことがあった。昔からの、地元の食材具を煮込んだ味噌汁と、炭火で焼かれたおにぎりの味が旨かった。

昔から、山奥の農家に宿泊した旅人には、「善意」の食事提供は当たり前だった。今回も、それを期待していたが、用意が出来なくなったという。仕方なく、市中の「ほっかほっか・豪華弁当」を持参して、山奥の古民家で食べることになった。だが、善意の「なめこ汁」がふるまわれた。

今は、過疎地になっているが、この地に生まれ育った二枚田さんは、定年まで市内の住宅地にいたが、住民票と一緒に生まれた家に帰ってきた。そして、過疎地で体験学習をする国内外の学生らが、自炊する宿舎として開放しているこれまで18ヶ国の学生が、山奥の体験生活をしたという。

源平合戦の「篠原の戦」で、平家の残党が逃げた「平家落人の里」の歴史がある。昭和12年に全村が大火で消失したが、その後、炭焼きなどをして近年まで10家族が住んでいた。そして、誰もいなくなった山村集落が、「重要伝統的建造物群保存地区の『加賀東谷』は4つの集落で構成されています。大土はその最奥の集落です」。と、紹介されている。

「温故知新」は、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と、訓読する。中学生時代に覚えた四字熟語を懐かしく思い出した。800年前に落人が住みついた、大土の暮らしには違和感はない。便利社会に慣れて、ストレスを溜め込み、高齢社会を生きている我が身だが、直ぐにでも溶け込める自然体の生活環境である。

数年来より、独居生活を楽しんでいる。夏は涼しく、冬は寒い風が吹き込む古民家は、我が「五徳庵」と似ている。そして、いつの日か、五徳庵から自然に旅立つことを願っている。何故ならば、「介護施設」からの旅路へは、毎日、強制される辛くて長い時間が続くという。

今から30年ほど前、地元で生まれ育った彼女がまだ中学生のころ、「五徳庵」の前を登下校で行き来していた。住人のいない雑草で鬱蒼とした屋敷前を、足早に耳を塞いで通ったという。伝承のウワサは「簪(カンザシ)を刺した蛇のお化け」が出るということだった。そんなお化け屋敷の住人になって、もう五〜六年が経ったが、相変わらずの雑草に生い茂った屋敷には、簪をつけた蛇に代わって「白髪蛇」の爺さんが出入りしている。

▼先日、「山口玄蕃首塚碑小公園」に、新しく畳一帖の大きさを横にした「大聖寺城の戦いと山口玄蕃」の顕彰看板がつくられた。毎年8月8日には、地元の有志らによって「首塚供養祭」が行われている。新しく設置された顕彰碑に、「簪を刺した蛇」の由来が記されてあった。

▼玄蕃は豊臣秀吉に才を認められ、小早川秀秋の筆頭家老として仕えた。慶長5年(1600)の関が原の戦いで、秀秋は西軍から東軍に寝返ったが、玄蕃は豊臣家の恩に応え、大聖寺城で1200の兵を率いて徳川方の前田利長の2万5000人の大軍と戦った。玄蕃は同年8月8日、現在の大聖寺新町で自決した。

▼少くない兵士で大軍と戦った城中には、「カンザシ」に戦いの白鉢巻をつけ、城内にとどまった女性たちも戦いに加わって、最期は自決した。その後、城山に月の明かりがさす頃になると、「かんざしを刺した蛇」が出てきたという。

▼大聖寺城「鐘ケ丸」の麓にある、料亭「滝川」(五徳庵)の庭には、老木の大樹に大きな穴がある。その穴には、古くから蛇の棲家になっていたという。この屋敷の住人だった藩医の「竹内家」の子孫「谷渡(たに・わたる)氏」は、『自分史 穴虫の生活』で、地名に相応して裏庭で遊んでいた蛇をよく見かけたという。

▼今年は「巳年」。戸籍は「午年・1942年1月1日生」だが、巳年の「十月十日」母の胎内にいたわが身は、「蛇年生まれ」のつもりで生きてきた。だが、蛇は苦手である。

「桜紅葉(さくらもみじ)」は秋の季語。桜は他の木より早く色づき、散るのも早い。「日々の歳時記」の「今日の言葉」に目を通し、五徳庵の桜の古木を見上げた。かろうじて残っている数枚の古葉が快晴の秋空に見えた。これまでは、玄関先に散る「桜紅葉」を掃除していたが、今日からはその手間が省ける。

▼年末には、5年ぶりの「運転免許証」更新ができる。昨日は「認知機能検査」や視力検査など、事前に行う「運転適正検査」も合格できた。久しぶりに、昭和34年11月28日に交付された運転免許証を感慨の思いで眺めた。

▼この免許証とは、長年肌身離さず57年間も共に過ごして来た「わが人生」の生き証人でもある。250ccのバイクは、東京神楽坂で道路脇から飛び出した幼児を怪我させた。靖国神社の九段坂で、雨にぬれた都電のレールに乗りあげ転倒し、痛い思いの青春時代も知っている。

▼帰郷してから、普通免許を取得するが、出張試験場で2回目に合格した。家業の中古トラックを乗り回し、金沢の歓楽街を往復した。新車の「スカイライン」で家族を乗せての「大阪万博」。今は鬼籍にいる友人と、九州や四国に東北を巡るドライブ旅行の思い出もよぎる。

▼定年後は、中古車を乗り換えての今日に至っているが、雨露を凌ぐ程度の老体車を大事にしている。最近は駐車場での軽度の接触事故はあったが、運転違反の無い優良運転者。いずれは免許返却になるだろうが、ゴールド免許証を我が身に置き換えて、少しでも長く一緒に過ごしたい。

▼春の桜満開から花吹雪が散る。夏の葉陰で涼しさを満喫して、秋の風で散る桜紅葉。そして、来春までガイコツのような枝が冬空に耐える。古民家の庭に生きる老樹を、我が身の一生に例える一年でもある。「しわ顔の ゴールド免許に 秋の風 吾亦交」。

五徳庵の住人になって、5度目の秋の匂い、「キンモクセイ」の香りを感じている。そんなころに買い求めた中古のノートパソコンの調子が悪くなった。操作はできるが、立ち上がってから画面が暗くなる。わずかな知識をたどりながら試行錯誤していたが、ダメだった。修理専門店に持ち込んで診察してもらったが、結果は同じだった。

▼結局、可動する中古品に取り替えた。まだ、3年半は使える慣れた「ウインドーズ7」は、薄くて軽めの機種タイプだった。日々進化する機能を備えた機種より、使い手の身の丈に応じた旧式タイプを選んだ。

▼震災や戦災にも免れ、江戸時代からの町割りがそっくり残る城下町。加賀百万石の支藩として、戦後の発展もなく静かに時間だけが通り過ぎた。そんな豊かな町の文化・歴史を伝えるために、「NPO法人歴町センター大聖寺」の活動は、大聖寺の「顔」にもなった「時鐘堂」をはじめ、「大聖寺流し舟」などを運航させて、10年目を迎えた。

▼6年後には、東京・金沢間の「新幹線開通」から、福井に向けて延長される。100年前に開通された北陸本線の「大聖寺駅」には、芭蕉にも愛された名湯「山中温泉」への湯客が乗り降りし混雑した。しかし、新幹線は駅のない大聖寺は山側を通り過ぎるだけである。

▼ローカル線大聖寺駅には、通勤・通学だけが乗降する。昔の面影のない駅前に、3年前に開設された「大聖寺観光案内所」。開設時には、ホームページも併設された。案内所のスタッフは、退役後の元気なシニア世代。ホームページには、「スタッフ・ブログ」も設けられた。城下町の風物詩を書き残すコーナに、余生の活動に思う「老人のつぶやき」を書き込む。そんなコーナーに生甲斐を感じたスタッフも誕生した。

▼スタートの2014年9月から「518回」のブログを発信したシニアは、この2週間、日課の書き込みが止まった。だが、こんな事に意気消沈することもなく、10月1日から、再スタートできる環境に感謝しながら、キーボードを叩く。

「早起きは三文の徳」。懐かしい言葉が浮かんできた。今朝も3時に起床。こんな習慣がついてからもう何年も経っている。人は年寄りの典型的な条件だと言うが、あえて抵抗しない。睡眠時間は、たっぷりの6時間だから、すっきり眼が覚めている。そんなに早く起きて何しているのかと、すこし若い年代から聞かれるが、笑って答えない。

▼人はそれぞれの時間を楽しむパターンがある。大きなお世話だと言いたい。起きるとパソコンにセットした軽音楽を聴きながら、インターネットのニュースを拾い読み、きのう発信したブログをチェックする。めったにないが「いいね」のコメントがあれば、誰から発信されたかも見る。

▼三日前のブログに対して、東広島市のSさんから丁寧な謝礼のコメントを頂いた。この場を借りて、来年の9月2日、加賀で開催される「赤瓦の里・セミナー」で、お会いできますように楽しみにしています。そして、カープの赤い応援手ぬぐいを見せてください。

▼少し肌寒くなった足元には、使わなくなったゴルフボール2個を足裏で転がしている。「足裏マッサージー」をしながら、分解した「智恵の輪」を組み立てているが、これに手こずっている。もう2時間も経っている。

▼遊びをあきらめて、2週間も前から友人に借りた近代歴史の裏話「二人で一人の明治天皇・松重楊江著」に目を通す。歴史には、表もあれば裏もある。若いころに読んだ「吉川英治の三国志」を、あらためて見直している友人がいる。彼との雑談の中で「劉備・関羽・張飛」がよく話題になる。

▼時代は変わっても、人間の考えることには大差はない。清廉潔白な人間の生き方もある。極悪非道で手にした地位や財産は、やっぱり長くは続かない。「人生五十年」だった時代もあったが、今は、少し伸びても、健康でひとり歩きができる「八十年」ぐらいだろう。「敬老の日」に目覚めて思ったことは、今日も眼が覚めて「よかった」。

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