「温故知新」
8月から始めた「ぐるっと廻る・活性化サロン」の歴史探歩は4回目。「山の重伝建」東谷地区大土町の二枚田家が昼食会場だった。以前に、何度か「オエ(民家の上がり口の間)」の囲炉裏端で、昼食を頂いたことがあった。昔からの、地元の食材具を煮込んだ味噌汁と、炭火で焼かれたおにぎりの味が旨かった。
▼昔から、山奥の農家に宿泊した旅人には、「善意」の食事提供は当たり前だった。今回も、それを期待していたが、用意が出来なくなったという。仕方なく、市中の「ほっかほっか・豪華弁当」を持参して、山奥の古民家で食べることになった。だが、善意の「なめこ汁」がふるまわれた。
▼今は、過疎地になっているが、この地に生まれ育った二枚田さんは、定年まで市内の住宅地にいたが、住民票と一緒に生まれた家に帰ってきた。そして、過疎地で体験学習をする国内外の学生らが、自炊する宿舎として開放している。これまで18ヶ国の学生が、山奥の体験生活をしたという。
▼源平合戦の「篠原の戦」で、平家の残党が逃げた「平家落人の里」の歴史がある。昭和12年に全村が大火で消失したが、その後、炭焼きなどをして近年まで10家族が住んでいた。そして、誰もいなくなった山村集落が、「重要伝統的建造物群保存地区の『加賀東谷』は4つの集落で構成されています。大土はその最奥の集落です」。と、紹介されている。
▼「温故知新」は、「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」と、訓読する。中学生時代に覚えた四字熟語を懐かしく思い出した。800年前に落人が住みついた、大土の暮らしには違和感はない。便利社会に慣れて、ストレスを溜め込み、高齢社会を生きている我が身だが、直ぐにでも溶け込める自然体の生活環境である。
▼数年来より、独居生活を楽しんでいる。夏は涼しく、冬は寒い風が吹き込む古民家は、我が「五徳庵」と似ている。そして、いつの日か、五徳庵から自然に旅立つことを願っている。何故ならば、「介護施設」からの旅路へは、毎日、強制される辛くて長い時間が続くという。