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2015年04月

三日前の月曜日は、急に「真夏日」になった。気温はあっという間に、26度以上になった。それまでの朝晩は、居間のストーブを焚いていた。テレビでは、「熱中症」になった人が全国で病院に運ばれたという。統一地方選で「選挙熱」が上がらなかったか、県内8市町の投票率が最低だったという新聞記事も載っていた。

▼いつもながら、国民が国政や地方行政に参加できる唯一の権利が選挙制度である。届かない国民の気持ちが政治離れを起こしているのか、新幹線が金沢まで来て、関東圏からの観光客の対応で選挙どころではなかったのか。
▼生まれ育ったところでの市議選に、友人が出馬してダメだった。投票権がない者ができる応援は親戚縁者への声掛けぐらいだったが、次回に花を咲かせてもらいたい。

▼イスラム圏で暴徒化したテロ集団が起こす事件で、毎日が不安な状態で生きている人々からすれば、日本は天国のような国である。天国日本のなかでも、原発汚染で帰宅困難者などが将来に不安を感じている人たちもたくさんいる。いつの世も、笑っている人、泣いている人、苦虫顔の人。百人百様である。

▼そんな全て人に満足感を与えられる政策や王様はいない。好きなことが言えて、他人に迷惑をかけないことなら、好きなように生きられる日本国民は、世界の中でも「まれ」な国だと思う。

▼加賀市には、古代から 豊かな水に恵まれた、自然豊かな住みやすい地域であった。分校町の国道8号線わきに、「血墓(ちはか)古墳群の遺跡がある。保存遺跡丘に「ササユリ」の花が咲いていないかと、夏日になった日に見に行ったが、やっぱり早かった。いつもの6月中旬まで待つしかないのか。

▼縄文・弥生・古墳時代の埋蔵文化財が、市内で850カ所確認されている。 2ヶ所の国の史跡指定ある、勅使町の「法皇山(ほうおうざん)横穴群」。二子塚町の「狐山(きつねやま)古墳」。全国的に有名な地区で「知る人は知るところ」でもある。

「あたらしもん好き」ではない。しかし、嫌いでもない。「時代遅れはイヤ」だが、すぐに飛びつかない。「ほんなら、どっちかいね」と言われると、必要に迫られて動く方かもしれない。初夏を思わせるゴールデン・ウィークを前にして、マイカーで高岡に行き、新幹線駅と国宝「瑞龍寺」を見てきた。

▼加賀市から高岡までのコースは、何通りもある。覚えのある道を、「ナビ」がなくても気軽に行けるところである。正午過ぎにスタートし、高速道路で北に向かう。小矢部ICを過ぎて、七尾まで開通した「能越自動車道」に進入、「高岡IC」で下りる。

▼「新高岡駅」への看板に従って、高架道路建設予定のわき道を走る。完成後、何処へつながるのか分からないまま、見覚えのある「イオン・ショッピングセンター」の建物が見えてきた。これまで高岡市街地には、北陸自動車道「砺波IC」から、国道8号線につながる156号線で高岡市中心街に入るルートだった。

▼JR高岡駅は、「あいの風とやま鉄道」の高岡駅になった。新幹線高岡駅は、そんな旧高岡駅から1・5キロも離れて建設されている。しかし、在来の「JR城端線」は、旧高岡駅と新幹線駅ともつながっているから、市民生活には不便はないらしい。

▼土地勘のない外来者から見ても感じる、以前の高岡市の玄関口付近は大変身していた。何気なく通過していた高岡の中心街だったが、これまで国宝「瑞龍寺」も見過ごしてきた。25日付けの「時鐘」に「加賀前田ゆかりの町民文化が花咲くまち高岡」が、日本遺産になった記事を見て行きたくなった。

▼「鳳凰(ほうおう)鳴けり彼の高き岡」に由来する「高岡」。2代藩主利長が開城し、この地で亡くなった加賀前田藩直轄の地。そんな御霊を祀るために、3代利常公が、時の名匠「山上善右門嘉広」に作らせた「七堂伽藍を完備した菩提寺・瑞龍寺」。「百間は一見に如かず」の必見する寺院であった。

「ドロン・ゲーム」は、引分け試合という。「ドローンした」と言えば「消えた」意味にも使われる。そんな「ドローン」の名前がついた小型無人機が、総理官邸屋上に着陸させた事件をテレビは報じていた。不時着か墜落かとも言われて来たが、機体には放射能溶液が入った容器を積み込んでいたから、誰かが意図的に仕組んだ「官邸襲撃?」と、衝撃的な事件として犯人探しをしていた。

▼その犯行を証明する「無線操作機」を持って小浜市の男が自首してきたと。昨日は、終日トップニュースでテレビは伝えていた。容器には「福島の砂を入れた」と言って、「原発再稼動反対」も示唆しているという。

▼そんな形での、「原発反対運動」にあえて賛同するつもりはないが、「原発再稼動」を推進する政府や原子力規制委員会。そして、原子力発電会社の曖昧な言動に不快感を思っているひとりである。

▼3・11の津波で「メルトダウン」が起きて、その回収作業にはいくつかの大きな難題を抱えながら、あと何十年も掛かるかもしれない。そんな「福島原発」での現実のなか、停止中の「原発」に再稼動の認可を与えようとしている。

▼現実的、間接的に被災されている多くの人たちがいる。放射能汚染区域の線引きで、保障の有無が招いた家族との離別。ふるさとに帰りたくても帰れない土着民。あの日から、人生設計が一変した多くの被災者たちの現実が、「ドロン・ゲーム」になりかけている。

▼老作家が描いた「金魚とのロマンス」の「蜜のあわれ」。彼らの撮影チームが、地元に感謝を伝えるための懇親会は、ビデオカメラが捕らえた画像から伝わってきている。

▼そんな中、影像には無いが。「ドローン偵察機」事件の発覚ニュースが伝わらない時間帯に、映画撮影とは関係ない話がされていた。祖夫母が福島で被災した。孫たちを連れて帰りたくても、帰れない東京生まれの、チームスタッフのひとりが、辛い気持ちをこぼしていた。

北陸地方、特に南加賀に春を告げる風物詩の一つに、「蓮如上人『吉崎にお着き』の蓮如忌」。御一行が無事に吉崎に着いた記事を見た。蓮如上人のご影像を京都から迎えて行われる342年も続く御忌法要は、10日間の法要で吉崎は参詣者でいっぱいになるという。

▼そんな中、加賀市内での撮影を終えた「映画作成集団」との懇親会に、カメラマンとして同席した。職業として映画作りをする業界スタッフにレンズを向ける機会は、「後にも先にもない」稀有の4時間だった。

▼金沢「3大文豪」のひとりだった「室生犀星」。晩年の小説を映画化した「蜜のあわれ」チームの石井岳龍監督をはじめ、プロデューサーの森重(もりしげ)氏・湊谷(みなとや)氏・小沼氏に、デザイナー、美術、装飾、食事などの担当スタッフ総勢9名を囲んで、撮影秘話や苦心談を聞き、「明日の加賀・大聖寺の町並み保存」に生かせないかが、趣旨だった。

▼実に、興味深い企画をプロデュースしたのは、歴町センター大聖寺の瀬戸氏だった。聞き手側は、副市長、建設部長、副議長。山中座ロケに尽力した元山中町町長、郷土歴史家の先生に錦城山城址保存会会長や能登の村民7人の塩浜塩田近くで、町起こしをスタートさせた加賀市の女性、映画ロケ地にもなった橋立町の旧北前船主館「増田家」をボランティアで草ムシリから初めて、保存活動をしている管理人に加賀観光案内所長と私を含めた11名。

▼昭和30年ごろの映画撮影でロケ地に選ばれた「加賀市」には、映画製作を手がける側からすると、東京や金沢にもない垂涎のところが山ほどあるという。そして、映画撮影に協力的な人情味あふれるたくさんの市民に出会った。苦心談を期待していたが、聞き手側をがっかりさせるほど、過去に例がないほど撮影がスムースに行き過ぎたという。

▼最後に、瀬戸氏は、この地は昔から、困った人に「施し」をする人情味がある土地柄であり、日本全国の歴史的観光地で有名な、京都、奈良や高山、小布施などの小都市の上を行く「大聖寺」であると、専門家から言質をいただいている。このこと市民に知ってもらいたいと結んだ。

今月の14日に、映画出演をした。もちろん主役は譲って脇役のエキストラ役だった。講演会場の観衆役。久しぶり、何十年ぶりかの和服だった。衣装係の指示に従って着流しに兵児帯姿。自分で着た姿を見た衣装係りから、すぐに直された。やっぱり、左前に着ていたからだ。

▼和服の着方で、襟の左前は「死人装束」だと、常識では知っていたが、自分の側から着た場合なのか、他人から見ての左側かの記憶が曖昧だった。今回の和服を着た縁で、利き手の右手が懐に入る方向だと意識して覚えた最大の収穫だった。

▼いずれは左前に着せられる装束の時には、他人任せだが、現世にまた着る機会があった時には、自信を持って着ることができる。成人してから和服に縁のなかった環境習慣は、怖いものだとつくづく思った。

▼「人は右、車は左」の交通ルールは、現代社会の日本での常識。右ハンドルの国産車のため。しかし、このクルマの左ルールは、世界中でイギリスと、その植民地とタイと日本だけらしい。和服を着ていた武家時代の通行ルールでは「侍は左通行」だった。刀の鞘がお互いに触れ合わないように、自然となったみたい。

▼戦後、小学校の運動場で行列した時は、「右へならい」が常識であった。これは、軍隊用語だったと記憶しているが、左より右側が「上手(上位)」にあたる。「左遷」は地位が下がる意味でもあるから、右手の最上位が天皇を指したと理解している。

▼「右翼の宣伝カー」、「左翼の政党」、「左手遣い(ギッチョ)」などの言葉遣いが消えつつある。「右脳・左脳」の働きの違いがあることを知ったのは、ずいぶん前のことだった。私は右手遣いだから、右脳が発達しているらしい。「論理的で判断力に優れている」という。しかし、最近では、「右脳」の働きも鈍くなり、年を重ねた「左脳の直感力」で、今日の「曜日」を、よく間違うことがある。

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