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2015年08月

今日は、自分史のこの1年の暦で云えば「大晦日」。平成26年9月7日からスタートしたブログ「老人のつぶやき」の毎日更新。1年目を迎えた記録すべき日でもある。

▼先日、ブログに挑戦した試みの詳しい経緯を、「三日坊主だったに」に書いたが、あらためて毎日続けられ、今日迎えられたことへの驚きを「自画自賛」したい。

▼義務感で達成できたというより、自分の意欲的な気持ちがまだ、残っていたことにビックリしている。中断することもなく健康で、続けられないトラブルもなく、奇跡としか思えない。しかし、のぼせ上がってはいけない。続けられた1番は、誰かが、時々コメントのなかで、「読んでいるよ」の、激励があったからなればこその、快挙だと感謝している。

▼「ミトコンドリア」のことが、NHKで放送されて脚光を浴びた。最近、ジム通いの2年間で、理想に近い体型を維持し、毎日通い続けているという人の話を聞いた。人間の細胞にある小器官のひとつで、エネルギーを作り出すという。「認知症」にも効果がある。「食事と適度の運動」が必要。不規則な悪いミトコンドリアが増えると老化につながるという、耳の痛い話だった。

▼簡単に作り出せる「ワラ技」があるという。ジム通いの人は、通常の動きのなかで、ときどき「負荷」を掛けるようにする。健康を意識した食事も、時々「絶食状態」をつくるといいらしい。

▼「継続は力なり」の格言もある。何事にも、真面目に一生懸命続ける日本の国民性が、モノ作りなどに生かされているから、世界からも評価されている。そんななかにも改良改善がなされているから、日進月歩につながっている。

▼山登りに例えるなら、とりあえず目標の「一年間の毎日発信」という頂上を極めた。登ったら無事に下山してこそ「登山できた」ことになる。後は、無理せず、「発信しながら」ゆっくり下山することにしたい。

明日から新学期が始まる。ふと、過ぎし日の、わが身を振り返る瞬間があった。だが、何も思いだせなかった。60年以上も前のころだった。

▼今もある小松市内にある小学校。戦後まもなくの、昭和23年の春に入学。校門には「二宮尊徳像」があった。その脇に、御真影や教育勅語謄本などを奉安していた「奉安殿」が、敗戦後に、人の手によって破壊されたままの姿で放置されていた。

▼平成25年夏。昭和28年の春に卒業した81名のうちの32名が、60年ぶりに開いた同窓会に顔をそろえた。日本各地から集まった幼なじみは、熟年を通り越した高齢者になっていた。積もる話より、この場に集う幸せに感無量だった。

▼家族の了解を得て、連れ出した認知症の同級生。この機会に参加しないと、同級生に会えない。若いころに都会に行った「やんちゃ坊主」は、入院中に、帰宅届けを出して参加した。60年の歳月は長かった。既に「あの世に」逝った者も何人かいる。

▼同窓会に参加した者でも、先日、先に逝った。次回の会合を決めることはしなかった。数年後、誰かの希望で、残った者同士が再会の準備ができれば、「やろう」ということになった。「新学期 楽しい記憶 何もなし ひもじい時代 生きてきただけ」。

▼先日手に入れた、「ウクレレ」の楽器を触っている。「新楽器 動かぬ指を じっと見る」。「新しい挑戦は、遅すぎることはない」という、先人の言葉に後押しされてスタートした今年の晩夏は、歴史的な挑戦である。数年後の同窓会に、座興で「お手手、つないで野道を行けば・・・」の、伴奏ができるようになりたいものだ。

▼それよりも、今年の年末には、「楽しみは うまくなったよ きのうより 動いた指に ニコリする時」。

後期高齢者と前期高齢者が仲良く、隣県の福井市までドライブした。知り合ってもう5年目。彼の生き方に共鳴し、彼の主管する活動に参加し、仲間として認知されるようになって来た。

▼人との出会いは、不思議なもの。縁ある人は、百万年前からの既知のようになり、短期間で知遇を受けるようになる。「縁は異なもの味なもの」は男女の仲をいうセリフであるが、老域に入っての「男同士」も味なものである。

▼ハワイアンミュージックに欠かせない「ウクレレ」を求めて、徒歩で福井市内をうろついた。縁あった楽器店は電車通りの老舗の店。初心者用を2台買った。彼も一緒に始めるという。将来、彼の奥さんも誘って「マラカス」を振ってもらい、老人ホームへ慰問に行こうということになった。

▼帰りの道で、偶然に見つけた「幸福の国」で有名になった「ブータンミュージアム」の看板のある展示会風のビルに入った。建国100年の「ブータン国」。ヒマラヤの奥地の人口70万弱の「世界最貧国」の一つ。NOP法人「幸福の国」が運営して3年目だという。ブータン国国外で初めて「ブータン博物館」。福井県も日本で1番の「幸福な県」だということに因んだという。
▼ブータン国民に、アンケートしたという。今一番に欲しい物は「デンキ洗濯機」。

▼次に足を止めたのは、お菓子店舗「森八大名閣」。店名の由来を聞いた。森さんが開業した昭和八年を記念して「森八」。店内のテーブルで、、「あんみつ入りのフルーツ菓子」を食べながらの、至福のひと時を過ごした。

▼「人間幾つになっても、新しいことへの挑戦には、遅すぎることはない」と、誰かも言っていた。もう一つ好きな言葉を思い出した。カントリー・ミュージックの女王ドリー・パートンは、「あなたの人生をかわりに生きてくれる人はいないわ」。

台風一過の、青空が空いっぱいに広がった日。久しぶりに空を見た。まだ、「残暑」だが、まさしく気持ちがいい秋の空。台風の前には、木々の落葉でわが家の前には、溜まっていた枯葉がどこかへ去った。台風シーズンには、落葉の掃除もしてくれる。

▼昭和時代は、道路や庭の枯葉の掃除と言えば、「竹箒」が主流だったが、コードレス送風・吸塵機が開発されている。公園の枯葉掃除作業にも使用されていた。風で飛ばしながらの作業は効率もよい。考えたのは人間だが、見本は自然界にあった。

▼顔見知りが集まる場所で、現役サラリーマンが、「深夜勤務」の経験者だったころの思い出話をしていた。深夜作業をしていた当時の先輩たちの寿命が短いと、身近な体験事例を挙げていた。

▼いまや「24時間時代」。「三勤交代」の、働き手の若者らは、「喰う、寝る、遊ぶ」に事欠かない時代になったが、そんな生活は、大きな落とし穴「短い人生」であることを示唆していた。

▼古来、我らの先人たちは、「太陽が昇ったら働き、日没には仕事を終える」。そして「夜なべ」と言って就寝を惜しんで仕事した。そんな生活を千年以上も続けてきた。現在は、労働者の年間休日120日もあるが、昔は「正月三日、盆三日、祭りは二日でおこまいか」の少ない休日にも耐えてきた。

▼しかし、人間の疲労した肉体は、真夜の睡眠時に回復されることは一般的常識だが、生活や勤務環境によってその通りに行かない現実もある。

▼理想的な就寝の時間帯は午後10時に床につき、朝5時に起きる。それ以上寝てもダメだという。90分の倍数の4時間半、6時間までは、良いらしい。5倍の7時間半は、長寿に生きられないデーターがあるらしい。

▼便利な道具は、自然界にある見本にヒントに考え出されたものが多い。だが、長寿に元気で生きる自然界の見本は、何だろうか。樹齢2300年の天然記念物「栢野の大杉」にお参りして、「草だんご」を食べれば長生きできるかもしれない。

293号目のブログを書いている。昨年の9月4日から書き出しての偉業である。自分で自慢するのも如何なものかと思ったが、よくぞ続けられたと思う。見様見真似で始めたブログ発信は、自発的意志でスタートしたのではなかった。

▼ボランティア活動で、週一回の大聖寺観光案内所で案内役をしていた。その組織 が、昨年の7月16日「ホームページ」を開設していた。それを知ったのは開設して90日ぐらい経ったころだった。ある日、案内所の所長が、「スタッフブログ」のスペースを埋めて欲しいとの依頼があった。

▼条件は、「何を書いても良い」。素直に「ワカッタ」からスタートした。実績経験も何にもないところから、失うものがない「怖いもの知らず」は、無鉄砲さがまだ残っていた。日常茶飯事をテーマに「老人のつぶやき」と、「エンディングノート」風の日記を基準に、原稿用紙2枚分と決めて書き出した。

▼過去にも何度か日記を付けたが、すべて「三日坊主」。しかし、今回は依頼という形で、締め切り時間のある毎日投稿。「作家気分」が創作意欲に火をつけた。だが、なんとか燃えるが、黒い煙の出るカマドでの物書き作業。投稿済を読み返すと、支離滅裂の後味の悪いものばかりだった。

▼平成26年9月初旬から、毎日投稿の形で書き始めた。今年になって、定期の休刊日を設けた。1月分を書き終えると、カレンダーに数字の「1」が残るように休刊日とした。今月は「8」を横にした「∞」がお休みの日。

▼来月には、1年目を迎える。2週目には「306号」になるはずである。ありがたいことに、365日。快食、快便、快眠の「健康の三原則」に、「快書」が加わり充実した日々を過ごせた。こんな機会を与えてくれた案内所の篠原所長や、NPO法人歴町センターの瀬戸さんに、この文面を借りて「感謝」を書き残したい。

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