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2015年01月

「またか!」と言い出したくなる事件が起きている。「人を殺してみたかった」という女学生の事件だ。戦中派の老人からすると、訳が分からない世の中になったものだと言いたい。確かに、戦後の食糧難から、「生めよ増やせよ、追いつけ」の掛け声で、高度成長期を導いた。そして、1968年には、国民総生産(GNP)が世界第2になった。47年前のことであった。

▼アメリカについで42年間も第2位を続けてきたが、2010年には第3位になった。そんなころから、これまで実例がなかったおかしな事件が続いている。精神鑑定を受けなければならない年少者の殺人事件が多発している。

▼「バーチャルの虚構世界」にはまった若年層が、現実世界で試みる殺人。これまでの殺人事件には、「利害からの恨み」が大半の動機だった。映画やテレビドラマの「推理小説」でも、犯人探しが、見る側の謎解きも楽しみだった。

▼「シャーロック・ホームズシリーズ」の『ワトソン君』。横溝正史の「金田一耕助」などで育った世代からすると、名探偵でも最近の殺人犯に到達できないストーリーだ。逆に、犯人像になかなか近づけなかった警察側すれば、犯人側からネットで予告があり、「やった」という、告白する言葉が入手できる。これまでのような地道な捜索が不要になった。

▼一番困った世になった。天使のような顔をした少女が、善意で知り合った人の隙を狙って凶器で殺す。誰でもいい、通行人を襲う少年。ネットで知り合った利害のない人も殺される。それも凶器を準備していたという。

▼便利な世の中には、これまでなかった不便も出てくるという。しかし、「不便」のなかに殺されるという言葉はなかったはずだが、これを「恐怖」という言葉に置き換える時代になったのか。

「テロ集団なりの「正義」を振りかざし、民主主義を袋小路に押し込めようとしている」という。新聞コラムが取り上げていた。「正義って何だろう」と問い続ける若者が詠む短歌の問いにも答えたい。答えは、命の尊厳が第一、それ以上の何があろう。と結んでいた。

▼テロ集団が作る国。かつてそんな形で創られた国があったのか、今一、よく分からない。たしかに、国づくりにはエネルギーがいる。生む力には難産がつきものである。生まれてから育つ期間も必要である。ましてや、「平和」という安心できる国になるには、何十年も何百年も掛かるかもしれない。

▼今回のテロ事件を起こした。呼名「イスラム国」は現実に存在していない。他国に居座って外国人の傭兵(ようへい)に武器を持たせて、自分の領土でないところを、我がもの顔で動き回っている。まさしく、国際強盗集団そのものである。

▼そんな集団には、一種の聖戦イデオロギーを表す「ジハード」という正義。死をもって神にささげる「自爆行為」を洗脳させている。テロ集団が起こした歴史的な事件は、世界を戦慄させた。記憶にも新しい「9・11」。ニューヨークの世界貿易ビルに2機の旅客機を追突させた。

▼「正義(せいぎ)」を訓読みすると「まさよし」になる。人名にも多く使われている。維新後の4代内閣総理大臣「松方正義」、69代総理大臣「大平正芳(まさよし)」の急死で臨時代理総理「伊藤正義」。経済界では、ソフトバンクオナー「孫正義」。名前は立派でも、「音読み」する、テロ集団の正義(せいぎ)には手が付けられない。もう、こうなったら「正義の味方」のウルトラマンに退治してもらうしかない。

愛読している北国新聞コラム「時鐘」に、大聖寺に生まれ育った「岩原謙三(いわはらけんぞう)」の業績の一部が掲載されていた。今では歴史上の人物になっている岩原謙三の名前が新聞記事に出るとうれしくなる。まるで親戚の叔父さんのことが出ているのと同じくらいに、3回読み直した。

▼国宝や重要文化財を長らく保存してきた各地の大名家から、維新後の明治期になって日本の美術品が大量に散逸したという。それを救ったのが新興経済人であったという。成金趣味でなく、日本文化の崩壊を食い止める自負からだという。そんな立派なことをした経済人には、三井財閥の益田鈍翁(ますだどんのう)や東芝会長やNHK初代会長を勤めた岩原謙三(加賀市出身)らが知られる。

▼岩原家の菩提寺である「蓮光寺」の伝わる「大茶盛り」にも、「茶人・岩原謙三」が関与していたことが住職の話の中にうかがえる。NHKテレビの番組に、出演依頼をよく引き受ける「瀬戸達(せとさとる)氏が、岩原謙三の生誕150年に当たる昨年、「顕彰碑」を建立するに当たり、地元金沢NHKとの窓口になっていた。

▼このことを知った当時の金沢支局長も「実はわたしも『岩原謙三基金?』を受けて大学を卒業できた」という。「顕彰碑」建立で、岩原基金の存在と個人情報も知ることが出来た。と瀬戸氏はいう。今度は「ふるさとの偉人」のなかで誰の顕彰碑を建立するのか。
▼もう決まっているみたい。「篠原籐平(明治6年〜昭和3年)」 大聖寺の絹織物商人。織物利権を独占することなく仲間に開放して、地域産業発展に寄与した。しかし、史実はここで終わらない、苦境に落ちたとき、業界の多くの人が彼の恩に報いるために、倒産した会社をよみがえらせるという美談は、まだ、続いた。若くして病魔に逝った「篠原籐平」の功績碑を建立した。しかし・・・・。

この場所から「大聖寺駅まで徒歩10分」を明記した、方向看板を取り付ける準備が進んでいる。取り付ける場所が40カ所。総数で80枚近くであるという。「おもてなしの4カ国(英語・中国・韓国・日本語)」表示の優れものである。北陸新幹線開通が50日弱後に迫った。加賀市は、大聖寺の市内観光スポットから、JR駅に至るまでの「道案内」を準備して開通を待っている。

▼「行きはヨイヨイ、帰りは怖い」のはやり歌がむかしからあった。観光地への案内板はどこへ行っても目立つ。だが、帰り道の駅までの案内板はほとんど見かけない。帰りの時間は、駅で次の目的地までの電車時刻で決まっている。この場所からあと何分の表示は、観光客には便利な情報でもある。

▼北陸新幹線金沢〜敦賀間は繰り上げ予算がついて早くなったとか。まだ5〜6年先の話であるが、新幹線駅は「加賀温泉駅」。第三セクターの「大聖寺駅」は「ローカル駅」として、存在できるだろうが、利用客を問題視する人もいる。

▼「大丈夫」と言いたい。「団塊の世代」がノスタルジアの旗を掲げて、田舎を歩き回る日が来る。これまでの観光バスは、企画した観光コースに人を集めて回遊していた。これからは少し違う。小数人数で歩き回るというスタイルが大半を占める。スマホやアイ・パッドを片手に、リュックサックを背負い、宿泊代のコストを下げて長い旅に出る。そんな贅沢な旅の姿を再現するブームがなければ起こせばよい。

▼そして、歩けなくなった老人は映像の世界で旅をする。「バーチャルの世界」で、吾がふるさとを見てまわる。生まれ育った街並みや学び遊んだ学校に溶け込む。そんな世界に舞い戻り安心するという時代が、すぐそこまで来ている。


いつも極めて壮健な人が病になることを、「鬼の霍乱(おにのかくらん)」という。これまではそんな強くて優しい鬼で来たが、最近、何かとあちらこちらに「ゆがみ」が来ている。時々からだの具合が悪くなり、流行風邪にも弱くなった。こんな症状を「鬼の弱体」と造語しておきたい。

▼高齢者のインフルエンザは「命取り」になるから、注意することをテレビで報じていた。知ってはいたがやられてしまった。知ったかぶりの「鬼の空念仏(おにのからねんぶつ)」というのだろう。また、「蛙の面に小便」ともいう。あなたのことを思って何回もお伝えしたが、「分かっている」だけで、そのための養生をしなかった。自戒を込めて今度からは気をつけよう。

▼子どもの頃の「鬼ごっこ」は、楽しかった。機敏な動作の中で、からだも小柄なためにどんなもの後ろに隠れることができた。「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」の遊びは、老体には無理だ。鬼さんに捕まったら命取りになってしまう。

▼「あの世」にも、入口に「怖い鬼」がいるという。「エンマサマ」ともいうらしいが、「地獄の沙汰も金次第」というから、袖の下が通るみたい。最近は、「エンマサマ」への袖下金に用意していたものが、この世のニセ電話一本で騙され、高額なお金が取られている。気の毒な事件が後を絶たない。

▼ニセ電話で騙されない「キャンペーン」をしっかり見ているご老体。「わたしは、騙されない」と、思って見ていた人が騙されている。「鬼の空念仏」を地で行くよう老人が多い。「海千山千」には年配の鬼が多い。鬼とはご老体なのだ。

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