「遺伝子の記憶する古里」
先祖の墓参に来た還暦過ぎの大阪の人が、レンタサイクルのリピーターですと言って、「大聖寺観光案内所」を訪れた。いつも、時間のある限り自転車で大聖寺の町中を見て帰るという。「流し舟」にも乗船した。そんな縁で、墓参時には、「ええもん市」で新鮮野菜などをお土産に買って帰る。「長流亭」などを訪れ、町中での昼食後、帰りの電車時間まで「九谷焼美術館」の茶房で時間を費やすという。
▼先祖の住まいが「本町」の角であった。昭和9年9月9日に、中町からの失火で20メートルの強風に煽られて、消失戸数402戸、消失区域6万坪の「昭和の大聖寺大火」があった。その当時のことや、家財道具の持ち出し様子を、父親から聞かされていたという。
▼大聖寺本町の住人と言えば、大聖寺藩邸に一番近いところで、藩の御用達だった住民が住んでいた重要な町だった。先祖のことはいろいろ聞かされていただろうが、墓参に毎年訪れるようになって、大聖寺の居心地の良さを感じるようになってきたという。
▼「ゆく秋やふくみて水のやはらかき 石橋秀野」。「日々の歳時記」から一句取り出した。日の短くなった秋に、墓参に訪れて、あちこち自転車で走り回る。先祖も飲んだであろう大聖寺の水。歴史風土に人情や水は、日常生活に欠かせない大事なもの。先祖も懐かしんでいただろうが、私も感じてきたという大阪の人が、日の長い夏場の方が、長く大聖寺に居ることができるという。
▼奇しくも、注文していた東谷口の水で育った「おもて農園」の「こしひかり」の新米と、遺伝子の組み換えのない「大豆と赤米(古代米)」が、当番で詰めていた観光案内所に届いていた。そのふるさとの水で育った穀物を目にした大阪の人も、買って帰るかもしれない。柔らかい秋の日差しが差し込む今日は、のどかな日曜日の観光案内所。大聖寺は「日本の縮図」と言われているから、いつの日か。ふるさとに立ち寄る人で、忙しい日曜日になるであろう。