今年は柿が不作だという話を聞いていたが、きのう職場の仲間から、真っ赤に色づいた柿のお裾分けをもらった。買ってまで食べる柿でもなかったが、久しぶりに甘い柿を食べた。さっそく「里古りて柿の木持たぬ家もなし 松尾芭蕉」の句を、「日々の歳時記」から見つけ出した。
▼だが、門外漢には「里古りて・・」の「古りて」が、自信を持って分からない。注釈から「古りて」は、「こりて。古びての意味。」を教えられた。「柿は古くから日本で栽培され、私たち庶民の食生活・食文化の中で重要な位置を占めています。」の、記述もあった。
▼「柿が赤くなれば医者が青くなる」。という「ことわざ」を思い出すが、今では簡単に手に入る「ビタミンC」が、多く含まれている果実の一つでもある。古希を過ぎた者でも、先人の知恵を忘れかけている。人類が誕生して、多くの人が命を掛けて知りえた自然界の恵みが、すぐ傍に有りながら、近代の便利な物に頼っていることを改めて知る。
▼「しぶ柿」は、吊るし柿にして食べることも、忘れかけてきた。正月の飾り餅も、「サギ長」の時に処分する、もったいないことが起きている。焼いて食べることすら知らない子どもたちがいる。
▼「奥の細道」で、芭蕉の足跡をたどる「句会ご一行様」を案内した瀬戸氏の話を思いだした。芭蕉も通った、山中温泉に逗留して、越前に向かう「橘の宿」でのこと。句会を主宰する古老が、「立花(たちばな)は、橘(たちばな)」だとは、知らなかったと告白したという。
▼古くからの日本の風習を体感して伝えることをコンセプトにしている、「大聖寺活性化サロン」の行事を来月に企画している。勉強とは、見て学ぶ「見学」が原点だといつも彼は言っている。私も知らないことは、「見て学ぶ」ことに精進したい。
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