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2014年11月

月一回の血糖値検査を受けてきた。先月は血糖値が平常値に戻って3回目の日だった。不安な数分間の待ち時間。・・・正常値の結果が出た。前回の血液検査報告でも、主要な検査値も全てOKだった。日ごろの節制?が素直に結果に出た、うれしい合格通知証をもらった。

▼検査項目の「ヘモグロビン・A1C 5.5」だった。投薬のせいかもしれないが、処方薬を担っている薬屋の薬剤師は、この数値であれば「絶対にインシュリン注射の世話にならない」とのうれしいことを言ってくれた。

▼お世辞でもいい。頑張れる言葉のお礼に、ドラックストアに並んでいる「洗剤と入浴剤」を買った。「良薬は口に苦(にが)し」という、むかしの「いろはカルタ」にあった言葉を思い出した。「言葉は毒にも薬にもなる」というから、患者のためを思って、厳しい忠告をしてくれた担当医に感謝しなければ、と思い直した。

▼「一病息災」、「医食同源」などのことわざがよぎる。生活習慣病の最大の敵は、食事である。「分かっちゃいるけど、やめられない」習慣病。正常値になった要因は、「一日一個のリンゴを食べたこと」と断言したい。これまで食したことがなかったリンゴを食べてからの結果、としか思い当たらない。

▼ここまで書いてきて、先月にも「リンゴ・・・」の効能について書いたことを思い出した。重複して同じようなことを記すことは、血糖値より怖い?「ボケ」症状が進行中でないかと思った。

▼昔からの木造住宅建築は手入れをしていれば、楽に3世代まで維持できるという。いま流行の「・・・ホーム」の売り出している格好いい住宅は、30年ぐらいの耐久性しかないという。次世代に引き継がれない一代限りだという。

▼住宅建築と人体を同じ土俵で相撲を取らせるのは、センスがないかも知れないが、医学的に部品を交換できる時代になって来た。

▼いま、平均寿命が八十代になっている。建築学からいえば大工さんの手作り作品の家。骨組み材料からして現代の建売住宅と違う。もう少し生きてみて、どちらが勝つか確認してみたい。

今朝もさわやかに目覚めた。ありがたい。おだやかな空気を感じた。手早く身支度して、電気ストーブとパソコンのスイッチを入れる。立ち上がった画面から、最小化にして「吾亦紅」の曲を流す。

▼ディーサービスの施設で、老人たちの日課。リハリビ訓練時の第一声が、「ありがとう」から始まるということを聞いた。身近な肉親には、若いときに言えなかった「ありがとう」が、最近、「気遣い」を受けた他人にも言えるようになって来た。儀礼的でなく心の奥から感謝の意を込めて。

▼悔やまれるのは、一昨年93歳で大往生した母に、正常なときに言わなかったことが、情けない。「すぎもとまさる」が唄う「吾亦紅(われもこう)」を聴きながら、後悔と自戒の念にいつも重ねて聴いている。

▼「アリがとうなら、ミミズははたち?」。誰が教えてくれたか忘れてしまったが、ガキのころに茶化して言っていた。生まれて初めて「ありがとう」の語源を辞典で調べた。

▽「有り難し」とは、本来「有ること」が「難い(かたい)」、すなわち「滅多にない」や「珍しくて貴重だ」という意味であった。

▽感謝の意を直接に述べず、仏教用語である婉曲的な表現が日本語の感謝の意味を表す語になっているのは、他の言語と比較しても非常に面白い。しかし感謝の意を表す言葉は方言などを含め多岐に及んでおり、「ありがとう」が日本全国で感謝の意味を持つ筆頭単語として使われだしたのは最近のことである。

▼「ありがとう」を、南加賀の方言で「あんやと(う)」は、子どものころに使っていた。社会人?になって、「どうもどうも」、「すんません」で、感謝の意を伝えていた。気心の知れた人には「サンキュー」だった。

▼何とか続いている「スタッフ・ブログ」に、Mさんの「いいね」の気遣いや、数人から、直(じか)のコメントで「見ているよ」・・・。そんな一言にも、老人は元気を貰っている。「ありがとう」。

共同浴場はあっても、外国人は日本のように裸で入浴しない習慣が伝統的らしい。古くは「ローマの浴場」や温泉が湧き出る北欧諸国には、温泉プールで入浴している画像を見たことがある。

▼入浴はするが、日本のように石鹸を使って全身を洗う習慣がないらしい。バスタオルはあっても、「日本式のタオル」は使わないらしい。ハンカチぐらいの大きさのものはあるらしい。

▼先日体感した。山代温泉で復元された「古総湯」の湯船に、海水パンツを履いた姿で、小さなタオルをもって湯に浸かるシーンが想像できる。

▼最近のテレビ番組には、NHKの「クールジャパン」をはじめ、外国人をゲストにして、日本に来て習慣の違いからびっくりしたことや、日本式に慣れてきて母国の習慣より日本式の方がいいと言う外人さんが多くなってきた。

▼欧米系の男性が、日本に来なかったら、手が届かない背中の部分を洗うことが、生涯なかっただろうとコメントしていた。日本式のタオルを使って、タスキがけで背中を洗ったときの気持ちのよさをはじめて体験したと・・・。そんな体験を同席していた女性も「同感」のサインを送っていた。

▼「行列して並ぶ」習慣の日本人を、東日本大震災時の映像が世界中に放映されて、衝撃を与えたらしい。外国でも行列はするらしいが、前後の空間がなくからだをくっつけて行列するという。「割り込み防止」の自衛対策、そんな習慣が当たり前という。日本では、前後には適当な空間がある。

▼そんな習慣が日本に根付いたのは、幼児期からの保育所や学校での「前習い」の号令で並ぶ教育が徹底されてきた。明治期からの軍隊で、整然と並ぶ訓練が原点らしいが、戦後の学校教育での訓練を、徹底してきた日本式が、日常的に今日まで生かされている。

▼日本人に生まれて良かった。来世も「日本万歳」と叫びたい。・・・ずーっと・・・。

話には聞いていたが、縁あって山代温泉の「古総湯」に入る機会を得た。地元ではなかなか大金?を払って、石鹸でからだも洗えない古総湯へは入らない。どうしても、共同浴場の「総湯」へ入ってしまう。

▼「赤瓦景観の里 国際文化交流セミナー」のイベントで、山代温泉を代表する観光スポットを選んで、体験できる3つの一つに「古総湯」があった。

▼マイクロバスは、加賀東谷保存地区の荒谷、今立を通過して、「大土」の赤瓦家屋の民家で、用意された炭火で焼いた握り飯とイノシシ鍋の昼食を食べる。そして、西日で紅葉が映える「県民の森」を山越え、杉水集落を通過する際に、バスの窓から「吉備神社」を確認した。

▼隣座席にいた加賀市歴史研究員のI氏に、「めずらしいですね、吉備神社があるとは?」の質問を投げかけた。研究員はその質問にうなずくだけだった。

▼「吉備神社」と言えば、「桃太郎のキビだんご」伝説の「吉備国」を連想する。現在の岡山県は奈良時代、備前、備中、備後、美作(みまさか)の4地区の総称でもある。「吉備津彦神社」の末社かもしれない。何故?のまま、山中温泉も通過して山代温泉街に到着した。

▼明治時代の共同浴場を再現した「古総湯」への体験者グループは総勢8名だった。「沖縄・竹富島」から参加した上瀬頭氏に、石川高専の学生4名、「古総湯」建築に関与した市の担当者も説明役で入浴した。
▼復元された湯殿は、入浴方法も当時のままを体験するため、浴室にはカラン・シャワーなどの設備はなく、かけ湯をして湯船につかるが決まりになっている。銭湯での経験がない学生たちの入浴の仕方を見ていたら、自宅の風呂の入り方だった。見かねた年長の上瀬頭さんと私は、即、注意した。立ったままの「かけ湯」は、ダメと・・・。

▼そんな最中に、外国人が腰をかがめて「かけ湯」をして湯船に入ってきた。国際交流のイベント行事の流れで、出身国を日本語で尋ねたら、流暢な日本語でカナダから来て、「岡山」に住んでいるという。バスでの何故?が、つながった。湯船には学生の「美作(みまさく君」もいた。

▼湯船に浸かっていると、温泉の癒す効果で気持ちよくなり、「銭湯・総湯」の略語で、♪「『銭・総』(せんそう)を知らない子どもたち・・・」。の歌詞で唄いたくなってきた。

「偶然と必然」は、紙一重と聞いたことがある。私は適当人間なのか、「自分に不利益なことは偶然に起きた。自分にとってラッキーなことは、神さまからの思し召しの必然と捕らえている。なんちゃって・・・。平凡な日々が続くから、そんなのんきなこと言って・・・と、誰かさんから叱られる。相手もいないくせに。

▼新聞紙面は、「安倍解散」で、「みんな」辞めるというから、過去の同士がばらばらに就職先を探している永田町。石川県内でも、「みんな」して世直しの、140年前の「維新」を再現したかったが、本部がまだ固まっていないから石川支部は解散するという。

▼思っていたほど景気がよくないから、消費税値上げを先送りして、民意を確かめる。民意の5割が支持政党なしとアンケートに出ているのに、残りの半分で日本の行く末を計るという。勝てば、必然の「国民からの思し召し」でラッキーの政治の世界なのか。

▼ちょうど2年前の今日。新聞切り抜きは、偶然にも、似たような世相だった。

『自慢にならないが、十指に余る政党の名前を全部覚えてはいない。すぐに消えた「太陽」まである世界だから、慌てることはない▼それにしても、抜ける人、くっつく集団が複雑に絡む離合集散である。ややこしい関係を理解するには、登場人物のつながりを図にした「相関図」が便利である。つい最近まで、尼崎変死事件の相関図が何度も紙面に載った。首謀者とされる女を中心に、欲と憎しみの線が複雑に絡む▼たとえ話にしろ、こんな集団を持ちだすのは気が引ける。相関図と言っても、永田町と尼崎では月とスッポンの開きがある。「スッポン」は、金を目当ての欲望の修羅場。「月」の世界の先生方は、かたじけなくも「国民の幸せのために」離合集散をなされている▼2012・11・26北国記事。

▼政界は必然の世界?。相関図は、まもなく判明するだろうが、誰が何処へくっついたのか。「夫毒殺」事件でも、青酸で身近な男たちを連続殺人。同居。内縁。結婚。「相関図」を見なければ分からない。似たような殺人事件が2年前に起きていた。これは偶然だろう。

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