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2016年03月

きょうからは3月の月末でもあり、年度末の3月。決算処理や来期の予算的なものもないから、人事異動もない。ナイナイづくしの3月末日。市場経済に翻弄された時代を懐かしくもあり、苦笑いも沢山あった20年前を思い出す。今となれば時代の趨勢を身の肌で感じて来た貴重な体験でもあった。

1970年代の「いざなぎ景気」で、日本はドイツを抜いてGDP第2位になった。2,3年後には固定相場制から、変動相場制に変わり、毎日が変動する為替相場になっていった。そして、第1次オイルショックも体験し、「バブル」期は、「売り手市場」であった繊維産業の「川中業界」での副産物製品を、中近東へバイヤーを通して販売もしていた。

「濡れ手で粟をつかむ」時代も終わり、市場は「買い手市場」になって行った。そんな時に乱高下する為替相場の1円に一喜一憂していた。買い手側では、1円が10円に匹敵する。海外の闇市場では数十倍にもなるという。そんな利幅が動く商品のスタート点にいた。

サラリーマンとして「喜怒哀楽」も体験して、今では、老後の単純作業場では、一週間のうちの勤務が3日。その1日6時間が単調で長く感じられる。そんな、単調な日々にボランティア活動にかかわり、刺激的な会合に末席ながらお声が掛かる。

現役の有識者が集まる「大聖寺活性化会議」という。いろんな活動をしているリーダーが集まる。横の結束を強め、大聖寺の明日を語る仲間たちでもある。そんな会合が明日。大聖寺川の「流し舟」運航式典が明後日と、連日のスケジュールにワクワクしている。

明日から4月2日まで、ブログ書き込みを予定通り休筆する。新学期を迎える孫世代の「春休み」にあやかって、今年も感謝で生きるシルバーの「筆休み」としておこう。

「呉越同舟」という言葉がある。「膝を交えて」、「腹を割って」、「気心の通じ合った者同士」が、同舟しての3時間の舟旅はあっという間に、「わが町の活性化」という舟着場へ到着した。大聖寺川の桜はまだつぼみだが、「ばん亭舟」では一足先に花が咲いた。舟を漕ぐ船頭さんの巧みな舵さばきも見事だったが、よくぞこれだけの異国人たちに声をかけて、同舟させた手腕は見事しか言いようがなかった。

▼舟先には江戸から、最先端の「地域活性化」と称して、「着地型観光とICT活用法」を伝授する二人の若サムライが便乗していた。時代はめまぐるしく変化している。幕末から維新にかけての、欧米情報と刀で切りあった、あの時代以上にスピードが速くなってきている。口コミ情報ニーズという日本語が定着して久しいが、それよりも質感量が大きく変わってきた。

▼「ガラケー系」から「スマホ―」時代に突入して、「老いも若きもスマホ―」なしでは付いていかれない。情報は携帯パソコンで検索する便利な時代になった。それも言葉でなく臨場感あふれる写真や動画で共感を与える。これまでの固定感念をぶっ飛ばす価値観の時代になった。

▼「高齢化社会」での介護システムが、今やっと動き出しているのに、この先が思いやられる。「ボケ防止体操」や「認知度対策」に行政が、やっと重い腰をあげたにもかかわらず遠くに見えた時代の津波は、15メートルの防波堤を飲み込んでしまう時代になった。と、江戸から来た若い衆の、「光は1秒間に地球を7周半する」話に傾聴した。

▼だが、「加賀百万石の支藩、大聖寺十万石」は、発展はしなかったために「埋もれた文化遺産」が残った。時代がどれだけ速くなっても、「先人の遺産」を探す人たちもいる。郷愁に思いを馳せる人もいる。そんな財産を残す人たちもいなければならない。時代の川の流れを知った上で、確実に残す一人になりたいと。傾聴しながら「ガンコ・ジジ」は、桜満開を「流し舟」に揺られながら見る夢を見ていた。

「遅筆(ちひつ)」のプロの物書きが、時々、原稿用紙が活字でいっぱいの夢を見るというコラム「時鍾」の記事があった。さも、あらん。ボランティア活動で所属しているホームページに掲載する「スタッフ・ブログ」に、毎日投稿している「つぶやき」老人もそんな夢を見たことがある。

▼古希をとっくに過ぎた独居老人が、日々感じる季節の移ろいの中でのブログ発信が、物忘れがだんだん多くなる毎日を、少しでも遅らせるようにと始めた日課が辛い時もある。だが、楽しい記述材料がある時は、生かせれているというより、生きているという幸せを感じる。

▼そんな事情を知ってか、仲間のひとりが一週間に一度は、「ネタ材料」のヒントをさりげない会話のなかに提供してくれる。こちらも、か細い「アンテナ」から「ネタ」探しに、ヒントの電波を受信するようにしている。

▼先日、加賀市にある「鴨池観察館」で、越冬する野鳥の生態を勉強する機会を得た。学芸員の櫻井氏が熱く語る説明に、耳を傾けながらたくさんのことを知った。小さな鴨池にはピーク時数万羽の越冬野鳥が、寝床として利用している片野の「鴨池」。池を守るために、館員が人知れず努力しているという。

▼そして、4000キロも離れた北極圏あたりから命がけで飛来し、また春には帰って行く「トモエガモ」。繰り返しの生態や歴史の説明を聞くことができる。日本には3ケ所しかない、貴重な観察もできる場所の一つである。

▼江戸期からの「坂網猟」で生け捕ったカモに発信機を取り付けて、夜明けに餌場を探して飛び立ち、加賀市のどこの水辺で餌を獲るかという調査をしたという。その時のカモからの受信には「八木アンテナ」を使ったという。屋根に設置されているテレビ放送を受信するタイプのアンテナである。

▼掲げたアンテナだけでは受信できない。八木アンテナは向きが肝心。そして、受信した内容から、また発信するブログに求められるのは、質の良い情報の選択も大切なことである。

昔から言い伝えられている言葉に、「憎まれっ子、世に憚る」があるかと思えば、「正直者はバカを見る」もある。この二つを直訳すると、人生を生きるためのノウハウが隠されているように思える。世に言う成功者は、表の顔もあれば裏の顔もある。競争社会の原理でもある勝ち抜くためには、非道に手を染めたかもしれない。

▼「正直に生きる」ということを信条にしている多くの人には、「バカを見る」言葉は通用しないが、名のある老舗企業「東芝」の粉飾決算が今になって表面化して、歴代の経営トップと監査会社が非難されている。「不正直者がバカを見た」典型的なケースであった。

▼星稜出身の野球選手が、球界のトップ球団「巨人軍」で好成績だった。将来を託されていたにも関わらず、悪友にそそのかされてゲーム感覚で悪いことしてしまった。だが、正直に涙を顔で正直に改心の心情を公開の場で謝ったことで、コミッショナーから条件付きでカンニンしてもらった。

▼「果報は寝て待て」といういい言葉があった。正直に生きた者は、いずれ結果が世に認められる。せっかちに成果を期待してはいけないという、素晴らしい言葉が昔からある一方、アスリートの世界では、また「若い芽」が出てきた。14歳の女の子の選手生活が12年だという。フィギアーのスケート世界ジュニアー大会で優勝した「本田真凛ちゃん」。

▼千年以上も生き抜いてきた先人の知恵が、言葉で残してきた「ことわざ」や「格言」が、それを伝える家庭環境もなくなって「死語」になってきた。しかし、情報社会ではそれらの「失敗談」や「成功談」は直ぐにも報道される。「歌は世につれ、世は歌につれ」の、懐かしい歌番組の司会者の流れるような言葉が思い出される。

▼地球の回転が速くなってきたのだろうか。高齢者が増えて、人口が減ってロボットが物を作る時代になってきた。「老いては子に従う」つもりはないが、若い人の言うことも聞いているつもりだ。

半世紀前の二十歳の頃。季節は新緑だった。列車に乗って「青春の旅」をした。楽しい旅ではなかった。「悩んだ時には旅をしろ」と、教わっていたのかもしれない。気車で長野経由の東京方面に向かった。一日目、着いたところが上田駅だった。それから電車で「別所温泉」に着いた。予約なしの一人旅を泊めてくれた旅館は「中松屋」だったと思う。「北向観音」に近い温泉街の道路沿いにあった。

▼北向観音には、昭和の前期に川口松太郎原作の「愛染かつら」が映画化されて、この木の下で永遠の愛を誓った「愛染カツラの木」があった。若き医師と美貌の看護婦の恋愛ドラマが有名だった。そんな樹齢300年以上もある大きな樹木を見た覚えがある。

▼二日目は「中軽井沢駅」に降りた。目的地もなく、駅から直線に伸びる道路を20分ほど歩いたところに「星野温泉」があった。新緑に囲まれた洋館風のホテルのロビーは、泊り客以外でもくつろげるオープンフロアーがあった。田舎出の若者は、そんな洋式風のホテルロビーの中央に設置されていた大きなテレビ画面の前に座った。

▼テレビ画像は、以前から流れていたような感じの対談画面だった。今、思えば録画画像だったかもしれない。「中西悟堂」というテロップが目についた。片や「星野・・・」。ということは、このホテルの経営者だと分かった。中西悟堂は金沢市出身の「野鳥」で有名な先生だと知っていたから、画面にくぎ付けになった。

▼私の記憶画像は、ここで停止になっていた。そして、50年ぶりに再起動した。山代温泉に「界加賀」がオープンを知った時に、あの中軽井沢のロビーで見た画像が蘇った。ネットで「星野温泉と中西悟堂」と検索したら、50年前の覚えていない対談内容が聞こえてきた。

▼軽井沢野鳥の森には「中西悟堂」のブロンズ像がある。1895〜1985年。詩人、歌人、文筆家、僧籍にあって法名が悟堂。野鳥の生態観察を行い、1934年「日本野鳥の会」設立。この軽井沢星野温泉に逗留し、館主の星野嘉政と語らい、国設「軽井沢野鳥の森」を設立した。
▼「鴨池観察館」では、これまで知らなかった野鳥の生態や、江戸時代からの伝統的「坂網猟」が許されている歴史などの話が聞けた。「百聞は一見にしかず」で、鴨池観察館には訪れて野鳥を観るべきだ。

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